大人になれないオヤジたち

模型作例と模型工具について紹介するブログです。
現在は主としてガンプラをターゲットに改造工程を紹介しています。

カテーテルアブレーション体験記 第二章(7)

2018年03月11日 | カテーテルアブレーション

さて入院四日目、術後2日目の朝です。

今日はいよいよ退院です。
朝6時の起床、看護師さんの巡回チェックも特に声賭けだけ、検温すらありません。
8時に朝食は出ますので、平らげた後、昨日妻が持ってきてくれたイチゴも食べました。

そこからは一気に慌しいです。10時までには退院しなければなりませんので、バタバタと身支度を始めます。
昨日一日ウダウダとしていたおかげか、止血の技術の進歩か、9年前はカテーテル挿入部の痛みがかなり長引いていて
この時点で機敏な行動など出来ませんでしたが、痛みは相当に減っていて、まったくもって普通のスピードで身支度をすることが出来ました。

昨日まで感じていた、心臓がときおりキューっとなるような痛みもほぼなくなっていました。

9時過ぎに妻が迎えに来てくれて、ナースステーションに挨拶もそこそこに退院です。
ほぼ同時に本日のアブレーション手術の方は手術に入りますし、午後には新たな入院の方が入ってくるわけですから、
看護師さんもバタバタです。退院する人の相手なんてしている暇はありません。

9年前にくらべるとずっと医学は進歩していて、術中の苦しさも低減されていますし、術後の回復もすざましく早いです。
自分自身は9年年を取っているわけで本来は回復が遅くても当たり前のはずなのですがね、、、
それに引き換え看護師さんの忙しさは二倍になっているようなイメージでした。

術後の清算も、9年前と比べるとあっという間です。入院ですから専用窓口に行って書類を受け取る必要はありますが、
会計に待ち時間は殆どありません。どこの大病院も最近は同じですが、自動清算機に診察券を入れれば、その場で清算完了です。

9年前はこの後、数日間、会社を休みました。術中デジャブーに苦しんだのと、カテーテル挿入部の痛みで直ぐには出社できる状態ではありませんでした。
しかし今回はあまりに調子が良いので、一旦自宅に戻りシャワーを浴びてから、午後軽く出社してみたのです。
当然回りが心配するし無理をしてはいけないので、仕事はしませんでしたが。
会社に行ってみようと思える気力が湧いてきたくらい、今回の術後の回復スピードは速かったということなのです。

今日のこの記事を書いている時点で、術後1週間強な訳ですが、まったくもって普通の生活をしています。
大またを開いたり、首を急にグッとねじったりすれば、まだカテーテル挿入部の痛みはあります。
でも極端なことをしない限りは痛みはありません。通常通り仕事をしていますし、既に日帰りですが出張にも出ました。
次週はいよいよ宿泊出張も入れました。

9年ぶりにカテーテルアブレーション手術をしましたが、総じて言うと、痛みや苦しさがない手術になったとは嘘は言えません。
苦しい手術に変わりはありませんが、でも相当にその苦しさは軽減されており、そしてその時我慢すれば済むものになっています。

2日間耐えれば、その後何かに苦しむような事はありません。
手術には恐怖心は伴うかもしれませんが、いつどこで発作が起こるかわからない苦しさを思えば、これは絶対に受けるべき手術です。

9年前は術後にそう簡単に割り切れる心境にはなりませんでした。二度とやりたくはない手術だと思いました。
でも今回は、直ぐに再手術と言われたらカテーテル挿入部が痛そうなので、抵抗するけれど、
1年後にであれば、抵抗なく受けるだろうなという印象にかわりました。

本当に医学の進歩は素晴らしいと感じる再手術となりました。

ながらく体験記を読んでいただいてありがとうございました。
また通常の鉄道ブログに戻ります~

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(6)

2018年03月11日 | カテーテルアブレーション

入院3日目、手術翌日です。

この日が最も入院生活を楽しめる一日になります、それは9年前に体験しているので分かります。
当時は妻にプラモデルも持ってきてもらって、一日組み立てていた事がブログの記載にあります。

9年前は朝直ぐに行動制限が解除されてトイレにダッシュしたのですが、
今回は時間制限ではなく、医師の回診が必要との事、最初に採血がありました。

そして朝食。もうすっかり元気なので、朝食も平らげて先生を待ちます。
9時前になってようやく回診があり、、、といっても「どうですか?」「大丈夫です~」程度なのですが、、、
その後、先生に止血処置のために体に巻かれていたバンドの様なテーピングの様なものをはがしてもらいます。
これで行動制限が解除されました。

看護師さんが忙しく点滴を抜いている暇がないということで、点滴は連れながらですが、ようやく自力でトイレに行けます。
気を使わずにトイレに自由に行ける事がこれほどありがたいとは!!
ようやく本当に自由になれたんだと実感します。

この後しばらくしてようやく点滴が外されます。そして9年前は看護師さんがシャワールームで体を拭いてくれましたが、
今回は体を拭く蒸しタオルが渡されますので自分で拭きます。その後ようやく手術着からパジャマに着替えます。

そして次は心電図検査です。
24時間心電図を採取しているのですが、あくまで簡易的なものなのでしょうか?
外来病棟の生理検査室での心電図を受診します。行動制限が解除されているので、一人で勝手に行くと言うスタイル。

昨日まではベットの上で寝返りを打つことすら出来ないのに、翌日には一人で病院内をウロウロできると言う
このギャプは凄いです。
でもさすがにカテーテルを入れた部分の痛みはまだまだ取れないので、ゆっくり病院の壁の手すりを持ちながら
ゆっくりとしか歩けません。

しかしこれから戻ってくると、プログラムは食事のみ、全くの自由です。
さて何をしようかと、考えていると、、、夜になかなか寝付けなかったこともあり、トイレに自由にいけるという安心感もあり、
すっかり眠ってしまいました。

午後も、本など持って来たのですが、どうも読む気がおきず、、、
スマホでニュースを見たり、SNSをチェックしたり、、、9年前にはなかったことが日常になってるのだなと思いながら
終日だらだらと過ごしました。9年前はもっと何かをしたいという気力に満ち溢れていたのかなぁ、、、と思いながらも
どうも元気が出ない一日でした。

午後には妻と娘たちが迎えに来てくれました。
娘たちはものめずらしそうに、病棟を徘徊していましたが、、、
面会室でみんなで少しお菓子を食べたり、話をしたり、、おかげで暇つぶしが出来ました。
妻がイチゴをたくさん持ってきてくれて、家族が帰った後、すこしづつおいしく頂きました。
病院食では中々出ませんので、体が潤いで蘇った感覚になりました。

この日はだいぶ昼間寝た事もあって、また夜に眠りにくい悪循環に陥ってしまいました。


 

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(5)

2018年03月10日 | カテーテルアブレーション

さて、無事に手術が終わり、手術室から搬出されます。
入ってきた時は歩いてきましたが、出て行く時は動けませんから当然ベットで搬送です。

9年前は術後の3時間はナースステーション真横の部屋で厳重な経過観察が行われていましたが、
今回は直接一般病棟に戻される形になりました。
これも看護師さんの負担軽減なのか、あるいは医学の進歩で厳重観察が不要となったのかは分かりませんでしたが。

前回は止血のために最初の3時間は砂袋のような物を抱えていた気がするのですが、今回は何も無しでした。
そしてここから地獄の6時間絶対安静が始まります。

手術が辛いか?術後の絶対安静が辛いか?辛さの加減が全く違うので簡単に比較は出来ないのですが、
ここは9年前と変わらない部分でした。
アブレーション手術にもいろんなタイプがあるようで、局所麻酔のものから全身麻酔のものもあるようですが、
HPやブログで皆さん必ず辛いと共通して書かれているのが、この術後の絶対安静です。

文字通り、単に寝ているだけで、何をする訳でもありません。
何をする訳でもないというよりも、何もしてはいけない所に辛さがあります。
足を動かしたり、寝返りを打ったりが一切出来ないのです。何もせず、ひたすら6時間の時を絶えます。
暇に絶えるのは最初の1時間くらいです。
そこから、腰が痛く成り出します。そして2時間後には腰は割れるような痛さになってきます。

これは人それぞれだとは思いますが、、、私は術前に何故か腰痛が発生していたので、
絶対安静30分後には既に激痛にもだえ始めていました。
付き添いの妻にさすってもらわないと気が狂いそうになるほどの痛さです。
あまりに痛がるので、看護師さんが今回は痛み止めをくれましたが、自分ではほとんど効いた感じはありません。
でも妻に言わせると、痛いと声に出す回数が激減したので効いているよ、とのこと。

冷や汗をかきながら、何度も時計を見ますが、30分経ったかなと思って見ると5分しかたっていないという感じで、
中々時間が過ぎ去っていってくれません。

そんな状態で6時間を過ごすと言うのは本当に気が遠くなるほどで、永遠に終わらないような恐怖感が出てきます。

途中で食事許可が出て、寝たまま食事を取ります。特に食べ物に制限はなく、病院食がタイミングが合わなかったので、
今回は妻にコンビニでサンドウィッチを買ってきてもらいました。
食事をしていると気がまぎれますので、腰痛もその間は半分忘れる事が出来ます。

そして、その後、尿意を催します。
9年前はここで麻酔が効きすぎて、尿を自力で出せず、尿管を刺されることと成りました。
今回は果たして自分で出せるかドキドキでしたが、すんなりと排尿できてホッと一安心。
申し訳ないですが、妻に尿瓶の処理をお願いする事としました。

こうして今回は尿管を免れたわけですが、結局しょっちゅう尿瓶の処理をしてもらうのは申し訳ないので、
かなり尿意を我慢する事になります。妻が帰ると看護師さんを呼ぶ事になりますので、なおさらです。
しかし尿意を我慢していると、腰に凄く負担感を感じて、腰痛状態にさらに負荷をかける結果となってしまいました。

これはやっぱり我がままを言わずに、尿管を受け入れておくべきだったかと、反省をしました。
普段はそんなにしょっちゅう尿意を催しませんが、何せ点滴を打っていますので、いつもよりかなり短スパンで尿意はやって来てしまうのです。

そして、長い長い絶対安静6時間が終わります。
終わると、ベットを起こして、座った状態にする事が許可されます。自力で腹筋で起き上がったりしてはいけません。
でもベットをおこしながら腰を曲げていくと、本当に天にも上る気持ちよさが体を駆け巡り、ミイラのようになったからだが
生き返ったような感覚になります。


ちょうど夕食が配られ、これもペロッと平らげることも出来ました。
でも、まだベットから立ち上がる事は許されませんので、歯磨きをした後の処置を妻にお願いしました。

ここまでマッサージや会話の相手を6時間も付き合ってくれた妻には本当に感謝です。
御礼を言って、子供の待つ自宅に戻ってもらいました。

寝返りを打てる幸せを感じながら、少しうとうとする事が出来ました。
それでもまだ少しカテーテルを入れたところが痛いし、ウトウトすると無意識に足を広げたりしてしまいますので
直ぐに痛みで目がさめます。また時折アブレーションで痛みのあったところから同様の痛みが出てくると、これまた目がさめます。

ウトウトしたり目を覚ましたりの繰り返しで、余り熟睡は出来ない状態で一晩を過ごしました。
ちゃんと眠れないので、尿意も定期的にやってきます。
結局一晩で2回尿瓶交換をしていただく事となってしまいました。


 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(4)

2018年03月05日 | カテーテルアブレーション

さてカテーテルの挿入が終わると本格的なアブレーション手術が始まります。

実際は何をしているのか専門家ではありませんので、よく分からないのですが、
大まかには、人工的にパルス信号を流して頻脈を発生させて異常なパルスの通り道を特定していく様です。
特定できたらその部位に熱をかけて焼き切るというか、心筋に火傷を負わせて異常なパルスの通り道をなくしてしまうと言う仕組みのようです。

私はどうも異常な通り道がいくつもあるようで、人工的に頻脈を何度も発生させるので、それなりに苦しい感じがあります。
ただこの手術をする人は実際に何度も頻脈を起こしているでしょうから、その時の苦しさと同レベルと言えば感覚は分かると思います。
ですからそう対して辛いと言うものでもありません。
実際の頻脈は自分で止められるか否か非常に不安に陥りますし、不意にやってくるので遠方に外出していたり、出張中だったりするとパニックに陥ります。
それで、あたふたしているとそのうち気が遠のいたりしますので、余計に大パニックになるのが辛いところです。
でも人工的な頻脈は直ぐにお医者さんが止めてくれる事が分かっていますから、安心です。

そして部位が特定されるとアブレーションが始まります。「50℃、15秒で行きます!」と声がかかるとスタートです。
9年前はジワッッと胸が熱くなる、あるいはキュッと旨が締め付けられる感じがありましたが、今回は多くの場合は感覚がほぼありません。

しかし、今回は場所によっては痛みを感じるときがありました。ちょっとチクチク系の痛みです。
さして痛いわけではありませんが、心臓の真ん中あたりがチクチクするので、非常に恐怖感を伴います。
なので思わず「痛いです!」と言ってしまいましたが、「ちょっと我慢してね」と言われました。
でもこういうのは伝えておくべきかなと思います。

先にも書いたように私はアブレーションすべき場所がいくつもあるようで、チェックしては焼いて、また場所を変えてチェックして焼くという繰り返しが延々と続きます。
アブレーション温度はずーっと50℃一定でしたが、時間は最大90秒でした。多くが60秒か90秒でした。
結局1時間半ほど、この作業が延々と繰り返されました。

そして、「一度チェックをします。投薬で不整脈を起こしますので、ちょっと気持ち悪いけど我慢してくださいね。」と言われます。
おお!これは9年前には無いメニューだな?? 「アデホス」準備と聞こえた気がします。
アデホスは頻脈が止まらなくなった時に止めるための投薬ですが、それがどういう風に使われるのかはよく分かりません。
でも打たれたときの感覚は、まさにアデホス!!!
全身に衝撃派が走り、「ぐわー」と叫んでしまいます。気持ち悪いと言われますし、ネットにもそう書かれていますが、、
痛くもないし、吐き気がする訳でもありません、全身にシビレが走るというか、、ゾクゾク感の激しいのが駆け巡るというか、、、とにかく「ぐわー!!」なのです。
2分ほどで抜けていきますので、まあ実際はどうってことないのですが、、声を出さずにいれる人はいないと思います。
で、最初はパニックで過呼吸になってしまい、手先がジンジン痺れてしまいました。
痺れを訴えると、「それはいけない、直ぐにゆっくりした深呼吸に切り替えてください!!」と看護師さんに言われます。
ゆっくり息をすると、次第にシビレはなくなっていきます。

そして、「だいたい大まかには終わった感じです」と告げられます。やった終わったかと思っていると、
「10分ほどこのまま経過観察をして、問題なければ、再度チェックをしていきます。」と言われます。

これまた9年前にはなかったメニューです。
先生や看護師さんたちはちょっとした休憩タイム。データを見ながら意見交換しつつも、メインは終わった感が会話から伝わってきて、笑い声も出始めます。
山は越えたんだなと思えて、少しホッとします。

そしてまた人工的にあちこちドクドク頻脈おこさせたチェックが行われます。
そして「もう一度だけ、あの気持ち悪い薬入れます、もう一回だけ我慢してください~」と言われます。
ええ!??とは思いますが、痛いわけではないので、身構えます。
今度こそ声を出さないようにと、踏ん張りますが、、、、、、、やっぱ「ぐわー!!」と言ってしまいました。

でも、それで最期でした。
「手術が終わりましたので、カテーテルを抜いていきます。抜くとき痛いですが堪えて下さいね~」
と言われます。まあ痛いですが、これで最期と思うと、へっちゃらです。

しかし、ここからまた9年前になかったメニューが始まります。
カテーテルを抜いて直ぐに止血が始まるのですが、、これこんなに痛かったっけ??という感じ。
カテーテル挿入部を先生がグーッと圧迫止血をするのですが、、、こんなの余り記憶にありません。
傷口を上からグイグイ、グリグリありったけの力で押すわけですので、これはのた打ち回る鈍痛です。
「イタイイタイ」と声を上げてしまいましたが、「血を止めなきゃいけないので、がんばってね!!」と言われるだけです。
悶絶して痛みに耐えます。でも5分ほどで止血は終わりました。

しかし、これのおかげで、とにかく術後の回復は9年前対比で驚くほど早かったのです。
それを思うと、これは是非やってください、この痛みは絶えれないものではありませんので、、という感じです。

手術時間は今回は止血込みで約2時間半でした。9年前は手術6時間+痛くない止血に1時間でしたから、、、、
やっぱり医学は格段に進歩しているのだなと思いました。

 

 

 

 

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(3)

2018年03月04日 | カテーテルアブレーション

さて、入院二日目。いよいよ手術本番です。

病院の朝は早く、6時起床で、看護士さんが患者さんの様子をチェックして廻ります。
それが済むのが8時前、そこで朝食となります。
しかし私は朝9時スタートの手術でしたので、朝食は抜きです。間違って配膳されないように、「絶食」の札がベット脇にかけられていました。

私は朝食の代わりにこの時点で点滴が開始されます。その前に手術着に着替えます。
何の点滴か分かりませんでしたが、おそらく手術中にアブレーションで血栓が出来ないように、血をサラサラにする薬ではないかと思われます。

点滴が始まったくらいで、付き添いの妻が病院にやって来てくれました。でも余りゆっくり話す時間もなく手術室に移動だと言われます。
ただ元気ですので、点滴システムをコロコロ押しながら、自分で歩いていきます。
ただしメガネはかけられませんので、視力0.3の私には折角手術室に入っても、今一つ全体がぼんやりとしか見えないのが残念なところです。
9年前も同じ状況なので、手術室が刷新されていたのかどうかが今一つ良く分かりませんでした。
当時もかなり最新鋭の手術室だなと思った記憶がありますので、大きく変わっていないような気もしますが、オペレート様の大きな液晶モニターが2面あったのですが、これは昔はなかったなと思った程度でした。

そして自ら手術台に上って座ります。こちらは9年前と同じく、固めのシートなのですが非常に良くできていて腰にフィットします。
これから受ける手術の恐怖を考えると、緊張は最高潮ですが、そんな中でも、このシートは腰に気持ちいいなと思えるくらいにとにかく気持ちが良いのです。
手術台の上では手術着は脱ぎます。よって一旦丸裸になります。手術室は暖かくはないので、これは非常に寒いです。
しかし直ぐにテーピングされたり、シートで包まれたりしますので、直ぐに丁度良い温度になります。
さらに顔の周辺にジグが置かれて、その上からシートを被せられますので、全く周囲を見る事は出来なくなります。

そして間髪入れずに首元に局所麻酔注射が打たれます。で、打った直後に、グッとカテーテルが入ってきます。
あれ、前回手術より痛いぞ!!っと焦ります。正確に言うと前回と痛みの種類異が違います。
カテーテル挿入時は麻酔をしていても結構痛いのです。
前回は刺されるような切られるような刺激系の痛みでしたが、今回は傷口を思いっきり押されるような激しい鈍痛を感じます。
でも一瞬です。うっ!っと一声上げれば終わります。痛みは持続はしません。


そしてここからが、本番!カテーテルがずぶずぶ入ってくる恐怖の感覚が、、、、、、ん?ん?ん?
シュシュシューっとカテーテルを入れていく音がするのだけれども、何の感覚もありません。
準備しているだけかな?と思ったのですが、この時既に首からのカテーテルは入れ終わっていたのでした。

「次、鼠蹊部に麻酔を打ちますね~」と言われて、直ぐに鼠蹊部にカテーテルが入ってくる激しい鈍痛が!
「痛たた!」っと声が出てしまいます。「痛いけどちょっと頑張ってね~」と声をかけられます。
でもこれも一瞬。ちょっと追加で麻酔して~と指示が飛びます。
もう一回グッとカテーテルが入ってきます。追加麻酔は差したときの痛みがなかったので、麻酔効いているはずなのに痛いな、、と思っていると、、
「それじゃあ追加打ちま~す」と、、、おいおい、先に追加打ってから2本目入れて欲しいなぁ、、と思いながら冷や汗がどっと出ます。

そしてまたシュシュシューっと音がします。身構えますが、、、、、、ん?ん?ん?何の感覚もありません。
しかし急に心臓の中ほどで、血流を逆らうような、ムラムラとした動きを感じます。お!カテーテルが来てる!!

こ!これは凄い!!!!
ここで私は9年間の医学の進歩に感激をしていました。

9年前のカテーテルアブレーション手術で、術中何が一番大変かと言うと、このカテーテルが血管の中を進んでいくときの感覚だったのです。
痛点を持たない血管に物を入れても痛くはありません。でも非常に不快な違和感、血流が大逆流するような嫌な感覚がします。
そして、カテーテルが血管の曲がった部分で壁に当たると、背中をハンマーで殴られた様な衝撃と痛みが全身を走るのです。
そして術後もその感覚は何度も鮮明に、リアルにフラッシュバックされます。このフラッシュバックは数日続き、夜はうなされるし、昼もフラッシュバックが起きると動けません。
何もしていないのに何度も手術を受けているような間隔と痛みを追体験することに苦しむのです。

でも、今回の手術ではその覚悟していた感覚が、「皆無」なのです。これが9年間での医学の進歩です。
痛いのは最初に入れる1秒だけです。それを3回我慢すれば、その後カテーテルを心臓に入れるまでの間はほぼ無痛どころか感じることすら出来ません。

心臓に入った後、検査とアブレーションが始まりますが、その際は心臓内をカテーテルが動くたびに、感覚は伝わります。
でもムラムラと血流の逆流感を少し感じる程度で、まったくなんていうことはありません。不快感も殆どありません。
あっ動かしたな、、、という程度です。

これは今回は楽に済むのか??と少し期待しながら、手術は進んでいきます。

 


 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(2)

2018年03月03日 | カテーテルアブレーション

さて入院初日です。

9年前は午前中に病院に入っていますが、今回は14時入り指定。妻とゆっくりランチをとってから入院しました。
初日は痛い事はされないと分かっていますので、少し気持ちも楽です。

病室は当然今回も大部屋ですが、病室に入るとなんとTVだけでなくDVDデッキも備わっていました。
ブログを読み返すと携帯用のDVDプレイヤーを持って行ったんですね、そんな事をすっかり忘れていました。
しかし今はゲームでも動画でもネットサーフィンでもスマホがあれば事足りますからね。
DVDディスクを借りておこうなんて、発想すら思い浮かびませんでした。
9年の歳月はやはり環境も相当変わっていますね。

さて病室で看護師さんから入院計画説明を受けました。3泊4日、これは9年前と同じです。
最初に驚いたのは、尿管を入れる入れないは選択式ではなくなっていた事です。
説明書に尿管を入れますと明記されています。
9年前に結局手術よりも遥かに痛かったのはこの尿管挿入時であった事は鮮明に覚えていました。
「前回入院時はしなくて良いと言われましたよ!!」と激しく抵抗、、、
後々我がままだったと、今となっては反省していますが、、、
「どうしても嫌ならば、、、」と言う事で、許していただきました。

さて、初日のメニューはまず「毛剃り」です。
術後の止血で体にバンドを巻きつけテーピングをしますし、特に鼠蹊部はカテーテルを入れますから、
へそから下、ひざから上の体毛は全て剃る必要があります。
自宅で剃っても良いのですが、何処まで剃るか良く分からないし、自分では上手く剃れない部分もあるので、
恥ずかしいのですが、前回同様病院で剃る事にしました。

前回はベッド上で若くてかわいい看護師さんに剃ってもらって、大変恥ずかしかったのですが、
今回も同様に若くてかわいい看護師さんがやってきました。
シャワー室で剃ると言うので、ベット上じゃないんだなぁ、、と思いながらヒョコヒョコついていくと、、、

なんと!バリカンを手渡されるではありませんか!? ええ!?

「それじゃあ、剃り終わったらナースステーションに声かけてくださいね~」と満面の笑顔で去って行かれました。
まあ、恥ずかしい思いをしなくて良いか、、とは思いましたが、どれだけ剃って良いのかわからないので
どうしようと思いながら、必至に9年間を思い出そうとしながら剃り始めました。

安っぽいバリカンで、いきなり全部を剃るのは大変で、結構痛いし、石鹸を塗りながらやりましたが、
肌も赤くなってヒリヒリして、これならば家でやって来ればよかったと大後悔。
剃りながら、そう言えば、意外と膝下にまでテープが廻ったり、点滴テープや手術中のテープが
腕に貼られる事を思い出しました。毛剃りを指定されていない部位に貼られたテープを剥がすのは相当痛いので、
膝下や腕の毛も全て綺麗に剃っておきました。
これは今回正解だった点です。術後にテープをはがす時に痛くなくて良かったです。

その後の入院生活で分かったのですが、看護師さんの数が9年前より明らかに減っていました。
またナースコールをしてもなかなかやってきてくれないこともありました。
数が減ってさらに担当している患者数は増えているようなイメージでした。

少しでも看護師さんの業務効率化という事で、尿管が標準化されて、毛剃りもセルフで、という事に
なったんだと想像します。

でも看護師さんは、どの人を見ても9年前に比べて圧倒的にセカセカと非常に慌しく動かれていました。
効率化を図ったと言うよりも、業務量が圧倒的に多くて、やむを得ずの対策なのだろうと思いました。
病室も満員、そして退院してベットが空くと、直ぐに掃除が入って、そして間髪いれずに次の人が入ってくると言う
超高回転状態でした。

医療現場は明らかに過密状態です。これは大変な事になっているのだなと、実感する入院にもなりました。

毛剃りが終わると、心電図を撮りに行って、初日のメニューは終わりです。
夕食を頂いて、スマホゲームで時間を潰し、明日の手術の想像をしないようにして、早目の就寝としました。

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(1)

2018年03月02日 | カテーテルアブレーション

当ブログは最近は私の鉄道写真を紹介する内容が主、と言うかほぼ100%近いのですが、
意外と今でもアクセス数が多いのが「カテーテルアブレーション」のカテゴリーなのです。
経験する方が術前ネット検索してここまでたどり着いていただいている様なのですが、、、記載したのは2009年。
もう10年近くも古い情報な訳です。

しかし、そんな思い出したくも無い手術の第二章を記載する事になるとは、思っても見ませんでした。

そうなのです、なんと、今週、このアブレーション手術の2回目を受けていたのです!
そして、退院したのは正に本日の午前中。今日の朝食は病院のベットの上で食べていたんです。
正に受けたてホヤホヤなのです。

実は3年前に一度頻脈が発生しました。その時は心房細動を併発はしませんでしたので、ただ苦しいだけ、
救命救急に行ったのですが、救急が人であふれかえっていて、直ぐに治療してもらえず、仕方なく待機室で
お医者さんから「息ごらえ」という自力で止める方法を伝授してもらって、それで止める事が出来たのです。

それ以来、6ヶ月に1回ほど発生していたのですが、その方法で簡単に頻脈をとめる事が出来ていました。
ところが年末にとうとう自力で止められない頻脈が出張先で発生、見知らぬ病院にタクシーで駆け込み、
投薬で止めていただくと言う事態が発生してしまいました。

過去に手術を受けた病院にて診てもらうと、9年前にアブレーションで焼き切ったはずのケント筋が、
人間の自然治癒力で復活してしまっているかもしれないと言うのです。

実は9年前の術後の診察で、そんな事あるかもしれない、、、とは言われていたのですが、、、、
まさか本当にその日がやって来るとは思っても見なかったのです。

もちろんそれを確かめるのは、再びカテーテルを入れるしか手法はないようです。
でもし、復活しているわけではなければ、過去の手術で見つからなかった心筋を捜しに行くしかないと言う訳です。
いずれにせよ、再びあの嫌な手術をしなければ成らないと言う訳です。

ということで、何と「カテーテルアブレーション体験記(最新版!)」 第二章のスタートです!!!!

 

 

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カテーテルアブレーション体験記(7)

2009年04月08日 | カテーテルアブレーション
入院四日目(退院)

大手術ではあったが、最先端医療に助けられ
終わってみれば三泊四日の短い入院であった。

看護士さんの顔もすべて覚える暇もない短い入院。
ありがたい話ではあるが、もう一泊くらいさせてほしかった
気もする。

朝10:00には病院を後にして、帰宅。

カテーテル挿入部の痛みはかない残っているのだが
仕事をしようと思えばできなくはないくらい、後遺症は全くと言ってない。
行動制限もまったくないのである。

改めて驚くべき最先端医学を体験した、としみじみと思った。

しばらくは軽い記憶通がでるため、仕事は休ませてもらったが、
これを書いている本日、4週間後の外来検査をしてまったく問題なし!
カテーテル部の痛みも、外傷も100%完治しており、全く持って
元通りの生活を送っている。

長い カテーテルアブレーション 体験記 を読んでいただきありがとうございました。
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カテーテルアブレーション体験記(6)

2009年04月08日 | カテーテルアブレーション
入院三日目

朝六時の看護士さん回診の際、早速、歩行許可を取りトイレにダッシュ!!
これですべての苦痛からようやく開放される。

長かったが、よくよく考えると、心臓手術を7時間もしたのに
一晩たったら歩けてしまうわけで、、医学の進歩はすごいものだと
あらためて感じた。

点滴はついているし、カテーテルを入れたところはかなり痛みがあるが
まあ、それ以外はどうと言うことはない。
いわゆる病気状態ではないわけで、至って元気なのである。

朝食もすべて平らげ、やることがあまりないのでDVDでスパイダーマン3を
見るが、、1,2ほど面白くなく、、ヒマヒマ状態。

妻にメールして、プラモを持てきてもらうことに。

心電図測定があったが、歩行許可が出ているので歩いて一人で外来に
行くのである。なんかちょっと寂しい、、昨日までの手厚い待遇では
ないのである。

その後主治医の回診や看護士さんの数度の体温チェック、点滴はずしがあり
この日のメニューは終了。

ひたすらプラモを作って、一日終了! しかも明朝退院との連絡。

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カテーテルアブレーション体験記(5)

2009年04月08日 | カテーテルアブレーション
入院二日目(術後)

手術室から出ると、妻と母親が出迎えてくれた。
手術を受けたほうも7時間は辛いが、途中経過を知らされないまま
待たされる家族の心労もまた計り知れないものがあったようだ。

術後はもとの病室へは戻らず、ナースステーションの横で初期安静の3時間を
すごすこととなる。

術前にアブレーションの体験談をブログで見ると
痛い、痛くないは個人差が大きいのだが、皆さん術後の絶対安静6時間が
もっとも苦痛だと、共通して書かれていて、覚悟はしていたつもりだったが、、

みなさん手術時間が3~4時間程度なのに苦痛と書かれている訳で、、
手術が7時間もかかった私はどうなるのかと、かなり不安になる。

少し尿意を催したので、尿瓶をあてがってもらうのだが、出ない、、、
まあ、術前に搾り出したし、飲まず食わずなのでそんなものかと
思っていたのだが、これが後で少々厄介な事となるとは、、
しばらくして、父親が母親を迎えに来て、両親はここで帰って行った。


2時間たつと食事が出る。
これまたブログを見ると共通して食べる気になれないと書かれているが
朝から絶食で夕方18時である。
よく食欲出るはね、、と妻に言われながら食事を取る。
とは言っても絶対安静なので完全にベットにフラットに寝たまま
食べなくてはならない。当然自力では食べられず、妻に食べさせてもらう。
こんな状態なのに、とっても美味しく感じられた。
これを見て妻も少し安心したようである。

そしてこれからが地獄であった。
腰が猛烈に痛い、、手術開始から9時間も、寝たまま寝返りもうてず
足も曲げてはいけないのである。
妻にさすってもらったのだが、これが天にも昇る気持ちよさ!
これがなかったら気が狂っていたかもしれない。

そして尿が出ない、、、どうもソケイ部麻酔が効いていて
踏ん張りが利かないみたいである。お腹が張ってきてるとの事で
結局尿道カテーテルを入れることになってしまったのである。
これが、激痛!!である。手術よりも痛い!痛い!痛い!
男子の尿道にはいくつか尿を絞る筋肉の扉がある感じで、痛いのは1回だけでは
ないのである、3回くらい門をこじ開けられる激痛が走った。

まあしかし、これで尿意を心配しないですむと思った矢先、カテーテルを
抜くというではないか!!何故?尿袋つけるのではないの?
「尿袋つけるんでしたか?、これつけないタイプで一回だけ出すタイプなので
尿袋つけるなら、一回はずしてもう一度専用のを入れることになりますが、、」

もう一回入れるわけがないのである。
そして抜くときも結構痛いのである、、次に尿意が来たとき、果たして
自力でできるか、、恐怖感に包まれる。

そしてもう一つ困ったのが、「記憶痛?」である。
何故か時折、手術のイメージがよみがえり、カテーテル挿入時の
感覚が足の付け根から入ってきて、血管をつつき、心臓へ来た感覚が
順番にトレースするように、デジャブのようにそのときの痛みとともに
蘇えって来るのである。これはたまたたまらなかった。
もう一回手術をしているようなものである。

何とか3時間が過ぎ、一般病棟へ移動。
その後腰をずっとマッサージしてもらった妻には本当に一生感謝せねば
ならないのだが、おかげで無事絶対安静6時間を経ることができたのである。

そして消灯、、妻が帰った直後に尿瓶で自分で尿を足すことにも成功。
寝返りも打てて、一安心、長い一日がこれで終わるのかと思いながら
しばし眠りに落ちた。


しかし、苦しみはもう1つ残っていたのである。
夜中3時ごろ、、今度は便意を催す。
ブログを見ると大体緊張するので2日は便秘になる人が多いようで
まったく心配していなかったのだが、、、、
看護士さんを呼んで聞くと、ベット上で動いてもいいけど歩いてはいけない
差込式便器を持ってくるというのである。
一般病室内で用を足す!!においは拡散するのでは??そう思うと
遠慮してしまった。

腹痛と戦いながら、朝を待つのが最後の戦いであった。

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カテーテルアブレーション体験記(4)

2009年03月20日 | カテーテルアブレーション
入院二日目(術中)

体覆った布に、手術を行う穴を開けたら、即手術開始である。
「まず鎖骨部からカテーテル入れます」と言われ、部分麻酔を打たれる。
部分麻酔は痛いと効いていたが、インフルエンザの注射くらいの痛みで
ほとんど痛くない。
即効性があるらしく、すぐにカテーテルを入れるツーンとした痛みが。
まあ、耐えられない痛みでは全くないけど、、ちょっと痛いと言ってみる。
するともう1本麻酔打ちますと、、2本目は麻酔が効いているので感覚なし。

しかしカテーテルが心臓部へ向かう感触には閉口した。
ドクドクッと、正に血管に異物を入れられている感触。
確かに「痛い」わけではない、吐き気を伴わないので「気持ち悪い」という
表現も適当ではない、血管に異物が入る感覚なぞ、動物の、人間の
生物的設計上おそらく予期されていない現象なのであろう。
おもわず、「うぐわぁぁぁ」と声を出してしまう。
痛くはないけど、針金で体を串刺しにされている異物挿入感覚ははっきりとある。
こんな状態で数時間もいるのかと思うと、冷や汗が出てくる。

「次は下から入れます。」と言われ、ソケイ部に麻酔が、、またちょっと挿入時に
痛みを感じて、麻酔追加。鎖骨部でも2本打ったのだから、あらかじめ
二本打っておいて欲しいよなぁ、、と思っているうちに
またカテーテルが入ってくる違和感。しかも今回は腹の辺りで血管の壁に
ぶつかったらしい、、一瞬激しい腹痛!「ごめんなさい」と言われるが
これはたまならい! 間髪いれずに2本目が入ってくる。
今度は腎臓の辺りの血管壁にあたり、また激痛が!「いたた!」と声が出る。
そして3本目、これは挿入部が痛くて、麻酔を3~4本打ってもらったみたいだ。

カテーテルは入れるときが痛くて、あとはそれほどでもないと聞いていたが、
そうでもない。カテーテルを動かすたびに、挿入部は若干痛い。
そして心臓内をカテーテルが動く異物感を感じる。
「痛い」手術かと聞かれれば、「たいして痛くはない」手術ではある。
しかし「たまらなく嫌」な感覚の手術である。

早速検査が始まる。これは事前に聞かされていたので恐怖感はない。
人工的に心臓に電気を走らせドクドクと勝手に心臓を動かしている模様。
苦しいけど、頻脈を起こしたときの感覚に似ていて、まあ息苦しい程度。
いろんな波形を入れているようで、心臓のあっちがうごいたり、こっちが
動いたりしている様に思えたが、実際のところはわからない。
応答波形を見ながら、焼ききるべきケント束を特定している。
しかしその見極めは難しいらしく、、、
「P波先行している?」
「良くわかりません」
「ピークtoピークでみるしかないんじゃない?」
「それだと30、、う~ん35くらいかなぁ先行しています。」
「そう、けっこういいねぇ」
「ここ、わるくないよねぇ、、どう思う?」
「いいんじゃないんでしょうか」
「じゃあいこっか」

いや、、そんな適当なもんで大丈夫かなぁ、、、と思っていると
「一回検査しますので体が熱くなります」といわれる。
検査?熱い?アブレーション本番なの?でも検査?ん?
と思っていると。体の中にカーッと熱い感覚が生まれ、お尻に抜けていく
ような感覚が走る。別に苦痛ではない。
それ以上説明がなく、これで終わりだったらいいなぁ、、と思ったけど
やっぱりただのテストだったみたい。

以降、何の説明もなく以下の会話が聞こえてくる。
「テストします」「はいどうぞ」
「118オーム」「はい」、「スタートします。」
「40℃、22V、15秒」、「42℃、24V、20秒」、「45℃、24V、25秒」
「45℃、24V、30秒」、「切れました」
「45℃、24V、35秒」、「45℃、22V、40秒」、「ストップ」

ん?なんだ?アブレーション?と思っていると
「熱くなかったですか?」と聞かれる。全く感覚がない。
結局これが一回目のアブレーションであった事が後々わかる。

以降は次々に場所を変え、探っては人工ドクドクをして
アブレーションで焼くという行為が延々と繰り返されたのである。
アブレーションは全く痛くも熱くもない。ただし時間が30~40秒を超えて来ると
心臓が若干締め付けられるような感覚は出てくる。最大90秒やったが
さすがにそこまで来るとちょっとキューっとするが、まあ言われなければ
気が付かない程度である。

しかしHPなど見ていると3回程度アブレーションやると手術は終わっているのに
一向に終わる気配がない。
「逆電きえたか?」「消えません」の繰り返しで
何箇所焼くの?というくらい、アブレーションしまくり。
アブレーションはいいけど、カテーテル動かすときが痛く気持ちが悪いので
一刻も早く終わって欲しいけどおわらない。

「どうも太いんじゃない?」「いや私もそう思います」
なんて会話がしてくる。
「順番に焼いてきたけど、、太いんだよこれ」「順番に焼いてきて正解だね」
「そうですねぇ」「いや、、ブロードバンドだなぁ」
、、、、そういうことか、、どうもケント束が太くてなかなか焼ききれないらしい。

「先に失礼します」という看護士の声が聞こえた。
おそらく3時間経過して昼になったのだろう、、、、予想より長い。

「電極の先を曲げよう」といわれ鎖骨のカテーテルが一旦抜かれ
また入れられる。カテーテルの抜き差しは痛いので勘弁して欲しい、、
そしてまた延々と場所特定とアブレーションの繰り返し、、

「逆電きえないねぇ」「しぶといねぇ」
「もしかして左じゃないか」「左もみようよ」
といわれ足のカテーテルが入れなおされた。入れなおしはやめてくれー
と思ったが、だんだんこれにも慣れてくる。
足は新たにカテーテル入れる場所を変えたみたいだ。

ようやく先生から「どうもケント束が太くて、2本あったみたいです」
と説明がある。

そしてまた同じ作業の繰り返し、、、腰が少しずつ痛くなってくる、、、、、
猛烈に長い、、、家族は心配しているだろうなぁ、、

何度か手術が中断し、どこかに医師が集まり相談している。
なんか、嫌な感じ、、、このまま焼ききれずに終わるのか??

人工ドクドクをしていると、急に腹を殴られたような、ドデカイドクドクを
食らう。思わず「うぉー」という。
「おい高すぎるぞ」「でも下げすぎるとわかりません」
「でも患者さん苦しいって」
オイオイ、何をしてくれるねん、、と思っていると
少し小さい動きにされて、このくらいなら大丈夫ですか?と聞かれる。
冷や汗がどーっとでる。

しかしこれが最後のチェックだった。
「長かったです。お疲れ様でした。6時間かかりましたが全部焼ききりました。」
ほっとするが、、本当に焼ききれたのかぁ、、とも思う。

そこからカテーテルを抜き止血をするのに結局プラス1時間。
合計7時間の大手術となった。さすがに腰は限界であった。
ちなみに、カテーテルを完全に抜き取るときは、また別格の痛みがあり
これが今回の手術で最も痛かった。でも一瞬だしこれで終わりと思うと
まあ許せるのである。

時刻は16:00となっていた。

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カテーテルアブレーション体験記(3)

2009年03月16日 | カテーテルアブレーション
入院二日目(術前)

病院の朝は6時と早い。

巡回の看護士さんが検温・血圧測定、昨日のトイレの回数を聞きに
やってきた。そこで思わぬイベントが!

なんと毛剃りのチェック! 昨日の看護士さんが若かったために
ベテランの看護士さんにチェックを申し送っていたらしい、、
ベテランといっても、20代後半のこれまたスラットした美人看護士さんである!
毛を剃られた情けない陰部をまた自らさらす事となった。
まあ、職業柄看護士さんはなんとも思っていないんでしょうけど。

今日は手術が9:00からなので朝は絶食である。
尿管をつけないので、トイレに3回ほど行って搾り出してくる。
まあ3時間程度の手術なので大丈夫だろうと、勝手に決め込む。

さすがに緊張していないといえば嘘になるけど、術着に着替えると
もうまな板の鯉である。朝一手術だと待ち時間もなくバタバタと
始まっていくのに助けられている部分もあるような気がした。

9:00 いよいよ妻とお袋に付き添われ、自分で歩いて手術室へ、、

手術室はドラマのイメージと全然違って、明るく最新鋭の装置がならんでおり
近未来を感じさせる空気が流れていて、怖さを全くといって感じなかった。
手術台は狭くて硬いと聞かされていたが、確かに狭いけどホ-ルド性がよく
なにしろクッションが薄いのに良く出来ていて、腰がとても気持ちよい!
こういった部っておそらく日進月歩で技術革新が行われているんだろうと
思いながら、台に横たわる。

手術用の布で全身が覆われる。顔の上は直接顔に布がかからないよう
アルミ製の治具で空間が設けられる、が、しかし顔の上空には
布があるわけで、以後全く手術の状況は見えず、先生方の声でしか
進行状況がわからなくなる。
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カテーテルアブレーション体験記(2)

2009年03月15日 | カテーテルアブレーション
入院1日目

朝10:00から妻同伴で入院手続きを済ませ、循環器病棟へ、、
看護士さんから治療スケジュールの説明がある。

上手くいけば三泊四日で済んでしまうとの事。
最も恐れていた尿道カテーテルは付けても付けなくても良いとの事で
もちろん「付けない」を選択。

尿道カテーテルとは手術中、おしっこにはいけないので
尿道に管を差し込み、袋をつけて、無意識におしっこが管から
流れ出て袋にたまるというもの。
尿道に管を差し込むときに、「痛い」という人と「気持ちよい」
という人と意見が2つにわかれるのである。

でもこの病院は手術中も尿瓶で尿を取ってくれるので、
尿道カテーテルは、希望者のみなのである。

説明後、パジャマに着替えていよいよ入院である。

まずはじめのメニューは「毛剃り」である。
股間と大腿部の毛を剃るのである。
太ももの付け根からカテーテルを入れるので清潔を保つためと、
何よりテーピングをするので術後はがすのに痛くないようにするためだそうだ。

担当の看護士さんは若くてとてもかわいらしい人!
恥ずかしがる間もなくズボンとパンツを下ろさざるを得ない状況に。
そしてバリカンで陰毛をバリバリ剃られる。たまにバリカンに毛が引っかかって
痛いですが、、、それよりなにより、ペニスをひょいと持ち上げられて
作業されうるこの恥ずかしさ、、、看護士さんは慣れていて全然平気
見たいですが、、、これにはちょっと参りました。
妻は大笑いでしたが、、、

妻はこの時点で帰宅。その後シャワーを浴びAMは終了。
病院食1回目である昼食をすませ、PMは心電図検査とエコー検査を受けて
14:00頃には全メニュー終了。

翌朝9:00の手術開始を宣告され、後は21:00の消灯まで、夕食を挟んで
借りてきたDVDを鑑賞しながら心を落ち着けるのみである。

鑑賞したのは
「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」と「機動戦士ガンダムⅢ」
大好きなガンダムとウルトラマンを見て、嫌な事はしばし忘れる。
劇中ウルトラマンタロウが「ストリューム光線!」と言う所に激しく
感動!!ウルトラマンタロウ世代の私にとっては、これで体に
力がみなぎってきて、手術の恐怖を振り払えた気がした。
でもゾフィーは「M87光線」って言ってくれなかったのは残念、、、
もっと力が湧いたのになぁ、、、

消灯はずれ込み21:45。早いと思ったが、意外と眠れてしまった。
コメント (9)
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カテーテルアブレーション体験記(1)

2009年03月14日 | カテーテルアブレーション
無事に手術を終えて、生還しました。

めったに体験できる手術ではない(二度としたくはないですが、、)ですから
体験記としてまとめておこうと思います。
しばしお付き合いくださいませ。


まず私に起こった頻脈は、「WPW症候群」と「心房細動」の併発による最も
危険性の高いものでした。

通常心臓を動かしているパルス波は「房室結節」なる心筋を通して心臓を
コントロールしているわけですが、1000人に1~2人の割合で先天的に「ケント束」
なる心筋を持つ人がいて、パルスの通り道を2箇所持ってしまう場合があります。
これをもつ人のことを「WPW症候群」と言います。

WPW症候群だけで、別に問題があるわけではないですが、
偶発的に頻脈を起こすことがあります。しかし起こしてしまっても一定時間で
直ったり、薬によって収めることが出来るそうです。

ところが、もっと偶発的にWPW症候群が「心房細動」を引き起こすことがあり
これが発生すると、心拍が200を超えて突然死をする危険性がグッと高まります。

原因はまだ定かではなく、偶発としか言いようがないらしいですが、
今回私は38年間、発作など経験が皆無で、自分がWPW症候群だということも
知らずに生きてきましたが、最悪である「偶発の偶発」が重なり
頻脈が発生し、心拍は300を超えてしまったのです。

しかし奇跡的に死に至ることはなく、胸が苦しいなぁと思いながら
家族を乗せて深夜の高速道路を東京から三重まで運転していたのでした。
心拍300を超えると死に至らないまでも、意識を失うことがほとんどだそうです。
私の仕事の知り合いも先日同症状が発生し、心拍200を超えてホテルのフロントで
意識を失い倒れたそうで、、、

心拍300を超えた私は心臓死しなくても、高速で意識を失い
一家で交通事故死していた可能性はものすごく高かったのです。

このようにWPW症候群をもっていても、一生何も発生しない人も多々いるそう
ですが、私のように心房細動を引き起こした場合、次は突然死を覚悟しなければ
ならないそうで、、、基本的にはケント束を焼き殺す手術、すなわち
「心臓カテーテルアブレーション手術」を受けて再発防止をする事となります。

成功確率は90%です。10年前くらいから確立された危険性の少ない手術で、
それまでは開胸手術であったために、もっとリスクは高かったそうです。
しかしそれでも成功率90%であり、1割は失敗のリスクがある手術であることに
違いはありません。

失敗の事例の大半は「焼き切れない」という結果、極わずかですが
本来の心筋である「房室結節」まで焼きってしまい、ペースメーカーを
埋め込む事態となってしまう例や、最悪死亡という事例もあるそうです。

そういったリスクがある事を承知した上で、手術同意書にサインしなければ
なりませんから、妻帯者としてはかなり迷うところですが、、
やはり「突然死」は困りますので、90%の成功例に賭ける形で今回手術を
受ける決断をしたのです。
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