(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書/経営 ローソンの経営と新浪剛史(その一)

2013-07-28 | 時評
読書/経営 ローソンの経営と新浪剛史~『個を動かす』(池田信太郎 日経BP社)

 現ローソン社長の新浪剛史は2002年5月、三菱商事からローソンに出向した。当時ローソンは、ダイエー傘下にあり、その経営は極度の不振を極めていた。現在のローソンの状況からは、想像もできないほどであった。社長に就任して2ヶ月後、新浪は三菱商事から籍を抜き、その退路を絶った。それ以来の奮闘ぶりを、ライター池田信太郎は、『個を動かす』という著書で見事に描きあげた。かなり思い入れもある本ではあるが、人間新浪剛史の生き方を詳述した好著である。その内容をを紹介しながら、ローソン経営の実態に追って見たいと思う。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



読書/経営  ローソンの経営と新浪剛史~『個を動かす』(池田信太郎著)を中心として

 企業経営については、長い間深い関心を持ってきた。一つには、自分自身が関わっていた研究開発が経営全体の中でいかにあるべきかを考えつづけてきたからであり、また最近は投資対象として企業をみる時に、その経営の実態を注視しなければならないからである。

さて投資対象として企業を見るときに、二つの視点から見るようにしている。一つは業績や財務の状況など経営を定量的に、つまり株価収益率(PER)や自己資本利益率(ROE)、売上高や利益の伸び、あるいはキャッシュ・フローの状況などなどの数字を見る。

もうひとつの視点は企業の経営哲学とか経営者の理念や考えかたなど数字では読み取れないものである。中長期的なレンジでの成長の可能性など将来の伸びを見るときには、この見方はかかせない。アメリカの超優良企業の条件を探った『エクセレント・カンパニー』(T・J・ピーターズ&R・H・ウオータ-マン)は、原著が1982年刊という古いものであるが、今でもその優れた企業の条件を語って、まれにみる優れた著書である。その中で上げられた企業の一例ををならべれば、ベクテル、キャタピラー、デルタ航空、フルオア、IBM、ジョンソン&ジョンソン、P&G、スリーMなどである。これらの企業は、今日でもNY市場のダウ30種に入っており、今でも着実な成長をしめしている。この著書で、革新的な超優良企業をよく特長づける八つの基本的特質は、以下のようなものである。

   注)このうち3Mについては、私自身、その事業経営の多角化が他社に先んじて優れたものであることに着目し、1970年に同社本社(セントポール。ミネソタ)を訪れて事業の多角化、研究開発のありかたについ意見交換したことがある。まだ30歳そこその時である。よくそんな若造を快く受け入れてくれたものだと今でも感謝の念が消えない。


 ①行動の重視・・・・・やってみよ!だめなら直せ! 試してみよ!
 ②顧客に密着する
 ③自主性と企業家精神・・・社員が創意にあふれている
 ④ひとを通じての生産性向上・・・個人の尊重
 ⑤価値観にもとずく実践(フィロソフィー)・・組織体の持つべき基本的な考え方
 ⑥基軸から離れない・・・自分でどうやったら良いかわからない業種は買収しない
 ⑦簡素な組織・小さな本社
 ⑧きびしさと緩やかさを同時にたもつ


ローソンの新浪社長は、三菱商事の出身であり、1991年にアメリカ留学をし、MBAを取得している。この『エクセレント。カンパニー』(In Search for Excellence)を読んでいたかどうかは分からない。しかし、これからご紹介するところの新浪のローソンでの苦闘の歴史を振り返ってゆくと、上記に挙げられた超優良企業の八つの基本的特質をかなり含んでいるように見受けられる。

では、新浪はどのようにローソンを変革して行ったのだろうか。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
     
 (2002年5月)新浪(当時42歳)はローソン社長に就任した。株価は、ダイエー中内からの懇請をうけ、三菱商事がダイエー傘下のローソン株を20%引き受けた時から、大きく下落しており三菱商事は不良債権を抱えていた。その株式を買いまし、28%を持ち株比率となった。経営陣の大幅刷新もおこなったが、効を奏せず、5月にダイエーは完全に手を引くことになった。当時ダイエーから送り込まれた余剰人員、組織のモラール低下、コンビニ経営の生命線であるITや物流網は非効率で運用コストも高かった。加盟店の資質も悪かった。満身創痍の中で、社長に就任して2ヶ月後、新浪は三菱商事から籍を抜くことで退路を断った。

 (一番おいしいおにぎりを作ろう)就任早々、おにぎりに異物が混入するというアクシデントが起きた。新浪は、事実をすべて公表し、事態に正面から向き合った。新浪は社員を激励し、商品開発部に素人を送り込み、加盟店を支援する運営部にやらせた。新潟産コシヒカリの使用、鮭のはらの使用、、コスト削減などに取り組み、168円の高級おにぎりを発売、発売後2ヶ月で、1億個を売る切る大成功になった。組織は競合に対する「自信」と経営に対する「信頼」を取り戻しはじめた。これが、改革の第一歩であった。


 (田舎コンビニ~ダイバーシティと分権)当時最強のコンビニチェーンは、セブン・イレブンであり、越えがたい壁であった。ローソンは、セブンにはなれない。店舗網ひとつとっても。それが現実だった。全店売上高、店舗数、平均日販、などの指標で戦力を単純比較すれば。「勝てない」

 新浪は戦力を集中投下して勝てる局地戦に勝つ、勝てないならイノベーションをして戦いのルールを変える。「勝てない」という先入観と諦念を打ち壊してゆく。こ考え方で、セブンに挑んだ。

 均質なサービスがうけられるという、これまでのコンビニの概念を変え、多様性という考え方を導入した。たとえば、女性向け自然派食品を揃えた「ナチュナルローソン」、生鮮食品も扱う「ローソンストア100」、処方箋薬局の「クオール」、高齢者が来て、雑談に花を咲かせる「ハッピー・ローソン」などなど。外国人社員も積極的に登用して、モノカルチャーからは生まれない発想を取り入れた。

 セブンの徹底した中央集権と違い、正反対の「地方分権」で、徹底的に現場 への権限移譲を図った。その一例が、東方発のイノベーションで生まれた手作りおにぎり(店舗で炊飯する)であった。

 (オーナーの地位を上げるーミステリーショッパーの導入)オーナーの質の低さに愕然とした新浪は加盟店オーナーに三つのことの徹底を要求した。

  ①マチのお客様に喜んでいただけるお店・売場づくり
  ②お店とマチをきれいにする
  ③心のこもった接客

言い換えれば、品揃え・接客・清潔さの三点である

これを徹底するため、覆面調査員(ミステリーショッパー)制度を導入した。年2回、全店舗を抜き打ち検査する。これに、毎年およそ30億円のコストをかけた。この三つの基礎ができない加盟店は契約を解除した。この導入にともない、2005年58点だった平均スコアは、2012年78点と大きく改善した。

  注)この三つのようなことは当たり前に見えるかもしれない。しかし、できていなかったのだ。


 (加盟店オーナ-にも「分権」)2010年にマネージメント・オーナー制を導入した。加盟店に対しMSという顧客視点の基準を用意し、サービスの向上をもとめた。それを高い水準で超えたオーに対しては、本部の権限さえあたえた。日本型フランチャイズチェーン経営の根幹を否定するような前代未聞の仕組みだ。


 (「個」に解きほぐされた消費をつかむ)ーCRMへの挑戦
POSのパラダイムを超えた顧客関係管理CRMを目指している。ポイントカード導入により、従来のPOSシステムのパラダイムを乗り越え。またビッグ・データをナマのまま保存、解析し、店舗の商品発注制度をあげた。

 もうひとつは、ソーシャルメディアの徹底活用である。LINE、フェイスブック、ツイッターの会員数はローソンが遥かに先行している。これは、新規顧客獲得につながってゆくことが期待されている。


 (強さのために組み替える)2010年前後から新浪はローソンの主力事業を三本の柱で考えるようになっていった。

 ①国内コンビニ事業
 ②海外コンビニ事業
 ③EC(電子商取引)やエンターテインメントに関する事業

そして2011年3月、ローソンの組織を大きく変えた。上記の三つを
事業ユニット化し、それぞれにCEOを建てて、三つを等しく主力事業に育てるというものだ。これら新分野のために経営リソースを捻出すべく、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)を行い、間接部門を中国大連の企業にアウトソーシングを行った。この中で、海外事業グループのCEOは新浪が兼ねている。海外進出は、セブン、ファミリーマートの後塵を拝しているが、今後上海などで発展が期待される。


     ~~~~~~~~~~~~~~

以上で新浪の改革の歩みをみてきた。この本は、これで終わる。だが、その結果ローソンはどうなったのであろうか、(その2)では、ローソンの経営実態を数字でみてみる事にする。また新浪のローソン外での活躍にもふれて見たい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気まぐれ日記/エッセイ  夏の一日

2013-07-19 | 時評
ある夏の一日を、庄野潤三風に語ります。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「枕草子」(第一段)に”冬はつとめて”とある。早朝が趣がある、というほどの意味である。”夏は、夜”と言っているが、私は早朝が好きだ。朝5時頃に目が覚める。夏の間は、風が通るように寝室兼書斎の窓をあけ、カーテンも開け放ってあるので、外が明るんでくるのを感じる。六甲の山なみから、涼しい風が吹いて来る。いわゆる、”朝涼”である。

 ”ことのほか朝涼たのしきわが書斎” (ゆらぎ)

デスクトップPCをオンにする。夜間のニューヨークのマーケットの動きが気になるので、それをまずチェック。ドル円は、99円レベルで一進一退の動きをしている。中期的には円安の方向らしい。メールチェックをすませたら、フェイスブックの記事を見る。京都の知人・友人が祇園祭の様子を書き込んでいる。YouTubeno動画で山鉾の大回しの様子も楽しめる。今年の初めからフェイスブックをはじめたお陰である。たまたまご縁があったブログの仲間からフェイスブックの友達へとひろがり、日々のやりとりにつながった。


 朝食をすませた後は、プールに行って泳ぐか、あるいは街の外縁をめぐるシティヒルと呼ばれる散歩道を歩く。一周5~6キロくらい。緑が多く、季節の木々や草花がつぎつぎと咲いて目を楽しませてくれる。いつもコンデジか、あるいは日によっては200ミリの望遠レンズをつけたニコンの一眼レフを持って行く。


 今頃は木槿があちこちに咲いている。百日紅も紅花色をした花をつけている。しかし、一日シャッターチャンスを逃すとしぼんでしまう。目がはなせない。もう少し先になると酔芙蓉のピンクに染まる花がみられる。ところでこういう花や木々をみると、いつも橋治の本『くさぐさの花』や『木々百花選』に当たって、花や木にまつわるエピソードや俳句のアンソロジーを読んで楽しむ。

 ”炎熱や勝利のごとき地の明るさ” (中村草田男)


午後ウオーキングに出る時もある。盛夏の、太陽がぎらぎら照りつけるようなひと時、半パンツ・Tシャツ一枚の軽装で歩くのも気持ちがいい。しばらく歩くと汗が吹き出して滴り落ちる。足や腕には塩が噴きでてくる。大地からエネルギーをもらっているようでむしろ心地よい。一時間半程。たいていポケット・レシーバーを持って歩き、ラジオのおしゃべりを聞いいている。時には頭に浮かんだ断片的なことばや、句を録音しておく。今は、百日紅。この季節にふさわしい。


 ”百日紅わが人生は進行形”   (ゆらぎ)
 ”緑陰に終わり知らざる頁繰る” (ゆらぎ)

海を埋め立ててつくれたわが街ではあるが、樹木が多いせいか色んな小鳥、色鳥がやってくる。鳩、すずめ、椋鳥がおおいが、時にはメジロ、ジョウビタキ、ヤマガラ、そしてセキレイなどもやってくる。巣箱と水差しを用意してやれば、もっと多く飛んでくると思うのだが・・・。


 ”むつかしやどれが四十雀五十から” (小林一茶)

 ”銀の鈴金の鈴ふり天上に千の小鳥は春の歌うたふ”
                   (九条武子 『金鈴』)


 さて暑さの中、ぐっしょりかいた汗を流した後は、冷蔵庫から冷凍してあった鶏皮(チキンスキン)を取り出し、フライパンでじっくり焼く。大量に油がでてくる。その中で鶏皮がかりかりになるまで焼く。軽く塩をふれば、ウイスキーの水割りの最高のバイプレーヤーである。
こんな時聴く音楽は、カナダのピアニスト、アンドレ・ギャニオンの曲「トワイライト。タイム」が黄昏時にはふさわしい。ペリー・コモも「愛のセレブレイション」もいいかも知れない。そして辻邦生のエッセイ集『生きて愛するために』の中の一節を思い出すのである。



 ”われわれは日常生活の中であくせくと生きているが、心の目を澄ますと、こうした花盛りの中にいるのが見えてくる。実は、この世にいるだけで 、われわれは美しいもの、香しいものに恵まれているのだ。何一つそこに付け加えるものはない。すべては満たされているーそう思うと、急に、時計 の音がゆっくり聞こえてくる。万事がゆったり動き始める。何か幸せな充実 感が心の奥のほうから湧き上がってくる。

 もう自分のことはくよくよ考えない。すべてが与えられているのだから、物 質的にがつがつする必要はない。この世に太陽もある。月もある。魂の仲間 のような星もある。信じられないようなよきものに満たされている。雲があ る。風がある。夏がきて、秋がくる。友達がいる。よき妻や子がいる。たの もしい男がいる。優しい女がいる。うまい酒だってあるではないか。”


やがて暮れなずむ頃になると堀口大学の詩が浮かんでくる。
 (夕ぐれに時はよい時)~詩集『月光とピエロ』より


 ”夕ぐれの時はよい時
  かぎりなくやさしいひと時

  それは季節にかかはらぬ
  冬なれば暖炉のかたはら
  夏なれば大樹の木かげ
  それはいつも神秘に満ち、
  それはいつも人の心を誘ふ、
  ときに、しばしば、
  静寂を愛することを、
  知っているものの様に、
  小声にささやき、小声に語る・・・

  夕ぐれの時はよい時。
  かぎりなくやさしいひと時”
  
  ・・・・・・・・・・・・・

ついでのことに、京都の夜を思う。すると村山槐多という洋画家が歌った「京都人の夜景色」という詩も浮かび上がってくるのです。

 ”ま、綺麗やおへんかどうえ
  このたそがれの明るさや暗さや
  どうどっしゃろ紫の空のいろ
  空中に女の毛がからまる
  ま、みとみやすなよろしゅおすへな
  西空がうっすらと薄紅い玻璃みたいに
  どうどっしゃろえええなあ”

   ・・・・・・・・・・・・

脱線ついでに、京都の夜のこととなると吉井勇の歌をかかせない。

  ”紅灯の巷(ちまた)にゆきてかえらざる人をまことのわれと思ふや”

京の夜とは、関係もないが、小野道風のことを詠んだ吉井勇の歌はことのほか印象に残る。

  ”道風が自在の筆のあと見れば玉泉帖は字ごと飛ぶらし”



「玉泉帖」とは、平安時代の小野道風の書跡帖。白楽天の詩を楷・行・草書三体で書写したもの。宮内庁が所蔵している。

  ”光悦のすぐれし文字の冴えも知る本阿弥切のたふとさも知る”

 
光悦のことが出たので、彼と詩仙堂の石川丈山のことを語らねばならない。丈山は、夜が深くなる頃詩仙堂の庭で焚き火を焚く。親しくしている光悦に向かって呼びかける。”もう、おやすみなさい” その火を鷹峰から見た光悦も同様に焚き火を焚いて、お休みなさいと挨拶を送るのであった。。

 話があちこち飛んでしまいました。最後は、やはりアーウィン・ショーの小説「夏服を着た女たち」ですね。夏になるとこの本を出してきます。ベッドに寝ころんで、これを読むことにしましょう。1930年代から1950年代にかけて黄金時代にあったニューヨーク、五番街を散策するの若い夫婦のの会話が描かれています。ニューヨーカー誌に載って人気を集めました。それをNY好きの常磐新平さんが品のいい翻訳でしあげました。仲のいい夫婦ですが、男は町をゆく女、夏服の女がきになってしょうがない。洒落た筆致です。常盤新平の『ニューヨーク遥かに』という小説がありあますが、そのなかにこの本を登場させているくらいアーウィン・ショーがお好きなようです。NY好きの私は、この本で描かれているスポットを訪ね歩いたことがあります。

この短編の最後のシーン。”「この女はじつに綺麗だとか、あの女は美人だとか言うのはおよしになって。綺麗な眼だとか、素晴らしい胸だとか、スタイルがいいだとか、いい声だとか」フランセスは彼の口真似をした。「あなたの胸にしまっておいてちょうだい・・」 ・・・彼女はテーブルから立ち上がると、酒場の電話のほうへ行った。マイクルは彼女が歩いていくのをじっと見ながら、なんて可愛らしい女だろう、なんて素敵な脚だとうと思った


 常磐さんは「あとがき」でこんな風にニューヨークの景色を描写している。

 ”6月のニューヨークに二週間ほど滞在したことがある。ニューヨークに着いた翌日、暑い夏が突然にやってきて、30度を超える日がつづいた。ある夕方、52丁目に近い六番街の酒場からでてみると。若い女が歩道から飛び出して、タクシーに手を上げていた。彼女の日に焼けや細い腕が夕日を受けて、金色に輝いていた。酒場で柄にもなくマティーニを飲んでほろ酔いの私は、彼女を美しいと思った。”

 書きだすときりがありません。これでおしまいにしましょう。お楽しみいただけましたでしょうか。おやすみなさい!


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書 『おっとりと論じよう』 丸谷才一対談集

2013-07-11 | 時評
読書 『おっとりと論じよう』丸谷才一対談集(文藝春秋2005年11月)

 井上ひさしとの対談「言葉は国の運命」では、対話の重要性について傾聴に値する議論を展開しています。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 古今東西の書物の書評から様々なエピソード、人間模様、古典文学など縦横無尽に語る丸谷才一のエッセイや対談は、ことのほか好みである。『星のあひびき』『星めがね』、『日本史を読む』、『いろんな色のインクで』などなど、多少古くなったが今でも読み返す価値がある。

 冒頭の「桜うた千年」では、詩人の岡野弘・大岡信が桜にまつわる詩華やその背景を語る。二人の文化水位の高さには酔い痴れる。また「夏目漱石と明治の精神」では、近代日本語を完成させた漱石のこと、また漱石の教養の中にあるカントの美学思想などについて山崎正和が面白いことを言っている。

 ”カントの美学では、美的な態度を持たない合目的性だという言い方をします。たとえば空の星をみよ、何の目的なく輝いているにもかかわらず、あたかも目的に叶うかのように秩序正しく輝いている。あれが美だ、というわけです。”

 
 さらに鳥居民/井上ひさしと語った「「昭和20年」を語ろう」では、鳥居民の瞠目すべき大著『昭和20年』(全十一巻 草思社)が取り上げられ、その中で井上ひさしは、歴史のイフを語る、しかも史料の裏付けがあってそれをやっている著者鳥居民の姿勢をきわめて高く評価している。太平洋戦争敗戦の年の出来事を語ってとても興味深い


     ~~~~~~~~~~~~~~~

(本論に入ろう)今日ここでご紹介するのは、井上ひさしとの対談「言葉は国の運命」という章である。その中でいちばん肝心なところは、対話の重要性を説いた次の一節である。この本の白眉でもある。

 ”(丸谷)このあいだ僕は、新聞の読者投稿欄批判の文章を書いたんです。新聞の読者投稿欄は面白い。なるべく読むようにしているんだけれど、日本の某新聞の読者投稿は自分の思いのたけを言うだけである。たとえば、自分は車椅子の生活者なんだけど、昨日街を歩いていたらこいう親切なことをしてくれた人がいた、とかこういう食堂に行って食べたらこういうことがあった、とか身辺の報告がほとんである、と。

  (井上)俳句とか短歌に似てませんか。自己完結で。定年になって念願のアルプス歩きをしました、生まれ変わったような気分です、ていうのを今日の新聞で読みましたけど、それはよかったですねとしか言いようがない(笑)  (丸谷)だけど、何月何日の紙面にこういうニュ-スが載っていたが、それについては自分はこう思う、という投稿がほとんどないでしょう。社説への反論なんてまったく見かけない。つまり公のことは論じない。私事について語る。しかも私的、情緒的、抒情的に語る時に非常にうまい。ひさしさんのおっしゃる通り。俳句的=短歌的である。たまには、公的、論理的、実証的に語るのがあると、いっちゃ悪いけどわりに下手なんでねすね。

  (井上)そうですね。

  (丸谷)つまり新聞の紙面と読者の対話がなくて、常に読者の独白が載る。それが日本人の言語能力なんだと、新聞の読者投稿欄を読んで思うわけです。ところが、イギリスの新聞の投稿欄を読むと、まるで違って、新聞記事、論説、写真に対する読者の反応が常に掲載されていて、ちょうどイギリスの議会みたいなんです。これは、イギリスの議長が議会をとりしきるようなディスカッションの場であるから新聞の読者投稿欄もそうなるのか、新聞の投稿欄がこうであるからイギリスの議会もそうなるのか、そこが難しいと、そんなことを書いたんです。

  (井上)これはすべてのところで起きている問題でしょう。核家族化で、親子の間でも、夫婦の間でも、子供同士の間でも、話をしない。
議論をしない。日本人はなにかを恐れているんです。人に文句をいわれるのが嫌だということから始まって、何かを怖がって自分の中に納めてしまう。怖がっているうちに大きな時の流れで、それは仕方がないというふうになっていく。どうも言葉による対話がないというのが、すべてを象徴しているんじゃないかという気がしています。

  (丸谷)もっと言葉のやり取りをしなきゃいけませんね。そうしないと、いつまでもムラ社会のままでいなくちゃならない。何しろ、われわれ日本人は二千年くらい、言葉のやりとりしてこなかったから(笑)


 →積極的、前向な対話の重要性、必要性を痛感させられる。。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このほかにもとても興味ふかいエピソードが語られる。せっかくなのでふたつほどご紹介する。


(フランスの大学入学試験)
  (丸谷)国家公務員試験に文章能力の試験はないのかしら。

  (井上)ないんじゃないでしょうか。以前書いたことがあるのですが、フランスのバカロレア(大学入学資格を得るための国家試験)の試験の中心は作文なんです。ある年に作文の問題は「いま夜のセ-ヌ川をきみが散歩していたら、若い女性が飛び込み自殺をしようとしている、これを言葉で引き止めなさい」というものだったらしいんです。その時もっとも短い、端的な回答があって、それは「結婚してください」というものだった。解答者は後に作家で大臣になったアンドレ・マルローで、出題者は哲学者のアランだったそうです、
 よくできた話で、、別にフランスを礼賛するわけではないですが、言葉によって死のうとしている人間を止めるなんて最高の瞬間でしょう。大学に行く資格試験にそういう問題を出す洒落っ気を少し学んでほしいと思いましたね

 →フランスって、とてもユニークというかある意味知的水準の高い国だ。

(イギリスとイタリアの読書運動)
 (井上)それと子どもたちにはもっと本を読んで欲しいと思いますね。なにかそのための工夫をしないと。
 また外国の例になりますけど。イギリスとイタリアでたまたま同じ読書運動をやっていましてね。たとえば、子供が、今度の春休みにダンテの『神曲』を読みます、と隣近所のおじさん、おばさんに宣言するんです。じゃ、本当に読んだら百円あげるとか約束するわけですね。ここからが面白いんですが、休みが終わってその子が読んだかどうかを図書館の司書の人たち5人で面接するんです。その時面白い質問をするんですが、ともかく確かに読んだと判断したら、証明書をくれるんです。子どもはその『神曲』を読んだという証明書を持って近所を回り、約束していたお金をもらう。そうして集めてお金の一割がその子のものになり、残りの9割は同じ年頃の病気の子どもたちの医療費に回るんです。

 (丸谷)面白いですねえ。本を読むことでお見舞いにもなるわけだ。


 すこし堅苦しい話題をとりあげましたが、全編が対話形式なので、とても読みやすく知的好奇心をそそられる本です。ご紹介しませんでしたが、鹿島茂・三浦雅士と三人が選んだ<日本の美>百選も注目に値する章です。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書/絵画 『遙かなヨーロッパ』

2013-07-04 | 時評
読書/絵画 『遙かなヨーロッパ』(柴田俊治 朝日新聞社 1977年) 

 この本の著者の柴田俊治という方は、朝日新聞の外報部長をされていましたが、その頃にパリ・ロンドンの思い出をつづったものです。古い本ですが、なかなか味わいのあるエッセイで印象に残った本です。ニ三、趣のあるところをご紹介します。ちなみに柴田さんは、その後昇進され朝日新聞の社長をされています。
事のついでに、この本をネタにして、パリを少し逍遥してみました。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ・フランスでは、女性に対する最高のほめ言葉は、エレガントなという形容詞だ。

 ・美術館は、余り壮大でない方が行きやすい。ブーローニュの森の外縁に、モネの作品を集めたマルモッタン美術館がある。そこで何回か午後のひとときを楽しんだ。パリから車で約1時間のフォンテンブローの森の中にあるバルビゾン派のアトリエにもよく行った。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  注)このマルモッタン美術館というところは、Le Musee Marmottan Monet という正式名称が示すとおりモネの作品を多く集めてます。それほど大きくない美術館ですが、中は素晴らしい。リンクをはってあるここのウエブサイトを見てください。

    美術館というよりは、だれかの邸宅に招かれて絵を楽しませてもらっているという雰囲気です。NYのフリック・コレクションに似ていますが、こちらのほうが美しい。建物そのものが美術品。こちらの方が明るくて、広々として良い感じです。

  (バーチャル・ビジット)というというところの左上のマークを押すと色々の場所に移動し、そこに飾られている絵が見られます。ぐるぐる回ったり、ズームしたり・・・。よくできたサイトです。

  今は、マリー・ローランサンのコレクションが見られます。ずべてフランス語の説明。推測と想像で見ていたら、左上に小さくEnglish version とありました。コレクションのところを見てゆくと、モネの作品が沢山でてきました



また印象派の画家たちによって、よく描かれたBerthe Morisotの絵がたくさんあります。見ていて愉しいですね。


  この美術館は室内も開放的、ウエブサイトも開放的。日本の美術館は見習って欲しいですね。メトロポリタンでは、子どもたちが座り込んで学芸員の説明を聞いたり、スケッチしたり。どこかの美術館のように、メモをとるのも鉛筆で、とうるさくいわれません。それにしても、日本の美術館のほとんどは、どうしてあんなに暗いのでしょうね。

    
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(本論に戻ります)

  ・よく「ヨーロッパに行きたいが、どこを見ればいいか」と質問を受ける。  

   ー旅程はお好みのままにたてられるといいでしょう。どこでも、それなりに面白いでしょうが、いちばん面白いものは、と問われたら それは人間です。

   行き来する人間をじっと眺めて、人生の匂いをかぐのが最高の見ものだと思います。 

   それにはパリのグランブルバールのキャフェがいいでしょう。あそこのテラス は、歩道のほうを向いて座るようになっていますから。 
 

  ・(ジャン)ギャバンの追悼の座談会で、高峰秀子さんがこんなことを云った。

「パリに行ったら露天でトマトを売っているおじさんも、道路工事をしているおじさんも みんなギャバンみたいな顔をしてるじゃない。 パリはギャバンだらけよ。

     
   みんなギャバンの雰囲気をたたえている。その雰囲気とは、人生の匂いというやつだ。恋もし、振られもし、駆け引きもし・・・あきらめもした。人生諸事万端、有為転変ひととおりのことはやったぜと、浮世を泳ぎまわったものが ふりまく匂い。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする