花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

イスラームは草創期に強盗も皆殺しも

2017年07月17日 08時39分10秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
またイスラム本です。

日本人のイスラム研究者による、「イスラームの深層」
鎌田繁著、NHKブックス 2015年。

イスラームの形成から、「遍在する神」という思想に至る
神秘主義の動向までをまとめた、分かりやすいイスラーム
研究書です。

私はイスラームに批判的なので、どうしても非合理的な所に
目が行ってしまいます。

たとえばムハンマドがマッカから避難してマディーナにいた
草創期には、活動資金の獲得のために略奪や身代金強奪を
働いていたこと。
またマッカを回復する戦いの中で、盟約を結んでいたマディ
ーナのクライザ族を盟約違反として包囲攻撃し、成人男子は
皆殺し、女子供は奴隷として売り払ったこと。(47p)

このような恐ろしいことは一般的な解説書では無視されて
います。現代では説明に困ることだからでしょう。私もこれ
間でまったく知りませんでした。
イスラームでも聖典として認める旧約聖書のヨシュア記に
原住民皆殺しなどの記述が出てきます。それは必ずしも史実
ではないという研究がなされていますが、いずれにせよ神の
指令によって行なわれたと聖典に書いてあることが問題です。

今日では一般にイスラームは平和な宗教と主張されること
が多くなっていますが、草創のリーダー・ムハンマドが自ら
そのような悪事を行ない、不信心者に対する 「ジハード」
として正当化していたのです。これでどうして、現在のイス
ラム原理主義者の過激行動を 「あれはイスラームではない」
として切り捨てることができるのでしょう。
「ジハード」 で大切なのは自分の心 (の過ち) とのジハード
だ、と説いても、それは一面に過ぎません。

イスラームによる征服戦争は少なかったと主張する人たちが
いますが、クルアーンで肯定されていることは大変重要です。
イエスが盗むなかれ、殺すなかれと説いたのとは対照的な
ムハンマドの行為。当時の部族社会では当たり前であったと
しても、現代ではもはや受け入れがたいことです。イスラーム
教団の 「支配者」 としてのムハンマドのありようが、ここに
表れているのではないでしょうか。政治的・社会的権力を持た
なかったイエスとの、決定的な違いです。

また驚いたことに、教義の上では、アダムの子孫であるすべて
の人類がアラーと契約したことになるそうです。(64-65p)
これを 「原初の契約」 (ミーサーク) というそうで、いかなる
言い逃れもできないそうです。原罪みたいなものでしょうか。
しかしイスラームなどブラハムの宗教となんの関係もない
人類が多数派のはず。知らない間に勝手に契約を結んだこと
にされ、不信心者は地獄に落ちる、ジハードの対象だ、など
と言われても困るのです。
イスラームはどうしてこうまで強引・強圧的なのでしょうか。
契約といっても一方的で、少しも対等な関係ではありません。
生まれた子供も物心もつかないのに契約したことになっている。
それは「原初の契約」があるからでしょうか。実に権力者・
アラーに好都合な考え方ですが、人は 「神の奴隷」 なのです
から、仕方がないのでしょうか。

クルアーンには神の意図がすべて書かれている完璧なものだ
そうで、何事もクルアーンに聞き、ハディース (言行録) を
調べれば良いというのです。しかし著者も言うように、
  「啓示はそもそも完全に首尾一貫して論理的な整合性が
   保たれたものであるとは到底いえない」 (100p)
ということです。
そのために、利子の問題や新しい食べ物が食べていいかどう
かなど、その都度珍妙な理屈を捏ねまわして判定するという
ことになります。(101-102p、110p)


そしてこの書にはありませんが、あまりにもひどい悪の存在
が、アラーの不在もしくは怠慢を証明しています。

「精神の自由ということ」 でアンドレ・コント=スポンヴィル
氏が言うように、「全能にしてかぎりなく善である神によって
創造された世界のいたるところに、なぜ悪があるのだろうか。」
それも、慈悲あまねきアラーの名をかたって 、「不信心者」 と
する者を情け容赦なく殺戮し、まだ幼い女の子を奴隷にするなど
という、狂気のISの存在をなぜ許しておくのでしょうか。

神の試練だ、悔い改める機会を与えるのだ、とおためごかしを
言っても、死んでしまった者はどうしたらいいのでしょう。
義人ヨブは、自らに降りかかる不幸を不信心の証拠と言い立て
られることに対して、自己の義を主張して神と対決し、神の
広大さを受け入れました。しかし、ヨブ個人ではなく、多くの
名もなき人々、生まれて間もなく死んでいかなければならなかっ
た赤子、なんの罪もなく殺戮される貧しい難民、そのような何百
万・何千万・何億もの人々の抗議に、神は耐えることができるで
しょうか。とても難しいのではないでしょうか。

自然現象だって、なぜ神は何千・何万人もが一度に亡くなる
ような大災害を起こしたりするのでしょう。全知全能なら、
起こすことも起きないようにすることもできるはず。
たしかノアの大洪水のあとで、神は人類に二度とそのような罰
を与えないことにしたはずではなかったのですか。その神は
イスラームの神と同じ神です。神はとんでもない嘘つきでは
ありませんか。

考えられることは、神は全知全能などではなく、まるで無能か、
怠慢でやる気がないか、どちらかだということです。そのよう
な神・アラーをどうして信じることができるでしょうか。

一神教というのは、歴史上の一時期には有用であったかもしれ
ないが、今日ではもはや迷信そのものです。イスラームの人たち
は迷妄の奴隷で、哀れなかわいそうな人たちです。私は仏教徒
であることを、少し誇りに思えるようになりました。

私の意見に反論がある方は、ぜひお寄せ下さい。
    (わが家で  2017年7月17日)

(追伸 2017年7月20日)
イス―ラーム社会は決して寛容ではありません。
少数派の時は敬虔な人たちかもしれませんが、彼らが社会の多数派になるとそうはいかないのです。その教義上、どうしても社会や思想・生活のすべてを支配しないと収まらないのです。ムスリム一人一人がいい人であるからこそ、油断はできません。

2017年7月19日 日テレ系NNNニュース
Tシャツにミニスカート姿の映像をSNS上に投稿したとして、女性が逮捕され、論争になっている。

2017年5月9日 BBCニュース
インドネシア・ジャカルタ特別州のバスキ・チャハヤ・プルナマ知事がイスラム教を冒涜(ぼうとく)した罪に問われた事件で、ジャカルタの裁判所は9日、同知事に禁錮2年の実刑判決を言い渡した。
(イスラームが多数派ながら、宗教に寛容といわれるインドネシアですらこうなってしまいます。)
コメント
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