梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

「在日」はどこへ行くのか

2016-09-24 14:59:57 | 日記
   Kさん、コメントありがとうございます。墓地の供え物、困りましたねえ。その内にプラスティック製の果物なども登場することになるのでしょうか。日本が本当に貧しかった時代は、墓地の供え物は貴重な食糧ともなったようですが、現代はそんなこともなく、花と共に供え物も現場で朽ち果てていくのでしょうか。

   しかし思うのですが、寺の墓地であれば毎年相当な金額を納めているのですから、一定期間が過ぎた供え物は寺の責任で撤去して欲しいと思いますし、共同墓地もまた使用料を取っているのですから、撤去は使用料金のうちに含まれていると考えてはいけないのでしょうか。ビニール袋を持って巡回しても、そう過剰な負担になるとは思えないのですが、いかがでしょう。もはや経営姿勢の問題ですね。

   最近、「在日一世の記録」という、800ページ弱の本を読みました。戦前強制連行で日本にわたって来たり、戦後済州島の赤狩りを逃れてやって来た朝鮮人や韓国人の聞き取り手記のようなものです。全体を通じて、日本に対する恨みつらみのみが深く深く貫かれていることに、とても違和感を覚えました。戦前渡ってて来た人たちは帰国船が用意され、自由に帰れたにも関わらず帰らなかった人が245名。連れてこられたことを恨むなら喜んで帰国すれば良かったものを、日本に居座っていまだに恨みつらみをぶつけ続ける気持ちが分かりかねました。

   一方、済州島から渡って来た人たちは、全員が密航者です。しかし、着の身着のまま密航してきた自分たちを追い返すでもなく受け入れ、定住を許した日本に対する感謝の気持ちがありません。こちらもまた恨みつらみしか残っていないようです。半島人に対する差別が激しかったということなのですが、彼ら自身、半島内で同じ民族同士で差別をしあっていたのですから、大きなことは言えないはずです。

   ただ、今になって思い出すことは、私が幼かった頃、それとは知らずに接していた人たちの中に、朝鮮人や韓国人がたくさん混ざっていたということです。夕方になるとやった来た紙芝居のおじさん、新井さん、新井というのは朴さんが好んで使った日本名です。少年たちが競って屑鉄を拾い集めては買ってもらっていた屑屋のおじさんもまた、半島系の人の職業でした。冬になるとやってくる、「ポンせんべい」のおじさんも・・・・。
 
   先日、在日韓国人の若者たちが50人ほど集まって合宿を行い、結束を固めました。自分たちはこれからも「在日」を生きる・在日同士で結婚する・・・・・等等・・・・、決意表明をしたそうです。

   在日というのは、ある意味できわめて特殊な国籍のようなものです。外国人ではあり、日本出国に際しては事前に手続きを怠ると、再入国できません。パスポートも韓国政府が発行します。しかし、韓国人男子に必須の徴兵の義務がありません。日本における社会保障は、とても充実しています。「在日として生きる」ということは、少々不便さを伴うものの、かなり便利な生き方なのではないかと思います。

   ただし、現状を顧みるに、在日の人たちは、自ら再び被差別への道を選択しつつあるような気がしてなりません。城東高校に勤務中に感じた、無知なまでの差別意識の無さ、そうしたものが、先述の、在日自身が選択する生き方によって、再び失われてしまいそうな気がします。私にはこの先を見届ける時間は残されていませんが、彼らの持つ異質なプライドが、これからも私たちとの関係を破壊し続けるのではないかと危惧しています。

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