(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ ウイズコロナの日々

2021-01-21 | 日記・エッセイ
ウイズコロナの日々
         (写真は初茜)

 ちょうど一年余ほど前に、「冬の一日」と題したエッセイを上梓したことがありました。それは、その6年前の「冬の一日」を振り返ってのことでありまし。それもあって、さらに6年後の2027年の1月に、「冬の一日 6年後」として記事を書くつもりにしていました。ところが、コロナ騒ぎもあってか、はたまた地球の自転の速度が速くなったという情報(*)もあり、とても6年後までは待てない。そこで取り急ぎ「ウイズコロナの一日」と題して書くことにしました。

  注)*地球の自転速度を観測している科学者たちは、2021年にはさらに短くなると予測している。2021年の1日の長さは、我々が使う時計が定める1日の長さである8万6400秒よりも平均で0.05ミリ秒、また、個々の日では最大で1.5ミリ秒短くなる可能性があり、一年で合計すると約19ミリ秒短くなる。

 以前は夕景の写真を冒頭に飾ってましたが、これからはもっと前向きの人生とするため、朝茜(朝日)に心を向けることにしました。そんなことを念頭におきながら、「冬の一日」を「ウイズコロナの一日」として紹介させて頂きます。

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 朝は、4時頃に目を覚ます。なぜかというと、その時刻になると日経新聞がネットで配信されるのだ。まず紙面版のコラム(春秋)を読む。ついで最終紙面の「ミチクサ先生」という伊集院静の小説を読む。漱石と正岡子規の交流を描いたものだ。昨今は、熊本の第五高等学校に奉職した漱石とその妻の鏡子の日々を描いている。鏡子は、悪妻のように言われているが、ここでは漱石は年下の鏡子のことを愛しく思っている様子が描かれている。伊集院の漱石たちを見る目の優しさを感じる。それが済んだら、また眠りにつく。紙面版の全体は、のちほど日中にiPadで見る。電子版は、とくにマーケットの情報などをとるのに活用している。紙面版には、ない情報がたくさんある。

 6時半頃起きて、ベッドの中でBloombergやWallStreetJournalなどのニュースをネット配信でみる。アメリカのおおよその動きは把握できる。WSJは、いくつかの記事は日本語訳の記事もある。7時になると朝食タイム。朝から食欲がある。ありすぎるのだ。シリアルを食べたり、バナナを食べたりと、食パンの量は少なくなっている。珈琲や紅茶の砂糖も植物由来のラカントを摂っている。体重はきちんとコントロールできている。目標値から、プラス・マイナス0.3キロでコントロール。

 朝食後は、すぐ近くにあるクラブのプールに行く。昨年右肩に痛みが出て(チェロの練習のしすぎ?)、手術・入院をした。そのせいでクロールもできなかったが、ようやく昨今落ち着いてきて、ほぼほぼクロールは泳げるようになった。プールは一日おき、他の日はウオーキング。島の周りの散歩道を歩く。ただ歩く速度は遅くなってきた。年を感じる。それはともかく、できるだけ陽の光を浴びて歩く。ビタミンDもできて、認知症対策にもなるようだ。そういえば、カレーのスパイスには脳神経を正常に働かせるのに役立つナイアシンや動脈硬化を予防しストレスをやわらげる働きのあるパントテン酸などを含み、認知症予防にもいいらしい。というような屁理屈をつけてはJR住吉駅エリアにある<京都洋食屋カレー>をひんぱんに訪れる。ここのカレーが大好きだ、いつもルウ大盛りで頼んでいる。

 7年前ほど前からSNSを始めた。フェイスブックを多用。あるクローズドの仲間と、一般公開をしている友人の二種類がある。最近ではツイッターが情報配信や交換の場になっている。ツイッターには好きな音楽などをアップロードしている。インスタグラムは、お遊び程度。ところが昨今コロナ騒ぎもあって、手につかなくなってしまった。そこに加えて、成毛眞さん(書評サイトHONZ代表、もと日本マイクロソフト社長)の最近の発言から、SNSとくにFBのやり方を根本的にやりなおそうと考えはじめた。下記に成毛さんの発言の一部をご紹介する。

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 (成毛眞)”友達申請を一日に最低でも5件ほど受け取る。・・・申し訳ないが、知らない人からの友達申請は無視するしかないので、悪しからずご了承していただきだい。不思議に友達申請してくる人の90%は意味のあることを自分のウオールに投稿していない。FBに加入してから一度も投稿してない人もいる。ボクがそんな人とFB友達になっても、ボクにとって何の意味があるのだろう?1秒でも考えたことがないのだろうか。

しかし、なかにはめちゃくちゃ面白い投稿を続けている人もいる。そんな人は稀なのだが、こちらから友達申請している。SNSは情報の持ちつ持たれつだ。SNS上では(リアル友人以外の)赤の他人にとって、情報なき人は友達としては無価値なのだ。

まったく見も知らない友人申請してきた人が、自分のFBで書いてることが昨日の夕食に何食ったかだの、誕生日のケーキだの、孫の写真だのだけだったりする。ボクはね、会ったこともない人の個別の生活には死ぬまでまったくぜんぜん10000%興味ないし、見たくもない。あんたと友達になるわけないじゃないか。世の中はそんなに都合よくできてないのだ。

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 これなんだよなあ! いつも感じていたのは。私自身のSNSでの情報の発信のしかたについて、反省の念もふくめてヒントを感じ取った。


 ところで前にも書いたが、情報ソースとしてWSJやBloombergやFT、さらにはNewsPicksというサイトがあるが、加えて日経は言葉は悪いがしゃぶり尽くしている。iPadでみる紙面版では最終ページに時折の絵画と説明がある。この前、このブログで取り上げた「破壊」もそうである。最近、「モデルの一生」と題してとりあげられたもの。赤い服をまとった断髪の女性、左奥にはアネモネの花。モデルは作者板倉鼎がパリで描いた大作。5年後モデルの須美子はこの世を去った。西洋絵画ではアネモネは死を象徴するとか。 さらに電子版では、紙面版にはない豊富な情報がある。たとえば、経営者ブログというコーナーがあって、IIJ会長の鈴木幸一氏、ユニチャームの高原豪久氏などの物の見方に触れることができる。

 

 午後になると、たまには島の中にある神戸市立小磯記念美術館に出かける。今は特別展「至高の小磯良平」という大野コレクションを展示している。すぐれた女性像の数々がある。画像は、「化粧する舞妓」

  

日経新聞を紙面でじっくり見る。「春秋」というコラムも味わい深いので、かならず目をとおしている。1月17日の「春秋」は、もちろん26年前の阪神淡路大震災についてであった。この時、ボランティア元年といわれるくらい多くの人たちが助けあった。”「1.17」以降の世代にとっては共助は自然な振る舞いなのだろう”、と書かれていた。


(読書)

 本は日がな一日読んでいる。最近読んだ本で興味を惹いたのをいくつか、とり上げてみる。①『自分の頭で考える日本の論点』(出口治明)・・・「日本人は働き方を変えるべきか」、「日本は移民・難民をもっと受け入れるべきか」など22の論点につき、背景を解説し、さらに著者自身の考えかたを開陳してる。その上で、諸君はどうかと迫る。②『だから古典は面白い』(野口悠紀雄、専攻はファイナンス理論)・・・「ビジネス書を読むより『戦争と平和』を読もう、「ノウハウ書を読むより『マクベス』を読もう」など古典を読む意味合いと面白さを教えてくれる。③もう15年ほどまえの本だが、中西進さんの『詩心ー永遠なるもの』は万葉から現代詩に至るまで紹介・解説し、それらの良さを伝えてくれる。”秋の灯や集いてやがて星となる”(和田誠、イラストレーター)など。この詩を読んでいると、”いつかは星になるのかなあ”、と思ったりする。④『シャドー81』・・・太平洋上を飛ぶジャンボ旅客機が、ジャンボから死角にある最新鋭戦闘爆撃機のパイロットから乗っ取られる。海外ミステリーは、ジェフリー・ディーヴァーの作品を始めとしてかなり読んでいるが、本作品は初めて。読み進むのが楽しみである。

(音楽の楽しみ)

 それからチェロの練習。右肩の痛みに加え、左肩が痛くなって手術をしたが、その痛みがほとんどなくなり、みっちり練習できるようになってきた。楽譜をみる目の視力の衰えもあって、なかなかスムーズんは弾けないが、それでも少しづつ上のレベルへと進んでいる。今の心境を一句、短歌で。

 ”またひとつ新しきこと覚えをり寒牡丹咲く冬の一日(ひとひ)に”

 音楽を鑑賞する方では、ツールが変わってきた。これまではアキュフェーズの製品(チューナー。プリメインアンプ。CDプレーヤなど)でラインアップを固めていたが、スマホ(アップル)の動画で音楽の演奏の様子を見るようになったので、スマホで聴くことが多くなった。YouTubeだと、演奏の様子を見ることができる。それに加えて、最新のTVではアンドロイド機能はついており、YouTubeを大画面でみることができる。これにしかるべきスピーカーを外付けすれば、立派なリスニングルームになる。オーケストラの音楽を聞く時は、ベルリン放送のデジタル版の映像をPCで見ることが可能だ。もちろんゼンハウザーなどのヘッドフォンを装着する。

 話は変わるが、昨年(2020年)で一番記憶に残った音楽は「長崎の鐘」だ。(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)。朝ドラ「エール」で放送され、絶大な人気を集めた。これは長崎で原爆にあった永井隆博士が、原爆投下当時の長崎の様子を記録(随筆)としてまとめたもので、これを読んだサトウハチローが感激して詩にした。それに古関裕而が曲をつけた。「長崎の鐘」の歌(藤山一郎 歌唱)
 
 この歌は、敗戦から立ち上がろうする日本の人々を慰め、励ました。そして長崎だけではなく、広く日本国中で歌われた。

 ふと思い出したのは、阪神淡路大震災の折に高校の音楽教師が作詞作曲した歌「しあわせ運べるように」だ。当時、神戸の西灘小学校の音楽専攻科教諭であった臼井真先生は、震災で家族や友人を失った人たちを慰め、励まそうとこの曲をつくった。そして、その歌は神戸から東北大震災の人々の間でも歌われ、さらには国内外で歌われるようになり「希望の歌」となった。


(健康について)

 健康については内臓系を中心としてとくに問題はない。しかし、年を重ねるといろんな問題が出てくるので、気をつけている。とくに気にしているのは、腎臓の性能を示す値のひとつであるクレアチニンの数値が高めに張り付いているので、食事の時の塩分のとりすぎには気を使っている。身体から塩分を放出するような食品(ナッツ類やほうれん草など)もあるようなので、それを摂るのもいいかなと思っている。この問題に限らず、「日経Goodyマイドクター」という会員制のサイト(有料)があって健康情報の記事を読めるほか、相談にも乗ってもらえるので、愛読している。


 ところで京都通いのことである。緊急事態宣言後、ごく初期の頃に一度行きつけの店に行ったきりで、すっかりご無沙汰している。元気に営業しておられるのであろうか? ワクチンを接種したら、いの一番で飛んで行きたい。それまでは東灘界隈でガマンの子である。絶品の焼き肉「翔苑」、上海の料理人のやっている「三日月食堂」(魚香茄子 ゆいしゃんなすがうまい)などなど。ちょっぴり中国語を覚えて大将に話しかけると、親愛の情を示してくれる。しょっちゅう通っていたJR福島駅あたりも、とんとご無沙汰だ。したがって、家で自らレシピを考え、料理にいそしんでいる。いずれ、ブログ「料理あれこれ」に書くつもりだ。


(頭の活性化にも気を配る)

 すでに述べたように日の光を浴びて歩く。毎日日記をつけている。B6サイズの日記帳に横書きで万年筆でびっしり書く。字が下手なので、”あまり達筆すぎて読めないわ”、などと某マダムに言われたこともあった。(笑)書くのが速いのが主な原因であるが、正規の書き順に沿っていないことが多いので、いちいち書き順をアプリでチェックしている。愛用の万年筆はペリカン製。インクは、パイロットの「天色」(色雫)の明るい青が好きだ。問題は、このインクは粒子が細かいのでペリカン製の万年筆には合わない。そこで、もう一本買うことにして、パイロット製にした。ところが、このメーカーのインクは色が今一である。たまたまペリカンのTOPAZを試したところ、ぴったりハマった。ついでに愛用のペリカンでもTOPAZにするとインク漏れもなく、”青い鳥はそこにいた”(笑)

 できるだけ人と話をするように努めている。病院のリハビリの受付をしている女性にも話しかける。それがあってか、”私がいる日に来てくださいね”と、言われるようになった。チェロの練習場の受付をしている若いマダムとも、神戸のグルメのことなどどんどん話しかける。こちらは、人畜無害の安心牌と思われているのかもしれない。(笑)

 俳句の句会はなくなったが、その頃の友人と語らってネット句会を楽しんでいる。最近では、同じメンバーで連句のやり取りもしている。東京在住の友人(高校同期)とは、二人で月に一回、書簡をやりとりして連句の歌仙を巻いている。


(三つのいいこと ThreeGood)
 
 ごく最近のことであるが、レオスキャピタルワークスのCEOをしている藤野英人さんが、こんなことを提唱された。

 ”今日から毎日のちょっとしたよかったことを三つだけかいてみようと思います。・・・この三ヶ月間くらいは色々つらいこともあると思うので、目をむける場所をそのようなところではなく、意図的に生活の小さな幸せを見つけて行くことが生活をきれいにしていくことかなと思います。

自分の生活そのものへの解像度をあげていくことによる幸福感を高めていくことで、内圧を高めていくことで心と身体の健康を高めていこうという工夫です。あと、人の小さな幸せを感じると、ああこういうところに幸せを感じるのかとわかって、ほっこりすると思います。

 どうしてもきびしいニュースが出てくると、それに引き寄せられてその関連記事をどんどん読んでしまい、それがメンタルを痛めていきます。・・・

 では、さっそく。

 ①だんごとおもちのお腹がなおった注)藤野家で飼っている子犬のこと。
  愛犬だんごとおもちがしばらくお腹を壊していたのですが、薬と食事を変eru
  ことで収まってきました。

 ②夜の食事のほっけが非常に肉厚でおいしかった。
  いただきもののホッケですが、大きく身もぷりぷりして脂ものっていて礼文島で食べたホッケよりも美味しかった。

 ③ヴィーガンに特化した若手起業家の話が面白くて、やはり若い経営者と話を続けることが大事だと感じた。”

   注)ヴィーガンとは、“徹底した”菜食主義(あるいは菜食主義者)のことで、「完全菜食主義者」と訳されることもある。肉や魚に加えて、卵・乳製品などの動物由来の食材を摂取しないという特徴がある

 と、いうことなのですが、彼のフェイスブックの投稿に知人・友人・仲間などFBでつながっている人が毎日のように、それぞれの「三つのいいこと」を 書き込んでいます。たまたま藤野さんとは高校(愛知県立旭丘高校)つなが りということもあって、私自身も始めることにしました。遠隔の地にいる友人と、さっそく始めました。毎日では、きびしいので、一週間に二回、話し合うことにしました。

 むずかしいことはありません。たとえば、①ロウバイが咲いてるのを見ることができた。②ヒラメの中華風刺し身が美味しかった。③西の空に新月を見た。などなど。如何でしょうか? やってみませんか? 中には、”白菜を油で炒めたら美味しかった”などという「いいこと」もありました。



(深夜になると)
改めて本を手に取る。今夜は、『江戸の夢びらき』(松井今朝子)。歌舞伎で最初に荒事を仕掛けた男、市川團十郎の物語。
 
 もう遅くなった。最後に好きな詩を。「闇」。 杉山平一の詩集『青をめざして』から


 ”ルームライトを消す
  
スタンドランプを消す
  そうして
  悲しみに灯をいれる 

 
 時間が闇を深めていくに従って、作者自身も活動の世界から休息の世界へと移動していく。夜の部屋の明るさも、まず大きな光源が消え、手元の小さな灯りも消される。すると残るのは闇。 しかし闇は心の中の悲しみを浮かび上がらせ、小さな灯りのように心に宿る。(中西進 注)    


     ~~~~~~~~~~~~~


 もう遅くなりました。では、おやすみなさい。



追補
 都合により、「料理あれこれ」の記事は先送りさせていただきます。立春明けの雨水の頃にアップいたします。








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読書&エッセイ 『プーチンの世界』

2021-01-06 | 読書
大冊『プーチンの世界』、をやっと読み終わりました。読んでいて楽しいというようなものではありませんが、国際政治に関心がある人間にとっては、読み解く意義はあると思います。お正月ということもあり、いつもよりは比較的短めにまとめました。いいわば、ゆらぎのメモワールのようなものですので、どうぞ遠慮なくお読み捨てください。

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『プーチンの世界』

(結論)①この本は、プーチンの人間像を描き出そうとしたものである。そして、恐らくそれを元に外交政策立案の参考にしようとしたアメリカという国には、底しれぬ力を持っているように感じる。

②この本を読んでいると、なぜか中国のことを描いているように感じる。西欧諸国から痛めつけられ、その敗北を噛み締めて立ち上がって行き、大国としての位置を確かなものにしようとするところに、今の中国の現状を思い浮かべる。プーチン、即 習近平のようにも思えてくる。諸兄姉は、どのように感じられるであろうか。ちなみにプーチンはレニングラード大学出身のエリートで、習近平も清華大学の出身のエリートである。。


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 現ロシア連邦の大統領であるウラジミール・プーチンは2018年の選挙に圧勝し、その任期は2024年までとなっている。元KGB(情報機関・秘密警察)のエージェントであり、仕事一筋の人間である。しかし彼の人物像はよくわかっていない。むしろ謎の部分が多い。

 この500ページになんなんとする大作は、プーチンの考え方や世界観について長年にわたって調べ上げたものである。しかし、プーチンという人間や彼の政策あるいは行動について評価しようとしたものではない。では、どういう内容の調査をしたのか? また、なぜそのような調査をするに至ったのか。アメリカの有力シンクタンクの一つであるブルッキングス研究所は、アメリカがロシア政府との交渉にあたってプーチンの人物像に迫り、また彼が率いるロシアの行動原理がどのようなものか探ろうとしたのである。

 プーチンは伝統的かつ保守的な信念を持つロシア人政治家であり、世界秩序の中でロシアが特別な役割を果たしてしかるべきだと信じている。ロシアは唯一無二の歴史、文化、言語を持つ世界でも類まれな文明大国の一つなのだ、と。プーチンは、ソ連崩壊後に形成された現在の世界の政治およに安全保障秩序は、ロシアの”特別な役割”を否定するだけでなく、主権国家としての存続を脅かすほどロシアを不利な立場に置くものだと信じている。そのてめ、プーチンは現在の秩序を変えることを自らの責務としている。

 2012年3月、プーチンはウクライナからクリミア半島を切り離し、ロシア連邦に正式に編入した。このプーチンの行動は過去のパターンからはかけ離れていた。著者は、”過去の行動パターンから逸脱したときこそ、その人の本当の正確を理解するチャンスだと考え、(プーチンという)個人の行動を分析する上で、パターンの変化に注目した方がいい、変化した時にこそ、その人物の自我の中で、「不変の要素」が際立つようになり、隠れた原動力、根底にある(リーダーとしての動機ともっとも重要な価値観が明らかになる”、と考えた。このアプローチこそが本書の根幹にある。プーチンとは、一体何者なのか? それを彼の動機、つまり現在の行動へと駆り立てる要因という視点から解き明かそうとしたものである。


 1990年代のロシアは崩壊した国家危機にあった。ロシアの国内・外交政策は屈辱的な失敗を繰り返していた。当時はボリス・エリツインがロシア初代の大統領であった。
 
(1990年代のロシアの実情とプーチンの動き)
 1991年11月、ロシアの北コーカサス地方にあるチェチェン共和国はソ連からの離脱と独立を一方的に宣言した。94年11月ロシア政府はチェチェンに大規模な軍事攻撃をしかけた。チェチェンの主要都市であるグロズノイをほぼ壊滅状態においこんだが、死者数が増え、戦闘部隊としての機能が失われていた。軍需品も不足し、アフガニスタン紛争以来の最大の敗北となった。外交政策も行き詰まり。アメリカからは、”もはや敵国同士でなはない”との共同声明があったが、ボスニアの首都サラエボでの大規模紛争も勃発し、国連の国際平和維持軍が介入。ロシアと近隣諸国との関係は、みるみる悪化した。

西側諸国からは、二流国扱いされるに至った。NATOは、ロシアが果たすべき伝統的な役割を否定し、バルト三国からロシアを追い出した。同盟国だったはずのウクライナや旧ソ連諸国は、利権を巡ってロシア政府と戦った。アメリカとの関係は後退する一方だった。そんな時(1996年8月)、プーチンはモスクワへと異動し、大統領府に加わった。1999年12月、プーチンは「新千年紀を迎えるロシア」と題して、5000語の論文をロシア政府のウエブサイトに発表した。(当時、プーチンは首相) その二日後、ロシア大統領のエリツインは、大統領職を辞して権限をプーチンに引き継ぐと宣言した。

プーチンは、ロシアはアメリカやイギリスのような歴史的自由が根付く国ではないと強調し、次のように述べた。

 ”国家とその構造は、この国や国民の生活において常に極めて重要な役割を果たしてきている。ロシアに人々にとって、重要な国家とは立ち向かうべき敵ではない。その逆に、強力な国家は秩序を保証する源であり、あらゆる変革を開始する主な原動力でもある。・・・社会は国家の指導力や統率力の回復を望んでいるのだ”
                                    (ゆらぎ思うに)今の中国のように思える。

プーチンは、二流どころか三流国家に落ちぶれる真の危機に直面し、その事態を避けるために、国内のあらゆる知的、物的、精神的な力を総動員した。プーチンーは首相在任中に「ロシア2020」を策定、経済成長の促進、生活水準の改善、新テクノロジーの導入、経済の再工業化を推進した。2015年。プーチンは大統領三期目を迎えるにあたって、「ロシア国家のための大々的な改革プログラムの現代版の旗手」というイメージを打ち出そうとした。プーチンは、戦略的計画として外貨準備高を増加させた。それも不慮の事態や予期せぬ出来事に対する計画であった。2006年、連邦国家備蓄局は、ロシア全国民の最大三ヶ月分の食料、燃料、衣類、薬品などを蓄えるに至った。この国家備蓄は安全保障システムの重要な要素であるだけでなく、経済発展のための安定化要因である。ソ連の崩壊によって、軍事力だけでは主権を確保できないことを認識していた。ソ連崩壊後のロシアの債務、IMFの援助、世銀の融資への依存などを利用して西側諸国はロシア政府が政策問題(たとえばバルト三国からの撤退)で譲歩せざるを得ない状況に追い込んでいた。

プーチンーが大統領に就任してからの10年間(1999年から2008年)、ロシアは世界でもっとも急成長を遂げた国の一つとして外貨準備高は、世界第三位の額に達した。そのおかげで2008年~2010年の金融危機を乗り切った。またプーチンは、国家の戦略物資備蓄を十二分に活用してロシア軍の戦力が低下しないように、軍に物資を供給した。それもあって、プーチンは200年代を通してひたすら戦い抜き、チェチェン紛争でのロシア軍の勝利を宣言することができた。第二次チェチェン紛争が始まった時、プーチンは、”チェチェン紛争を終結できなければロシア国家は崩壊するかもしれない”、と指摘していた。


 その後、プーチン率いるロシアはどのように動いていったのであろうか? そのおおよそを列挙すると:

 ①プーチン率いる経済発展・・・2011年4月のロシア議会でプーチンは世界金融危機から4年近くが経ったロシアの経済情勢について、こう言った。”金融危機はロシアにとっても試練だったが、我々は多くの他国よりずっとも早く回復した。今日、ロシアの経済成長率はG8の中で最高で、成長率は4.3%だ” ロシアの対外債務ゼロはほぼ。国際通貨基金への債務も前倒しで完済した。(ちなみに原油価格の高騰も幸いした)

 1990年代のロシア国家が弱体化した最大の原因の一つは、税金の徴収能力の欠如だった。プーチンは政府の金融検機関(GKU)を強化し、税制遵守の徹底を図った。天然資源を通してロシア経済の富を形成・分配する巨大企業を営む一部の特権階級(オリガルヒ)への強大な影響力を手に入れた。

 ②2011年12月から翌12年初めまで続いた大都市での反政府でもにも、かかわらずプーチンは12年3月の選挙で見事にロシア大統領へと返り咲いた。そして”次回”の選挙で内外の集団が大統領の地位を妨害することのないよう、プーチンーは「統一、一致団結、強化」という合言葉を使った。プーチンーは今後さらにロシア社会を一致団結させることを約束し、“悪”の分子を排除して、”善”の分子を取り込むことを宣言した。いわば、協力要請と脅しの組み合わせである、この手法はKGB時代に学んだものだ。

 ③2011年の9月ごろになるとギリシャ債務危機の余波が全世界に及ぼうとしていた。11年夏、ヨーロッパの株式市場が暴落、ドイツ株価指数も30%以上も下落した。プーチンは大統領職への復帰を決断。ユーロ圏の危機を目の当たりにして当面は経済危機が頻発すると確信して、世界的な危機に立ち向かえるよう、競争力を「生存」という観点で捉えるようになった。GDPの成長ではなく、経済の強化を最優先課題に据えた。ロシアを外部からの衝撃に強くするために、いくつかのアプローチを試みた。

一つは輸入品に代わる国産商品の開発。それを実現するための手段の一つが、巨大で収益率の高いロシアの消費市場に参入する外国メーカーい対して、、国内での生産量を増やすことを義務付けるという政策だ。また国家が資金提供する大規模なプロジェクトに重点を置き、巨大輸送インフラプロジェクトや軍需産業への巨額の支出にも力を入れた。さらにベラルーシやカザフスタンなどとのユーラシア連合を設立し、ソ連崩壊でばらばらになった地域経済をかってのように統合した。

 ④西欧諸国との戦い。2000年代以降の動きについて、プーチンが最終的に出した結論は、西側諸国がロシア、ウクライナ、そしてユーラシア全体の統一を邪魔しようとしているというものだった。そのために、ロシア国内の問題を作り出し、社会の不満を助長させ、「第五列」や反体制運動を生み出し、国民の不安を利用しようとしてる、つまり、ロシアの新たな動乱時代の原因は西側諸国にある、と。プーチンは、2000年代のNATOの拡大や、EUと協定を結ぼうとするウクライナの動きを明確な脅威だと捉えた。こうした危機意識がプーチンーを西側諸国との衝突コースへと追いやり、欧米が描く冷戦後の物語と真っ向から対立させる結果となった。


 1990年代のサンクトペテルブルグでは、プーチンはアメリカ人と交流する機会が多くあった。アメリカの起業家や実業家たちが、次々にサンクト・ペテルブルグにやってきた。P&Gとレニングラードでの共同事業の立ち上げを通じて、プーチンーはキッシンジャー元国務長官と運命的な出会いをした。キッシンジャーはもともとドイツ出身であり、まさにホワイトハウスの中のドイツ人であった。ドイツの世界とアメリカの世界を股にかけるヘンリーキッシンジャーは、理想的なオンブズマンであった。地政学に関する意見を聞いてくれる相手、欧米の世界について教えてくれる相手。また、自分メッセージや情報をワシントンに伝えてくれる相手であった。それに、彼はユダヤ人であった。その関係もあってイスラエルへの歩み寄りを見せた。

 (アメリカ的な視点にかけるプーチン)
しかしアメリカの政治システムの仕組み、アメリカ人やそのリーダーたちの考え方についてプーチンが理解しようとした時、頼りにできるのはキッシンジャーしかいなかった。そういうこともあって1990年代以降、ロシアとアメリカのエリート同士の交流はほとんど行われていなかった。

 ジョージ・ブッシュもバラク・オバマもアメリカ政府の世界的な取り組みにおいて、プーチンやロシアを対等なパートナーとして見ることはなかった。
9.11の後、アメリカへの不信をつのらせた。2001年12月、アメリカ政府は以前に締結した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)条約から脱退し、「ならずもの国家」の脅威に対抗するために新ミサイル防衛システムの構築に着手すると発表。プーチンからすれば、アメリカ側の道理は暴論でしかなかった。プーチンーと情報当局者たちは、化学兵器や大量破壊兵器の保有に関するイラク指導者サダム・フセインの発言は嘘だと初めからわかっていた。実際、彼らはアメリカ当局者に何度もそう忠告してきた。

 (脅威と化したアメリカ)
 2013年~14年、プーチンと安全保障チームは、「アメリカは単に無能なのではなく、危険で悪意があり、ロシアに危害を加えようとしている、結論づけた。ところが、アメリカはロシアを脅威とはみなしていなかった。その結果、アメリカ政府が自国の優先事項に沿った政策決定をするたび、ロシア政府はその意図を誤解しつづけた。プーチンの視線の先には、常にNATOがあった。2004年3月に、NATIが二度目の大幅な拡大を決めると、プーチンは関係の再考を迫られた。新たに加盟したのは、ブルガリア/エストニア/ラトビア/リトアニア/ルーマニア/スロバキア/スロベニアの七カ国だった。ロシア政府からみれば、ソ連の一部だったエストニア、ラトビア、リトアニアの加盟は最も腹立たしかった。そしてプーチンの見立てでは、13年にはEUはNATOと完全な融合を果たしたのだった。

 2007年になるとプーチンは、ぶちぎれた。アメリカやNATOに対して堪忍袋の緒がついに切れたことを明言した。怒りの矛先はアメリカが一極支配する安全保障システム、国連という枠組みでの軍事行動などの向けられ、そのアメリカ批判は痛烈を極めた。「NATOの拡大はいったい誰に対抗するためのものなのか?」と大規模な国際会議の場で不満をぶちまけた。

 (共産主義中国への接近)
 あらゆる二国間関係の中で、ロシア外交政策多角化の柱になったのが、中国だった。2000年から2008年にかけてのロシアの経済成長を後押ししたのが、ロシアの天然資源に対する中国の需要の増加だった。ソ連時代、中露国境付近の緊張や武力衝突は政府にとって大きな悩みだった。しかし、プーチン政権下で両国の関係が良好になると地域の治安は向上した。中国はプーチンの政策推進をサポートすることによって、政治的には国連という場で、地政学的には中東や中央アジアで、中国はロシアをバックアップした。プーチンは、中国政府との戦略的パートナーシップの重要性を公の場で盛んに説いた。ただ、長期的に見れば明らかなデメリットもあった。中国の巨大砕氷船の北極海航行にまつわる問題など。それで、プーチンは日本にも保険をかけた。(詳細は省略)


 (エピローグ・・・工作員としての活動は続く)

   注)工作員とは、いわゆるケースオフィサーをいう。 ケースオフィサーは、外国での秘密情報の収集活動から、エージェントと呼ばれる情報機関員(スパイ)の雇用、さらに外国の政府転覆工作、破壊活動、政治的宣伝工作などの秘密工作活動を一手に引き受けている。KGB時代、プーチンはケースオフィサーとして勤務・活動していた。

 本書では、プーチンとは一体何者なのか?彼を行動へと駆り立てるものは何か、その答えを探ろうとしてきた。エピローグでは、ここまでのプーチンー研究から得られた教訓、プーチンという人間に対処するためのヒントについて考察している。貴重なヒントがあるので、いくつか抜粋してご紹介する。


 ”まず西側諸国の多くの人々はプーチンを見くびりすぎている。彼は、目標実現のためならどれだけの時間や労力、汚い手段をも惜しまない人物であり、使える手段は何でも利用し、残酷なることができる。次に、西側諸国の識者は戦略家としての彼の能力を読み違えて「いる。これまでにも数人が指摘したように、プーチンは単なる戦術家ではない。彼は戦略的な思考に長け、西側諸国のリーダーたちよりも高い実行力を持っている。その一方で多くの人々は、プーチンが私たちのことをほとんど知らないという点を見逃している。私たちの動機、考え方、価値観について、彼は危険なほど無知なのである。

 これまでに示したきたとおり、国内・国外政策の両方において、相手よりも優位に立つことがプーチンの主たる戦術であることは間違いない。相手がオリガルヒや国際機関であれ、それは変わらない。戦術的になるべく優位にたつために、プーチンやクレムリンはできる限り不可解で予測不能なプーチンー像をつくりあげようとする。プーチンへのアクセスはきびしく制限され、彼のイメージは入念にブランド化され、作り変えられていく。

 西側諸国は、ヨーロッパとユーラシアでなるべく金をかけずにロシアを封じ込めたいに違いない。またアメリカ、NATO。EUはヨーロッパでの大規模な軍事衝突、つまり第三次世界大戦を食い止めるためなら、何でもする。それがプーチンの見方だった。しかしプーチンは、将来的にアメリカとNATOの優先事項が変化する時が来るかもしれないと見ているようだ。だとすれば、あらゆることを最悪のシナリオの視点で考える必要がある。プーチンは、そう考えていることは、ほぼ間違いない。

 2008年のグルジア戦争、14年のウクライナ戦争に踏み切ったとはいえ、プーチンは今でも西側諸国と取引する事をのzんでいる。政治的な意味でいえば、互いの安全保障の利害が重なる部分では、西側と協力することも望んでいる。プーチンが最も重視するの経済だ。彼は文字通りの意味で西側諸国との取引、つまり貿易と投資を望んでいる。
 
 プーチンには実行力があり、西側諸国の動きを食い止めようという強い意欲もある。彼は核兵器という選択肢も検討し、西側諸国を震え上がらせる。ケースオフィサーとしてのプーチンは知っているー戦争が軍事的な局面に移行したら、プーチンが核兵器を使うかもしれないではなく、きっと使うだろうと西側諸国に思わせることが肝要なのだ、と。これこそ究極の抑止力だ。

 プーチンの戦略上の目標は今後も変わることなく、西側諸国の防衛の弱点を見つけ、西側のリーダーた市民たちを脅かし、その脅かしが虚勢でないことを全員に知らしめることである。だとすれば、今度は西側諸国のほうが行動する番だ。プーチンの仕掛けた21世紀の戦争に対抗したければ、自国の防衛を強化し、経済や政治の弱点を減らし、独自の有事計画を立てなければいけないのだ。”

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<終わりにあたって>
 隣国に、このような強力なリーダーシップを持った政治家がいる。日本にとっての現在の重要課題は、経済と安全保障である。よほど褌をしめてかからないといけない。国会で、そのようなことにどう対処するか~桜だ政治資金だと侃々諤々しているヒマはないのだ。

 本著の内容もさることながら、私が強い印象をうけたのは、(おそらく)アメリカ政府が、シンクタンクに依頼して、プーチンという複雑極まりない人間の人間像に迫ろうとしたこと、そのことである。日本政府が、あるいはEUがそのようなアプローチで、政府間交渉相手である他国の首相または大統領の根本的なものの考え方の背景にあるものを探ろうとするであろうか?アメリカ政府は、それをやるのである。少なくとも、それに近いことはやってきたはずだ。スーパーエリートであったケネディやジョンソン大統領がベトナム戦争で敗北したのは、やはり相手をとことん知らなかったことに敗因があると思う。

 日本政府は、これから中国と困難な折衝をすることになる。それには、習近平主席のことをとことん知らねばならない。この本は、それを示唆している。プーチンの考え方や行動をみていると、”プーチン率いるロシアは、今の中国と同じではないか?”と思い、習近平のことをよく知るべきだと感じた。


コメント (6)
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