正月休みは前半の3日間と後半の4日間に分かれて、前半については前の記事で東京・横浜でのことを書きましたが、後半の4日間はようやくというか、本来のというかの鉄道趣味の遠征に出掛けることにしました。
行き先は東北地方と言っても福島県なので南東北という方がよいでしょうか? 目的はもちろん、キハ40系気動車の主に乗車と、往路に新潟県内の信越本線での115系のこちらは撮影を兼ねた乗りメインの遠征となります。
.往路は中央~信越ルート
磐越西線で会津若松へ行く方法は幾つかあります。このうち今まで使ったことがあるルートは、
①中央西→しなの&トキ鉄・直江津→信越本線→新津→磐越西線
②中央西→飯山線→長岡→信越本線→新津→磐越西線
③東海道→東京(又は新宿)→東北本線→郡山→磐越西線
④東海道→東京~夜行高速バス~会津若松
この他に北陸本線経由、や只見線経由でも乗ったことがありますが、この2つは今は通常は使わないルートになっていて、最近はほとんど①か②のルートで名古屋~新潟間は抜けます。
今回は朝に直江津発の115系快速を撮るため、直江津に朝居るためには、①のルートで前拍にするか、東京経由で西武の夜行バスに乗って朝5時台に着くか、②のルートで長岡泊で、朝1番で直江津方向に戻る手もありますが、順当に①のルートとしました。 青春18きっぷ+しなの&トキ鉄分が必要です。

出発がだいぶ遅れて、名古屋で快速に乗り継げなかったので、多治見→中津川間で特急に乗って、中津川17時発の塩尻行きに乗ります。世間では正月休みは明けてる筈なのですが、意外と旅行者がいて、2両編成の座席は一杯でした。

松本で211系に、長野でしな鉄115系に乗り換えて、妙高高原でアンカーのトキ鉄E127系に乗り継ぎます。
今夜の滞泊地は終点の直江津ではなく、1駅手前の春日山駅で下車です。

翌朝直江津6時台の長岡行きに乗り、初めて長鳥で下車しましたが、全く雪がありません。
今年は異常なほどの暖冬です。何せ越後湯沢のスキー場で30cmしか積もってなくて、オープンできないという状況ですから。
長鳥で直江津発長岡行きの115系爆音快速を録って、もう1か所長岡市内で長岡発新潟行きになった同じ115系を撮って、その後新潟に向かいます。

新潟駅に14時頃に到着します。
既に地上ホームは8-9番線のみが残っているだけで、他は全て高架ホームに上がっていました。

8月以来の新潟駅前に出ます。
ちょうどバス乗り場にBRTの2両連接バスが止まっていて、撮ろうとしたら、前に別のバスに被られてしまいました。
さて磐越西線の列車ですが、昼間は五泉や津川までしか行かないので、夕方の16時8分まで列車はありません。
時間潰しのため、一旦信越本線で東三条まで乗って折り返して新津まで来るとちょうどいい感じです。
.キハ47乗り収めになるか? 磐越西線

新津駅で改札口を出て、歩道橋から気動車区を望みます。
何編成か停まっていますが、どれが出てくるのかな? よく見てみると、同じ線路上に在来車と新型のGVとを並べていますが、連結できるのかな? そろそろホームに戻ります。

ホームに入って来たのは、赤と青の新旧新潟色のキハ47コンビでした。磐越西線には片引戸のキハ48は確か入らないので、多分これが来るだろなとは思ってました。いつの間にかホームは下校の高校生などで一杯になっていました。

ちょうど私が座る車両中央の場所にサボ受けがあるので、座ろうとした時に、サボ入れのために、窓を開けて落とし込んでいました。国鉄型一般気動車ならではの光景ですね。

乗客もだいたい乗って、あと数分で出発です。まだ尾灯が点いたまま。運転士は乗ってたはずですが。

列車は小雨の降りだした新潟平野をゆっくりと走ります。快速あがのとは走りの差を付けてるのか、老体をいたわるようにしているのかは分かりません。

新関と北五泉で30人近くが降り、五泉でごっそり降りて、車内は半分程度まで空きました。お約束のショットということで。更に猿和田・馬下でほとんど車内は空いてしまいます。

五泉を出てSL撮影でも有名な鉄橋を渡ります。
既に在来車の3連・4連運用が置き換えられてしまったので、ここで在来車を撮ることは無いかも知れません。

途中の津川で7分間の小休止があり、最後まで残っていた高校生は全員降りて、車内は旅人が数人と老人2人だけとなります。
外は雪ではなくて雨。こんな山間部まで来て、全く雪がありません。雪見列車の旅を期待していたのに。
結局車窓に雪が見えたのは福島県に入った徳沢あたりでしたが、野沢に着くころにはもう雪は消えていました。異常です。

新津車のいいところは、座席のモケットが国鉄時代から変わらぬ青色モケットであることで、これだけでも国鉄時代の汽車旅の雰囲気を味わえます。もう少し車内を撮りたかったのですが、のぼせた乗り鉄の兄ちゃんがうろうろしてて目障りなので、これだけにしています。まぁ去年も撮ってるからね。

喜多方に到着。割と乗ってくるかなと思いきや、2・3人しか乗ってきませんでした。
この列車は1日に5本しかない、喜多方~会津若松間の全駅停車の便で、途中の小駅の停車も味わえます。

19:00 定刻に会津若松に到着しました。
すぐに尾灯を付けて折返しの向きにしてますが、発車まで42分もあるのに。

この列車は折返し19:42発の野沢行きとなって下って行き、また会津若松に2時間ほどで戻ってきます。
3月改正で全て置き換わってしまえば、この乗車で最後になるかも知れません。
.只見線も乗り&録りする
会津若松に19時ちょうどに着いたのですが、まだ宿に行くには勿体ないですから、その時間を使って、只見線の列車に乗ることにします。
昼間は何時間も列車の間隔が開くのですが、夕方以降は2時間毎ぐらいに列車があります。
時刻表を見ると会津若松を出た列車が、ちょうど会津坂下で交換するダイヤのパターンなので、そこで折り返すべく、只見線のホームに行きます。

3番線のホームには4連のキハ40が停まっていました。行き先表示は会津川口。
尾灯が点いてますが、こちら側が先頭です。出発まではまだ40分近くあるので、改札の外に出ます。

駅弁はもうなくなっていたので、駅南側のスーパーで弁当を買って車内でいただきます。誰も乗っていない4両目を占領してましたが、弁当を食べ終わった頃に1人乗ってきました。
列車は郡山からの接続列車が遅れたため、4分遅れで出発しました。これでは会津坂下での交換時間3分を利用した折り返しが出来なくなってしまいました。

ということで、1駅手前の若宮駅で下車、な~んにもない駅です。もちろん初下車。
10分後にやってきた会津若松行きに乗って、また会津若松に戻りました。

会津若松に到着すると、隣のホームにもう1編成の東北地域色のキハ40が停まっていて、「野沢」の行先表示が出ています。喜多方までの間合い運用は知っていましたが、野沢まで入るとは知りませんでした。

跨線橋を上がって、上から2編成の並びを撮ります。
これも3月の改正までなのでしょうか? もしかしたら、キハE120の転属準備期間のため、運用開始がもう少し遅れるかも知れないという期待を込めて駅を出て滞泊地へ。

翌朝5時半に滞泊地を出て、6時発の会津川口行きに乗って、途中の会津本郷で下車しました。
ここで下車するには理由があります。

そうです、会津坂下で交換して上ってくる4連気動車を撮るためです。
昨日の晩、19時台に若宮まで乗った会津川口行きが、翌朝会津若松に戻ってきます。これは平日限定で4両編成になるので、壮観な姿を撮りたかったのですが、冬場で夜明けが遅く、画質も荒いものになってしまったため、リベンジしたいところです。

撮影後は7時台の会津川口行きにまた乗って、会津坂下で交換するパターンになりますが、これも大事を取って、手前の駅、今度は2駅手前の新鶴駅で下車します。

新鶴は若宮と違って、駅の近くに郵便局があったりして、少しは人も居そうな雰囲気でしたが、婆さんが1人いただけでした。
折り返し列車の乗車間際になって女学生が来たので、お約束ショット(非公開)を撮って列車に乗り込みます。

その女学生もすぐに2駅先の会津高田で下車し、西若松でも下車の方が多くて、会津若松に着いた時は数人しか乗っていませんでした。そしてこの列車も磐越西線の間合い運用として、9:53発の喜多方行きになるので、一旦改札の外に出て朝食を調達してから車内に戻ります。

9:53 喜多方行きに乗って会津若松を出たとたんに、嫌な光景が目に飛び込んできました。
キハE120の2連、「試運転」の表示です。 これはダイヤ改正当日から置き換わることを示していると思われます。

30分弱で喜多方に到着しました。これで会津若松区のキハ40にも今回が乗り収めになる可能性が出てきました。

10分後にやってくる新潟発会津若松行きの、快速〔あがの〕に乗って、会津若松にとんぼ帰りです。このキハ110も磐越西線からは押し出されるので、どこへ転属するのでしょうかね。
.ぐるっと遠回りで東京へ
これで会津若松界隈で、只見線や磐越西線のキハ40に乗って録ってした朝業も終わりました。天気予報も良くないため、会津の地はこれで離れます。会津だけでなく東北地方自体が今日も明日も予報が悪いため、今日中に関東に戻って、明日は18きっぷ5日目の最終日で適当に過ごすことに。

11:08会津若松発の郡山行き快速に乗ります。会津盆地は全く雪が無かったのですが、磐梯町を過ぎた辺りからようやく雪景色になってきました。それもそのはず、磐越西線内では新潟・福島の県境の山間地よりも、磐梯町~猪苗代の方が標高が高く、更にその先の中山峠が最大のサミットになるためです。
そのため、東日本大震災後の燃料輸送列車も、会津若松から郡山までの間の勾配で雪の中で失速して立ち往生という事がありました。

1時間ほどで郡山に到着します。
郡山ではかなりの本降りの雨になっていて、一応駅前には出たものの、何もすることなく駅に戻りました。
うわぁ、東北本線のホームは列車までまだ時間があるというのに、もう並んでます。そして折り返しの新白河からの電車が到着して椅子取りゲームが展開されています。

さて郡山から東京方面へ戻る方法ですが。
①東北新幹線経由
②東北本線経由
③水郡線・常磐線経由(災害による不通区間・バス代行あり)
④磐越東線・常磐線経由
の4つの選択肢がありますが、さてどれを選ぶでしょう?

答えはコレです。①は余分な出費が要るのと、特に急いでいないので必要ない。 ②は地獄の東北本線の最も嫌いな区間だから乗りたくない。 ③は災害バス代行で乗り継ぎが悪い。 以上のことから④の磐越東線経由で帰ることとしました。

ワンマン運転のキハ111+112の2両編成なので、後ろの車両に乗れば、ドアが開く事もなく、ポカポカの暖かい至福の汽車旅もどきを味わえると思います。
この時間帯なのに高校生などが結構乗り込んできて、意外と混雑した中発車します。

4分ほどで阿武隈川の鉄橋を渡ります。5年ほど前にここの河原で撮影したことがありますが、今日は意外にも雪で白くなっています。この先も要田辺りにかけて車窓が白いので、会津が全く雪がないのに、中通りが雪景色という逆転現象のような感覚です。
車内はポカポカを通り越して、赤ら顔になるほど暖かい車内で、お昼も食べた後だし、乗ってる高校生はどこかの部活の野郎ばっかりだし、強烈な睡魔が襲ってきます。
小野新町まで結局高校生たちは乗っていて、車内は混んでいましたが、そこでごっそり降りて、車内はだいぶ空きましたが、これといった風光明媚な景色も展開せず(冬以外なら多分良さげ)、ぼーっとしたままいきなり市街地が車窓に展開して終点のいわきに到着です。

終点のいわき駅に着きました。
前回いわきに来た時は、春先で明るかったので、駅前に出て、ミスドで時間を潰しながらJ〇ウォッチングしたりしてたのですが、冬場の東北で15時だと結構暗いので、もう東京方面に戻ることにしました。

ホームで待っていたのは走ルンですの初期のボロ電・しかもシーメンス機器を外された何の面白みもない車両でしたが、次の列車が短い5両編成なので、10両だから空いているだろということで、この電車で勝田でE531系の上野行きに乗り継ぎ東京まで戻りました。
東京では翌日残念ながら体調を崩しそうになったので、大事を取って何もせず東海道を下って帰るだけの最終日となりましたが結局風邪をひくこともなく、あのまま朝から撮影してたら良かったかなと杞憂に終わりました。

以上でこの冬休み期間中は青春18きっぷは1枚使っただけで、大した撮影もする事なく、過ぎていきました。天候に恵まれないことも要因で、会津地方については3月の改正までにリベンジしたいので、再度の東北遠征を計画しております。
行き先は東北地方と言っても福島県なので南東北という方がよいでしょうか? 目的はもちろん、キハ40系気動車の主に乗車と、往路に新潟県内の信越本線での115系のこちらは撮影を兼ねた乗りメインの遠征となります。

磐越西線で会津若松へ行く方法は幾つかあります。このうち今まで使ったことがあるルートは、
①中央西→しなの&トキ鉄・直江津→信越本線→新津→磐越西線
②中央西→飯山線→長岡→信越本線→新津→磐越西線
③東海道→東京(又は新宿)→東北本線→郡山→磐越西線
④東海道→東京~夜行高速バス~会津若松
この他に北陸本線経由、や只見線経由でも乗ったことがありますが、この2つは今は通常は使わないルートになっていて、最近はほとんど①か②のルートで名古屋~新潟間は抜けます。
今回は朝に直江津発の115系快速を撮るため、直江津に朝居るためには、①のルートで前拍にするか、東京経由で西武の夜行バスに乗って朝5時台に着くか、②のルートで長岡泊で、朝1番で直江津方向に戻る手もありますが、順当に①のルートとしました。 青春18きっぷ+しなの&トキ鉄分が必要です。

出発がだいぶ遅れて、名古屋で快速に乗り継げなかったので、多治見→中津川間で特急に乗って、中津川17時発の塩尻行きに乗ります。世間では正月休みは明けてる筈なのですが、意外と旅行者がいて、2両編成の座席は一杯でした。

松本で211系に、長野でしな鉄115系に乗り換えて、妙高高原でアンカーのトキ鉄E127系に乗り継ぎます。
今夜の滞泊地は終点の直江津ではなく、1駅手前の春日山駅で下車です。

翌朝直江津6時台の長岡行きに乗り、初めて長鳥で下車しましたが、全く雪がありません。
今年は異常なほどの暖冬です。何せ越後湯沢のスキー場で30cmしか積もってなくて、オープンできないという状況ですから。
長鳥で直江津発長岡行きの115系爆音快速を録って、もう1か所長岡市内で長岡発新潟行きになった同じ115系を撮って、その後新潟に向かいます。

新潟駅に14時頃に到着します。
既に地上ホームは8-9番線のみが残っているだけで、他は全て高架ホームに上がっていました。

8月以来の新潟駅前に出ます。
ちょうどバス乗り場にBRTの2両連接バスが止まっていて、撮ろうとしたら、前に別のバスに被られてしまいました。
さて磐越西線の列車ですが、昼間は五泉や津川までしか行かないので、夕方の16時8分まで列車はありません。
時間潰しのため、一旦信越本線で東三条まで乗って折り返して新津まで来るとちょうどいい感じです。


新津駅で改札口を出て、歩道橋から気動車区を望みます。
何編成か停まっていますが、どれが出てくるのかな? よく見てみると、同じ線路上に在来車と新型のGVとを並べていますが、連結できるのかな? そろそろホームに戻ります。

ホームに入って来たのは、赤と青の新旧新潟色のキハ47コンビでした。磐越西線には片引戸のキハ48は確か入らないので、多分これが来るだろなとは思ってました。いつの間にかホームは下校の高校生などで一杯になっていました。

ちょうど私が座る車両中央の場所にサボ受けがあるので、座ろうとした時に、サボ入れのために、窓を開けて落とし込んでいました。国鉄型一般気動車ならではの光景ですね。

乗客もだいたい乗って、あと数分で出発です。まだ尾灯が点いたまま。運転士は乗ってたはずですが。

列車は小雨の降りだした新潟平野をゆっくりと走ります。快速あがのとは走りの差を付けてるのか、老体をいたわるようにしているのかは分かりません。

新関と北五泉で30人近くが降り、五泉でごっそり降りて、車内は半分程度まで空きました。お約束のショットということで。更に猿和田・馬下でほとんど車内は空いてしまいます。

五泉を出てSL撮影でも有名な鉄橋を渡ります。
既に在来車の3連・4連運用が置き換えられてしまったので、ここで在来車を撮ることは無いかも知れません。

途中の津川で7分間の小休止があり、最後まで残っていた高校生は全員降りて、車内は旅人が数人と老人2人だけとなります。
外は雪ではなくて雨。こんな山間部まで来て、全く雪がありません。雪見列車の旅を期待していたのに。
結局車窓に雪が見えたのは福島県に入った徳沢あたりでしたが、野沢に着くころにはもう雪は消えていました。異常です。

新津車のいいところは、座席のモケットが国鉄時代から変わらぬ青色モケットであることで、これだけでも国鉄時代の汽車旅の雰囲気を味わえます。もう少し車内を撮りたかったのですが、のぼせた乗り鉄の兄ちゃんがうろうろしてて目障りなので、これだけにしています。まぁ去年も撮ってるからね。

喜多方に到着。割と乗ってくるかなと思いきや、2・3人しか乗ってきませんでした。
この列車は1日に5本しかない、喜多方~会津若松間の全駅停車の便で、途中の小駅の停車も味わえます。

19:00 定刻に会津若松に到着しました。
すぐに尾灯を付けて折返しの向きにしてますが、発車まで42分もあるのに。

この列車は折返し19:42発の野沢行きとなって下って行き、また会津若松に2時間ほどで戻ってきます。
3月改正で全て置き換わってしまえば、この乗車で最後になるかも知れません。

会津若松に19時ちょうどに着いたのですが、まだ宿に行くには勿体ないですから、その時間を使って、只見線の列車に乗ることにします。
昼間は何時間も列車の間隔が開くのですが、夕方以降は2時間毎ぐらいに列車があります。
時刻表を見ると会津若松を出た列車が、ちょうど会津坂下で交換するダイヤのパターンなので、そこで折り返すべく、只見線のホームに行きます。

3番線のホームには4連のキハ40が停まっていました。行き先表示は会津川口。
尾灯が点いてますが、こちら側が先頭です。出発まではまだ40分近くあるので、改札の外に出ます。

駅弁はもうなくなっていたので、駅南側のスーパーで弁当を買って車内でいただきます。誰も乗っていない4両目を占領してましたが、弁当を食べ終わった頃に1人乗ってきました。
列車は郡山からの接続列車が遅れたため、4分遅れで出発しました。これでは会津坂下での交換時間3分を利用した折り返しが出来なくなってしまいました。

ということで、1駅手前の若宮駅で下車、な~んにもない駅です。もちろん初下車。
10分後にやってきた会津若松行きに乗って、また会津若松に戻りました。

会津若松に到着すると、隣のホームにもう1編成の東北地域色のキハ40が停まっていて、「野沢」の行先表示が出ています。喜多方までの間合い運用は知っていましたが、野沢まで入るとは知りませんでした。

跨線橋を上がって、上から2編成の並びを撮ります。
これも3月の改正までなのでしょうか? もしかしたら、キハE120の転属準備期間のため、運用開始がもう少し遅れるかも知れないという期待を込めて駅を出て滞泊地へ。

翌朝5時半に滞泊地を出て、6時発の会津川口行きに乗って、途中の会津本郷で下車しました。
ここで下車するには理由があります。

そうです、会津坂下で交換して上ってくる4連気動車を撮るためです。
昨日の晩、19時台に若宮まで乗った会津川口行きが、翌朝会津若松に戻ってきます。これは平日限定で4両編成になるので、壮観な姿を撮りたかったのですが、冬場で夜明けが遅く、画質も荒いものになってしまったため、リベンジしたいところです。

撮影後は7時台の会津川口行きにまた乗って、会津坂下で交換するパターンになりますが、これも大事を取って、手前の駅、今度は2駅手前の新鶴駅で下車します。

新鶴は若宮と違って、駅の近くに郵便局があったりして、少しは人も居そうな雰囲気でしたが、婆さんが1人いただけでした。
折り返し列車の乗車間際になって女学生が来たので、お約束ショット(非公開)を撮って列車に乗り込みます。

その女学生もすぐに2駅先の会津高田で下車し、西若松でも下車の方が多くて、会津若松に着いた時は数人しか乗っていませんでした。そしてこの列車も磐越西線の間合い運用として、9:53発の喜多方行きになるので、一旦改札の外に出て朝食を調達してから車内に戻ります。

9:53 喜多方行きに乗って会津若松を出たとたんに、嫌な光景が目に飛び込んできました。
キハE120の2連、「試運転」の表示です。 これはダイヤ改正当日から置き換わることを示していると思われます。

30分弱で喜多方に到着しました。これで会津若松区のキハ40にも今回が乗り収めになる可能性が出てきました。

10分後にやってくる新潟発会津若松行きの、快速〔あがの〕に乗って、会津若松にとんぼ帰りです。このキハ110も磐越西線からは押し出されるので、どこへ転属するのでしょうかね。

これで会津若松界隈で、只見線や磐越西線のキハ40に乗って録ってした朝業も終わりました。天気予報も良くないため、会津の地はこれで離れます。会津だけでなく東北地方自体が今日も明日も予報が悪いため、今日中に関東に戻って、明日は18きっぷ5日目の最終日で適当に過ごすことに。

11:08会津若松発の郡山行き快速に乗ります。会津盆地は全く雪が無かったのですが、磐梯町を過ぎた辺りからようやく雪景色になってきました。それもそのはず、磐越西線内では新潟・福島の県境の山間地よりも、磐梯町~猪苗代の方が標高が高く、更にその先の中山峠が最大のサミットになるためです。
そのため、東日本大震災後の燃料輸送列車も、会津若松から郡山までの間の勾配で雪の中で失速して立ち往生という事がありました。

1時間ほどで郡山に到着します。
郡山ではかなりの本降りの雨になっていて、一応駅前には出たものの、何もすることなく駅に戻りました。
うわぁ、東北本線のホームは列車までまだ時間があるというのに、もう並んでます。そして折り返しの新白河からの電車が到着して椅子取りゲームが展開されています。

さて郡山から東京方面へ戻る方法ですが。
①東北新幹線経由
②東北本線経由
③水郡線・常磐線経由(災害による不通区間・バス代行あり)
④磐越東線・常磐線経由
の4つの選択肢がありますが、さてどれを選ぶでしょう?

答えはコレです。①は余分な出費が要るのと、特に急いでいないので必要ない。 ②は地獄の東北本線の最も嫌いな区間だから乗りたくない。 ③は災害バス代行で乗り継ぎが悪い。 以上のことから④の磐越東線経由で帰ることとしました。

ワンマン運転のキハ111+112の2両編成なので、後ろの車両に乗れば、ドアが開く事もなく、ポカポカの暖かい至福の汽車旅もどきを味わえると思います。
この時間帯なのに高校生などが結構乗り込んできて、意外と混雑した中発車します。

4分ほどで阿武隈川の鉄橋を渡ります。5年ほど前にここの河原で撮影したことがありますが、今日は意外にも雪で白くなっています。この先も要田辺りにかけて車窓が白いので、会津が全く雪がないのに、中通りが雪景色という逆転現象のような感覚です。
車内はポカポカを通り越して、赤ら顔になるほど暖かい車内で、お昼も食べた後だし、乗ってる高校生はどこかの部活の野郎ばっかりだし、強烈な睡魔が襲ってきます。
小野新町まで結局高校生たちは乗っていて、車内は混んでいましたが、そこでごっそり降りて、車内はだいぶ空きましたが、これといった風光明媚な景色も展開せず(冬以外なら多分良さげ)、ぼーっとしたままいきなり市街地が車窓に展開して終点のいわきに到着です。

終点のいわき駅に着きました。
前回いわきに来た時は、春先で明るかったので、駅前に出て、ミスドで時間を潰しながらJ〇ウォッチングしたりしてたのですが、冬場の東北で15時だと結構暗いので、もう東京方面に戻ることにしました。

ホームで待っていたのは走ルンですの初期のボロ電・しかもシーメンス機器を外された何の面白みもない車両でしたが、次の列車が短い5両編成なので、10両だから空いているだろということで、この電車で勝田でE531系の上野行きに乗り継ぎ東京まで戻りました。
東京では翌日残念ながら体調を崩しそうになったので、大事を取って何もせず東海道を下って帰るだけの最終日となりましたが結局風邪をひくこともなく、あのまま朝から撮影してたら良かったかなと杞憂に終わりました。

以上でこの冬休み期間中は青春18きっぷは1枚使っただけで、大した撮影もする事なく、過ぎていきました。天候に恵まれないことも要因で、会津地方については3月の改正までにリベンジしたいので、再度の東北遠征を計画しております。
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