0『さらば「受験の国」』(池部敦 朝日新書 2008年5月)
ー高校生ニュージーランド留学記
日本の教育に不満、いや絶望感を覚えた高校生が交換留学生制度を利用してニュージーランドの高校に2年留学した。読んでいてニュージーランドの高校教育のレベルの高さ、また著者の視野の広さと知的レベルの高さに感嘆した。こんな留学を体験できたら、と羨ましく思う。
ニュージーランドといえば、まず美しい大自然を思い浮かべる。だからあの映画「ラストサムライ」も「ロード・オブ・ザリング」も、そして「ナルニア国物語」もみな野外シーンはこの国で撮影されている。
しかしその国が教育とくに中・高教育にこれほど力を注ぎ、高いレベルを誇っていることは知らなかった。著者は、高校1年の3学期にNZに留学、北島のハミルトンのボーイズハイの12年生(2年)に編入されたが、最終年次ではより優れたヒルクレスト高に移っている。
そこで著者が選択した科目の幾つかを見てみよう。(30数科目から5科目を選択すればよい)
(メディア研究)
”私がもっとも深い影響をうけたのは、メディア研究である。日本では聞き慣れない学問分野だが、メディアの深い構造を学ぶクラスである。単に新聞に書いてあることを鵜呑みにしないといった事だけでなく、幅広く、マスメディアが社会に与える直接的な影響、マスメディアが作り上げている社会について学ぶ授業だ”
メディア研究には、既存のメディアについて学ぶだけでなく、生徒たち自身でドキュメンタリーを制作するカリキュラムもある。テーマは、子供の発達に関する親の影響、知的障害者のケアなどさまざまだ。”
著者は、このメディア研究のクラスで、ミズ・アレンという教師に出会い、その語る言葉に深い感銘を受けている。すこし長くなるが、印象に残る言葉なのでここに全文を紹介する
”私はメディアについて知識をもっているから、メディアについてあなた達に伝えるけれど、だからといって私があなたたちより人間的に偉いとか、上であるなどということでは決してありません。私は、あなたたちよりも少しだけ先に進んでいるかも知れないけれども、あなたたちと同じように真理を追究する道を歩むひとりの人間です。私の人生の目的は、自分自身をよりよい人間にするための道をつづけること、そして生徒たちに私が歩んできた道をしめして、一緒に旅をすることです。社会をつくるのはすべての人なのなのだから、教育の重要性を強調しすぎることはありません。市民がメディアや広告の重要性に気づき、批判的に分析するようになれば、社会は劇的に変わるでしょう。それを実現させるのが私の使命だと思っています。あなたたちとともに、この世界を少しでもよりよい場所にするにはどうしたらよいか、一緒に考えて行きたい、それが私の教師としてできることです”
(古典研究) (西欧をつくったギリシャ・ローマを学ぶ)では、バートランド・ラッセルの「西洋哲学史」が当然のように出てくるし、プラトンの書いた「ソクラテスの弁明」やウエルギリウスの叙事詩「アエアネス」についても詳しくのべられており、それも現在の価値観との対比まで述べている。かなりのレベルの高さに驚く。それらを研究した著書は、こんなことを言っている。
”私は必ずしもソクラテスのように言論の自由に反する不当な判決に進んで従うことが、倫理的に正しいとは思わないが、彼の哲学でもっとも感銘をうけるのは『クリトン』に書かれた「倫理への不動の信念」である。彼にとって公正に生きることだけが生きるに値する人生なのだ”
注)プラトンの書いた『ソクラテスの弁明』の中で、彼がアテネ陪審員の下した死刑判決に従った理由が、おなじプラトンの著『クリトン」に述べられている。
このソクラテスの言葉を、吉兆の経営にも聴かせたいですね。
(歴史ーニュージーランド史)
3年生の歴史の授業では、年に1回リポートを書く大きな課題がある。長さは200ワードほどであるが、綿密に計画をたて、それに従って調査をしたうえで2ヶ月ほどかけてリポートを作成する。今回、著者が与えられたテーマは「第一次大戦の戦争記念碑の意味を分析し、今後のありかたについての提言を書く」というものであった。
”過去の戦争の扱いはどの国にとっても重要な問題であり、政治的な問題であり 、国としてのアイデンティティの根幹にも深くかかわる問題である”
第一次大戦で、NZはイギリスのために10万人が出兵し、トルコのガリポリでは英仏連合軍と共に激しい戦闘をおこなった。そしておよそ2万人が戦死、さらに5万人が負傷した。これらの基本的事実や背景を踏まえた上で、著書は、
”ただ戦死者を記憶し賛美するだけではなく、第一次大戦の不当さと悲劇を強調すべきだ」と結論づけた。そのリポートに対し(担当の)デンチ先生は、「こんなエッセイはナンセンスだ。あなたの論文の中で私が賛成できることなどほとんどないし、反論することはいくらでもある。しかし論理構成には文句のつけようがない、エクセレンス(優)に値する」と云った”
歴史のエッセイやリポートは、はっきり答えが存在する数学などとことなり、評価が非常に難しい。先生の偏見のせいで、不当に低いマークがつくもともある。
”そんな中で、「私個人の意見はあるが、それはまったく関係ない。どのような論理であっても、証拠をベースに積み上げることができることが重要である」と強調するデンチ先生の姿勢は公平であると感じた。「公平」はニュージーランド人が信じる徳である”
~~~~~~~~~~~~~
クラスでの授業に加え、課外活動も多岐にわたり、いずれもきわめてレベルの高いものを感じる。またなければ、自分でクラブを立ち上げることもできる。
(ディベート)
小国ではあるが、NZはディベートの強豪国として知られている。高校生の世界ディベート選手権では3回優勝している。ちなみにオーストラリアは過去10年で8回優勝。日本は、残念ながら1回も参加していない。2007年の大会は韓国でおこなわれている。
”ディベートは日本ではなかなかできない活動のひとつだ。私はこ活動を続けることで、公衆を前にした演説、英語、論理的に議論を組み立てる能力などを向上させることができ、計り知れないほどの自信を得たし、時事問題への関心を高めることができた”
著者は、2年間ディベートクラブのメンバーとして、市のディベート選手権や全国大会の予選なでで多くの経験を積んだ。トピックは、社会や政治にかかわるものが主であるが、なかには、「親になるためには免許が必要だ」といった斬新なアイデアや「愛は私たちが必要なすべてである」といった哲学的なものもある。
こんな活動で鍛えられた連中と外交折衝や企業間の交渉にあたるのだから、ひよわな日本人は大変だ。
(模擬国連活動)もっとも多くの頁が割かれた活動であり、著者の関心の高さを示している。模擬国連の前進はアメリカのハーヴァード大学で1920年代に始まった。学生たちが各国の代表に扮し、その時々の国連で討議しているテーマについて、割り当てられた国の政府がとる現実の主張をもとに、会議で発言し、討議をまとめるものである。縁あって首都ウエリントンでの模擬国連全国大会に出席、その後オーストラリアでの国連青年会議UNYCや、おなじくオーストラリアでの模擬国連全国大会に出席などにも出る機会を得た。この会議では、捕鯨問題で悪役の役割を果たしている。一連の活動を通じ、著者は様々な人に出会い、また様々な考え方にも接している。成長のための、大きな糧となったものと思われる
著者は、ハーグでの模擬国連青年会議に参加した。その折り在ハーグのニュージーランド大使館を訪れ、そこでは大使自らがニュージーランド外交の実際の姿を紹介してくれた。1994年4月にニュージーランド国連大使であったコリン・キーティングは安全保障理事会の議長として、ルワンダでの虐殺(ジェノサイド)に言及し、ルワンダ人を救うことに消極的な大国に反対して、動いていた。最終的にルワンダの事態は「ジェノサイド」であるという議長声明は、大国の拒否権によって否決された。とはいえニュージーランド外交の「リベラルな国際主義と人道主義」の姿勢は一本筋が通っていた。著者によれば、国連憲章作成の交渉時に、大国に拒否権をあたえることに最も強力に反対したのが、第2次大戦中の首相だったピーター・フレイザーであった由。
(金融政策チャレンジ)
「金融政策チャレンジ」と呼ばれる大会は、NZの連邦準備銀行の主催する高校生むけの試みである。経済の授業を選択した生徒たちが準備銀行の総裁となり、政府の貸し出し金利(公定歩合に相当する)を決定して、それを正当化するリポートを作成、準備銀行の担当者の前でプレゼンするものである。
”リポートの締め切りは6月、実際のプレゼンは8月なのだが、私たち5人1組のチームは、4月の秋休みからミーティングを始めた。単なる経済学の知識だけではなく、刻々と変わる経済情勢をチェックする必要があり、経済政策が実際の経済にあたえる影響などについての分析も問われる”
ニュージーランドは世界でもあまり例がないインフレ・ターゲット目標を採用しているが、それを達成するための金融政策である。作成したリポート・プレゼンの審査のポイントは準備銀行の若手エコノミストとの質疑応答にある。政府の福祉政策の影響や、もしアメリカとイランの関係が悪化したらニュージーランドの経済環境はどう変わるか、といった高度の質問も出されたとか。
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後先になったが、著者がニュージーランドを選んだ理由を書いた一文を紹介して結び、としたい。。
ニュージーランドを何故選んだのかについて、著者は、原住民を征服せずに条約(ワイタンギ条約、1840年2月締結)を結んで国を作った歴史をもち、1839年には世界で初めて女性参政権と実現、1983年には世界に先駆けて包括的な社会保障制度を確立し、英国の「ゆりかごから墓場まで」政策の手本になったことなどを挙げ、偉大な国であると述べている。
”ニュージーランドの高校が充実している背景には、政府が教育を重視していることがある。ニュージーランドは理想を追求する社会であり、社会福祉でも非核政策でも環境政策でも世界の最先端を行こうとするスピリットがある。その結果、教育は観光と並んで国の重要な輸出産業となった。NZに留学する人は2005年には10万人に及び、人口の2.5%にあたる。もちろん、教育のレベルは高い。OECDの世界の学力調査では常に上位にあり、問題解決能力では世界の第5位である。”
”日本の高校ではノートと教科書をつかった記憶中心のやりかただが、NZでは
ディスカッションとエッセイ、調査を中心とするやりかたである。・・・・ニュージーランド人の価値観、それは自由にものを考え、多くの人と討論し、よりよい社会を作ろうと行動することであった。・・・私がそうであったように、ニュージーランドで学んだ多くの高校生は「目が輝いている」と言われる。・・・”
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”目が輝いている”、なんていい言葉ですね。わが日本では、どうなのでしょうか。すこし長くなりました。ご静聴を感謝いたします。
写真は、北島タウポにあるフカ・ロッジの前景。
ー高校生ニュージーランド留学記
日本の教育に不満、いや絶望感を覚えた高校生が交換留学生制度を利用してニュージーランドの高校に2年留学した。読んでいてニュージーランドの高校教育のレベルの高さ、また著者の視野の広さと知的レベルの高さに感嘆した。こんな留学を体験できたら、と羨ましく思う。
ニュージーランドといえば、まず美しい大自然を思い浮かべる。だからあの映画「ラストサムライ」も「ロード・オブ・ザリング」も、そして「ナルニア国物語」もみな野外シーンはこの国で撮影されている。
しかしその国が教育とくに中・高教育にこれほど力を注ぎ、高いレベルを誇っていることは知らなかった。著者は、高校1年の3学期にNZに留学、北島のハミルトンのボーイズハイの12年生(2年)に編入されたが、最終年次ではより優れたヒルクレスト高に移っている。
そこで著者が選択した科目の幾つかを見てみよう。(30数科目から5科目を選択すればよい)
(メディア研究)
”私がもっとも深い影響をうけたのは、メディア研究である。日本では聞き慣れない学問分野だが、メディアの深い構造を学ぶクラスである。単に新聞に書いてあることを鵜呑みにしないといった事だけでなく、幅広く、マスメディアが社会に与える直接的な影響、マスメディアが作り上げている社会について学ぶ授業だ”
メディア研究には、既存のメディアについて学ぶだけでなく、生徒たち自身でドキュメンタリーを制作するカリキュラムもある。テーマは、子供の発達に関する親の影響、知的障害者のケアなどさまざまだ。”
著者は、このメディア研究のクラスで、ミズ・アレンという教師に出会い、その語る言葉に深い感銘を受けている。すこし長くなるが、印象に残る言葉なのでここに全文を紹介する
”私はメディアについて知識をもっているから、メディアについてあなた達に伝えるけれど、だからといって私があなたたちより人間的に偉いとか、上であるなどということでは決してありません。私は、あなたたちよりも少しだけ先に進んでいるかも知れないけれども、あなたたちと同じように真理を追究する道を歩むひとりの人間です。私の人生の目的は、自分自身をよりよい人間にするための道をつづけること、そして生徒たちに私が歩んできた道をしめして、一緒に旅をすることです。社会をつくるのはすべての人なのなのだから、教育の重要性を強調しすぎることはありません。市民がメディアや広告の重要性に気づき、批判的に分析するようになれば、社会は劇的に変わるでしょう。それを実現させるのが私の使命だと思っています。あなたたちとともに、この世界を少しでもよりよい場所にするにはどうしたらよいか、一緒に考えて行きたい、それが私の教師としてできることです”
(古典研究) (西欧をつくったギリシャ・ローマを学ぶ)では、バートランド・ラッセルの「西洋哲学史」が当然のように出てくるし、プラトンの書いた「ソクラテスの弁明」やウエルギリウスの叙事詩「アエアネス」についても詳しくのべられており、それも現在の価値観との対比まで述べている。かなりのレベルの高さに驚く。それらを研究した著書は、こんなことを言っている。
”私は必ずしもソクラテスのように言論の自由に反する不当な判決に進んで従うことが、倫理的に正しいとは思わないが、彼の哲学でもっとも感銘をうけるのは『クリトン』に書かれた「倫理への不動の信念」である。彼にとって公正に生きることだけが生きるに値する人生なのだ”
注)プラトンの書いた『ソクラテスの弁明』の中で、彼がアテネ陪審員の下した死刑判決に従った理由が、おなじプラトンの著『クリトン」に述べられている。
このソクラテスの言葉を、吉兆の経営にも聴かせたいですね。
(歴史ーニュージーランド史)
3年生の歴史の授業では、年に1回リポートを書く大きな課題がある。長さは200ワードほどであるが、綿密に計画をたて、それに従って調査をしたうえで2ヶ月ほどかけてリポートを作成する。今回、著者が与えられたテーマは「第一次大戦の戦争記念碑の意味を分析し、今後のありかたについての提言を書く」というものであった。
”過去の戦争の扱いはどの国にとっても重要な問題であり、政治的な問題であり 、国としてのアイデンティティの根幹にも深くかかわる問題である”
第一次大戦で、NZはイギリスのために10万人が出兵し、トルコのガリポリでは英仏連合軍と共に激しい戦闘をおこなった。そしておよそ2万人が戦死、さらに5万人が負傷した。これらの基本的事実や背景を踏まえた上で、著書は、
”ただ戦死者を記憶し賛美するだけではなく、第一次大戦の不当さと悲劇を強調すべきだ」と結論づけた。そのリポートに対し(担当の)デンチ先生は、「こんなエッセイはナンセンスだ。あなたの論文の中で私が賛成できることなどほとんどないし、反論することはいくらでもある。しかし論理構成には文句のつけようがない、エクセレンス(優)に値する」と云った”
歴史のエッセイやリポートは、はっきり答えが存在する数学などとことなり、評価が非常に難しい。先生の偏見のせいで、不当に低いマークがつくもともある。
”そんな中で、「私個人の意見はあるが、それはまったく関係ない。どのような論理であっても、証拠をベースに積み上げることができることが重要である」と強調するデンチ先生の姿勢は公平であると感じた。「公平」はニュージーランド人が信じる徳である”
~~~~~~~~~~~~~
クラスでの授業に加え、課外活動も多岐にわたり、いずれもきわめてレベルの高いものを感じる。またなければ、自分でクラブを立ち上げることもできる。
(ディベート)
小国ではあるが、NZはディベートの強豪国として知られている。高校生の世界ディベート選手権では3回優勝している。ちなみにオーストラリアは過去10年で8回優勝。日本は、残念ながら1回も参加していない。2007年の大会は韓国でおこなわれている。
”ディベートは日本ではなかなかできない活動のひとつだ。私はこ活動を続けることで、公衆を前にした演説、英語、論理的に議論を組み立てる能力などを向上させることができ、計り知れないほどの自信を得たし、時事問題への関心を高めることができた”
著者は、2年間ディベートクラブのメンバーとして、市のディベート選手権や全国大会の予選なでで多くの経験を積んだ。トピックは、社会や政治にかかわるものが主であるが、なかには、「親になるためには免許が必要だ」といった斬新なアイデアや「愛は私たちが必要なすべてである」といった哲学的なものもある。
こんな活動で鍛えられた連中と外交折衝や企業間の交渉にあたるのだから、ひよわな日本人は大変だ。
(模擬国連活動)もっとも多くの頁が割かれた活動であり、著者の関心の高さを示している。模擬国連の前進はアメリカのハーヴァード大学で1920年代に始まった。学生たちが各国の代表に扮し、その時々の国連で討議しているテーマについて、割り当てられた国の政府がとる現実の主張をもとに、会議で発言し、討議をまとめるものである。縁あって首都ウエリントンでの模擬国連全国大会に出席、その後オーストラリアでの国連青年会議UNYCや、おなじくオーストラリアでの模擬国連全国大会に出席などにも出る機会を得た。この会議では、捕鯨問題で悪役の役割を果たしている。一連の活動を通じ、著者は様々な人に出会い、また様々な考え方にも接している。成長のための、大きな糧となったものと思われる
著者は、ハーグでの模擬国連青年会議に参加した。その折り在ハーグのニュージーランド大使館を訪れ、そこでは大使自らがニュージーランド外交の実際の姿を紹介してくれた。1994年4月にニュージーランド国連大使であったコリン・キーティングは安全保障理事会の議長として、ルワンダでの虐殺(ジェノサイド)に言及し、ルワンダ人を救うことに消極的な大国に反対して、動いていた。最終的にルワンダの事態は「ジェノサイド」であるという議長声明は、大国の拒否権によって否決された。とはいえニュージーランド外交の「リベラルな国際主義と人道主義」の姿勢は一本筋が通っていた。著者によれば、国連憲章作成の交渉時に、大国に拒否権をあたえることに最も強力に反対したのが、第2次大戦中の首相だったピーター・フレイザーであった由。
(金融政策チャレンジ)
「金融政策チャレンジ」と呼ばれる大会は、NZの連邦準備銀行の主催する高校生むけの試みである。経済の授業を選択した生徒たちが準備銀行の総裁となり、政府の貸し出し金利(公定歩合に相当する)を決定して、それを正当化するリポートを作成、準備銀行の担当者の前でプレゼンするものである。
”リポートの締め切りは6月、実際のプレゼンは8月なのだが、私たち5人1組のチームは、4月の秋休みからミーティングを始めた。単なる経済学の知識だけではなく、刻々と変わる経済情勢をチェックする必要があり、経済政策が実際の経済にあたえる影響などについての分析も問われる”
ニュージーランドは世界でもあまり例がないインフレ・ターゲット目標を採用しているが、それを達成するための金融政策である。作成したリポート・プレゼンの審査のポイントは準備銀行の若手エコノミストとの質疑応答にある。政府の福祉政策の影響や、もしアメリカとイランの関係が悪化したらニュージーランドの経済環境はどう変わるか、といった高度の質問も出されたとか。
~~~~~~~~~~~~~~~
後先になったが、著者がニュージーランドを選んだ理由を書いた一文を紹介して結び、としたい。。
ニュージーランドを何故選んだのかについて、著者は、原住民を征服せずに条約(ワイタンギ条約、1840年2月締結)を結んで国を作った歴史をもち、1839年には世界で初めて女性参政権と実現、1983年には世界に先駆けて包括的な社会保障制度を確立し、英国の「ゆりかごから墓場まで」政策の手本になったことなどを挙げ、偉大な国であると述べている。
”ニュージーランドの高校が充実している背景には、政府が教育を重視していることがある。ニュージーランドは理想を追求する社会であり、社会福祉でも非核政策でも環境政策でも世界の最先端を行こうとするスピリットがある。その結果、教育は観光と並んで国の重要な輸出産業となった。NZに留学する人は2005年には10万人に及び、人口の2.5%にあたる。もちろん、教育のレベルは高い。OECDの世界の学力調査では常に上位にあり、問題解決能力では世界の第5位である。”
”日本の高校ではノートと教科書をつかった記憶中心のやりかただが、NZでは
ディスカッションとエッセイ、調査を中心とするやりかたである。・・・・ニュージーランド人の価値観、それは自由にものを考え、多くの人と討論し、よりよい社会を作ろうと行動することであった。・・・私がそうであったように、ニュージーランドで学んだ多くの高校生は「目が輝いている」と言われる。・・・”
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”目が輝いている”、なんていい言葉ですね。わが日本では、どうなのでしょうか。すこし長くなりました。ご静聴を感謝いたします。
写真は、北島タウポにあるフカ・ロッジの前景。