(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書/時評 『グーグル革命の衝撃』を読んで

2018-09-25 | 読書
読書/時評 『グーグル革命の衝撃』を読んで 
     写真の本は、後述しますが別な本です。最近、丸善の洋書コーナーにならんだばかり。フェイスブックやマイクロソフトなどとの対比もふくめて、グーグルについて取り上げています。    

 グーグルってなあに? 分からないことを調べるのにグーグルとかヤフーによる検索を使いますよね。(実はヤフーも、グーグルの検索エンジンを使っているので、検索についてはグーグルがほとんど独占しているのに近いのです。でも、グーグルの実態(今は持株会社アルファベットの傘下にあります)はほとんど知らない人が多いと思います。私自身もそうでした。アメリカの金融業界では、GAFAとかFANGとか最近ではインテーネット系IT企業を一括りにして呼んでいますが、どういうくくり方をしても、”G" つまりグーグルの名前がでてきます。

  注)GAFA・・・グーグル/アップル/フェイスブック/アマゾン。
    FANG・・・フェイスブック/アマゾン/ネットフリックス(動画配信サイト)そしてグーグル。

 そのグーグルの実態を詳しく知りたいと思っていた矢先に、偶然『グーグル革命の衝撃』という本に出会いました。この本は新しい本ではありません。出版されたのは、2007年5月。NHKの取材班が半年をかけて、グーグルの検索広告から、その広告がもたらす収入をもとに、既存の産業構造を突き崩す改革もたらしつつあること、さらに世界の頭脳集団ともいわれるトップエリートが他社の追随を許さないスピードで新しいサービスを送り出す実態などを、グーグルの幹部たちとのインタビューを重ねて、取材調査をしたものです。(文庫本については、2009年4月刊行)

 実は、私自身2006年の夏にシリコンバレーの一角にあるパロアルトの町にしばらく滞在して、スタンフォード大学のキャンパスで遊んでいました。その少し前から、スタンフォードの講座はネットで公開されており、誰でも聴講することができました。その大学の空気に触れて見たいと思っていたのです。その滞在中にスタンフォード大学のキャンパすにある書店の店頭に、ずらりと平積みされて大きなスペースを占めていたのが、グーグルの本でした。それを買って、ざっと眺めてみて、”この企業はきっと将来大きく伸びると直感したのです。(その頃からグーグルに投資をしていたら、今頃きっと大金持になり、左うちわで遊んでいることになったでしょう。その頃は、企業経営に関心があって、投資ということには思いが至っていませんでした)

     

 そのころからNHKの報道局は、グーグルに着目していたのです。その慧眼には敬服いたします。この本は、いい本です。グーグルの本質を語っています。古いからといわずに、ぜひ手にとって読んでみてください。というのも、ここに書かれていることは私たちの将来の社会生活とその変容に大きくかかわってくるからです。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(天才集団の牙城)
 まずはじめに、次の写真をご覧ください。これは、2004年にシリコンバレーの高速道路沿いに掲げられたグーグルの求人広告なんです。


     


えっ? ”なんのこっちゃ”と驚かれるでしょう。私も、正直いって面くらいました。
数学、それも高等数学を知らないとわかりません。

 「自然対数の底eの中の連続する10桁(ケタ)の最初の素数.com」と読むのです。

これが理解できなくてもかまいません。話の流れだけを追ってください。このカッコないの文章には、それがグーグルであるあるいはグーグルに関係するという表示はありません。しかし、”.com”とあるのでウエブサイトにつながることは分かります。この問題の解答は、「7427466391」です。これをコンピューターに打ち込むと、次の問題が出てきます。そこにも、グーグルの表示はありません。そして、この数学の問題を解いてはじめて、グーグルの人材募集の広告であることが示されます。”ようこそ グーグルへ。あなたを採用します”、と。

もう少し詳しくご説明しましょう。・・・・・


この本のキーポイントをご説明するために数学の問題についてお話ししたのですが、要は優秀な人材を獲得するためにグーグルの研究開発部門が考えた広告なのです。グーグルは発見しうる最も優秀な人材を雇いたいと必死になっていますが、その人材の範囲はエンジニアにとどまりません。NHKの取材班に対応した広報チームの数人は、ハーバード大学のロースクールを出ています。全米トップレベルの養成学校をでた人材が、広報を担当しているんです。日本の企業の広報担当とは、人材のレベルが違います。

ちなみにスタンフォード大学では、お互いに分からないところは徹底的に話し合うという伝統があり、グーグルもその影響を受けているようです。

 さてグーグルが「検索サービス」で高いシェアを占めていますが、、どんな経緯で二人で始めた検索ベンチャーが立ち上がっていったのか、またそれだけでは余り収益を生まないのに、「検索連動広告」という仕組みを考えついて、巨大ビジネスを築いたのか? そのあたりを少し詳しく解説しておきます。

 1998年、スタンフォード大学の二人の学生、サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは協力しあってグーグルが誕生しました。二人は同大学のコンピューター専攻の大学院生でしたが、互いに惹かれ合いながら、当時はまだ余り使い物にならなかった「検索」の質を一挙に高める方法を見出したのす。

 その方法は、「バックリンク」の解析研究です。皆さんもご承知のように、ウエブサイト上のある記事のページで、別なページを参照するために「リンク」を埋め込みます。例えば、ホームページを見ている人に飛行機会社のホームページを参照してほしければ、そこからリンクを張ります。リンクを張ったところは文章の中で色が変わりますから、すぐ分かります。


(以下は、次の「学問からビジネスへ」まで、飛ばしていただいてもかまいません)

リンクの考え方では、リンクを張った先のホームページは、リンクのところをクリックすると、すぐ分かります。しかし、自分のページが、どのページからリンクが張られているかは、分からないのです。二人は、なぜそうなるのか。自分の張られているリンクを正確に知りたいと思いました。それには、世界中のホームページをくまなく調べて、ようやく自分に張られているリンクをリストアップできるのです。二人は、その研究を始め、バックリンクのデータを解析するために、世界中のホームページのリンク情報の収集をはじめました。当初はこれが検索技術に結びつくとは考えていなかったとのことです。世界中のホームページのリンクを調べようと、あらゆるものをダウンロードすることで問題を解決しようとしました。当時は、まだコンピュータが非力な時代でした。当時、1000万ページと推定された全世界のホームページをダウンロードすべく、汎用のPC部品を大量に組み合わせ、できるだけ大きなコンピューターパワーを結集したのです。

1996年、2400万ページのホームページのダウンロードを終え、総数757万のリンクを解析。その結果、検索し終えたページでは、そのページに誰からどんなリンクが張られているか、直ちに知ることができるようになりました。そして、実は、このリンクの構造を知るために低価格のパソコンで世界中のホームページをダウンロードした研究こそ、今のグーグルの検索サービスを構築する上での最大の要素になっていったのです。それは、張られているリンクの数こそが、そのホームページの評価となるのではないか、ということに二人が気づいたからでした。

創立者の一人、サーゲイ・ブリンは、このように述べています。

”ウエブ上のリンクを調べるという研究をしているうちに、ウエブ上のページはすべて同じではないということに気づきました。あるページは、それほど重要ではないと、そしてウエブでのリンクの構造を分析する方法を開発し、すべてのページの重要性を判断するようにしたのです”

すべてをダウンロードするうちに、彼らはホームペジとホームページの結びつき方を詳細に分析し、その結果、当時の検索のクオリティを大幅に改善できることに気づいてのです。当時もすでに商用の検索エンジンは存在していましたが、それは「ページの中の情報」のみによるもので、リンクの数などといったページとページの関係性を考慮に入れてなかったのです。ラリー・ページは、それぞれのページに、いくつのリンクが張られているか、つまりバックリンクの数を数えればホームページの重要度をランク付けできると考えました。さらに、リンクの数だけでなく、どういうサイトからリンクが張られているか、その質も検索することで非常に正確な検索結果を出すことができるようになったのです。たとえば、NYタイムスのように多くの人々が沢山のリンクを張られているサイトは、少ない人々からのリンクがあるだけの個人のサイトよりも重要であると考えそれぞれのリンクの重要度に差をつけたのです。


(学問からビジネスへ)

二人の創業者は、この検索エンジンを基にシリコンバレーのファンドから出資を、1998年9月のベンチャー企業としてスタートしました。グーグルは、「検索の技術」を提供する会社として評判を呼びましたが、、なかなか黒字化するには至りませんでした。ヤフーと提携した直後の200年6月に「グーグルアドワーズ」という検索連動型広告を開始しました。広告が検索結果に悪影響を及ぼさないように、広告領域と検索結果の領域を分けて表示し、検索結果の横に3行だけの広告を許可するように配慮しました。

 注)今では、すこし様子が変わっていますが・・・。さりげない形で。。

これが評判を呼び、「押し付けがましい広告はしない」とのイメージで、グーグルの広告収入は大きく伸び、200年末にには検索件数が一日一億件を突破。グーグルの経営は黒字化しまました。その後は、倍々ゲームで2006年6月には18兆円の巨大企業になりました。この時期に、検索連動型広告をビジネスとして捉えたのには、先見の明があったのです。

(検索連動型広告GAの意味するところ)

 GAでは検索したキーワードに基づいて、その言葉に関連する広告を表示します。つまりキーワードを打ち込んだ人に向けて広告をだすのです。これをターゲット広告といいい、そこがクリックされると、最低1円の入札価格からはじまり、その後はオークションで決まるというシステム。企業にとっては、また個人ビジネスでも安価な広告料で宣伝できるのです。そして、その広告がクリックされるのは、上位1番から3番が多く、10番以下は見落とされる可能性があります。最低でもグーグルアドワーズで上位15位以内の入らないとこの世に存在しないと同じでしょう。

 注)こうなると、日本語での広告は世界でビジネス展開しようとすると、ダメです。勝負になりません。これからのアジアでの巨大ビジネスでは、中国語の広告が不可欠でしょう。

そして検索順位が企業の存立に関わって来るのです。逆にいえば、検索上位に入れれば、個人ビジネスでも大きなビジネスチャンスがあります。この本では、アメリカはバーモント州の社員たった9人の花の種を販売する会社の例が紹介されています。このアメリカン・メドウズは、このGAという文字だけの広告でわずか5年の間に収益を3倍に伸ばしています。グーグルは、このシステムの利用者(企業)に対して、どのくらいの広告を人が目にしたか、その広告を見た人のうち、どのくらいの割合で注文を出したかなどの情報を提供してくれるので、広告にある言葉をさらに工夫することが可能です。またサンフランシスコにある視力矯正のレーザー手術(レーシック)を手がけるスコットハイバー病院も、検索エンジンの最適化を図ることによって、すべてのキーワードでトップ10入を果たし、さらにトップ5のランキングに上がって、市場シェアを獲得しています。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ここからは、グーグルが引き起こす問題について解説して行きます。

(既存のメディアを揺さぶるグーグル)
 
「グーグルニュス」というサービスがあります。新聞やテレビ局がネットで配信した
ニュースをカテゴリーごとにまとめて表示するサービスです。アメリカ版では、新聞や雑誌の記事、テレビのニュースのほか、行政や研究機関のパブリックサービスなども含めて4500のサイトがニュースソースになっています。ニュースの記事は、「クローラー」と呼ばれる自動プログラムがインターネットの中をくまなく徘徊して情報を中央のサーバーへと持ち帰っていきます。それを自動的に編集しているのです。

これを読めば、読者は複数の記事を比較して、その中から客観性のある記事を追求するメリットがあります。また、ニュースの内容だけでなく、その伝え方に質的な差があることも実感するでしょう。しかし、一方で既存メディアも記事情報を勝手に使われ序列をつけられることになります。これに関しては、訴訟にまで発展したケースがあります。一方でグーグルにニュースコンテンツの掲載を許可しないとなると、コンテンツの対価は得られませんし、己のメディアという範囲に中で孤立してゆくことにもなりかねません。メディアの存在意義が問われることにもなりそうです。

 (人類の知的財産の検索)
 グーグルが対象とする情報は、オンライン上のものだけではありません。オフラインの活字のまで及ぶのです。一部の書籍によっては「グーグル・ブックサーチ」によって、その内容が検索できます。現在、「人類の知の集積」である書籍をスキャンしてデジタル化するプロジェクトが着々とすすめられています。著作権のある書籍でも、スタンフォード大学にある蔵書では、本文の1ページ分が表示されます。

 早稲田大学大学院の野口悠紀雄教授は、グーグルの事業の中で最も驚異的なものは、この書籍のデジタル化プロジェクトだと話しています。

 ”プロジェクトに参加しているのが、ほとんど英語圏の図書館というのが問題だ。これが自由に検索できるようになったら、知識のインフラという意味では、日本語と英語の間に格段の差がひらく。英語でなければおよそ知的な作業ができなくなってしまう。人類が誕生してから蓄積した知識のほとんどが図書館にある。これをグーグルが支配し、自由自在に検索できるようになったら、何が起こるか想像もつかない。彼らは、またもやビジネスに生かすことになるだろう。こうしたことを民間企業がやっているということが恐ろしい。通常の企業とは発想がまったく異なりる異様な企業だと思う” 


(ユーチュブの影響力)
 
 2006年10月、グーグルは創業以来最大規模となる16億5000万ドルを投じてユーチュブを買収しました。シュミットCEOが言うように、インターネットが映像革命の幕をあけた。ビデオが、インターネットで最も重要なメディアになづでしょう。

ユーチュブは訴訟問題を抱えつつも大きく発展してゆくのですが、その影響は政治の世界でも無視できなくなっています。2006年11月のアメリカの中間選挙で、次期大統領候補として呼び声が高かった共和党のジョージ・アレン候補は思わぬことで落選の憂き目をみたのです。それは、敵情視察の来ていた民主党候補に対して人種差別発言をしたと批判される動画の投稿があったからです。過去の発言や今までの政策と矛盾する言動が証拠の映像として投稿され、またたくまに広がって支持率を大きく揺さぶることになります。
日本の選挙でも、候補者の演説の様子や過去の問題発言が投稿され話題になりました。日本の公職選挙法ではインターネットを使った選挙運動は禁じられており、こうしたネットの世界での有権者の反応をどう捉えるかも課題となるでしょう。

  注)日本の選挙に関連しての私見ですが、グーグルのクローラーのようなものによって候補者の過去の国会での発言や行動を収集し、それにAIによるある一定の評価を加えて、各候補の評価をするのも一案かと思っています。また地方議会での各議員の行動も把握、評価すべきでしょう。

 明治学院大の川上和久教授(政治心理学)は、このようにユーチュブの使い方を述べています。

 ”国家も企業もユーチュブを使った情報発信のあり方を探るべきだ。対外的に自らの立場をアピールする手段、あるいはイメージ戦力として、外交や危機管理の面でも活用できる” 


(誰が検索順位を決めるのか? 「中国問題」)

 検索順位は、公正に決められていると、誰でも思うでしょう。必ずしもそうではないのです。検索順位を上げようと、「検索エンジン・スパム」が現れます。先にお話したレーザー治療法のハイバー・病院の検索順位が競争相手よりも下がったのです。これは、スパムで操作されたのです。誰しも、検索順位を上げて顧客にクリックしてもらい、その結果ビジネスにつなげたいですから。

 しかし、こんなことは可愛いものです。問題は政治的な案件です。グーグルの検索結果が、どこまで公正に決められているのか。そのことに疑念を抱かせる事件が起こったのです。

2006年2月、アメリカの下院委員会で検索サービスの公正さを揺るがす問題が議論されました。それは中国国内での検索サービスについてであります。中国では、たとえばチベット問題やダライ・ラマ、法輪功と呼ばれる宗教団体、天安門事件など、ある種の政治的な話題はネット上での掲載や議論が法律で禁じられています。これに対してアメリカなどは、人種問題だとして、こうした用語を検閲する姿勢に疑問を呈してきました。そうした中、中国政府が禁止している話題に関して、検索結果が意図的に削られているという指摘が、アメリカの下院議会で行われ、その検索結果を提供しているアメリカ企業の姿勢に対して、議論が行われたのです。これは、「中国問題」とも呼ばれ、検閲された一定の検索結果の中からしか情報が提供されていないと、いう公正性に関する大きな問題となりました。NHKの取材班は、その背景を探るべく、中国問題を議論した下院委員会の公聴会の議事録を入手して、そこから、中国という巨大市場への参入と「検索結果をいじる」という不本意な選択との板挟みの状況下でで、グーグルが行ったギリギリの判断であったことが伺える、と記しています。以下は下院議員の発言です。

 ”グーグルおよびマイクロソフトは、二つとも同じようにネット上で「繊細な話題」について議論したり、検索したりしするのを禁じる中国の国内法に従う必要があったと述べている。そして、グーグルは、ドイツ国内でネオナチズムのプロパガンダが禁じられていることを引き合いに出している。しかし、これは私を失望させる。ドイツは自由民主主義の国であり、自由選挙によって選ばれたリーダーが三世代まえのアウシュビッツの悲劇を嫌悪し、こうした措置を決めている。しかし、中国は信仰の自由や表現の自由にきびしい制限を加えている、自由とオープンな社会を目指すグーグルのリーダーが北京の検閲に手を貸すのは整合性がないではないか。・・・”


これに対してグーグルの副社長の一人はこう答えた。

 ”不完全な世界では、不完全な決定をせざるを得ないこともあります。それが中国で起きたことです。私たちはユーザーにとって、そしてグーグルにとって、最高の選択をしたと思っています。中国のユーザーは私たちのサイトによって、難しい政治の話題に関する検索以外は、多大な利益をうけることができるのです。政治の話題に関しては、政府の規制であり、私たちはそれを快くは思っていないことなのです”

たしかに、グーグルは「検索結果から除外された情報がある」ということも明示しています。しかし、一定の圧力によって検索結果から除外されるページが出てくるということは、政治家や時の政府の都合で検索結果を勝手に操作され、思想統制の道具に利用される可能性があることも意味しているのです。

 これらの他にもグーグルについては、いくつもの問題点があります。その一つは「グーグルに蓄えられている個人の履歴」の問題です。ユーザーは、過去にどんな検索をしたのか個人の履歴を蓄えています。自分ですら意識ぜずに検索したものが、検索回数でトップになる時があり、無意識に自分が何を望んでいるのかを覗かれているような気分にすらなります。また人々のネット依存が進んだ結果、表現の自由や民主主義がうまく機能するのかどうかという問題提起が、憲法学の分野でなされています。検索結果に依存することは「自分の好みに満足していればよい」という考え方を助長し、人々の視野を狭くすく懸念もあり、シカゴ大学ロー・スクールのキャス・サンスティーン教授はインターネット上で自分の立場と異なる言論との「思いがけない出会い」を可能にする仕組みを提唱しています。

 「グーグルは知ではない」という見方があります。東京大学小宮山総長(現名誉教授)は2007年4月の入学式の式辞で、インターネットを通じて誰もが簡単に情報を手にいれられる時代の危うさについて、警鐘をならしています。

 ”最近は、インターネットを駆使して誰でも大量の情報を短時間のうちに入手できるようになった。しかし、ひと昔前は違っていた。学術情報を入手するためには多くの論文に目を通したり、人に話を聞いたり、カードを作って整理したりと大変な手間が必要だった。もちろん現在の方が便利に決まっている。しかし、その便利さにこそ落とし穴がある。情報収集にかけた膨大な手間と時間は、無駄のように見えて決して無駄ではなかった。その作業を通じて、頭の中で多様な情報が関連づけられ、構造化され、それが「閃き」を生み出す基盤となっていたからだ。インターネットで入手した、構造化されていない大量の情報は「思いつき」を生み出すかもしれないが、「閃き」を生みだすことは極めて稀だ”
小宮山総長は式辞の中の「インターネット」という言葉をそのまま「グーグル」に言い換えてもよいとした上で、グーグルをはじめとする検索サービスは、情報を整理する手段でしかなく、構造化された「知」とは異なるものだと述べています。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 私たちは、これまでにお話ししたようなグーグルの問題をどう受け止めたらよいのでしょうか?単に「ググる」ということで言葉を調べるだけでなく、検索の持つ意味それも社会的な意味合いを改めて考えてみたいと思います。


最後に『The Four』を読んで感じたことを少し書いておきます。ここで取り上げた本書は、2007年に出された古いものです。これに対し、『The Four』は、10年後の2017年に出版されました。10年の差があります。そして著者のエッセイのようなものです。しかし、『The Four』で著者が書いていることは、NHKスペシャル取材班の書いた『グーグル革命の衝撃』という本の中でなんらかの形で取り上げられています。グーグルの実体に迫って凄いものです。NHK取材班の果たした仕事は高く評価されてしかるべきかと思います。

さて、『The Four』では、グーグルは強大であること、もっとも高いIQ集団で、今なお成長を続けていること、メディアとの確執があること、そして政府や議会のよる規制の問題があること、などなど。そしてスコット・ギャロウェイはその文章の中で、”Enter the New God" という表現で、グーグルが全知かつ不滅であるということを示唆しています。 であればこそ、「グーグルが引き起こす問題」については、私たちも、もっと深い注意を払わなけばならないと考えます。




 長文をお読みいただき、ありがとうございました。



(余滴)

 「グーグル」の社会的な意味合いについては、「中国問題」などでご紹介しましたが、グーグルを上回る速度で拡大し、世界最強を誇る「アマゾン」もさまざまな社会的な責務を負っています。個人情報の独占/国家以上の強大な影響力/小売業の衰退による社会の弱体化などなど。そのアマゾンを、さらに上回る速度で拡大し、成長を続けている中国企業があります。ジャック・マー率いる「アリババ」です。習近平は中国で新秩序を押し進め、統制を強めています。その一方で、もともとは中国の基幹産業以外の業種とみなされたアリババが担ってきた事業は皮肉にも国有企業が担うべきであるとされる基幹産業にまで育ってきています。中国国内で帝国と化したアリババ最大のリスクは、国有化リスクや中国政府からのコントロールが強まるというリスクになるかもしれません。そのような雰囲気下で、ジャック・マーも最近ではかなり中国政府に配慮した発言をするようになってきます。ごく最近も、アメリカでの100万人雇用の計画を取りやめると発言しました。もっとも、中国政府への忠誠心を明らかにしていくことは、欧米など先進国への本格進出の大きな障害になる可能性もあります。「世界をよりよい場所にする」企業ではなく、。実際には「中国の国益だけを考える」企業とみなされてしまうリスクが顕在化するのか・・・難しい問題です。





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コラム 風の音~長寿の秘訣

2018-09-17 | コラム
風の音~長寿の秘訣

 NHKの総合テレビ(6時台)を見ていたら、”90歳「自撮り」おばあちゃんの夏”という番組を放映していました。西本喜美子さん、夫との死別や老いを受け入れながら、趣味ではじめた写真塾の仲間と交流して、自撮り写真をSNSで公開して、海外含めてものすごい人気を呼んでいます。大型のニコンを構えて、思いもかけぬ構図の写真を撮っています。

そんな時に、こんな短歌を思い出しました。大岡信『折々のうた 7』より。

  ”年ふりて いくつになりても自らの楽しみ心捨ててはならず” (長沢美津)

詠み手は、歌集を出した時(平成13年)96歳の女性歌人。。長年短歌界で活躍してきてきた人でこれを長寿の秘訣と言っています。そうなんですね、趣味があるということはいいですね。できれば、人との交流につながってゆく趣味があれば・・・。

彼女は、こんな歌も詠んでいます。

 ”手を休め心を休めひとときを無心になりてまた立ち上がる”



(おことわり)予告編で書きました「グーグル革命の衝撃」は、近々アップいたします。














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(予告編) 読書/時評 『グーグル革命の衝撃』を読んで

2018-09-07 | 料理
2009年刊行という今では、古い本です。しかし、グーグルがどのように立ち上がっていったのか、NHKが取材によって、丹念に解き明かしていったところに深い興味を感じます。同時に、今出版されたばかりの本をこのほど手にしましたので、”今”のグーグルの姿も描いてみます。しばらく、お待ちください。 (画像は、東京の丸善の洋書コーナーに並んだばかりの本です)













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読書 『半日の客 一夜の友』(丸谷才一・山崎正和 文藝春秋 1995年12月)

2018-09-01 | 読書

読書 『半日の客 一夜の友』(丸谷才一 山崎正和 文藝春秋 1995年)

”花の下の半日の客、月前の一夜の友、旅人が一村雨の過ぎゆくに、一樹の陰に立ちよって、わかるる余波(なごり)もおしきぞかし”
                             (平家物語巻第三「少将都帰」より)


 小説家にして文芸評論家丸谷才一、劇作家にして評論家の山崎正和、この二人はよほど気が合うのだろう。対談を重ねること100回に至った。この本は、それらの対談から選りすぐった11編を収録したものである。東京論~富士の見える町や、、芸能としての相撲、西郷隆盛と大久保利通、亡ぶ国・興る国、さらには文藝春秋とはなにかなどなど興味深い対談がある。今回は、そこから「歌会始」というテーマを取り上げることにした。

 歌会始といっても、これまでそれほど気にかけて来なかった。高校生が詠んだ歌や、異国の地から送られてきた歌が、いつくつ記憶の底にあるくらいである。

 ”トンネルの向こうに見える僕の春 微かなれどもいつか我が手に”

これは平成14年の歌会始で採り上げられた歌。当時高校一年生の中迫克公(かつまさ)君の詠んだものである。。前途に希望の光をみるような素晴らしく明るい歌である。あとは美智子皇后の詠まれた歌ぐらいしか、記憶のない。

 ところが、この本『半日の客 一夜の友』を読み進めていくうちに、歌会始というものが、どのようなものか、またどのような意味合いを持つのか、そして今上陛下(当今 とうぎん)の詠まれる歌がどのように解釈されるのか、というようなことが少しづづ分かってきた。山崎、丸谷両氏は、昭和62年(1987年)の正月の歌会始に出席してみて、天皇(当今)の歌が、一番いいという。なぜか? それは、その歌を通して日本の伝統文化が連綿と受け継がれ、また日本の将来、行く末について、なにがしかの思いが底流に流れているからである。日本文化の伝統を守り続けるということ、また日本国の象徴としての意識もあるだろう。これまで、上っ面しか見てこなかった歌会始の歌が、まったく違ったイメージで私の胸に迫ってきた。


(あけぼのすぎの歌~帝王調・至尊調の力)

 ”わが国のたちなほり来し年々に あけぼのすぎの木は伸びにけり”

 歌会始の章の中に、「帝王調・至尊調の力」という一節がある。これが、最も中核をなす部分であり、圧巻であるので、少していねいに説明して行く。


丸谷は、上記の「あけぼのすぎの歌」に非常に感銘を受けている。ある意味、宗教学者のエリアーデが伊勢神宮で感じたものに近いような感銘を受けたとか。「あけぼのすぎ」というのは「メタセコイア」のことで、昭和天皇が、ことのほか好まれた。これには、ちょっとしたエピソードがある。メタセコイヤを中国の現生地で発見したアメリカのチェイニー博士は、のちにこの樹にDawnRedwoodという名前をつけた。その後、ある日本人を経由して昭和天皇に、この樹が贈られた。それに関与した木村博士は、和名として”夜明け、あけぼのの始まり”ということで「あけぼのすぎ」と呼ばれるようになった。ちなみに、来日したチェーにー博士は、おなじ生物学者として昭和天皇と親密な交流を結ばれた。
          
昭和62年の歌会始の御題が「木」であったので、陛下はこの「アケボノスギ(メタセコイア)」を詠み込まれた。

これは、昭和二〇年(一九四五)、未曾有の敗戦により廃墟となった我が国が、国民の努力により目覚ましく復興を遂げる姿と御所に植えられたアケボノスギの順調な成長ぶりを重ねられての感慨を表現されたものといわれている。
丸谷がいうには、「あけぼのすぎ」は本当は「メタセコイヤ」なんだけれど、これをアララギ系の歌人ならば”メタセコイヤの木はのびにけり”とやったと思う。たちまちにしてダメになる。「あけぼすすぎ」と詠んだところが、非常によかったという。

 (丸谷)山崎さんが、歌の中にドラマがなくて素直に流れているのがいいとおっしゃった。素直に上から下まで真っ直ぐにくる、それはほぼ帝王調というものの特色でしょうね。

 (山崎)でしょうね。

 (丸谷)ひっくり返ったりしないんです。一句で切れたり、ひっくり返ったりするややこしいのは、職業歌人がやる手なんですよ、「至尊調」というのは折口信夫の用語で、「定王調」というのは保田與重郎の用語なんですけど、こういう読みっぷりがあるんですね。すっきりして気持ちがよくて、のびのびととして、歌合せで勝とうなんて邪念がなくて。(笑い)

 天皇歌人には、たとえ俊成であろうと定家であろうと、かなわないような何か凄いものを持っている人が現れる。後鳥羽院ほどではないにしても、それに通う要素をこの歌も持っています。一体に当今(今上天皇のこと)は歌はうまいんですけど・・・今年の御製はなかなかいいと思いました。「たちなほる」なんて俗な言葉をつかっても、ちっとも変じゃない。「たちなほる」は源俊頼にあるけれど、多分八代集(『古今』から『新古今」までの八つの勅撰集)にはないと思います。そういう歌語とはいいにくい言葉をすっきり使いこなしています。

 (山崎)ついでに、当今の歌風について一言いわせていただきますと、具体的な、人間としての観察、感想の素直さと、国家の象徴としてのいわば祝い事、広義の「政治性」がうまくマッチしているのが特色なんですね。

 (山崎)昭和11年にこういう歌があるんです。「紀の国のしほのみさきにたちよりて沖にたなびく雲を見るかな」。これはおっっしゃるような至尊調で非常にのびのびした歌なんですが、思うに、紀の国の潮岬に立って向こうに雲が見えるとは、どういうことか。読みようによっては、日米風雲急を告げるのを天皇は憂慮しておられた、と受け取ることができる。そして、それから50年たって、この「あけぼのすぎ」の歌がでてきた。


 続いて二人は、大正天皇の歌について触れている。 

 (丸谷)大正天皇という方は、なかなか歌がうまいとぼくは思っているのです。江戸時代以後の天皇の中で、大正天皇がいちばんうまいのじゃないかな。 品がよくて、色っぽくて吉井勇系統だという気がする。吉井勇がついに定家にすぎないならば、大正天皇は後鳥羽院だという感じがするんだなあ。
 (山崎)時代が違うでしょうが、大正リベラリズムの時代の帝王というのは、心は『源氏物語』の世界にあったんでしょうね。

 (丸谷)(当今は)大正天皇とはまた一味ちがう伝統という感じがしますね。色っぽい感じはないけれど。ぼくは、なかなかの才能だと思います。要するに、今年の歌会始の歌で、抜群にいいのが天皇御製なんです。次が選者の岡野弘彦さんの「父ははのいまだ若くて朴の木に花ひらく夏われは生まれし」 これはいい。

 選者の上田三四二さんの「くれないの花にぎはしき庭の木を若くうとみき老いて親しむ」 これもなかなかいい。あとは、率直に云ってたいしたことがない。(笑)

 最後に丸谷才一は、これからの歌会始について、次のようなことを云っている。これには共感を覚える。

 (丸谷)僕がいいたいのは、「お歌会始委員会」というものが単に歌会始をやればいい、という考え方ではダメだ。そうじゃなくて、歌会始なるものをきっかけにして、そこから始まるところの新しい文学的風潮。それは伝統を今日に生かして未来にまで貫くという、そういうものでなきゃならない。それをやらなければ、詠進者たちは、要するに新聞の歌壇の延長で歌を詠むしかないわけです。それじゃ、あまり意味がないんだ。



 ここまで書いてきて、ではその後の時代(平成)に天皇・皇后がどのような歌を詠んでおられるのか気になってきた。親しい友人と、そのことを話していたところ、歌人の永田和宏さんが、中日新聞などに「象徴のうた~平成という時代」と題して、連載をつづけていることが分かった。友人は、わざわざ図書館に足を運んで、それらの記事を拾ってくれた。その中から、何首かをご紹介する。戦争にかかわってきた昭和天皇とは立場や状況が違い、また時代も違うが、象徴との立場がにじみでていることが感じられる。



(天皇・皇后御製)

   ”爆心地の碑に白菊を供えたり 忘れざらめや往にし彼の日を” (平成26年)

   両陛下はどこにあっても決して黙祷を欠かさない大切な日が四つある。広島、長崎への原爆投下、15日の終戦。それと沖縄戦の終わった6月2日。平成11年、即位10年にあたる年であるが、戦争の惨禍を忘れず、平和のために力を尽くすことの重要性に言及している。さらに平成19年の原子核物理学国際会議では、”この分野の物理学の輝かしい発展が社会に与えた恩恵にふれつつ、一方でこの同じ分野の研究から大量破壊兵器が生み出され多くの犠牲者がでたことは、誠に痛ましい” と述べられた。また国際実験血液学会でも、”本学会が、今日、放射線障害に対する治療にもい大きな成果を納めていることに改めて深い感慨を覚えます”と発言されている。単に日本国民だけにとどまらず、人類全体に視線をむけた、願いのあらわれであった。


   ”人々の年月かけて作りこし来し なりはひの地に灰厚く積む” (平成3年)

 この年は雲仙普賢岳で噴火があり、大火砕流による大きな被害をもたらした。両陛下は、まだ噴火活動が続く中、被災地に直接赴き、被災者たちを慰め、激励されている。まだ収束もしていない被災地に天皇が直接出向くといいうのは前代未聞のことであった。この現地に行き、被災者と同じ目線で話すという被災者へのお見舞いは、天皇が「象徴」という自らの立場を実践していく、困難な試行錯誤の一つの大切なピースであった。


   ”父君のにひなめまつりしのびつつ 我がおほにへのまつり行なふ” (平成2年)

 皇太子として、昭和天皇の年ごとの「にひなめまつり」を間近に見てきて、いよいよ自らがその最初の「まつり」を行おうとしている。それについてに高揚感と覚悟、さらには歴代天皇がやってきた祭祀を今自らが主宰して行おうとしていることへの畏敬の念などが感じられる。新嘗祭を継ぐことは、すなわち日本という国の伝統を体現することにほかならない。これだけでなく、日本国憲法の下でおこなわれた諸行事については、当時喧しい議論があった。そういう意味でも、そうとうの覚悟を持っておられたようだ。


   ”日本列島田ごとの早苗そよぐらむ 今日わが君も御田(みた)にいでます” (平成8年)

 平成八年の御題は苗。それを美智子皇后が詠み込まれた歌。日本列島の北から南まで田をいう田に早苗がそよぐ季節。そんなある一日、多くの農作業に携わる人々と同じように、「わが君」も田に出て稲の世話をしておられる。それを誇りに近い思いで、思いやっている歌。昭和天皇は、田植えからだったが、今上陛下は、まさに実際の稲作のすべてを行うべく、苗代に種籾を播くところから始めらられる。国民のために五穀豊穣を祈るということで抽象的な儀式ではなく、実際の作業を自分にできる精一杯のところまで広げることによって国民とともにありたいという思いであろう。国民のために『何ができるかという「為す」ことにによる象徴への模索の形にひとつだった、と歌人永田和宏は受け止めた。


   


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(余滴)おまけのようなもの

この著者の二人には、あまりおなじみではない諸兄姉のためにごくかんたんに二人のことをご紹介しておこう。丸谷才一は、とにかく多作である。そして『源氏物語』には深い関心があるようで、彼の著作のなかには、あちこちで源氏物語という言葉がでてくる。そして、とうとう『輝く日の宮』という源氏物語の中で欠けているといわれる巻に題材をとって、現代風の小説にしてしまった。

丸谷才一は、以前朝日新聞の書評欄で、つぎのようにいっている。

 ” モーツァルトの交響曲をCDで聴くのとナマで聴くのとは大違いである。セザンヌの油絵を画集で見るのと美術館で本物を見るのとでは、これが同じ絵かと思うほど差がある。もっと違うのが「源氏物語」の現代語訳と原文。紫式部が手ずから書いた文章は、現代最高の作家たちの訳文とくらべて、みずみずしくて匂やかでしなやかで強い。
嬉しいことに、この「源氏」の原文を読もうとすれば、われわれ現代日本人は何とか読むことができる。千年前の日本語は基本のところで今の日本語と同じだからだ。(中略)

 ただし全巻を読むのは大変だ。工夫をしよう。とりあえず第一帖「桐壺」から第三十三帖「藤裏葉」までは小学館「新編日本古典文学全集」「源氏物語」全六巻(阿部秋生他校注・訳)の各帖のはじめについている梗概ですませ、それにつづく「若菜(上下)」と「柏木」を、つまり第三十四帖から第三十六帖までを、同じページの上にある訳文を参照しながら原文で読むのがよい。この三帖は「源氏」の白眉である。折口信夫も「源氏」で一番いいのは「若菜」と「柏木」だと言っている。”

これに対し、吉本隆明は、その著『日本語の研究』(光文社)の中で

 ” ぼくの考えでは、作品がこのレベルまでくれば原文で読もうが口語訳で読もうがまったく変わらない。どっちで読もうが受ける感銘は同じだと思います。だから「源氏物語」のような作品は、研究者でもないかぎり、翻訳で読めばいいんだよということになります。原文で読むのは大変だし、原文で読もうとすると一生の仕事になってしまうからです。「源氏物語」にはそれくらい現代性があります。(中略)

 では、だれの現代語訳がいいかといえば、ぼくは与謝野晶子の訳がいちばんいいと思っています。(中略)”


 次は山崎正和。私の好きな作家にして評論家である堀田善衛亡き後、骨のある作家としては山崎正和の名前を挙げたい。『柔らかい個人主義』や『文明の構図』などを読んでいると、彼の熱い息吹を感じる。後者については、2017年の「年の始めの読書」の中で
印象に残った山崎の言葉がある。

 ”劇作家にして評論家の山崎正和の『文明の構図』(1990年3月 文藝春秋)から。その中に「もうひとつの学校」という一節がある。山崎は満州で生まれ育った。終戦の年は11歳、その時に受けた満州の中学校の暗い仮設教室での光景を次のように描写している。

 ”外は零下二十度におよぶ日もあるなかで、倉庫を改造した校舎には満足にガラス窓もなく、寄せ集めの机と椅子のほかには教室らしい設備なにもなかった。すでに日本人の故国への引き揚げが進んでいて、生徒の数は日々に減っていたし、教師のなかにも、教員免許を持たない技術者や大学教授が混じっていた。なによりも、それは「瀋陽中学校」と名づけられていたものの、日本はもちろん、どの国の制度にもよらない純粋な私学校であった。中国政府に残留協力を命じられた日本人が、もっぱら親から子へ、人間が人間であるために必要な知識と文化をできる限り伝えようと開いた学校であった。

 教科書は戦前の古本があったが、教師には教授法も指導要領もなく、授業はまったくの無手勝流で行われた。一年生がキングズ・クラウン・リーダーの三巻を教わったり、数時間をかけてマルティン・ルターの伝記だけを聞かされたりした。中国語の授業はあっても漢文という教科はなかったから、「少年易老学難成 一寸光陰不可軽」という詩句を、私はまず中国音で習っていまだに覚えている。ある冬の午後、ひとりの教師が古い手回し蓄音機を持ってきて、音楽といえば小学唱歌しか知らない少年たちに、西洋音楽のレコードを聞かせてくれた。掠れがちに針の下から響くラヴェルの『水の戯れ』と、ドヴォルザークの『新世界』に耳を傾けながら、私はどこか遠い世界に、そのときは名も知らぬ芸術というものの存在を感じとっていた。

 戦後50年の日本の教育を振り返ったと

き、もっとも欠けていたものは、私にはあのような教室ではなかったかと思われてならない。あのとき教室の外には法も制度なく、新聞も放送も書店もなく、人間を野獣に返すような野蛮が広がっていた。文化は個人としての教師の内面にだけあって、それを伝えようとする努力には、ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳をうしなうだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思った大人たちは、ただ自分一人の権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかったのである。”



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 長文をお読みいただき、ありがとうございました。


(余滴の余滴)
 
 この乱れた世に、歌会始でもあるまいという人もいる。また。天皇御製について批判的なことを云って、あげつらう人もいる。しかし、乱れた時にこそ、余裕を持ちたい。心の余裕を!

  
  ”その国が どんな法律をもっているかより その国が どんな詩と歌をもっているか というほうが 私にはずっと重大なことだ” (ロバート・バーンズ)

















コメント (4)
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