大人になれないオヤジたち

模型作例と模型工具について紹介するブログです。
現在は主としてガンプラをターゲットに改造工程を紹介しています。

JR西日本 C56-160 SL北びわこ1号 北陸本線(米原-木ノ本)

2018年03月26日 | 鉄道写真(JR)

これまで特段SLに興味があったわけではありませんが、C56-160が北びわこ号から近々引退するとのことで、
北陸本線に行ってみることにしました。

しかし米原から列車に乗ってくると、沿線は何処もかしこも人でいっぱいで驚きました。
ただ比較的どの場所も見晴らしが良いので、一ヶ所にひな壇になって劇パになっているようなところは少ないように見受けられましたが、、
乗ってきた列車がSLの直ぐ1本前を走っていた事もあり、駅近くで撮影者が多くいるところに行ってみることにしました。

しかし、太陽光がトップ近いの時間だったので、光線的になかなか厳しいものがありました。
またSL撮影は煙が命のようなのですが、、、、こうやって風になびいちゃっているのはイマイチみたいですね。よく分かりませんが、、、
しかし煙がショボショボなのよりは良いかなと。

 

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近鉄12200系+22000系 名古屋線(桑名-四日市)

2018年03月25日 | 鉄道写真(私鉄)

新色の特急がかなり増えた印象の近鉄名古屋線ですが、塗色変更の対象外であるスナックカーがやってくると撮影にも気合が入ります。
この日は22000系リニューアル車との連結で8両編成にて颯爽と通り過ぎていきました。
もう少しするとここは水鏡を撮影する人で賑うこととなります。

 

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JR貨物 DD51-1156&1801号機 8079レ 関西本線(稲沢-四日市)

2018年03月18日 | 鉄道写真(DD51)

今日はダイヤ改正前の写真の紹介です。
石油輸送もそろそろ縮小ムードになるために今年度分のDD51重連を撮り貯めておこう、、、
その様に軽い気持ちで今月上旬に撮影した1枚なのですが、、

まさか2week後にこの重連を撮影できなくなるとは思っても見ませんでした。
国鉄色のDD51が引退してから、しばらく閑散としていた関西線に、最近はかなり人が戻ってきたな、、
そうは思っていたのですが、まさかこんな事態になるなんて、甘すぎました。

コスモ前はどちらかと言うと広角で撮影するのが好きなので、意外とこの有名なアングルでの望遠圧縮写真を
撮影したことがなかったな、、、と思って撮った一枚です。

せめて1枚くらい撮影しておいて良かったなと言う1枚になりました。

 

[PHOTO DATA]
ISO8
00,1/1600s,F10,70mmTR
コスモ前にて、2018年3月13:27撮影。

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ダイヤ改正(関西線貨物の状況)

2018年03月17日 | 日記


今年も送られて来ました!やっぱりこれが無いと始まらない!
地元関西線貨物もダイ改の影響を少なからず受けていた様ですね。
今日は仕事だったので、1本しか撮影出来ませんでしたが、何がくるやらよく分からない状況、、、
貨物ちゃんねる見てても、いろいろ変わっていたみたいです。
帰宅してから貨物時刻表が届いていたので、じっくりと読み始めています。

さて最も気になる関西線貨物のトピックスを記載しておきます。

①DD51仕業が12→6と半減!!
②DD51重連総括仕業の廃止!! 上り石油列車は全てDF200仕業に変更。
③名物石炭灰列車である「5283レ」がDF200仕業に変更。
④DD51牽引の石油列車は下りの返送便である「臨8079レ」のみに残存。返送で軽いため単機牽引。
⑤フルコン確率が高く、平日土日運転の2089レはDD51からDF200仕業に変更。
⑥セメント便の時刻変更なし。しかし全便臨時扱いに、列車番号は全て5000→8000番台に変更。

もう少し撮っておきたかったDD51の重連総括は噂通り本当に消滅してしまいました。
DF200の運転は先月になってようやく本格的に始まったばかりなので、
GW前まではDD51代走運転が続くだろうと思っていたのですが、、、


これまでの仕業はコンテナと石油が混在する事はありませんでした。
それは上りの石油牽引の際に重連運転を組む必要があったからです。
しかし重連総括を組むのは稲沢ですので、送り込みである下りの石油返却便は軽いので、
本来単機でも牽引できるものの重連運転されていた訳です。
それがDF200が重連を組むことなく石油輸送便を単独牽引出来るようになったので、仕業組みに自由度が増しました。
よってDF200は下りはコンテナ、上りは石油という仕業が組めるようになりました。
そして石油返却便にDD51の単機を当てることも出来るようになった訳です。

しかしながら、混在で仕業が組まれてしまっていますから、逆に簡単にはDD51重連をDF200の代走に入れることは
大変難しくなってしまったのです。この細かく、効率重視の仕業を適応する姿勢こそ
JR貨物がきちんと利益を挙げ成長していると言う成果に結びついているのだと思います。

ダイヤ改正の初日からキッチリとDF200が新しい仕業で元気に運用を開始しました。
ですからもうDD51の重連総括が復活する事はないのだと思います。
本日は8075レの四日市~塩浜間でDD51-825が単機でDF200の代走に入っていたのをたまたま目撃しました。
その後定かではありませんが、どうも6287レは運転されていないようです。

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JR貨物 EF66-101 5767レ 東海道本線(大府-稲沢)

2018年03月15日 | 鉄道写真(JR貨物)

久々に地元関西線より足を伸ばして東海道本線にやってきました。
ずいぶん日が長くなったので、夕方の白ホキが撮影可能であろうと、昨年の積み残し課題であった熱田以東での撮影をしました。
偶然にも100番台トップナンバーがやって来てくれました。
普段なかなか撮影することのない、望遠圧縮での編成写真としてみました。
この白ホキは中京エリアならではの列車であるため、もう少しいろんなアングルで撮影してみたい対象なのですが、
なにせ運行距離が短いので撮影場所が限られるのが難点ですね。
特に稲清で写真が撮れなくなった痛手は大きいです。
まあハイトのある脚立持ってきてハイアングルで撮っている人もいる様ですが、それもどうなのかと、、、

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JR貨物 DD51-890&1802号機 8072レ 関西本線(四日市-稲沢)

2018年03月11日 | 鉄道写真(DD51)

いつまでたってもDF200の本格運用が開始しなかった関西本線でしたが、ダイヤ改正一ヶ月前にして一気に運用開始となり、
あっという間に定番石油タンクスジからDD51は消え去ってしまいました。
もう数年はDD51はなくならないと油断をしすぎていました。
そう、DD51がそう簡単に消えないのは確かですが、よくよく考えると石油タンクから離脱すると言うことはすなわち、
重連総括運転をしなくなると言うことなのです。

何故もっと早くそんな当たり前の事に気がつかなったっかのか!?です。そう言っていても仕方がないので早速行動です。
しかし流石に地元を走る列車ですから、最寄駅界隈では同じような写真が増産されるに過ぎません。

と言う事で、まだかろうじて残っている臨時スジを少し遠方まで出向いて狙う事にしました。
臨時スジは日曜日にはごく僅かしか走りませんので、土曜日が勝負です。幸い今週末は晴れましたので、
新川橋梁まで出向いてみました。

この直前を走る下り石油スジは既にDF200に置き換わっているのですが、こちらは大勢の撮影者が群がる事態に。
他府県からこられた方も多かったようです。
しかし直後のDD51重連を撮影した人はその1/4程度でした。ん~皆さんDD51には飽きているのでしょうか?
DF200はこれからいくらでも撮れるのに、、、

夕方の斜光線を浴び、煙をたなびかせながら稲沢へ向かうDD51の重連運転の姿は本当に美しいと思いました。
いざなくなってしまうと思うと本当に寂しく思います。もしかしたらこの週末が重連運転の見納めだったかもしれません。

[PHOTO DATA]
ISO4
00,1/1250s,F10,24mmTR
新川橋梁にて、2018年3月16:40撮影。

コメント (2)
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カテーテルアブレーション体験記 第二章(7)

2018年03月11日 | カテーテルアブレーション

さて入院四日目、術後2日目の朝です。

今日はいよいよ退院です。
朝6時の起床、看護師さんの巡回チェックも特に声賭けだけ、検温すらありません。
8時に朝食は出ますので、平らげた後、昨日妻が持ってきてくれたイチゴも食べました。

そこからは一気に慌しいです。10時までには退院しなければなりませんので、バタバタと身支度を始めます。
昨日一日ウダウダとしていたおかげか、止血の技術の進歩か、9年前はカテーテル挿入部の痛みがかなり長引いていて
この時点で機敏な行動など出来ませんでしたが、痛みは相当に減っていて、まったくもって普通のスピードで身支度をすることが出来ました。

昨日まで感じていた、心臓がときおりキューっとなるような痛みもほぼなくなっていました。

9時過ぎに妻が迎えに来てくれて、ナースステーションに挨拶もそこそこに退院です。
ほぼ同時に本日のアブレーション手術の方は手術に入りますし、午後には新たな入院の方が入ってくるわけですから、
看護師さんもバタバタです。退院する人の相手なんてしている暇はありません。

9年前にくらべるとずっと医学は進歩していて、術中の苦しさも低減されていますし、術後の回復もすざましく早いです。
自分自身は9年年を取っているわけで本来は回復が遅くても当たり前のはずなのですがね、、、
それに引き換え看護師さんの忙しさは二倍になっているようなイメージでした。

術後の清算も、9年前と比べるとあっという間です。入院ですから専用窓口に行って書類を受け取る必要はありますが、
会計に待ち時間は殆どありません。どこの大病院も最近は同じですが、自動清算機に診察券を入れれば、その場で清算完了です。

9年前はこの後、数日間、会社を休みました。術中デジャブーに苦しんだのと、カテーテル挿入部の痛みで直ぐには出社できる状態ではありませんでした。
しかし今回はあまりに調子が良いので、一旦自宅に戻りシャワーを浴びてから、午後軽く出社してみたのです。
当然回りが心配するし無理をしてはいけないので、仕事はしませんでしたが。
会社に行ってみようと思える気力が湧いてきたくらい、今回の術後の回復スピードは速かったということなのです。

今日のこの記事を書いている時点で、術後1週間強な訳ですが、まったくもって普通の生活をしています。
大またを開いたり、首を急にグッとねじったりすれば、まだカテーテル挿入部の痛みはあります。
でも極端なことをしない限りは痛みはありません。通常通り仕事をしていますし、既に日帰りですが出張にも出ました。
次週はいよいよ宿泊出張も入れました。

9年ぶりにカテーテルアブレーション手術をしましたが、総じて言うと、痛みや苦しさがない手術になったとは嘘は言えません。
苦しい手術に変わりはありませんが、でも相当にその苦しさは軽減されており、そしてその時我慢すれば済むものになっています。

2日間耐えれば、その後何かに苦しむような事はありません。
手術には恐怖心は伴うかもしれませんが、いつどこで発作が起こるかわからない苦しさを思えば、これは絶対に受けるべき手術です。

9年前は術後にそう簡単に割り切れる心境にはなりませんでした。二度とやりたくはない手術だと思いました。
でも今回は、直ぐに再手術と言われたらカテーテル挿入部が痛そうなので、抵抗するけれど、
1年後にであれば、抵抗なく受けるだろうなという印象にかわりました。

本当に医学の進歩は素晴らしいと感じる再手術となりました。

ながらく体験記を読んでいただいてありがとうございました。
また通常の鉄道ブログに戻ります~

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(6)

2018年03月11日 | カテーテルアブレーション

入院3日目、手術翌日です。

この日が最も入院生活を楽しめる一日になります、それは9年前に体験しているので分かります。
当時は妻にプラモデルも持ってきてもらって、一日組み立てていた事がブログの記載にあります。

9年前は朝直ぐに行動制限が解除されてトイレにダッシュしたのですが、
今回は時間制限ではなく、医師の回診が必要との事、最初に採血がありました。

そして朝食。もうすっかり元気なので、朝食も平らげて先生を待ちます。
9時前になってようやく回診があり、、、といっても「どうですか?」「大丈夫です~」程度なのですが、、、
その後、先生に止血処置のために体に巻かれていたバンドの様なテーピングの様なものをはがしてもらいます。
これで行動制限が解除されました。

看護師さんが忙しく点滴を抜いている暇がないということで、点滴は連れながらですが、ようやく自力でトイレに行けます。
気を使わずにトイレに自由に行ける事がこれほどありがたいとは!!
ようやく本当に自由になれたんだと実感します。

この後しばらくしてようやく点滴が外されます。そして9年前は看護師さんがシャワールームで体を拭いてくれましたが、
今回は体を拭く蒸しタオルが渡されますので自分で拭きます。その後ようやく手術着からパジャマに着替えます。

そして次は心電図検査です。
24時間心電図を採取しているのですが、あくまで簡易的なものなのでしょうか?
外来病棟の生理検査室での心電図を受診します。行動制限が解除されているので、一人で勝手に行くと言うスタイル。

昨日まではベットの上で寝返りを打つことすら出来ないのに、翌日には一人で病院内をウロウロできると言う
このギャプは凄いです。
でもさすがにカテーテルを入れた部分の痛みはまだまだ取れないので、ゆっくり病院の壁の手すりを持ちながら
ゆっくりとしか歩けません。

しかしこれから戻ってくると、プログラムは食事のみ、全くの自由です。
さて何をしようかと、考えていると、、、夜になかなか寝付けなかったこともあり、トイレに自由にいけるという安心感もあり、
すっかり眠ってしまいました。

午後も、本など持って来たのですが、どうも読む気がおきず、、、
スマホでニュースを見たり、SNSをチェックしたり、、、9年前にはなかったことが日常になってるのだなと思いながら
終日だらだらと過ごしました。9年前はもっと何かをしたいという気力に満ち溢れていたのかなぁ、、、と思いながらも
どうも元気が出ない一日でした。

午後には妻と娘たちが迎えに来てくれました。
娘たちはものめずらしそうに、病棟を徘徊していましたが、、、
面会室でみんなで少しお菓子を食べたり、話をしたり、、おかげで暇つぶしが出来ました。
妻がイチゴをたくさん持ってきてくれて、家族が帰った後、すこしづつおいしく頂きました。
病院食では中々出ませんので、体が潤いで蘇った感覚になりました。

この日はだいぶ昼間寝た事もあって、また夜に眠りにくい悪循環に陥ってしまいました。


 

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(5)

2018年03月10日 | カテーテルアブレーション

さて、無事に手術が終わり、手術室から搬出されます。
入ってきた時は歩いてきましたが、出て行く時は動けませんから当然ベットで搬送です。

9年前は術後の3時間はナースステーション真横の部屋で厳重な経過観察が行われていましたが、
今回は直接一般病棟に戻される形になりました。
これも看護師さんの負担軽減なのか、あるいは医学の進歩で厳重観察が不要となったのかは分かりませんでしたが。

前回は止血のために最初の3時間は砂袋のような物を抱えていた気がするのですが、今回は何も無しでした。
そしてここから地獄の6時間絶対安静が始まります。

手術が辛いか?術後の絶対安静が辛いか?辛さの加減が全く違うので簡単に比較は出来ないのですが、
ここは9年前と変わらない部分でした。
アブレーション手術にもいろんなタイプがあるようで、局所麻酔のものから全身麻酔のものもあるようですが、
HPやブログで皆さん必ず辛いと共通して書かれているのが、この術後の絶対安静です。

文字通り、単に寝ているだけで、何をする訳でもありません。
何をする訳でもないというよりも、何もしてはいけない所に辛さがあります。
足を動かしたり、寝返りを打ったりが一切出来ないのです。何もせず、ひたすら6時間の時を絶えます。
暇に絶えるのは最初の1時間くらいです。
そこから、腰が痛く成り出します。そして2時間後には腰は割れるような痛さになってきます。

これは人それぞれだとは思いますが、、、私は術前に何故か腰痛が発生していたので、
絶対安静30分後には既に激痛にもだえ始めていました。
付き添いの妻にさすってもらわないと気が狂いそうになるほどの痛さです。
あまりに痛がるので、看護師さんが今回は痛み止めをくれましたが、自分ではほとんど効いた感じはありません。
でも妻に言わせると、痛いと声に出す回数が激減したので効いているよ、とのこと。

冷や汗をかきながら、何度も時計を見ますが、30分経ったかなと思って見ると5分しかたっていないという感じで、
中々時間が過ぎ去っていってくれません。

そんな状態で6時間を過ごすと言うのは本当に気が遠くなるほどで、永遠に終わらないような恐怖感が出てきます。

途中で食事許可が出て、寝たまま食事を取ります。特に食べ物に制限はなく、病院食がタイミングが合わなかったので、
今回は妻にコンビニでサンドウィッチを買ってきてもらいました。
食事をしていると気がまぎれますので、腰痛もその間は半分忘れる事が出来ます。

そして、その後、尿意を催します。
9年前はここで麻酔が効きすぎて、尿を自力で出せず、尿管を刺されることと成りました。
今回は果たして自分で出せるかドキドキでしたが、すんなりと排尿できてホッと一安心。
申し訳ないですが、妻に尿瓶の処理をお願いする事としました。

こうして今回は尿管を免れたわけですが、結局しょっちゅう尿瓶の処理をしてもらうのは申し訳ないので、
かなり尿意を我慢する事になります。妻が帰ると看護師さんを呼ぶ事になりますので、なおさらです。
しかし尿意を我慢していると、腰に凄く負担感を感じて、腰痛状態にさらに負荷をかける結果となってしまいました。

これはやっぱり我がままを言わずに、尿管を受け入れておくべきだったかと、反省をしました。
普段はそんなにしょっちゅう尿意を催しませんが、何せ点滴を打っていますので、いつもよりかなり短スパンで尿意はやって来てしまうのです。

そして、長い長い絶対安静6時間が終わります。
終わると、ベットを起こして、座った状態にする事が許可されます。自力で腹筋で起き上がったりしてはいけません。
でもベットをおこしながら腰を曲げていくと、本当に天にも上る気持ちよさが体を駆け巡り、ミイラのようになったからだが
生き返ったような感覚になります。


ちょうど夕食が配られ、これもペロッと平らげることも出来ました。
でも、まだベットから立ち上がる事は許されませんので、歯磨きをした後の処置を妻にお願いしました。

ここまでマッサージや会話の相手を6時間も付き合ってくれた妻には本当に感謝です。
御礼を言って、子供の待つ自宅に戻ってもらいました。

寝返りを打てる幸せを感じながら、少しうとうとする事が出来ました。
それでもまだ少しカテーテルを入れたところが痛いし、ウトウトすると無意識に足を広げたりしてしまいますので
直ぐに痛みで目がさめます。また時折アブレーションで痛みのあったところから同様の痛みが出てくると、これまた目がさめます。

ウトウトしたり目を覚ましたりの繰り返しで、余り熟睡は出来ない状態で一晩を過ごしました。
ちゃんと眠れないので、尿意も定期的にやってきます。
結局一晩で2回尿瓶交換をしていただく事となってしまいました。


 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(4)

2018年03月05日 | カテーテルアブレーション

さてカテーテルの挿入が終わると本格的なアブレーション手術が始まります。

実際は何をしているのか専門家ではありませんので、よく分からないのですが、
大まかには、人工的にパルス信号を流して頻脈を発生させて異常なパルスの通り道を特定していく様です。
特定できたらその部位に熱をかけて焼き切るというか、心筋に火傷を負わせて異常なパルスの通り道をなくしてしまうと言う仕組みのようです。

私はどうも異常な通り道がいくつもあるようで、人工的に頻脈を何度も発生させるので、それなりに苦しい感じがあります。
ただこの手術をする人は実際に何度も頻脈を起こしているでしょうから、その時の苦しさと同レベルと言えば感覚は分かると思います。
ですからそう対して辛いと言うものでもありません。
実際の頻脈は自分で止められるか否か非常に不安に陥りますし、不意にやってくるので遠方に外出していたり、出張中だったりするとパニックに陥ります。
それで、あたふたしているとそのうち気が遠のいたりしますので、余計に大パニックになるのが辛いところです。
でも人工的な頻脈は直ぐにお医者さんが止めてくれる事が分かっていますから、安心です。

そして部位が特定されるとアブレーションが始まります。「50℃、15秒で行きます!」と声がかかるとスタートです。
9年前はジワッッと胸が熱くなる、あるいはキュッと旨が締め付けられる感じがありましたが、今回は多くの場合は感覚がほぼありません。

しかし、今回は場所によっては痛みを感じるときがありました。ちょっとチクチク系の痛みです。
さして痛いわけではありませんが、心臓の真ん中あたりがチクチクするので、非常に恐怖感を伴います。
なので思わず「痛いです!」と言ってしまいましたが、「ちょっと我慢してね」と言われました。
でもこういうのは伝えておくべきかなと思います。

先にも書いたように私はアブレーションすべき場所がいくつもあるようで、チェックしては焼いて、また場所を変えてチェックして焼くという繰り返しが延々と続きます。
アブレーション温度はずーっと50℃一定でしたが、時間は最大90秒でした。多くが60秒か90秒でした。
結局1時間半ほど、この作業が延々と繰り返されました。

そして、「一度チェックをします。投薬で不整脈を起こしますので、ちょっと気持ち悪いけど我慢してくださいね。」と言われます。
おお!これは9年前には無いメニューだな?? 「アデホス」準備と聞こえた気がします。
アデホスは頻脈が止まらなくなった時に止めるための投薬ですが、それがどういう風に使われるのかはよく分かりません。
でも打たれたときの感覚は、まさにアデホス!!!
全身に衝撃派が走り、「ぐわー」と叫んでしまいます。気持ち悪いと言われますし、ネットにもそう書かれていますが、、
痛くもないし、吐き気がする訳でもありません、全身にシビレが走るというか、、ゾクゾク感の激しいのが駆け巡るというか、、、とにかく「ぐわー!!」なのです。
2分ほどで抜けていきますので、まあ実際はどうってことないのですが、、声を出さずにいれる人はいないと思います。
で、最初はパニックで過呼吸になってしまい、手先がジンジン痺れてしまいました。
痺れを訴えると、「それはいけない、直ぐにゆっくりした深呼吸に切り替えてください!!」と看護師さんに言われます。
ゆっくり息をすると、次第にシビレはなくなっていきます。

そして、「だいたい大まかには終わった感じです」と告げられます。やった終わったかと思っていると、
「10分ほどこのまま経過観察をして、問題なければ、再度チェックをしていきます。」と言われます。

これまた9年前にはなかったメニューです。
先生や看護師さんたちはちょっとした休憩タイム。データを見ながら意見交換しつつも、メインは終わった感が会話から伝わってきて、笑い声も出始めます。
山は越えたんだなと思えて、少しホッとします。

そしてまた人工的にあちこちドクドク頻脈おこさせたチェックが行われます。
そして「もう一度だけ、あの気持ち悪い薬入れます、もう一回だけ我慢してください~」と言われます。
ええ!??とは思いますが、痛いわけではないので、身構えます。
今度こそ声を出さないようにと、踏ん張りますが、、、、、、、やっぱ「ぐわー!!」と言ってしまいました。

でも、それで最期でした。
「手術が終わりましたので、カテーテルを抜いていきます。抜くとき痛いですが堪えて下さいね~」
と言われます。まあ痛いですが、これで最期と思うと、へっちゃらです。

しかし、ここからまた9年前になかったメニューが始まります。
カテーテルを抜いて直ぐに止血が始まるのですが、、これこんなに痛かったっけ??という感じ。
カテーテル挿入部を先生がグーッと圧迫止血をするのですが、、、こんなの余り記憶にありません。
傷口を上からグイグイ、グリグリありったけの力で押すわけですので、これはのた打ち回る鈍痛です。
「イタイイタイ」と声を上げてしまいましたが、「血を止めなきゃいけないので、がんばってね!!」と言われるだけです。
悶絶して痛みに耐えます。でも5分ほどで止血は終わりました。

しかし、これのおかげで、とにかく術後の回復は9年前対比で驚くほど早かったのです。
それを思うと、これは是非やってください、この痛みは絶えれないものではありませんので、、という感じです。

手術時間は今回は止血込みで約2時間半でした。9年前は手術6時間+痛くない止血に1時間でしたから、、、、
やっぱり医学は格段に進歩しているのだなと思いました。

 

 

 

 

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(3)

2018年03月04日 | カテーテルアブレーション

さて、入院二日目。いよいよ手術本番です。

病院の朝は早く、6時起床で、看護士さんが患者さんの様子をチェックして廻ります。
それが済むのが8時前、そこで朝食となります。
しかし私は朝9時スタートの手術でしたので、朝食は抜きです。間違って配膳されないように、「絶食」の札がベット脇にかけられていました。

私は朝食の代わりにこの時点で点滴が開始されます。その前に手術着に着替えます。
何の点滴か分かりませんでしたが、おそらく手術中にアブレーションで血栓が出来ないように、血をサラサラにする薬ではないかと思われます。

点滴が始まったくらいで、付き添いの妻が病院にやって来てくれました。でも余りゆっくり話す時間もなく手術室に移動だと言われます。
ただ元気ですので、点滴システムをコロコロ押しながら、自分で歩いていきます。
ただしメガネはかけられませんので、視力0.3の私には折角手術室に入っても、今一つ全体がぼんやりとしか見えないのが残念なところです。
9年前も同じ状況なので、手術室が刷新されていたのかどうかが今一つ良く分かりませんでした。
当時もかなり最新鋭の手術室だなと思った記憶がありますので、大きく変わっていないような気もしますが、オペレート様の大きな液晶モニターが2面あったのですが、これは昔はなかったなと思った程度でした。

そして自ら手術台に上って座ります。こちらは9年前と同じく、固めのシートなのですが非常に良くできていて腰にフィットします。
これから受ける手術の恐怖を考えると、緊張は最高潮ですが、そんな中でも、このシートは腰に気持ちいいなと思えるくらいにとにかく気持ちが良いのです。
手術台の上では手術着は脱ぎます。よって一旦丸裸になります。手術室は暖かくはないので、これは非常に寒いです。
しかし直ぐにテーピングされたり、シートで包まれたりしますので、直ぐに丁度良い温度になります。
さらに顔の周辺にジグが置かれて、その上からシートを被せられますので、全く周囲を見る事は出来なくなります。

そして間髪入れずに首元に局所麻酔注射が打たれます。で、打った直後に、グッとカテーテルが入ってきます。
あれ、前回手術より痛いぞ!!っと焦ります。正確に言うと前回と痛みの種類異が違います。
カテーテル挿入時は麻酔をしていても結構痛いのです。
前回は刺されるような切られるような刺激系の痛みでしたが、今回は傷口を思いっきり押されるような激しい鈍痛を感じます。
でも一瞬です。うっ!っと一声上げれば終わります。痛みは持続はしません。


そしてここからが、本番!カテーテルがずぶずぶ入ってくる恐怖の感覚が、、、、、、ん?ん?ん?
シュシュシューっとカテーテルを入れていく音がするのだけれども、何の感覚もありません。
準備しているだけかな?と思ったのですが、この時既に首からのカテーテルは入れ終わっていたのでした。

「次、鼠蹊部に麻酔を打ちますね~」と言われて、直ぐに鼠蹊部にカテーテルが入ってくる激しい鈍痛が!
「痛たた!」っと声が出てしまいます。「痛いけどちょっと頑張ってね~」と声をかけられます。
でもこれも一瞬。ちょっと追加で麻酔して~と指示が飛びます。
もう一回グッとカテーテルが入ってきます。追加麻酔は差したときの痛みがなかったので、麻酔効いているはずなのに痛いな、、と思っていると、、
「それじゃあ追加打ちま~す」と、、、おいおい、先に追加打ってから2本目入れて欲しいなぁ、、と思いながら冷や汗がどっと出ます。

そしてまたシュシュシューっと音がします。身構えますが、、、、、、ん?ん?ん?何の感覚もありません。
しかし急に心臓の中ほどで、血流を逆らうような、ムラムラとした動きを感じます。お!カテーテルが来てる!!

こ!これは凄い!!!!
ここで私は9年間の医学の進歩に感激をしていました。

9年前のカテーテルアブレーション手術で、術中何が一番大変かと言うと、このカテーテルが血管の中を進んでいくときの感覚だったのです。
痛点を持たない血管に物を入れても痛くはありません。でも非常に不快な違和感、血流が大逆流するような嫌な感覚がします。
そして、カテーテルが血管の曲がった部分で壁に当たると、背中をハンマーで殴られた様な衝撃と痛みが全身を走るのです。
そして術後もその感覚は何度も鮮明に、リアルにフラッシュバックされます。このフラッシュバックは数日続き、夜はうなされるし、昼もフラッシュバックが起きると動けません。
何もしていないのに何度も手術を受けているような間隔と痛みを追体験することに苦しむのです。

でも、今回の手術ではその覚悟していた感覚が、「皆無」なのです。これが9年間での医学の進歩です。
痛いのは最初に入れる1秒だけです。それを3回我慢すれば、その後カテーテルを心臓に入れるまでの間はほぼ無痛どころか感じることすら出来ません。

心臓に入った後、検査とアブレーションが始まりますが、その際は心臓内をカテーテルが動くたびに、感覚は伝わります。
でもムラムラと血流の逆流感を少し感じる程度で、まったくなんていうことはありません。不快感も殆どありません。
あっ動かしたな、、、という程度です。

これは今回は楽に済むのか??と少し期待しながら、手術は進んでいきます。

 


 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(2)

2018年03月03日 | カテーテルアブレーション

さて入院初日です。

9年前は午前中に病院に入っていますが、今回は14時入り指定。妻とゆっくりランチをとってから入院しました。
初日は痛い事はされないと分かっていますので、少し気持ちも楽です。

病室は当然今回も大部屋ですが、病室に入るとなんとTVだけでなくDVDデッキも備わっていました。
ブログを読み返すと携帯用のDVDプレイヤーを持って行ったんですね、そんな事をすっかり忘れていました。
しかし今はゲームでも動画でもネットサーフィンでもスマホがあれば事足りますからね。
DVDディスクを借りておこうなんて、発想すら思い浮かびませんでした。
9年の歳月はやはり環境も相当変わっていますね。

さて病室で看護師さんから入院計画説明を受けました。3泊4日、これは9年前と同じです。
最初に驚いたのは、尿管を入れる入れないは選択式ではなくなっていた事です。
説明書に尿管を入れますと明記されています。
9年前に結局手術よりも遥かに痛かったのはこの尿管挿入時であった事は鮮明に覚えていました。
「前回入院時はしなくて良いと言われましたよ!!」と激しく抵抗、、、
後々我がままだったと、今となっては反省していますが、、、
「どうしても嫌ならば、、、」と言う事で、許していただきました。

さて、初日のメニューはまず「毛剃り」です。
術後の止血で体にバンドを巻きつけテーピングをしますし、特に鼠蹊部はカテーテルを入れますから、
へそから下、ひざから上の体毛は全て剃る必要があります。
自宅で剃っても良いのですが、何処まで剃るか良く分からないし、自分では上手く剃れない部分もあるので、
恥ずかしいのですが、前回同様病院で剃る事にしました。

前回はベッド上で若くてかわいい看護師さんに剃ってもらって、大変恥ずかしかったのですが、
今回も同様に若くてかわいい看護師さんがやってきました。
シャワー室で剃ると言うので、ベット上じゃないんだなぁ、、と思いながらヒョコヒョコついていくと、、、

なんと!バリカンを手渡されるではありませんか!? ええ!?

「それじゃあ、剃り終わったらナースステーションに声かけてくださいね~」と満面の笑顔で去って行かれました。
まあ、恥ずかしい思いをしなくて良いか、、とは思いましたが、どれだけ剃って良いのかわからないので
どうしようと思いながら、必至に9年間を思い出そうとしながら剃り始めました。

安っぽいバリカンで、いきなり全部を剃るのは大変で、結構痛いし、石鹸を塗りながらやりましたが、
肌も赤くなってヒリヒリして、これならば家でやって来ればよかったと大後悔。
剃りながら、そう言えば、意外と膝下にまでテープが廻ったり、点滴テープや手術中のテープが
腕に貼られる事を思い出しました。毛剃りを指定されていない部位に貼られたテープを剥がすのは相当痛いので、
膝下や腕の毛も全て綺麗に剃っておきました。
これは今回正解だった点です。術後にテープをはがす時に痛くなくて良かったです。

その後の入院生活で分かったのですが、看護師さんの数が9年前より明らかに減っていました。
またナースコールをしてもなかなかやってきてくれないこともありました。
数が減ってさらに担当している患者数は増えているようなイメージでした。

少しでも看護師さんの業務効率化という事で、尿管が標準化されて、毛剃りもセルフで、という事に
なったんだと想像します。

でも看護師さんは、どの人を見ても9年前に比べて圧倒的にセカセカと非常に慌しく動かれていました。
効率化を図ったと言うよりも、業務量が圧倒的に多くて、やむを得ずの対策なのだろうと思いました。
病室も満員、そして退院してベットが空くと、直ぐに掃除が入って、そして間髪いれずに次の人が入ってくると言う
超高回転状態でした。

医療現場は明らかに過密状態です。これは大変な事になっているのだなと、実感する入院にもなりました。

毛剃りが終わると、心電図を撮りに行って、初日のメニューは終わりです。
夕食を頂いて、スマホゲームで時間を潰し、明日の手術の想像をしないようにして、早目の就寝としました。

 

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カテーテルアブレーション体験記 第二章(1)

2018年03月02日 | カテーテルアブレーション

当ブログは最近は私の鉄道写真を紹介する内容が主、と言うかほぼ100%近いのですが、
意外と今でもアクセス数が多いのが「カテーテルアブレーション」のカテゴリーなのです。
経験する方が術前ネット検索してここまでたどり着いていただいている様なのですが、、、記載したのは2009年。
もう10年近くも古い情報な訳です。

しかし、そんな思い出したくも無い手術の第二章を記載する事になるとは、思っても見ませんでした。

そうなのです、なんと、今週、このアブレーション手術の2回目を受けていたのです!
そして、退院したのは正に本日の午前中。今日の朝食は病院のベットの上で食べていたんです。
正に受けたてホヤホヤなのです。

実は3年前に一度頻脈が発生しました。その時は心房細動を併発はしませんでしたので、ただ苦しいだけ、
救命救急に行ったのですが、救急が人であふれかえっていて、直ぐに治療してもらえず、仕方なく待機室で
お医者さんから「息ごらえ」という自力で止める方法を伝授してもらって、それで止める事が出来たのです。

それ以来、6ヶ月に1回ほど発生していたのですが、その方法で簡単に頻脈をとめる事が出来ていました。
ところが年末にとうとう自力で止められない頻脈が出張先で発生、見知らぬ病院にタクシーで駆け込み、
投薬で止めていただくと言う事態が発生してしまいました。

過去に手術を受けた病院にて診てもらうと、9年前にアブレーションで焼き切ったはずのケント筋が、
人間の自然治癒力で復活してしまっているかもしれないと言うのです。

実は9年前の術後の診察で、そんな事あるかもしれない、、、とは言われていたのですが、、、、
まさか本当にその日がやって来るとは思っても見なかったのです。

もちろんそれを確かめるのは、再びカテーテルを入れるしか手法はないようです。
でもし、復活しているわけではなければ、過去の手術で見つからなかった心筋を捜しに行くしかないと言う訳です。
いずれにせよ、再びあの嫌な手術をしなければ成らないと言う訳です。

ということで、何と「カテーテルアブレーション体験記(最新版!)」 第二章のスタートです!!!!

 

 

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