今年一年、ご愛顧ありがとうございました。深く感謝申し上げます。これが本年の最終記事となります。またお正月の松がとれます頃にお目にかかります。
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読書『ローマ亡き後の地中海世界』(塩野七生 新潮社 2008年12月)
イスラエル軍が、27日パレスチナ自治区のガザ地域を空爆した。さる9月22日に中東和平の問題について記事(9月22日)を書いたが、またもやこんな事が起こ留とは、残念なことである。この交戦ががつづけばハマスとの全面衝突になる可能性もある。
そんな時に、これまで『ローマ人の物語』(全15巻)を書き続けた塩野七生さんの続編ともいうべき本が出た。300頁余の大作が2巻つづく。その上編が出たばかりで、しかもまだ、その3分の1も読み終わっていない。しかしその出だしからして衝撃的である。紀元6世紀に東ローマ帝国が衰亡し、イタリア、地中海世界に政治的・軍事的空白が生じたころ、イスラム勢が勢いをました。その後13~14世紀の中世という時代にいたるまで、サラセンと呼ばれるイスラムの海賊が、地中海周辺での簒奪を繰り返し、それらの地域を混乱と恐怖に陥れる。その様をつぶさに描き出した本書はこれまで私たちがあまり知らない歴史の世界に誘ってくれる。現代のニース、カンヌ、モナコなど平和な地中海しか知らない私には、驚愕の連続である。
9世紀にはサラセンの海賊はアドリア海を北上、南イタリアでは内陸深く侵攻し、そこに拠点をおいて、各地を強奪した。守るものが、ほとんどいなかったのである。塩野は、(はじめに)でパクス・ロマーナを打ち立てたローマ初代皇帝アウグストゥスを描いたパテルクロスの言葉を紹介している。
”人間ならば誰でも神々に願いたいと思うことのすべて、そして神々も人間に恵んでやりたいと思うであろうことのすべては、アウグストゥスが整備し、その継続まで保証してくれたのであった。
それは、正直に働けば報酬は必ず手にできるということへの確信であり、その人間の努力を支援してくれる神々への信心であり、持っている資産をだれにも奪われないですむということへの安心感であり、一人一人の身の安全であった。-”
このパクスロマーナが崩れさったのである。
9世紀には、ポワティエ(今のフランスの中西部)の野でイスラム軍を完敗させて神聖ローマ帝国のシャルル・マーニュ皇帝も没し、ふたたび地中海沿岸でのイスラム海賊の横行がはじまったのである。・・・・
久しぶりに興味深々で読み進んでいる。そんな途中で本書をご紹介するのは、おかしなことであるが、あまりに平和に慣れきった私たちにとって、こんな時代があったのだと認識をすることは、意味があろう。そしてイスラエルのように、またもや戦乱・混乱の時代に引き戻す愚かさを認識し、平和のありがたさを再認識することは意義があろうと、あえてご紹介する次第である。
シャルル・マーニュの死後のヨーロッパ世界の低迷に関連して、塩野七生はこんな文を書いている。
”平和とは、求め祈っていただけでは実現しない。人間性にとってはまことに残念なことだが、誰かがはっきりと、乱そうものならタダでは置かない、と言明し、言っただけでなく実行して初めて現実化するのである。ゆえに平和の確立は、軍事ではなく政治意志なのであった”
現代にも通じることばである。そしてさらに対立を乗り越え、共存を計ろうとする人間の叡智を望みたい。先般書いた免疫の世界のように。(11月27日記事 読書『邂逅』)
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読書『ローマ亡き後の地中海世界』(塩野七生 新潮社 2008年12月)
イスラエル軍が、27日パレスチナ自治区のガザ地域を空爆した。さる9月22日に中東和平の問題について記事(9月22日)を書いたが、またもやこんな事が起こ留とは、残念なことである。この交戦ががつづけばハマスとの全面衝突になる可能性もある。
そんな時に、これまで『ローマ人の物語』(全15巻)を書き続けた塩野七生さんの続編ともいうべき本が出た。300頁余の大作が2巻つづく。その上編が出たばかりで、しかもまだ、その3分の1も読み終わっていない。しかしその出だしからして衝撃的である。紀元6世紀に東ローマ帝国が衰亡し、イタリア、地中海世界に政治的・軍事的空白が生じたころ、イスラム勢が勢いをました。その後13~14世紀の中世という時代にいたるまで、サラセンと呼ばれるイスラムの海賊が、地中海周辺での簒奪を繰り返し、それらの地域を混乱と恐怖に陥れる。その様をつぶさに描き出した本書はこれまで私たちがあまり知らない歴史の世界に誘ってくれる。現代のニース、カンヌ、モナコなど平和な地中海しか知らない私には、驚愕の連続である。
9世紀にはサラセンの海賊はアドリア海を北上、南イタリアでは内陸深く侵攻し、そこに拠点をおいて、各地を強奪した。守るものが、ほとんどいなかったのである。塩野は、(はじめに)でパクス・ロマーナを打ち立てたローマ初代皇帝アウグストゥスを描いたパテルクロスの言葉を紹介している。
”人間ならば誰でも神々に願いたいと思うことのすべて、そして神々も人間に恵んでやりたいと思うであろうことのすべては、アウグストゥスが整備し、その継続まで保証してくれたのであった。
それは、正直に働けば報酬は必ず手にできるということへの確信であり、その人間の努力を支援してくれる神々への信心であり、持っている資産をだれにも奪われないですむということへの安心感であり、一人一人の身の安全であった。-”
このパクスロマーナが崩れさったのである。
9世紀には、ポワティエ(今のフランスの中西部)の野でイスラム軍を完敗させて神聖ローマ帝国のシャルル・マーニュ皇帝も没し、ふたたび地中海沿岸でのイスラム海賊の横行がはじまったのである。・・・・
久しぶりに興味深々で読み進んでいる。そんな途中で本書をご紹介するのは、おかしなことであるが、あまりに平和に慣れきった私たちにとって、こんな時代があったのだと認識をすることは、意味があろう。そしてイスラエルのように、またもや戦乱・混乱の時代に引き戻す愚かさを認識し、平和のありがたさを再認識することは意義があろうと、あえてご紹介する次第である。
シャルル・マーニュの死後のヨーロッパ世界の低迷に関連して、塩野七生はこんな文を書いている。
”平和とは、求め祈っていただけでは実現しない。人間性にとってはまことに残念なことだが、誰かがはっきりと、乱そうものならタダでは置かない、と言明し、言っただけでなく実行して初めて現実化するのである。ゆえに平和の確立は、軍事ではなく政治意志なのであった”
現代にも通じることばである。そしてさらに対立を乗り越え、共存を計ろうとする人間の叡智を望みたい。先般書いた免疫の世界のように。(11月27日記事 読書『邂逅』)