エッセイ 「秋思」のこと~高橋治の『ひと恋ひ歳時記』から
句会で<愁思>という言葉を読み込んだ人がいた。もちろん季語として「愁思」という言葉はない。「秋思」である。しかし、その人の心情はわからぬでもない。秋は、人生のさびしさに触れることが多い季節である。
”緘の字をもって秋思を封じけり” (水越菖石)
その秋思の季節も、そろそろ終わりかける。そこで秋思について少し書いてみた。
好きな作家に高橋治という人がいる。(高は、正確にはハシゴ高)このブログでも時々引用させていただいている)高橋治は、映画監督にして小説作家。名作『風の盆恋歌』から始まって『絢爛たる影絵』『紺青の鈴』『秘伝』『別れてのちの恋歌』『春朧』などなど。ほとんどが男女の恋とその心の機微を独特の筆致で描き出す。私が、熱烈な高橋ファンであるのには、もう一つ別な理由がある。それは、彼が俳句に関するエッセイの名手であるからである。自分では、どうも句を詠まれないようだが、よくぞここまでと思うほど、さまざまな俳句を渉猟し、それらを文の中に散りばめる。「木々百花撰」「くさぐさの」「旬の菜慈記」「ささやき歳時記」そして今日、引用する「ひと恋い歳時記」、句の解説は一切ない。ところが只一冊『蕪村春秋』は例外。蕪村の句に、ある意味言いたい放題の解説・批評をつけくわえる。これを手にして以来、私の蕪村熱は燃え上がり、大枚をはたいて『蕪村全集』(講談社、全9巻)を買い揃えたくらいである。女房には、値段のことは言っていない。
”ゆくはるや同車の君のささめごと”
これにつけた治(おさむ)さんの文、
”蕪村ファンをいやがうえにも熱狂させる一句である。・・・王朝ものの傑作である。王朝である以上、車が牛車(ぎっしゃ)なのはいうまでもない。しかし、馬車だろうがタクシーだろうが、ランボルギーニだろうが、このまま通じてしまうところが、蕪村の恐ろしさなのだろう洋の東西も問わない。肌寒さ残る夜、金髪の美女の両手はマフの中、肩をぶつけ耳もとになにか囁いてくる・・・ととっても少しも妙ではない。だから、なんとも妙だ。
いや脱線してしまった。「秋思」の話であった。治さんの著、『ひと恋い歳時記』に「秋思」という一節がある。その前に「春愁」という文もある。そこで彼は、こう云っている。
”春愁といい秋思というが、もの思うのは春秋に限るまいにとの疑問にとりつ
かれたのだ。夏安居(げあんご)の中でも人はものを考えるだろう。冬籠りともなれば、
苦楽、来し方行く末、様々ななものが去来するに違いない”
「秋思」の一節は、野見山朱鳥の句で始まる。
”永劫の涯に火燃ゆる秋思かな” (朱鳥(あすか))
”もの思いは春秋に限ったことではないだろう。とはいえ、春愁・秋思の両語はいかにも語呂がよく、裏側に秘めている意味が大きいものみ思える。『古今集』の「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」という歌や「もののあはれは秋こそまされ」と誰でも知っている『徒然草』の中の一節などが、秋思の語を我々に親しいものにしている一面があることは見逃せない。そうした伝統を否定するわけではない。物思う秋も、それなりによくわかる気がするのだが、どこかに反発したいものが残ってしまう。春は次に夏を控えた季節だから、愁い多き日々であってもまだ許せる気がする。だが、秋は先に冬枯れが待っているだけに、秋思の中に閉じこもってしまうのは、いかんせん先細りでかなわないという気持ちにさせられる。”
ー同感である。何も秋に愁いなんか持たなくてもいいのではないか。果物などみても豊穣の秋、秋鯖は旨いし、秋味も。なにせ秋渇きだ。酒も新走りが出てくる。登高という行事もあって、赤い袋にはじかみを入れて菊酒に浸し、高い山に登って飲めば災いや厄も払うことができる。だから・・・。
”秋思わが老樹の肌をかい撫でて” (冨安風生)”
小学校、中学校の同窓会には、話題がただ所帯じみて、いんいん滅滅たる方向に向かってゆく、とあまり顔を向けない治さんだが、旧制高校の同窓会だけは違うという。いつまでたっても、もう後輩は入ってこないので、顔をだせば80歳、90歳という先輩たちから「おい、若者」と呼ばれて雑用を仰せ付けられる。65、6歳にして”若者”と呼ばれるのは爽快だからという。
”だが、若い老樹の私たちからみて、まさに老樹そのものである人々から、自分たちが過ごしてきた人生を語り聞かされるのは、それはそれで得難いチャンスなのである。お前らの人生はこれからだぞといわれているような気がして、身内にエネルギーが注ぎ込まれるように思えるからだ。”
高橋治は、ある大企業の草創期の社長が行った文化的な活動を調べているうちに、今は第一線を退いた経営者ふたりと会うことになった。そして、阪神大震災のおりに150メートルの高さの本社ビルがガラス一枚割れなかった話を聞く。”ビルの建築に関して地下に杭を打ち込むかどうかの決断を、そのトップはした。技術者としての彼の生命をかけた決断は、詳細に地盤調査をした結果、杭を打ち込む必要はないと結論を彼は出した。ビル全体の揺れは、わずか数ミリで止まったという。自信に満ちた決断をしたという誇りが彼の表情から見て取れた。彼の眼には、老いも秋思も受けつけないぞと言わんばかりの力強さがあった。もう一人は、社長、会長と最高責任者を経験した末に、現在相談役の立場にある人。82,3歳にもなるが、一時は松葉杖をつかなけれな歩行も不自由であった身体を、毎日プールを2,3キロ歩くことによって、杖どころか歩行に何の不自由もない体に戻した。焼酎をぐいぐいあおりながら、語る姿には年齢などどこに置き忘れてきたのか、青年そのものにしか思えなかった。会社に残る記録をできるだけ調べあげて、資料を渡すと約束した、その対応は3~40歳の若さでもなかなか持てないような知的好奇心に溢れたものだった。”
”木の秋思石の秋思の仏たち” (石田濁水)
”秋思は元来、中国からもたらされた言葉で、政治の世界に処する男性の悲しみだとされている。男の生き方に伴う様々な喜怒哀楽をこの言葉によって表現したのだろう。それが日本に移って、かなり情緒的な側面が加えられる。つまり、本来知や行動の世界を表す言葉だったものに、日本人が情の側面を加えたといったらよいだろうか。しかし、この二人に関する限り、日本的な変化を加えられた秋思などの概念はほとんど通用しないような気がした。”
”漁火のひときは明き秋思かな” (鈴木真砂女)
さらに高橋治は語りつづける。
”二人にお会いして強く感銘を受けたのは、この年齢であればこうであれば当然だと一般の人が考える姿を、二人とも頑強に拒絶しつづけているということだろう。いい方を変えれば、老いを自分が引き寄せるか、老いが引き寄せようとする動きを厳しく拒むか、そのどちらかの選択によって、人生は変わって行く。そういうべきかも知れない。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いや治大兄、先輩のお言葉にすっかり共感させて頂きました! 運命を引きずり回して生きていきたいですね。 というような訳で、私に取っての秋は「食欲の秋」「旅の秋」「詩華の生まれる秋」「行楽の秋」・・という次第。秋思・春愁のような、後ろ向きのこととは無縁と云いたいのである。
しかし、分からない。この歳になって万が一、”人恋い”、というような事態が生じたりしたら、「秋思」の想いを抱きつつ句を詠むかも知れぬ。それまでは想像句にしか過ぎない。
”秋思また遂げざる恋や雨の音” (ゆらぎ)
長らくのご静聴ありがとうございました。
句会で<愁思>という言葉を読み込んだ人がいた。もちろん季語として「愁思」という言葉はない。「秋思」である。しかし、その人の心情はわからぬでもない。秋は、人生のさびしさに触れることが多い季節である。
”緘の字をもって秋思を封じけり” (水越菖石)
その秋思の季節も、そろそろ終わりかける。そこで秋思について少し書いてみた。
好きな作家に高橋治という人がいる。(高は、正確にはハシゴ高)このブログでも時々引用させていただいている)高橋治は、映画監督にして小説作家。名作『風の盆恋歌』から始まって『絢爛たる影絵』『紺青の鈴』『秘伝』『別れてのちの恋歌』『春朧』などなど。ほとんどが男女の恋とその心の機微を独特の筆致で描き出す。私が、熱烈な高橋ファンであるのには、もう一つ別な理由がある。それは、彼が俳句に関するエッセイの名手であるからである。自分では、どうも句を詠まれないようだが、よくぞここまでと思うほど、さまざまな俳句を渉猟し、それらを文の中に散りばめる。「木々百花撰」「くさぐさの」「旬の菜慈記」「ささやき歳時記」そして今日、引用する「ひと恋い歳時記」、句の解説は一切ない。ところが只一冊『蕪村春秋』は例外。蕪村の句に、ある意味言いたい放題の解説・批評をつけくわえる。これを手にして以来、私の蕪村熱は燃え上がり、大枚をはたいて『蕪村全集』(講談社、全9巻)を買い揃えたくらいである。女房には、値段のことは言っていない。
”ゆくはるや同車の君のささめごと”
これにつけた治(おさむ)さんの文、
”蕪村ファンをいやがうえにも熱狂させる一句である。・・・王朝ものの傑作である。王朝である以上、車が牛車(ぎっしゃ)なのはいうまでもない。しかし、馬車だろうがタクシーだろうが、ランボルギーニだろうが、このまま通じてしまうところが、蕪村の恐ろしさなのだろう洋の東西も問わない。肌寒さ残る夜、金髪の美女の両手はマフの中、肩をぶつけ耳もとになにか囁いてくる・・・ととっても少しも妙ではない。だから、なんとも妙だ。
いや脱線してしまった。「秋思」の話であった。治さんの著、『ひと恋い歳時記』に「秋思」という一節がある。その前に「春愁」という文もある。そこで彼は、こう云っている。
”春愁といい秋思というが、もの思うのは春秋に限るまいにとの疑問にとりつ
かれたのだ。夏安居(げあんご)の中でも人はものを考えるだろう。冬籠りともなれば、
苦楽、来し方行く末、様々ななものが去来するに違いない”
「秋思」の一節は、野見山朱鳥の句で始まる。
”永劫の涯に火燃ゆる秋思かな” (朱鳥(あすか))
”もの思いは春秋に限ったことではないだろう。とはいえ、春愁・秋思の両語はいかにも語呂がよく、裏側に秘めている意味が大きいものみ思える。『古今集』の「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」という歌や「もののあはれは秋こそまされ」と誰でも知っている『徒然草』の中の一節などが、秋思の語を我々に親しいものにしている一面があることは見逃せない。そうした伝統を否定するわけではない。物思う秋も、それなりによくわかる気がするのだが、どこかに反発したいものが残ってしまう。春は次に夏を控えた季節だから、愁い多き日々であってもまだ許せる気がする。だが、秋は先に冬枯れが待っているだけに、秋思の中に閉じこもってしまうのは、いかんせん先細りでかなわないという気持ちにさせられる。”
ー同感である。何も秋に愁いなんか持たなくてもいいのではないか。果物などみても豊穣の秋、秋鯖は旨いし、秋味も。なにせ秋渇きだ。酒も新走りが出てくる。登高という行事もあって、赤い袋にはじかみを入れて菊酒に浸し、高い山に登って飲めば災いや厄も払うことができる。だから・・・。
”秋思わが老樹の肌をかい撫でて” (冨安風生)”
小学校、中学校の同窓会には、話題がただ所帯じみて、いんいん滅滅たる方向に向かってゆく、とあまり顔を向けない治さんだが、旧制高校の同窓会だけは違うという。いつまでたっても、もう後輩は入ってこないので、顔をだせば80歳、90歳という先輩たちから「おい、若者」と呼ばれて雑用を仰せ付けられる。65、6歳にして”若者”と呼ばれるのは爽快だからという。
”だが、若い老樹の私たちからみて、まさに老樹そのものである人々から、自分たちが過ごしてきた人生を語り聞かされるのは、それはそれで得難いチャンスなのである。お前らの人生はこれからだぞといわれているような気がして、身内にエネルギーが注ぎ込まれるように思えるからだ。”
高橋治は、ある大企業の草創期の社長が行った文化的な活動を調べているうちに、今は第一線を退いた経営者ふたりと会うことになった。そして、阪神大震災のおりに150メートルの高さの本社ビルがガラス一枚割れなかった話を聞く。”ビルの建築に関して地下に杭を打ち込むかどうかの決断を、そのトップはした。技術者としての彼の生命をかけた決断は、詳細に地盤調査をした結果、杭を打ち込む必要はないと結論を彼は出した。ビル全体の揺れは、わずか数ミリで止まったという。自信に満ちた決断をしたという誇りが彼の表情から見て取れた。彼の眼には、老いも秋思も受けつけないぞと言わんばかりの力強さがあった。もう一人は、社長、会長と最高責任者を経験した末に、現在相談役の立場にある人。82,3歳にもなるが、一時は松葉杖をつかなけれな歩行も不自由であった身体を、毎日プールを2,3キロ歩くことによって、杖どころか歩行に何の不自由もない体に戻した。焼酎をぐいぐいあおりながら、語る姿には年齢などどこに置き忘れてきたのか、青年そのものにしか思えなかった。会社に残る記録をできるだけ調べあげて、資料を渡すと約束した、その対応は3~40歳の若さでもなかなか持てないような知的好奇心に溢れたものだった。”
”木の秋思石の秋思の仏たち” (石田濁水)
”秋思は元来、中国からもたらされた言葉で、政治の世界に処する男性の悲しみだとされている。男の生き方に伴う様々な喜怒哀楽をこの言葉によって表現したのだろう。それが日本に移って、かなり情緒的な側面が加えられる。つまり、本来知や行動の世界を表す言葉だったものに、日本人が情の側面を加えたといったらよいだろうか。しかし、この二人に関する限り、日本的な変化を加えられた秋思などの概念はほとんど通用しないような気がした。”
”漁火のひときは明き秋思かな” (鈴木真砂女)
さらに高橋治は語りつづける。
”二人にお会いして強く感銘を受けたのは、この年齢であればこうであれば当然だと一般の人が考える姿を、二人とも頑強に拒絶しつづけているということだろう。いい方を変えれば、老いを自分が引き寄せるか、老いが引き寄せようとする動きを厳しく拒むか、そのどちらかの選択によって、人生は変わって行く。そういうべきかも知れない。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いや治大兄、先輩のお言葉にすっかり共感させて頂きました! 運命を引きずり回して生きていきたいですね。 というような訳で、私に取っての秋は「食欲の秋」「旅の秋」「詩華の生まれる秋」「行楽の秋」・・という次第。秋思・春愁のような、後ろ向きのこととは無縁と云いたいのである。
しかし、分からない。この歳になって万が一、”人恋い”、というような事態が生じたりしたら、「秋思」の想いを抱きつつ句を詠むかも知れぬ。それまでは想像句にしか過ぎない。
”秋思また遂げざる恋や雨の音” (ゆらぎ)
長らくのご静聴ありがとうございました。