贅沢な読書』(福田和也 ちくま文庫 06年9月)
この本は、読書論でもなければ、ブックガイドでもない。「読書は享楽であり、この世に二つとないというほどの快楽だ」という著者が、その楽しみかたについて語った本である。文字どおり贅沢な本である。全5章のうち、第3章までにとりあげた本は、わずかに3冊。ヘミングウェの「移動祝祭日」、漱石の「明暗」そしてゲーテの「イタリア紀行」 それぞれに60頁から40頁を割いて、その味わい方にうんちくを傾ける。200頁余の、さほど分厚くない文庫本だが、その中身は密度の濃いものである。
「ヨーロッパへの航空機、食事が一段落した後にポートワインを舐めながらヘンリー・ジェイムスを読む楽しみから、夏の午後に陽光の下で佐藤春夫の詩についいて論じあう楽しみまで。かっちりした文学論から、スノッブな愉悦まで、人生の楽しみの大半を、書物とともに過ごすすべをお教えましょう」
本論に入る前に、福田先生の人柄についてのエピソードをひとつ。落語家の立川談春との交友である。なにが、どうなったのかは知らないが、福田和也が談春にラブコールを送り、以来の交友である.文化や芸術とは、どうも関係のないものらしい。福田は、豚肉をこよなく愛し、日に四食、とんかつにつきあわされたことがあるという。談春は、云う。
「かくして相思相愛の評論家と落語家は今日もとんかつを求め、夜の町を連れだって歩くのだ」
さて「祝祭移動日」では、日々のなにげない、単純な暮らしの中の充実感についてヘミングウエイがどのように書いているかを、中心にその文の魅力について語られている。本文からの引用を中心に紹介することにする。
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ヘミングウエイの魅力は、比喩の卓抜さにあると、掌編の一つ「サンミシェル広場の良いカフェ」の一文から、福田は書き出している。
”一人の女がカフェに入ってきて、窓近くのテーブルに腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。雨ですがすがしく洗われた皮膚で、なめらかな肌の貨幣を鋳造できればの話だが。それに彼女の髪は黒く、カラスの濡れ羽色で、ほおのところで鋭く、斜めにカットしてあった。(「サンミシェル広場の良いカフェ」)”
「「祝祭移動日」は、ヘミングウエイの若き日、パリでの修行時代を最晩年に書き留めた印象記です。それにしても「新しく鋳造した貨幣みたいに」という形容は素晴らしい。顔の輪郭が、あたかも金属質の音を立ててでもいるかのような、鮮明さと輝きを喚起しています。・・
「(パリで暖房も十分ではない質素なアパルトマンで貧しい生活をしていた)ヘミングウエイは、ある冬の雨の日に、街の中心部にむけて、勇壮に歩いて行きます。カルチェ・ラタンから急坂を上り、パンテオンの丘で強い風に吹かれながらついにサンミシェル広場のカフェにたどり着きます。そのカフェは、以前から知っていたのですが、とても暖かく、清潔で気持ちがよいのです」
(この書き出しの文の持つ意味を、福田は、解きほぐしてゆく)「ホテル近くの悲しみともに降る冷雨ではなく、「すがすがしく」皮膚を洗う雨になっいる。この転換の中で、冷たく縮こまり、不景気な匂いの立ちこめた世界から、雨中を突破して素晴らしいカフェに到達した、その高揚の中にこそ、彼女の新鮮さは炸裂するのです。・・・」
「冷えた状態から生気を取り戻した心に、「新しく鋳造した貨幣」のような彼女の美しさ、新鮮さがしみ通っていきます。体が温まり、小説はうまく書け、美しい女性と邂逅をする。その高揚は、ただ気分がよくなると言うだけのものではない。一瞬にして膨れあがって、ある種の全能感にまで達してしまう。」
出会った・・・・
「ついに若き作家は短編を書き終えます。気がつくと、かの美しい女性は、待ち人が来たのかいつの間にかいなくなっています」
”私は物語を書き終えたノートブックを閉じ、それを内ポケットにいれた。で、ポルチュゲーズ牡蠣を一ダースと、その店にある辛口の白葡萄酒を水差し半分もってくるよう、ウエイターに頼んだ。物語を書いたあとは、まるで愛の行為をしたときのように、いつも空虚な感じがし、悲しいような楽しいような気持ちになるのだった。そしてこれがとても良い物語だということを確信した。どのくらい良いものかは、その次の日にそれを読み返すまでは、ほんとうにわからないだろうが。
牡蠣は強い海のにおいとかすかな金属の味がした。冷たい白ぶどう酒はそれを洗い流して、あとにただ海の味と汁気を残した。私は、その牡蠣を食べ、一つ一つの貝がらから冷たい汁を飲み、さわやかな味のぶどう酒で、それを流し込んだ。そうしていると、空虚な感じが消え、楽しくなって、これからの計画を立て始めた。”
「「その牡蠣を食べ、一つ一つの貝がらから冷たい汁を飲み、さわやかな味のぶどう酒でそれを流し込んだ」という文章は、まさしく非常にシンプルなもので、食卓での行為を一つづつ記していいっただけなのに、その単純さが、いわば神秘的な重みを持って迫ってくるのは、なぜでしょうか。そこには、日常の反復の中で、埋没し、意識されなくなった行為を改めてひとつひとつ、新鮮なものとして認識する緊張度の高い意識が、まずあります。さらに、これがヘミングウエイの持ち味なのですが、かくて再発見された現実を、派手な形容や感嘆符で飾ることをしないで、印象的なことであるからこそ、むしろなるべくシンプルに書くのです。
「ヘミングウエイの作品は沢山あります。「武器よさらば」、「日はまた昇る」から。「老人と海」まで誰もが知っている作品だけでも、両手の指に余るほどの作品がある。その中で、「移動祝祭日」を読んで頂きたいのは、この作品が彼の生涯の最後を飾る記念すべき作品であるからとか、散文の名手としての技巧のすべてが注がれているからではありません。この作品に漲っている幸福感、充実感を味わって欲しいからです、同時にその充実が何を引き替えにしなければ得られないか、と云うことも。ここには、文学の魅力の、そのもっともわかりやすい、顕かな姿があるのです」
おなじ掌編「セーヌの人びと」では、セーヌ河畔に日がな座って本を読み、釣り人を眺める、という文に関連して、次のように語っている。
「ワインとフランスパンを買い、日向に座る。一冊の本を読み、釣り人たちを眺めている。それは全くシンプルで、シンプルであろうとつとめることが、余計なものもなければ厄介さや不安もない。手応えのある時間と味わいを約束してくれる過ごしかたにほかなりません。」
「けれどもこの充実感は、いともたやすく手にはいるようでいて、実はとても貴重なものなのです。「移動祝祭日」を書いた時の、ヘミングウエイは、そのことを何よりも強くかみしめていたに違いありません。あるいはこういってもいいのです。その貴重かつ単純なものを再び呼び覚ますためにこそ、ヘミングウエイはこの本を書いたのだといってもいい。一本の酒と本を共に日がな釣り人を眺めている。その時間を充実として楽しむためには、なにより内心の充実が、ある種の確信と旺盛な感受性が必要なのです」
さらに福田は、ヘミングウエイが、この小説を書いた当時の状況や当時のパリなどの時代背景などに及んで、ヘミングウエイ自身にとっての意義をつぎのように受け止めている。
「移動祝祭日は、この暗澹とした生涯から、かっての単純な生活を呼び起こし、取り戻すために書かれた、ヘミングウエイにとって復活の祈りのような書物なのです」
わずか200頁弱の短い小説に、福田はえんえん30頁にわたる「移動祝祭日」論を展開する。しかし、それは決して退屈なものでもなく、むしろヘミングウエイの人となりや生涯を理解することにもつながり、楽しいものであった。
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第3章<旅行のための本選び>では、ゲーテの「イタリア紀行」が取り上げられている。海外に行くときは、それが観光であれ、仕事であれ、その土地に関わりのある本を持ってゆき、それを読みながら行く方がずっと楽しい、というのが福田の論である。そしてイタリアに行くなら、まず携えるべきは、ゲーテの「イタリア紀行」という。
「ゲーテで一番好きな本は何かと訪ねられましたら、私は迷うことなくイタリア紀行を挙げるでしょう。この書物には、イタリアという土地の魅力だけでなく、、この大詩人にして、大作家であるばかりでなく、政治に科学に八面六臂の活躍ををした巨大で懐の深い精神の、躍動するさまが、手にとるように書かれています。このゲルマンの巨匠が、憧れの土地、オレンジや檸檬が木の枝をかしげる南の国にふれて、いかに心ふるわせ、その認識と思考に生命を再び吹き込み、活力を取り戻す、はつらつとした輝きに溢れているか。イタリアに行くときだけでなく、気持ちのふたぐ時ー私のような野放図な人間にも、そういう時があるのですーに、この本を読むと、なんだか救われた様な気分になる。それというのも、本書自体が、ゲーテにとって再生の書、もう一度、生命と詩情を獲得する旅の覚え書きであるからでしょう」
福田は、この「イタリア紀行」の旅を、古都ヴェローナ、ヴェネツイア、ナポリ、パレルモ、と次々にゲーテが訪れ、2年にわたって滞在するに至ったイタリアの魅力について語っている。そして自分がイタリア滞在時にヴェローナを訪れた時の事を回想し、スクロヴェニー礼拝堂の壁画のことからダンテの「神曲」との出逢いについて語る。
詳しいことは割愛するが、この章も読んでいて楽しく、またなかなか流麗な文である。イタリアの魅力に引きずりこまれそうになる。ちなみにゲーテが、イタリアへ旅だったのは、1786年9月、ゲーテ37才を目前にした時である。その文が、いまもなお紀行文として光彩を放っているのには驚く。そこから約200年、辻邦生も、その著書「美しい夏の行方ーイタリア、シチリアの旅」で、”イタリアが最大限の幸福をぼくに贈ってくれた・・”と書いている。私は、この本も大好きだ。いつか、イタリアを旅することになったら、これらの本を携えて行きたい。
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これらの他にも、《読みたい古典》として芭蕉の「笈の小文」や「伊勢物語」、
そして《ほろ酔い本》の章では、江戸の頃の面白いエピソードを紹介した森銑三の「伝記文学 初雁」などが出てくる。読書好きには、応えられない本である。
この本は、読書論でもなければ、ブックガイドでもない。「読書は享楽であり、この世に二つとないというほどの快楽だ」という著者が、その楽しみかたについて語った本である。文字どおり贅沢な本である。全5章のうち、第3章までにとりあげた本は、わずかに3冊。ヘミングウェの「移動祝祭日」、漱石の「明暗」そしてゲーテの「イタリア紀行」 それぞれに60頁から40頁を割いて、その味わい方にうんちくを傾ける。200頁余の、さほど分厚くない文庫本だが、その中身は密度の濃いものである。
「ヨーロッパへの航空機、食事が一段落した後にポートワインを舐めながらヘンリー・ジェイムスを読む楽しみから、夏の午後に陽光の下で佐藤春夫の詩についいて論じあう楽しみまで。かっちりした文学論から、スノッブな愉悦まで、人生の楽しみの大半を、書物とともに過ごすすべをお教えましょう」
本論に入る前に、福田先生の人柄についてのエピソードをひとつ。落語家の立川談春との交友である。なにが、どうなったのかは知らないが、福田和也が談春にラブコールを送り、以来の交友である.文化や芸術とは、どうも関係のないものらしい。福田は、豚肉をこよなく愛し、日に四食、とんかつにつきあわされたことがあるという。談春は、云う。
「かくして相思相愛の評論家と落語家は今日もとんかつを求め、夜の町を連れだって歩くのだ」
さて「祝祭移動日」では、日々のなにげない、単純な暮らしの中の充実感についてヘミングウエイがどのように書いているかを、中心にその文の魅力について語られている。本文からの引用を中心に紹介することにする。
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ヘミングウエイの魅力は、比喩の卓抜さにあると、掌編の一つ「サンミシェル広場の良いカフェ」の一文から、福田は書き出している。
”一人の女がカフェに入ってきて、窓近くのテーブルに腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。雨ですがすがしく洗われた皮膚で、なめらかな肌の貨幣を鋳造できればの話だが。それに彼女の髪は黒く、カラスの濡れ羽色で、ほおのところで鋭く、斜めにカットしてあった。(「サンミシェル広場の良いカフェ」)”
「「祝祭移動日」は、ヘミングウエイの若き日、パリでの修行時代を最晩年に書き留めた印象記です。それにしても「新しく鋳造した貨幣みたいに」という形容は素晴らしい。顔の輪郭が、あたかも金属質の音を立ててでもいるかのような、鮮明さと輝きを喚起しています。・・
「(パリで暖房も十分ではない質素なアパルトマンで貧しい生活をしていた)ヘミングウエイは、ある冬の雨の日に、街の中心部にむけて、勇壮に歩いて行きます。カルチェ・ラタンから急坂を上り、パンテオンの丘で強い風に吹かれながらついにサンミシェル広場のカフェにたどり着きます。そのカフェは、以前から知っていたのですが、とても暖かく、清潔で気持ちがよいのです」
(この書き出しの文の持つ意味を、福田は、解きほぐしてゆく)「ホテル近くの悲しみともに降る冷雨ではなく、「すがすがしく」皮膚を洗う雨になっいる。この転換の中で、冷たく縮こまり、不景気な匂いの立ちこめた世界から、雨中を突破して素晴らしいカフェに到達した、その高揚の中にこそ、彼女の新鮮さは炸裂するのです。・・・」
「冷えた状態から生気を取り戻した心に、「新しく鋳造した貨幣」のような彼女の美しさ、新鮮さがしみ通っていきます。体が温まり、小説はうまく書け、美しい女性と邂逅をする。その高揚は、ただ気分がよくなると言うだけのものではない。一瞬にして膨れあがって、ある種の全能感にまで達してしまう。」
出会った・・・・
「ついに若き作家は短編を書き終えます。気がつくと、かの美しい女性は、待ち人が来たのかいつの間にかいなくなっています」
”私は物語を書き終えたノートブックを閉じ、それを内ポケットにいれた。で、ポルチュゲーズ牡蠣を一ダースと、その店にある辛口の白葡萄酒を水差し半分もってくるよう、ウエイターに頼んだ。物語を書いたあとは、まるで愛の行為をしたときのように、いつも空虚な感じがし、悲しいような楽しいような気持ちになるのだった。そしてこれがとても良い物語だということを確信した。どのくらい良いものかは、その次の日にそれを読み返すまでは、ほんとうにわからないだろうが。
牡蠣は強い海のにおいとかすかな金属の味がした。冷たい白ぶどう酒はそれを洗い流して、あとにただ海の味と汁気を残した。私は、その牡蠣を食べ、一つ一つの貝がらから冷たい汁を飲み、さわやかな味のぶどう酒で、それを流し込んだ。そうしていると、空虚な感じが消え、楽しくなって、これからの計画を立て始めた。”
「「その牡蠣を食べ、一つ一つの貝がらから冷たい汁を飲み、さわやかな味のぶどう酒でそれを流し込んだ」という文章は、まさしく非常にシンプルなもので、食卓での行為を一つづつ記していいっただけなのに、その単純さが、いわば神秘的な重みを持って迫ってくるのは、なぜでしょうか。そこには、日常の反復の中で、埋没し、意識されなくなった行為を改めてひとつひとつ、新鮮なものとして認識する緊張度の高い意識が、まずあります。さらに、これがヘミングウエイの持ち味なのですが、かくて再発見された現実を、派手な形容や感嘆符で飾ることをしないで、印象的なことであるからこそ、むしろなるべくシンプルに書くのです。
「ヘミングウエイの作品は沢山あります。「武器よさらば」、「日はまた昇る」から。「老人と海」まで誰もが知っている作品だけでも、両手の指に余るほどの作品がある。その中で、「移動祝祭日」を読んで頂きたいのは、この作品が彼の生涯の最後を飾る記念すべき作品であるからとか、散文の名手としての技巧のすべてが注がれているからではありません。この作品に漲っている幸福感、充実感を味わって欲しいからです、同時にその充実が何を引き替えにしなければ得られないか、と云うことも。ここには、文学の魅力の、そのもっともわかりやすい、顕かな姿があるのです」
おなじ掌編「セーヌの人びと」では、セーヌ河畔に日がな座って本を読み、釣り人を眺める、という文に関連して、次のように語っている。
「ワインとフランスパンを買い、日向に座る。一冊の本を読み、釣り人たちを眺めている。それは全くシンプルで、シンプルであろうとつとめることが、余計なものもなければ厄介さや不安もない。手応えのある時間と味わいを約束してくれる過ごしかたにほかなりません。」
「けれどもこの充実感は、いともたやすく手にはいるようでいて、実はとても貴重なものなのです。「移動祝祭日」を書いた時の、ヘミングウエイは、そのことを何よりも強くかみしめていたに違いありません。あるいはこういってもいいのです。その貴重かつ単純なものを再び呼び覚ますためにこそ、ヘミングウエイはこの本を書いたのだといってもいい。一本の酒と本を共に日がな釣り人を眺めている。その時間を充実として楽しむためには、なにより内心の充実が、ある種の確信と旺盛な感受性が必要なのです」
さらに福田は、ヘミングウエイが、この小説を書いた当時の状況や当時のパリなどの時代背景などに及んで、ヘミングウエイ自身にとっての意義をつぎのように受け止めている。
「移動祝祭日は、この暗澹とした生涯から、かっての単純な生活を呼び起こし、取り戻すために書かれた、ヘミングウエイにとって復活の祈りのような書物なのです」
わずか200頁弱の短い小説に、福田はえんえん30頁にわたる「移動祝祭日」論を展開する。しかし、それは決して退屈なものでもなく、むしろヘミングウエイの人となりや生涯を理解することにもつながり、楽しいものであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第3章<旅行のための本選び>では、ゲーテの「イタリア紀行」が取り上げられている。海外に行くときは、それが観光であれ、仕事であれ、その土地に関わりのある本を持ってゆき、それを読みながら行く方がずっと楽しい、というのが福田の論である。そしてイタリアに行くなら、まず携えるべきは、ゲーテの「イタリア紀行」という。
「ゲーテで一番好きな本は何かと訪ねられましたら、私は迷うことなくイタリア紀行を挙げるでしょう。この書物には、イタリアという土地の魅力だけでなく、、この大詩人にして、大作家であるばかりでなく、政治に科学に八面六臂の活躍ををした巨大で懐の深い精神の、躍動するさまが、手にとるように書かれています。このゲルマンの巨匠が、憧れの土地、オレンジや檸檬が木の枝をかしげる南の国にふれて、いかに心ふるわせ、その認識と思考に生命を再び吹き込み、活力を取り戻す、はつらつとした輝きに溢れているか。イタリアに行くときだけでなく、気持ちのふたぐ時ー私のような野放図な人間にも、そういう時があるのですーに、この本を読むと、なんだか救われた様な気分になる。それというのも、本書自体が、ゲーテにとって再生の書、もう一度、生命と詩情を獲得する旅の覚え書きであるからでしょう」
福田は、この「イタリア紀行」の旅を、古都ヴェローナ、ヴェネツイア、ナポリ、パレルモ、と次々にゲーテが訪れ、2年にわたって滞在するに至ったイタリアの魅力について語っている。そして自分がイタリア滞在時にヴェローナを訪れた時の事を回想し、スクロヴェニー礼拝堂の壁画のことからダンテの「神曲」との出逢いについて語る。
詳しいことは割愛するが、この章も読んでいて楽しく、またなかなか流麗な文である。イタリアの魅力に引きずりこまれそうになる。ちなみにゲーテが、イタリアへ旅だったのは、1786年9月、ゲーテ37才を目前にした時である。その文が、いまもなお紀行文として光彩を放っているのには驚く。そこから約200年、辻邦生も、その著書「美しい夏の行方ーイタリア、シチリアの旅」で、”イタリアが最大限の幸福をぼくに贈ってくれた・・”と書いている。私は、この本も大好きだ。いつか、イタリアを旅することになったら、これらの本を携えて行きたい。
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これらの他にも、《読みたい古典》として芭蕉の「笈の小文」や「伊勢物語」、
そして《ほろ酔い本》の章では、江戸の頃の面白いエピソードを紹介した森銑三の「伝記文学 初雁」などが出てくる。読書好きには、応えられない本である。