(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ/読書 「秋思」のこと~高橋治の『ひと恋ひ歳時記』を読みながら

2013-10-26 | 読書
エッセイ 「秋思」のこと~高橋治の『ひと恋ひ歳時記』から

 句会で<愁思>という言葉を読み込んだ人がいた。もちろん季語として「愁思」という言葉はない。「秋思」である。しかし、その人の心情はわからぬでもない。秋は、人生のさびしさに触れることが多い季節である。

 ”緘の字をもって秋思を封じけり” (水越菖石)

その秋思の季節も、そろそろ終わりかける。そこで秋思について少し書いてみた。

 好きな作家に高橋治という人がいる。(高は、正確にはハシゴ高)このブログでも時々引用させていただいている)高橋治は、映画監督にして小説作家。名作『風の盆恋歌』から始まって『絢爛たる影絵』『紺青の鈴』『秘伝』『別れてのちの恋歌』『春朧』などなど。ほとんどが男女の恋とその心の機微を独特の筆致で描き出す。私が、熱烈な高橋ファンであるのには、もう一つ別な理由がある。それは、彼が俳句に関するエッセイの名手であるからである。自分では、どうも句を詠まれないようだが、よくぞここまでと思うほど、さまざまな俳句を渉猟し、それらを文の中に散りばめる。「木々百花撰」「くさぐさの」「旬の菜慈記」「ささやき歳時記」そして今日、引用する「ひと恋い歳時記」、句の解説は一切ない。ところが只一冊『蕪村春秋』は例外。蕪村の句に、ある意味言いたい放題の解説・批評をつけくわえる。これを手にして以来、私の蕪村熱は燃え上がり、大枚をはたいて『蕪村全集』(講談社、全9巻)を買い揃えたくらいである。女房には、値段のことは言っていない。

  ”ゆくはるや同車の君のささめごと”

これにつけた治(おさむ)さんの文、

 ”蕪村ファンをいやがうえにも熱狂させる一句である。・・・王朝ものの傑作である。王朝である以上、車が牛車(ぎっしゃ)なのはいうまでもない。しかし、馬車だろうがタクシーだろうが、ランボルギーニだろうが、このまま通じてしまうところが、蕪村の恐ろしさなのだろう洋の東西も問わない。肌寒さ残る夜、金髪の美女の両手はマフの中、肩をぶつけ耳もとになにか囁いてくる・・・ととっても少しも妙ではない。だから、なんとも妙だ。

 いや脱線してしまった。「秋思」の話であった。治さんの著、『ひと恋い歳時記』に「秋思」という一節がある。その前に「春愁」という文もある。そこで彼は、こう云っている。

 ”春愁といい秋思というが、もの思うのは春秋に限るまいにとの疑問にとりつ
  かれたのだ。夏安居(げあんご)の中でも人はものを考えるだろう。冬籠りともなれば、
  苦楽、来し方行く末、様々ななものが去来するに違いない”

「秋思」の一節は、野見山朱鳥の句で始まる。

  ”永劫の涯に火燃ゆる秋思かな” (朱鳥(あすか))

 ”もの思いは春秋に限ったことではないだろう。とはいえ、春愁・秋思の両語はいかにも語呂がよく、裏側に秘めている意味が大きいものみ思える。『古今集』の「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」という歌や「もののあはれは秋こそまされ」と誰でも知っている『徒然草』の中の一節などが、秋思の語を我々に親しいものにしている一面があることは見逃せない。そうした伝統を否定するわけではない。物思う秋も、それなりによくわかる気がするのだが、どこかに反発したいものが残ってしまう。春は次に夏を控えた季節だから、愁い多き日々であってもまだ許せる気がする。だが、秋は先に冬枯れが待っているだけに、秋思の中に閉じこもってしまうのは、いかんせん先細りでかなわないという気持ちにさせられる。”

 ー同感である。何も秋に愁いなんか持たなくてもいいのではないか。果物などみても豊穣の秋、秋鯖は旨いし、秋味も。なにせ秋渇きだ。酒も新走りが出てくる。登高という行事もあって、赤い袋にはじかみを入れて菊酒に浸し、高い山に登って飲めば災いや厄も払うことができる。だから・・・。

   ”秋思わが老樹の肌をかい撫でて” (冨安風生)”

小学校、中学校の同窓会には、話題がただ所帯じみて、いんいん滅滅たる方向に向かってゆく、とあまり顔を向けない治さんだが、旧制高校の同窓会だけは違うという。いつまでたっても、もう後輩は入ってこないので、顔をだせば80歳、90歳という先輩たちから「おい、若者」と呼ばれて雑用を仰せ付けられる。65、6歳にして”若者”と呼ばれるのは爽快だからという。

 ”だが、若い老樹の私たちからみて、まさに老樹そのものである人々から、自分たちが過ごしてきた人生を語り聞かされるのは、それはそれで得難いチャンスなのである。お前らの人生はこれからだぞといわれているような気がして、身内にエネルギーが注ぎ込まれるように思えるからだ。”

 高橋治は、ある大企業の草創期の社長が行った文化的な活動を調べているうちに、今は第一線を退いた経営者ふたりと会うことになった。そして、阪神大震災のおりに150メートルの高さの本社ビルがガラス一枚割れなかった話を聞く。”ビルの建築に関して地下に杭を打ち込むかどうかの決断を、そのトップはした。技術者としての彼の生命をかけた決断は、詳細に地盤調査をした結果、杭を打ち込む必要はないと結論を彼は出した。ビル全体の揺れは、わずか数ミリで止まったという。自信に満ちた決断をしたという誇りが彼の表情から見て取れた。彼の眼には、老いも秋思も受けつけないぞと言わんばかりの力強さがあった。もう一人は、社長、会長と最高責任者を経験した末に、現在相談役の立場にある人。82,3歳にもなるが、一時は松葉杖をつかなけれな歩行も不自由であった身体を、毎日プールを2,3キロ歩くことによって、杖どころか歩行に何の不自由もない体に戻した。焼酎をぐいぐいあおりながら、語る姿には年齢などどこに置き忘れてきたのか、青年そのものにしか思えなかった。会社に残る記録をできるだけ調べあげて、資料を渡すと約束した、その対応は3~40歳の若さでもなかなか持てないような知的好奇心に溢れたものだった。”

 ”木の秋思石の秋思の仏たち” (石田濁水)

”秋思は元来、中国からもたらされた言葉で、政治の世界に処する男性の悲しみだとされている。男の生き方に伴う様々な喜怒哀楽をこの言葉によって表現したのだろう。それが日本に移って、かなり情緒的な側面が加えられる。つまり、本来知や行動の世界を表す言葉だったものに、日本人が情の側面を加えたといったらよいだろうか。しかし、この二人に関する限り、日本的な変化を加えられた秋思などの概念はほとんど通用しないような気がした。”

 ”漁火のひときは明き秋思かな” (鈴木真砂女)

さらに高橋治は語りつづける。

”二人にお会いして強く感銘を受けたのは、この年齢であればこうであれば当然だと一般の人が考える姿を、二人とも頑強に拒絶しつづけているということだろう。いい方を変えれば、老いを自分が引き寄せるか、老いが引き寄せようとする動きを厳しく拒むか、そのどちらかの選択によって、人生は変わって行く。そういうべきかも知れない。”

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いや治大兄、先輩のお言葉にすっかり共感させて頂きました! 運命を引きずり回して生きていきたいですね。 というような訳で、私に取っての秋は「食欲の秋」「旅の秋」「詩華の生まれる秋」「行楽の秋」・・という次第。秋思・春愁のような、後ろ向きのこととは無縁と云いたいのである。

しかし、分からない。この歳になって万が一、”人恋い”、というような事態が生じたりしたら、「秋思」の想いを抱きつつ句を詠むかも知れぬ。それまでは想像句にしか過ぎない。

    ”秋思また遂げざる恋や雨の音” (ゆらぎ)

 長らくのご静聴ありがとうございました。






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エッセイ 「家族おでん」~かおり風景

2013-10-19 | 読書
エッセイ 「家族おでん」~かおり風景

 以前に「アメリカの心」(原題 グレー・マター)という企業広告をご紹介したことがあります。イシュー広告とも呼ばれ、その企業の製品の宣伝ではなく、人々の心に訴えるような、一種のイメージ広告です。広告それ自体で、創造価値に満ち、人のインスピレーションをかきたて、これまでの価値観を揺り動かすようなものです。この「グレー・マター」は、さらに人に人生の喜びの体験を呼び覚ます、また生きる姿勢を考え
させてくれます。これは、アメリカの複合企業、ユナイテッド・テクノロジー・コーポレーション(UTC)が、ウオールストリート/ジャーナル紙に打った広告を集めたもので、今でも最高のイシュー広告だと思っています。

 日本の広告でも、そのようなものがいくつかあります。日経などの新聞に見られる新宿伊勢丹の広告も、なかなか洒落ています。ブログ「星を語る」で、星守の短文をご紹介しました。今回ご紹介するのは、京都の香りの老舗松榮堂のものです。この店は、なかなかユニークです。<源氏かをり抄>という香りの製品があって、その中には「箒木(ははきぎ)品定め」というのがあって、光源氏の部屋に男たちが集まって、どのような女性がいいか雨夜の品定めをする、それににちなんで4種類の香りがセットされています。

 この店では、なにかしら香りに関する風景を書いた短文を募集。その中から、「香り・大賞」が選定され、紙上に発表されたり、冊子に載ったりしています。今回は、第27回の「香り大賞」に選ばれた作品を見ることにします。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
かをり風景~家族おでん

 五年前の冬の日、スーツの僕はカチコチに緊張して廊下を歩いていた。
 「お父さん、いらっしゃったわよ!」
 僕の義母となる人が座敷の前で止まり、にこやかに言う。
 隣の彼女をちらと伺うと、いつものようににこにこ笑っている。結婚の挨拶という人生 の一大事を前に、女は強しと思い知る。
 ー父さんは少し変わってるから。
  行きの車中での彼女の言葉が頭に浮かび、再度身が強張る。
 「し、失礼します」
  ままよと座敷のふすまを開けた。黒スーツ、正座のガッシリした男性が目に入った。 「・・・どうぞ」
  こちらも見ずに、座布団を指す義父。予想以上の威厳にすくむ僕。
  僕は低頭しながら前に進み、考えていた口上を言おうと、頭をあげた。
 「あの、今回」
 「まあまあ」
 「は?」
 「まあま。お母さん、用意して。お前も手伝いなさい。
  出鼻をくじかれ呆ける僕を尻目に、義母と彼女がはいはい、と座敷を出ていく。
  二人になった。重い沈黙がおりてくる。
 「あの」
 「まあまあ。君は、おでんは好きですか」
  挨拶もまだなのに。何を言い出すんだこの人は。
 「はあ、好きですが・・・」
 「そうですが、それはよかった」
  何がいいのかわからぬまま、また沈默。
  気まずさに耐えかね、再び口を開こうとしたその時だった。
 「はいはい、お待たせしました」
  襖の開いた先に、義母と嫁さんが大きな鍋をもって立っていた。
 「うちのおでんは、旨いです」
  そう言って義父は、机に運ばれた鍋の蓋を開けた。
  冷い座敷に、白い湯気と一緒にかつをの匂いがふわあと、ひろがる。
 「ま、食べましょう」
  出汁の温かい香りと、義父の見せた笑顔。緊張がするする解けていくのがわかった。 
  大根、卵、竹輪、牛すじ、蛸。実に旨かった。ビールまでご馳走になった。
  皆で同じ鍋をつつきながら、笑って自己紹介とご挨拶をした。
  
  鍋が空になる頃、赤い顔の義父が言った。
 「いろん具が入って、いい味になるんです」
  不器用なOKが、身にしみた。

  あれから五年。家族になった僕は、必ず帰省時におでんをリクエストする。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いい情景ですね。最後のオヤジさんの言葉がいいね。企業経営にも当てはまるような含蓄のある言葉。言われてみたかった。

 余談ですが、この松榮堂のウエブサイトに、「薫々語録」というのがあり、とても味わい深い文が見られます。



 

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時評 本を買いに行きたくなる書店~代官山蔦屋書店

2013-10-13 | 読書
読書/時評 代官山蔦屋書店


 前から行ってみたいと思っていた。『世界で最も美しい書店』というDVDがあって、素敵な映像が流れていた。四つの個性的な書店が紹介されている。その掉尾を飾るのが、この蔦屋書店であった。渋谷から東横線に乗って一駅目。旧山手通りに沿って歩き、ヒルサイドテラスを過ぎると緑の木立に囲まれた3棟の白亜の建物群が現れた。コンセプトは、森の図書館。中は広く、天井も高く、明るい。そしてまさに汗牛充棟、ありとあらゆるジャンルの書籍で埋めつくされていた。
          
                     

音楽・映像関連のコーナー、旅のコンシェルジュまであった。。飛び込んですぐにデザインのコーナーへ。ここで『日本の文様』という本を買った。『希望をくれる人に僕は会いたい』という写真家・若木信吾のエッセイも。

     

音樂のコーナーではちょっと上等な装置で試聴できる。眺めのいい窓辺で珈琲を飲みながら、「森のバート・バカラック」というアコースティックなサウンドを聞く。フロアの一角に流れる音樂はマッキントッシュのアンプとマランツのCDプレーヤーが奏でている。。2階にあるラウンジAnjinでは食事もお茶も。それに嬉しいことに朝からシャンパンが呑めるのである。朝から飲んで、いいのかなあ? すっかり長滞在し、本やCD、DVDを詰めこんだ紙袋はずしりと重くなった。

         


もう少し、ここの特徴を述べる。座るところが一杯あり、本を読みながらくつろげる。2階には音楽・映像のコーナーが。「ない映画がない」という。また60年代から80年代のジャズ・ロック・ポップスの品揃えは圧倒的だ。コールマン・ホーキンス(テナー・サックス)の「ジェリコの戦い」を手に入れた。コンシェルジュが相談にも乗ってくれる。勘定をする段になると、デスクのうえにCDやDVを置くだけ。バーコードを読み取る風情もない。聞けば、デスクの板の下に特殊な読取り装置があるとか。すすんでいる。また楽譜のコピーまでしてくれる。

ラウンジAnjinでは、平凡パンチ創刊号やポパイなど今やヴィンテージとなった珍しい雑誌を見ることができる。もちろん英語の雑誌も。そして何と言っても最大の特徴は、コンシェルジュと呼ばれる本のスペシャリストが相談に乗ってくれることだ。たとえば、「美しきアメリカ」というテーマで本を頼むと、コンシェルジュの森本さんは、「ルート66 再び」という本を奨めてくれる。廃線になる前、森本さんは、このルートを走っているのだ。見ていると、当時のアメリカの活気が甦るようだ。文学のコンシェルジュの間室さんは、アメリカの移民文学の本を出してくる。いやあ、よろしなあ!

          

この本屋は、朝の7時から夜中の2時までオープンしている。お腹がすけば、すぐとなりにカフェもあるし、本格的に食べたいとなれば、道を隔てて<リストランテASO>という洒落たレストランもある。 

         
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

2011年にオープンした蔦屋書店、まことにユニークな存在だ。一体どういう経緯で、できたのか、またどういうコンセプトで創りり上げたのか。1983年、大阪・枚方(ひらかた)に生まれた蔦屋書店は「本、映画、音楽を通じてライフサウタイルを提案することを目指した。それから30年今一度、開業当時に抱いた夢と向き合うことになった。

 ”本から顔を上げ、ふらりと外に出ると広がっている気持ちのいい庭として「代官山T-SITE GARDEN」”ができあがった。

 そもそも代官山は縄文時代には陸地であり渋谷はその頃海であった。ここ代官山で人々は暮らしを営んでいた。時が流れ、近年になってその地勢の良さから、武家屋敷、大きな商家、さらには海外の大使館が建てられるようになった。そしてランドマークとしてヒルサイドテラスができ、由緒正しい土地に品格を与えた。そして蔦屋を有するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の増田社長はその一角に4000坪の新型商業施設をオープンさせる。緑豊かな敷地に従来のイメージを覆すTSUTAYAと一棟建てのテナント群が並ぶ、文化とコミュニケーションをテーマにしたプロジェクトである。

このプロジェクトには、多くのクリエーターが参加した。建築、インテリアなどの空間デザインから、イベントの内容、環境やサービスのデザインまで、施設全体のクリエイティブ・ディレクションを担当したのは池貝知子氏。建築を手がけたのは、クライン ダイサム アーキテクツ。基本設計・実施設計は、RIAとの共同設計である。RIAは代表的な仕事に「天王洲アイル」「品川シーサイド」などのまちづくりがある。 
単に立派な書店を作ったというのではない、文化とコミュニケーを目指した、グランド・デザインの下に創りあげられたものである。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(余滴)
(僕がいっさい図面を見ないから、代官山 蔦屋書店ができた)

 

カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役社長・増田宗昭氏談。

 日本製のモノが、サービスが売れない。性能はいいのに。機能も充実しているのに。壊れないのに。親切なのに。多くの日本企業が直面している、「いいモノをつくっているのに売れない」。なぜ、売れない? それは日本製品の多くが、かっこよくないから。美しくないから。カワイくないから。気持ち良くないから。つまり、デザインがなっていないから。どうして、デザインがなっていない? それは、経営者がデザインのことをわかってないから。つまり、経営者が「ダサい」から。だから、デザインをマネジメントできない。どうすれば、デザインをマネジメントできるのか? どうすれば、かっこいいを、美しいを、カワイイを、気持ちいいを、商品化できるのか? どうすれば、ダサい経営から、デザインできる経営に転換できるのか? ifs未来研究所所長の川島蓉子が、カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役社長・増田宗昭さんに聞いた。


増田:なぜ日本の企業がダサいのか。なぜ日本の社長がダサいのか。僕、一発でわかりますよ。

川島:ずばり、何ですか?

増田:日本の社長のほとんどはね、会社一筋、仕事一筋になっちゃうから、オーナー経営者もサラリーマン社長も。つまり「会社=自分」になっちゃう。すると、肝心の市場やお客さんが見えなくなるのよ。そうなるとね、会社と市場の関係、会社とお客さんの関係を勘違いし始めてしまうというわけ。

川島:こんなに仕事でがんばってる俺が間違えるわけない、と。客観的な視点がなくなってしまうということですか。

増田:そうそう。で、そういう社長は万能感にとらわれて、なんでも自分で決めようとする。趣味を押し通そうとする。でね、自分のところの製品やサービスの「かっこいい」「かっこわるい」の判断も自分でやろうとしちゃうわけよ。でも、それが間違い。社長の仕事は「経営」でしょ。「かっこいい」を実際につくるのは、デザイン部門の仕事、社長にできるわけがない。

川島:じゃ、どうすればいいんですか?

増田:ひとに任せればいいのよ。

川島:え、本当ですか?

増田:だって、俺がそうだもん。たとえばさ、さっき話に出た代官山 蔦屋書店。あそこの設計図、いっさい見てないのよ。完成してはじめて「ああ、こうなったのか」と感激した。

川島:本当ですか! てっきり増田さんが微に入り細に入りデザイナーや建築家に自分の趣味を細かく説明して、図面に口を出して、現場にも入って……。

増田:やってないやってない。そんなことやったら、それこそダサい空間になっちゃう。図面も見ない。どんな素材を使うかもチェックしない。どんな色になるのかも口を出さない。だってさ、チェックするっていうのは、俺のフィルターをかけちゃうってことじゃない。そんなの最悪だよ。

川島:以前からそういう考えだったんですか?

増田:実はね、代官山に蔦屋書店をつくる前に、軽井沢に個人の別荘をつくったの。それが練習になったかな。やっぱりいっさい図面を見ずに、途中で口出しせずに、建築家に素敵な空間をつくってもらった。

川島:じゃあ、増田さんは、建築家やデザイナーにまるっきりお任せ、なんですか?

増田:そうじゃない。ひとつだけきっちり伝えないといけないことがある。それは、コンセプト。

川島:コンセプト。

増田:コンセプト。別荘だったら、なぜ俺は別荘がほしいんだろう、つくりたいんだろう。そもそも、別荘って何なんだろう。別荘って人にとってどんな存在なんだろう。別荘ができたら何ができるんだろう? そんな具合に、「別荘についてのコンセプト」を建築家と、毎週末禅問答したわけです。「選ぶ」のが俺の最大の「仕事」

川島:なるほど。施主や経営者がやるべきは、「コンセプト」をつくること。そしてその「コンセプト」を、実際にデザインしたり図面をひいたりするプロに伝えて、価値観を共有すること、ってわけですね。

増田:うんうん。

川島:で、実際にかたちにするときは、プロである建築家やデザイナーに任せちゃう。でも、それって、増田さんがデザインのプロ、建築のプロを全面的に信頼しているからできることじゃないですか?

増田:もちろんそうです。だから、「建築家を選ぶ」のが俺の最大の「仕事」なわけ。実際に線を描くのはその建築家の仕事。失敗したら、その建築家を選んだ俺が悪い。選んだからには信頼しなきゃ。途中で口を出したら、選んだことにならないですから。

川島:それって、まさに「経営」ですね。

増田:コンセプトを考え抜く。できるやつを選ぶ。価値観を共有する。現場は任せる。「経営」そのものです。

川島:なるほど「かっこいい」をつくるって、ちゃんと「経営をする」ということなんですね。

増田:だから、その会社の商品やサービスがかっこよくなかったら、それは「経営」が悪いのよ(笑)

川島:そもそも代官山に、蔦屋書店を作ろうと思ったきっかけは、何だったんですか?

増田:旧山手通りをはさんで代官山 蔦屋書店の反対側に、昔から「ASO」のオープンカフェがあるでしょ。僕ね、いつも何かを考えたり、ひとりで企画を練ったりするとき、あのカフェのテラスでやっていたんです。あの場所ってね、「気」がいいんです。パワースポット、というか。なんだか、すごーくインスパイアされるんですよ。

編集Y  「ASO」の裏には古墳があって、付近には縄文遺跡があって、目黒川を見下ろす高台の縁にあって、要は1万年前から「高級住宅街」なんです。

増田:そうなんだ。ホントにいいところだよね、代官山。ああいう「気がいい」ところって、何かを産もうとアイデアを出すのに、すごく向いてるんです。新しい企画って、未知の領域に挑むことでしょ。ただ、努力してアイデアを出そうとしても大概ダメなんです。あとから振り返ると、いい企画は自然にぽーんと出てくるもの。で、そのぽーんと出る環境ってのがあるんです、身体的に。場とか。空気とか。匂いとか。周囲の雰囲気とか。情報とか。

川島:それが代官山のあの場所だったと。

     

増田:俺自身がいつもあの「ASO」のカフェテラス席に座って、企画書を書いていたわけ。すると目の前に見えるわけです。トタンの塀で囲われて、でっかい木が何本も生えた広大な敷地が。で、はたと思いついた。ちょうど、六本木にTSUTAYA TOKYO ROPPONGIを出したあとで、次のコンセプトのお店をどこに出そうか、といろいろ物件を探していたんですね。あ、ここにつくったらええやん。そう思って、地主を捜して頼みに行ったんです。「売ってください」って。

川島:どうでした。

増田:最初は「売る気ないです」と門前払い。僕以外にもすでに73社が「売ってくれ」と地主さんのところを訪れていたみたい。都心の超一等地で、4000坪の面積が空いているところって他にないですからね。結局2年通いました。最後の最後で、「増田さんには負けました」と売っていただいたんです。

川島:執念ですね(笑)。どうやって口説いたんですか。

増田:僕たちがこの地で何をするのかを伝え続けたんです。そもそも僕は、自分たちの会社、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が「世界一の企画会社」になることを目標としていました。じゃあ、世界一の企画会社になるには何が必要だろう。そんなことをずっとずっと前から考えていた。手始めに創ったのが、1999年12月にオープンした渋谷のハチ公前、Qフロントビルの2階から6階までを占める「SHIBUYA TSUTAYA」です。

ブランドは「場所」がつくる

川島:それまでのTSUTAYAのイメージとがらりと変えましたね。

増田:ええ。それまでのTSUTAYAのイメージは「駅前のビデオレンタルチェーン」。でも、TSUTAYAの目指す未来は、それだけじゃない。日本で一番エンタテインメントを売っている会社なんだ。本も売っている。DVDも売っている。なにより、日本で一番CDを売っている。じゃあ、その「イメージ」を消費者に伝えるにはどうしたらいいだろう。広告を打つ? いや、それよりも「お店」をつくろう。

川島:お店が、広告? 

増田:渋谷の交差点の前に、自分たちのコンセプトを体現したお店がある。どんな広告よりインパクトがあるでしょ? しかも、たくさんのお客に目の前を通っていただける。それでね、さらに自分たちが、エンタテインメントだけじゃなくって生活を提案する存在なんだ、ということを見せようとつくったのが、2003年4月、六本木ヒルズといっしょにオープンしたTSUTAYA TOKYO ROPPONGIです。じゃあ、さらにカルチュア・コンビニエンス・クラブは何を目指すんだ。世界一の企画会社だ。ならば、今度はどこに何をつくろう……。そこでいきついたのが、あの代官山の4000坪の森だった、というわけ

川島:渋谷。六本木。代官山。増田さんはなぜ「場所」にこだわるんですか?

増田:結局ね、場所が、空間が、ブランドを創るんですよ。アップルが、「アップルストア」というものを持たずに、パソコンを作って卸しているだけだったら、今みたいなブランドになれなかったと思う。その意味で、直接お客さんと接する「アップルストア」の存在は、アップルのブランディングにとって、ものすごく重要だった。翻って、パソコン業界から撤退しちゃったIBMにしろ、NECにしろ、昨今の日本の家電メーカーにしろ、自分のお店、持ってないでしょ。ブランディングの面からすると、あれが弱いところです。

川島:ブランディングにおける「店の役割」、もう少し詳しく教えてください。

世界観を直接見せる

増田:それはやっぱり「空間」と「時間」を企業とお客さまが共有できる、ということにつきる。つまり「ブランド体験」を直接お客さまに与えられる、ということです。たとえば、エルメス。エルメスがスカーフをデパートに卸しているだけだったらどうなると思います? エルメスというブランドの世界観は絶対に伝わらないよね。

川島:たしかに。

増田:エルメスの圧倒的なブランド力って、自前で揃えた店構え、接客、品質、インテリア、出店戦略があってこそ、でしょう。いまはインターネットが普及して、誰もがウェブを活用している。でも、企業やブランドの世界観をお客さまに一番見せられるのは、そして共有してもらえるのは、ウェブという場ではないのよ。ウェブは誰でも作れるし、しょせんヴァーチャルだから。

川島:「本」もそうですか?

増田:うん。たしかにいまはアマゾンで買う人がすごく増えている。でも、アマゾンがいくらたくさん本を売っても、日本全国の本屋さんで売っている総量の過半数を占めているわけじゃない。「本」を売ることだって、ブランディングはできるんです。つまり、ネット通販じゃない、リアルなお店の役割というものがある。代官山でやりたかったのは、ネットが普及して家にいながらにして本を買える時代に、「本を買いに行きたくなる」場をつくることだった。

川島:代官山 蔦屋書店で、私もそれ、つくづく実感しました。店の実体験みたいなものって素敵だなあと。

増田:でしょ(笑)

川島:はい。たしかに「わざわざ」行きたくなります。ただ、今日お話をうかがうまで、CCCが「世界一の企画会社」になることを知らしめるために、増田さんが代官山の店をつくったとは知りませんでした。そこ、もっと聞きたいです。


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旅の日記 福島・会津の旅(その②)~サルバドール・ダリの美術と素敵な湯宿について。

2013-10-06 | 時評
旅の日記 福島・会津の旅(その②)~サルバドール・ダリと素敵な湯宿

(猪苗代湖から裏磐梯へ
 この旅は、必ずしも事前に綿密なプランを組むということをしなかった。会津若松駅の 観光案内所に日参して、気持ちのいいスタッフと度々、どこへいくか相談する。その結 果、古い町並みを残す「大内宿」行きは取りやめ、猪苗代湖方面へドライブすることに した。壮大な自然の中に身をおいて見たかったからである。

駅近くのマツダレンタカーで1300CCのデミオを借りた。ここの対応も、和やかな気 持ちになる。スカイアクティブは燃費がいいが、乗り心地はふつうのデミオがいい。軽 快に走る、また装着されているカーナ ビがとても使いやすい。いい気持ちで運転する 。30分強で猪苗代湖の長浜というところに到着。大きな湖を眼前にして爽快な気持ち になる。近くの<野口英世記念館>を訪れる。野口博士は、だれでもその名を知ってい るように苦学力行の末世界的に活躍した細菌学者で、とくに黄熱病の研究で有名。その 生家がここ猪苗代湖畔に残されている。 床柱には、19歳の野口が猪苗代を去るときに 刻んだことばが残されている。いささかの感動を覚える。
     

     ”志を得ざれば 再びこの地に踏まず”

 その向かい側には、磐梯山を背にして<世界のガラス館>がある。クリスタルのアクセサリー、クリスタルのグラスウエアなどが所狭しと並んでいる。しかし、そんなものに は目が向かない。ここに「チーレン」という喫茶コーナーがある。ここはスイスの首都 ベルンから、老舗「チーレン」のチョコレートを直輸入しているのである。珈琲を頼むと、一粒のチョコがついてくる。その生チョコを口にいれると、さわやかな甘みが口中に広がる。神戸にはモロゾフというお店があり、珈琲に一粒のチョコを添えて味わうのが常であるが、それに負けずとも劣らぬ深い味わいである。持って帰りたくなった。

 
 115号線に沿って、北上。左手に磐梯山1819メートル)を見ながら、裏磐梯方面 へ回りこむ。お目当ては五色沼である。五色沼自然探勝路というのがあって、毘沙門沼 、赤沼、弁天沼、青沼、柳沼が点在。それをつなぐ形で全長3.6キロの林間の道が走っている。最大の毘沙門沼では、ボートを借りて久々にオールを握った。しばし、エメラルド・グリーンの水と遊んだ。学生時代に帰ったような気分。

     


(諸橋近代美術館)少しながくなります。。美術に興味のない方は読み飛み飛ばしていただき、次の湯宿の記事へどうぞ。

     
           

  すこし道を戻ると<諸橋近代美術館>がある。偶然、わがパートナーが直感で見つけ たのであるが、これが本日の大ヒットとは相成った。磐梯・朝日国立公園内という山間 の地に、こんな素晴らしい美術館が存在していたと は。まず、そのたたずまいに目を疑った。磐梯山(1816メートル)を望み、フロントには清冽な渓流が流れる。そこに展開するのは、かつて存在したパリのチュイルリー宮もさぞかしと思われる壮麗な建物である。聞くところによりと、この建物の設計は、郡山に居をおく清水公夫設計研究所と諸橋氏(悌造、スポーツ用品ゼビオの創始者)の共同の作品とか。中に入ると、広く、明るく天井は9メートルと高く、ゆったりして落ち着いて美術品を観賞できる。メインの所蔵品は、スペインのかのシュルレアリズムの権化、サルバドール・ダリの作品である。

      

 この美術館を創ったた経緯を諸橋氏は次のように語っている。

 ”昭和51年、スペインのフィゲラスにあるダリ美術館で、サルバドール・ダリの作品に 出会いました。絵画鑑賞が趣味の私でしたが、ダリの作品を一堂に数百点規模で目前にしたのは初めてでした。
その作品は印象派等のリアリズムではなく、夢と幻覚を絵画にした、従来の常識を打ち破るものでした。以来ダリ・シュルレアリスムに興味を抱き、版画・画集等の収集をして おりました。
 そして平成3年、NHK主催のダリ展が東京で催されました。その中にパリ・ストラットン財団所有の彫刻37点が出品されました。それは油絵・版画より迫力と夢があり感動でした。

 その彫刻を展示終了後、ある事情から一括して譲り受けることが出来たのです。まさに 偶然の出会いでした。その瞬間ダリ美術館建設の夢が、私の頭の中に忽然と現れたのです。以来、作品収集、土地、建物の3つの具体的課題 を負うことになります。この10年、世界2大オークションの「サザビーズ」「クリスティーズ」への10数回の参加、欧米 の美術館視察、土地探し、建設の構想・・・・・と瞬間の10年でした。夢を追い、夢を実現 する労は時間を 忘 れさせました。思い込み、念じ続けると重大な課題が次々と解決していくのです。多くの協力して下さる方々とめぐり会い、そこから貴重な教えを得ることが出来ました。

 ロンドン、ニューヨークのオークションでは、ダリ生涯の大作「テトゥアンの戦い」( タテ3メートル、ヨコ4メートル)、ユトリロの白の時代の名作「モンマルトルのサン・ヴァンサン通り」、セザンヌ30歳の力作「林間の  空地」を落札した時は会場から大きな拍手をいただいたのが感動の想い出でもあります。(写真は、「テトゥワンの戦い」)

     

 当館の作品構成はダリがメインですが、ダリ以外にもルノワール、マチス、ピカソ、シャガール等19・20世紀巨匠20数人の作品を収蔵しております。これから10年、20年かけ て、1点1点良い作品を集め、諸橋近代美術館の充実 
 を図ることが責務であります。うるおいのある県の文化に貢献出来ればと念じております。”

 諸橋氏の想いが伝わってきて、深い感銘を覚える。

 (所蔵の作品)



 よく知られているダリの”柔らかな時計”、それから諸橋氏のことばに出てくる「テトゥアンの戦い」などの彫刻や絵画をみることができ、一つ一つの作品の前で、ゆっくり立ち止まって観賞した。そして圧巻は、長編叙事詩「ダンテの神曲」(La Divina Comm edia)のリトグラフ。

 イタリアが輩出した詩人ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の代表作であり、イタリア文学最高峰の古典作品として世界的に名高い「神曲」。地獄篇34 歌、煉獄篇33 歌、天国篇33 歌の計100 歌で構成されている。ダンテ自身が古代ローマの詩人ウェルギリウスの導きにより地獄、煉獄、そして天上界を巡るという内容で、カトリック的道徳観を吟じた文芸復興の先駆的作品であると共に、彼自身の半生をなぞらえた壮大な物語でもある。その根底にはダンテの永遠の淑女ベアトリーチェへの愛が存在している。

     

 そのリトグラフ100点が、学芸員の方の詳しい解説とともに展示されていた。一枚、一枚ゆっくりとみる。初めて触れた「神曲」には感動を覚えた。

 すこし脱線する。「神曲」なんてむずかしい、と思われているが、実はイタリアなどでは子供でも読むらしい。丸谷才一の『おっとりと論じよう』にそのエピソードが紹介さ れている。

 (イタリアの読書運動)
 (井上ひさし))それと子どもたちにはもっと本を読んで欲しいと思いますね。なにかそのための工夫をしないと。
  また外国の例になりますけど。イギリスとイタリアでたまたま同じ読書運動をやって  いましてね。たとえば、子供が、今度の春休みにダンテの『神曲』を読みます、と隣  近所のおじさん、おばさんに宣言するんです。じ ゃ、本当に読んだら百円あげるとか約束するわけですね。ここからが面白いんですが、休みが終わってその子が読んだかどうかを図書館の司書の人たち5人で面接するんです。その時面白い質問をするんですが、ともかく確かに読 んだと判断したら、証明書をくれるんです。子どもはその『神曲』を読んだという証明書を持って近所を回り、約束していたお金をもらう。そうして集めてお金の一割がその子のものになり、残りの9割は同じ年頃の病気の子ども たちの医療費に回るんです。

 もう一つ脱線を。ダンテは、ベアトリーチェに導かれ、空へ上ってゆく。至高の天では、純白のバラを見て、この世を動かすものは神の愛であることを知る。いろんな翻訳が出ているが比較文学の泰斗である平川祐弘翻訳がいい(河出文庫)。なお日本では森鴎外の「即興詩人」(アンデルセン)でこの「神曲」が出てくる。

 なおダリのコレクション以外にも、西洋近代絵画たとえばセザンヌ/ルノアール/ゴッホ/ヴイヤール/ブラマンク/シャガール/マリー・ローランサン(写真)などもあり、シュールに疲れた方は、こちらの展示室で目を休めることが
 できる。

          

 すっかり道がそれてしまったが、ダリの本物に触れ、この目で確かめることができ感動以外の何ものでなかった。鑑賞に疲れたら、入り口にある素敵なカフェで一服することをおすすめする。まさに至福の午後であった。

 帰路はラーメンで有名な喜多方をまわり、「蔵(くら)」で珈琲を味わった。

(いろりの宿 芦名)

 市内のレンタカー・オフィスに戻ると、素敵なクラシック・カー(トヨタ製)が出迎えてくれた。町から30分ほどで東山温泉に到着。

                   
         
 「芦名」は湯川沿いに立つ、わずか7室の小体な宿である。伝統的な木造建築の良さを残し、そのたたずまいに心が和む。
           
 入り口をはいると帳場にでんと座っている大女将や若女将、スタッフが出迎えてくれる 。能登半島にある有名な某大旅館のように大勢の仲居さんがズラリと並び、荷物を奪うように持ってゆくのとは違う。べたべたしたところ  がなく、いささか放りっぱなしというようなところがないでもない。しかし、目配りが行き届いて暖かさをも感じる。スリッパがないものきもちいい。畳敷きの館内を歩き、三階に上がってゆく。若女将には少々重い荷物を持ってもらい恐縮するが、スポーツレディのようだから、お許し乞う。部屋は「白樺」次の間つきの8畳である。夜も明るくて気持ちがいい。よく大ホテルだ照明が暗く旅の地図や案内書もろくに読めないところも多いが、ここはそんなこともない。部屋でのんびり読書も楽しめる。

 こじんまりした湯は、いつもきちんと整理され、気配りを感じる。さらりとした湯である。湯あたりは、やわらかい。そして24時間、いつでも入れるところがいい。

 さて夕食は、宿の入り口の奥にある蔵の中に切ってある囲炉裏のスペースでいただく。囲炉裏を囲んでのの食事。その夜の献立てを記しておこう。




  先付け:自家農園のいんげん豆、会津産枝豆「湯上がり娘」(もずく酢)
  造り:特上ロース桜刺し(特製辛子味噌だれ)

  (いろり炭火焼)
  厚揚げの味噌田楽
  奥会津博士山渓流の手釣りイワナ・・・新鮮そのもので、ことのほか旨かった! 頭からバリバリ頂いた。
  会津地鶏のつくね・地鶏卵黄をたっぷり絡めて
  おなじく炭火焼き・会津山塩・・・・・炭火でじっくり、ていねいに焼いた地鶏ジューシーで美味極まりなし。
    
  煮物:冬瓜と南瓜のあんかけ
  造り:鯉の洗いを酢味噌で

  食事:会津強清水産そば粉 十割蕎麦
  デザート:雪ぶどう(スチューベン)

     

 この地元の食材への信頼感があふれ、それにこだわるる姿勢がいい。飛び切りの素材 がていねいに調理されている。どれも美味しい。今回は見逃したが、会津牛の石焼もあ る。炭火焼きは、食事の進み方もみつつじっくり焼き 上げる。構わずどんどん料理を出 す大旅館とは全く違うのだ。そして酒は辛口の「風が吹く」 さわやかな風が吹き抜ける感じでどんどんすすんでしまう。隣り合わせて若い人たちは、これに加え「国権」 (秋あがり)も い いとご機嫌の様子。なおデザートに出たスチューベンは、関西ではめったに手に入らない。ジューシーで上品な甘さに舌鼓を打った。これを選んだ大女将の選球眼に感服した。

 少しアルコールが醒めたところで、再び湯に浸かった。そして渓谷湯川の瀬音を聞きながら熟睡。

 次の朝も湯につかる。いつの間にか風呂はきちんと整えられていて、気持ちがいい。 見えないところでの裏方さんの仕事に感謝する。朝食も、満足すべきもの。特A級の会津こしひかりで炊いたご飯は、つやつやと際立つ。炭  火で焼いた鮭、あさりの味噌汁、あつあつの卵焼き、農家に特別に頼んでいる納豆。タレが何かわからぬが、あまりの旨さに納豆好きのわがパートナーは感激。持って帰りたいと言い出す。冷やの「会津娘」が欲しいところ   だ。
 
  池波正太郎の書いた本の題名そのままに、”よい匂いする一夜”を過ごすことができ、会津若松の旅のいい思い出になった。気持ちのいい好青年H君がハンドルを握るレトロカーで会津若松の駅まで送ってくれ  た。また来年の新緑の頃に、再訪することになるのではないか。


(余滴)わたしの日本旅館考

 これまで日本各地を巡って旅をしてきた。いい宿に恵まれたこともあれば、大枚はたいて泊まっても裏切られた思いのすることも少なからずあった。それらの体験から、どんな宿が望ましいか、少し頭の中を整理してみた。旅の案 内人として、またグルメ通でもある山本益博氏の本『味な宿に泊まりたい』や京都のドクター柏井壽氏の『「極み」の日本旅館』などの名著がある。が、ここでは自ら旅をした体験から述べることにした。


 私が旅の宿を選ぶ時の条件は次のようなものである。

 ①まず小規模な宿であること。もちろんコスパは重要。バカ高いところは失礼する。いいところに巡りあったことが余りない。(もちろんそうでないところもあるが)

 ②オーナーあるいは女将の顔が見えること。宿を案内するウエブサイトも馬鹿にならな い。”顔”が出ているところは、まず安心感を覚える。顔写真でなくても、なにか直接 語りかけていることが重要。ウエブデザイナーに丸 投げでは行けない。基本コンセプト は主人がまず考えて欲しい。余談になるが、最近知り合ったあるファンドマネージャー のFさんは、スタッフを動員して面白い企業分析をした。それは東京証券取引所に上場 している43 0社を調べあげるもので、成長企業・よい会社を見分ける判断基準として 会社のホームページで社長や役員の写真があるところ、ないところ、また「私」とか「 私たち」という主語の有無を調べあげた。そうすると面白いこと が分かった。リーマン ショック後も、またここ10年間というレンジでみても、写真あり主語ありが、ダント ツに株価が上昇しているのである。社長や役員の写真がなく、主語もないところは株価 指数が100以下に沈んで いるのである。このことは、株式投資でいい会社、だめな会社を見分けるにとどまらず、日本旅館の判断基準としても参考になるのである。


 ③次に朝食がうまいこと。これが意外にに出来ていないところが多い。”好きな作家、橋治の小説に『春朧』というのがある。長良川沿いにある老舗旅館に嫁いできた女性 (日野紗衣子)が、修善寺で知り合った彫刻家の剣  達之助が宿にたずねてきて、”日本 旅館の朝は空しいからね”と厳しい指摘を受ける。そして剣にすすめられて、山中温泉の故山亭を訪ねる。ここは、120室あった鉄筋のビルから、わずか10室の宿に立て替えたと聞か  され、衝撃をうける。 注)これは間違いなく、山中温泉の<かよう亭>のことである。


 ④そしてホスピタリティ。マニュアルのごとき作られた笑顔でなく、自然ににじみ出てくるような笑顔と気遣い。なかなかないものである。


 そういった目でみて、私自身が訪れて良かったA級の宿をいくつか挙げてみる。

  ・九州日田のホテル風早
  ・郡上八幡の中嶋屋・・・・宿のある町が楽しい
  ・北海道のマッカリーナ(オーベルジュ)
  ・飛騨高山のフォーシーズン(ビジネスホテル風だが、旅の宿としても好ましい)  
  ・有馬温泉・御所坊・・・オーナーが温泉街全体の活性化に熱心だ。      
  ・長野県・下諏訪のみなとや

 今度お世話になった<芦名>は、Aランクの上の方に位置づけられるのではないか。
 このブログ記事をお読みいただいた方のご意見も伺えれば幸いである。

 まことに長文となりました。お付き合いいただき、ありがとうございました。


(余滴その2) 素晴らしい宿に、京都花瀬の<美山荘>、山中温泉の<かよう亭>そしてもちろん
京都の<俵屋>、それに九州は天草の<五足のくつ>などがあるが、高すぎるので、ここでは考察対象からは外した。





コメント (6)
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