梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

あいつが死んだ

2021-01-08 12:07:18 | 日記


  さすがに名前は書けません。それにしても、「あいつ」の人生は、なんと寂しいものだったのでしょう。彼(つまり私も)の職業は一般にあまり公表したくない(色眼鏡で見られがちなので)類のものなのですが、「あいつ」を語るのに、避けては通れないことなので、書かない訳にも行きません。私が23歳、バリバリの若手教員だった時、彼が入都し、私と同じ高校に採用されました。学校は学年に男女クラスが2つ、後の6クラスは女子クラスという、ほぼ女子高状態の商業高校でした。もしかしたら、こんなところでスタートを切らなければ、少しは違った人生を送れたのかもしれません。
  彼は世にもまれな、女性に好かれないタイプの男だったのです。女子がほとんどの学校で、女子に全く好かれないことがどれほど悲惨なものであるかは、人並みに女性にもてる皆さんには想像すらできないかもしれません。しかし、一方で飛び降り自殺を図った男性教師がいた中では、彼はしぶとく生きていたと思います。
  なぜか私も一貫して女子に人気がない教師に分類されていました。実はそんなことはなかったのですが、もしかしたらそうであって欲しいという皆さんの願望があったのかもしれません。「あいつ」もまたそんな気持ちだったのでしょう。私ならそんな彼の気持ちを理解できると思っていたに違いありません。なぜか私にだけはすり寄ってきて、仕事を手伝ってくれたり、六義園に散歩に誘ってくれたしました。私は半ば苦笑しながら、一緒にしないでくれ、と心の中で呟きながら付き合ってやっていました。
  その後年賀状のやり取りだけはしたものの、顔を合わせることもなく30年の月日が過ぎ去り、とある別の高校で「あいつ」と再会を果たしました。驚いたことに、彼は見た目もあまり変わっていないのと同時に、中身もほとんど変わっていませんでした。これは駄目だ、と思った私は彼とは距離を置くことにしたのですが、彼の方は一向に意に介せず、こちらが三年担任で業務に追われているのにはお構いなしに、「仕事サボって・・・・へ一緒に行こう!」などとしきりに声をかけて来るのでした。
  職員室の私の席には、よく女子がグループで雑談をしに来ていたのですが、彼は女子が帰ってしまうと、「あいつら、うるさい!」と小言を言うのが常でした。私は自分のしていることは業務の内、顧客サービスのようなものだと考えていましたので、彼の雑音には耳を貸さず、通ってくる子達の相手を極力務めていたものです。
  その内に、教員たちの間から、彼に対する不評が聞こえてきました。どうやらロシアに行けば安く女が買えるという類の話を、婚期が遅れていた男性教師たちに吹聴していたようなのです。ああ、もうどにもならないな、いい年をしてそんなことを宣伝しているようでは、誰にも相手にされっこないと思いました。ある日彼は授業中黒板に問題となるような絵を書いて、停職処分を食らい、自ら退職を申し出ました。完全に常軌を失ってしまったようでした。

  男性教員というものは、現在は規則で禁じられているように、禁止しなければならないほど、女子と親密になる機会は多いのです。実際教え子と結婚したという例は、過去にはいくらでもありました。しかし、彼にだけは、そんな浮いた話が一つもないのです。私はある日、年配の女教師に聞いてみました。彼はどうして女子にあれほどまでに人気がないのでしょう、と。その女教師は、長くは語りませんでした。ただ一言、「私はわかります。女ですから。」その言葉で私も全てを了解しました。これは努力ではどうにもならない、DNAレベルの宿命なのでしょう。
  彼は教員でありながら、ビルを一棟丸ごと所有していました。父親からの遺産ですが、賃貸ビルからの収入は相当なものであったはずです。更に、退職したら月々50万円ずつ戻って来る個人年金にも入っていると語っていました。それでなくとも独身で教員ですから、収入は有り余っていたはずです。しかし、彼の老後対策は、完璧でした。その上、毎日スーパーの閉店間際を狙って、大幅値引きの弁当を買っては翌日学校へ持参するという、徹底した節約家ぶりでした。そんなに貯めてどうするの?と聞きたいほどでしたが、さすがに聞けませんでした。
  やがて彼からの年賀状に、24歳の中国娘と婚約した、毎日が楽しいと書かれていました。さすが中国娘、彼の資産と年齢を考えれば、彼亡き後莫大な遺産をを抱えて若い男と再婚できるではないか、と、半ば感心したものでした。しかし、「年齢=彼女いない歴」の彼は、結局女性の扱い方を知らず、その中国娘にも逃げられてしまいました。
  その後彼からの年賀状には、肺がんで入院しているとあり、また、つまらない人生だった、と書いてもありました。確かに彼ほど女性からの愛情を受けられなかった男は見たことがありません。結局彼は昨年の暮れに、妻や家族から看取られることなしに、寂しく人生を閉じました。それとは知らず年賀状を出した私の下には、弟さんからの、「生前に賜りましたご厚情を・・・」という一枚のはがきが届きました。
  どう考えても肉食派だったのに、縁遠いどころか、まったく女性(の心)とは無縁な人生を送ってしまった彼、せめて私だけでも彼の冥福を祈りたいと思います。

  

  
 
  

  
  


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