リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

16. 本を書き始める

2015年06月19日 | 日記

1.手痛いスタート

 2007年の旅を終え、私はいよいよ初めての本を作ることになりました。

 何しろ、私は2006年の留学の際に、三津夫と約束していたのです。日本でもドイツ語を勉強できるはずだという彼に、もっとドイツ語を身につけたいので日常的にドイツ語を使う生活をしたいし、半年ぐらい居ないとドイツ語の資料を読み込む力は到底身に付くはずがないと訴えました。「それなら帰ってきてから本を出版しなさいよ。できなかったら留学費用は自分のお小遣いで出してね」「わかった。」ということで2008年の終わりまでには本を出版すると決意してドイツに向かったのでした。

 2007年の旅で娘に一眼レフでモノクロ写真を写してもらい、ヨハネスにいただいくことができたカラー写真と併せて30作品を紹介しようと決めていました。およそのイメージはできあがっていたのでしたが、本当にそのまま載せられるのかどうかは写真を見てから決めるしかありません。そして決めてから、その30作品に関する文章を必死でまとめなければ間に合いません。2007年の8月に帰国してすぐにモノクロフィルムを現像してもらい、焼き付けを頼んで、写してきた中でどの作品なら載せられるかを平野泉さん、奈々子、三津夫と相談しました。私は翌年2008年の3月には原案を作って編集会議に提出すると約束しました。

 平野泉さんについて◆ 当時のことを書いた留学日記より

  平野泉さんという方から初めてメールをいただいたのは2006年2月22日でした。私たち夫 婦で発行しているミニコミを読み、リーメンシュナイダーの名前を見てびっくりしてお便りくださったとのこと。彼女もリーメンシュナイダーファンだというの です。そこからトントンと話が進んで、27日の月曜日、彼女が我が家にリーメンシュナイダーの本を見に訪ねてきてくれました。この早い展開に二人して驚い ていたのですが、まさに「神様が引き合わせてくださったのだ!」と思うしかない出会いでした。
 私が聖人についてもっと勉強しなければ…と思い始めたちょうどそのころ、泉さんがメールをくださった。その泉さんはミッショ ンスクールの出で、しかも大学ではドイツ語専攻。聖人の英語名、日本名、内容もササッと教えてくれるのです。私のファイルの空欄はどんどん埋まり、わから ないときには何という本で調べられるかを教えてくれる。ご自分もわからないところはメモして帰られたのですが、夜にはその回答がメールで送られてきまし た!
 泉さんって、自称「トリビアは私のような人のことを指すのでは?」というようなひろ~い知識をお持ちの方だったのです。しかも、「ドイツ語はすっかり忘 れています」とおっしゃりながら、なんのなんの、私の本を見て「マリアのお母さんの聖アンナは3回も結婚しているんですねぇ。知らなかった…。」と…。 え~~~、私だったら辞書を引き引き1時間ぐらいかかるところを2~3分で理解してしまうこのドイツ語力! すっごい助っ人が来たぞと内心ワクワクしてし まいました。


 と・こ・ろ・が… 2008年1月5日のことでした。夕方、近くの西友で買い物をしていたときです。レジに向かう私の前で、棚の商品を見ていた人がふっと一歩下がったのです。私は彼女にぶつからないようにひょいっとよけたつもりなのですが、何の因果かツーッとその足が滑って転び、そのまま左腕を棚の下に滑り込ませてガツンとようやく止まりました。その痛いのなんのって…。相手の方も驚き、私も驚き、なんでこんなに滑っちゃったんだろうというような事故でしたが、西友の職員もかけつけて救急車を呼ぶ始末。時間的にも時期的にも普通の病院は入れない情況だったのです。左肩が痛くて動かせないので病院でレントゲンを撮ってもらったところ、肩を骨折していることがわかりました。何ということ!!  1月末からはインド旅行の予定が入っていますし、これから文章を書くには重たいドイツ語の本と格闘しなければなりません。でも真っ先に先生に「インド旅行の予定があるのですが行けますか?」と尋ねてしまいました。先生は「まぁ、その頃にはくっつくでしょう。痛むでしょうが、行けないことはないと思いますよ」と苦笑しながらおっしゃいました。キャンセル料が取られずに済んでホッとしたのもつかの間、その後、毎日の生活の中での痛みは何の罰だったのかと涙が出るほどでした。着替えをするにも動くにも、歯磨きをチューブから出す動作一つにも痛いし、不便で仕方がありません。教員時代でなくてよかったというのがせめてもの救いでしょうか。その後、旅行当日まではただひたすらおとなしく家にこもり、重たい本を右手で取り出しては広げ、眠くなるのを我慢しながら何回も読んでは辞書を引き、右手だけでポツポツと原稿を打ち込みました。そのおかげで、少しずつ本の形ができたのだと思います。今となっては罰というより、「あなたは今何に集中しなくてはいけないのかよく考えなさい」という天の声だったのかもしれないと思うようになりました。

 それでも私のドイツ語はまだ中級のレベルですからどうしても理解し切れない文章が溜まっていきます。読み込んでいるのは、2004年にヴュルツブルクにあるマインフランケン博物館でリーメンシュナイダー大展覧会の際に出版された2冊のカタログです。私は2004年にこの展覧会を訪ねたときに購入し、それ以降は最新の情報がたっぷり詰め込まれたこのカタログをバイブルのように思いながら辞書と首っ引きで読んできました。2007年の旅の際にこのカタログをもうワンセット買って泉さんにはお送りしておきました。そして泉さんに「カタログ1巻に書いてある△頁の2段落目の文章はこういう意味で良いのでしょうか」とメールで質問すると、翌日までには返信が返ってくるのです。日中はお仕事をしている泉さんのこの絶大な助けがあって、何とか必要な情報を得ることができたのでした。

 こうして皆に助けられてようやくできあがったのがA4版269頁立ての試作本でした。下の写真はカタログと、できあがった試作本です。この冴えないタイトルは仮のものです。

             

                        


 ちなみに、1月末からのインド旅行は荷物を全部三津夫に任せ、悪路を走るバスでは飛び上がるほど痛かったのですが、何とか行ってきました。まぁ、執念でしょうか。インドの生活や文化を見て、大きなカルチャーショックを受けました。様々な刺激を受け、思い出深い旅となりました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA


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