梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

先生だって部活がやりたい②

2015-06-30 14:48:43 | 日記
   中央教育審議会の犯している最も愚かな誤解は、部活指導をなくすことによって教師の多忙感を減らすことができるとしていることです。現在教師が多忙を極めるのは、部活指導があるからではなくて、しなくても変わらない仕事、しても意味がない仕事を次々と思いついて押し付けてきた輩が沢山いたからです。これはひとえに自分の成績に反映させたいという卑しい心根のなせる業です。そのためなら全校教師が犠牲になろうと厭いません。

   一例を挙げてみましょう。たとえばとある高校の場合など、生活指導部を牛耳っていた年配の女性が、次々と同僚の負担を増やしてきました。たとえば、早朝8前からの立ち番。勤務時間は8時25分からです。しかもそんなに早くから来る生徒は、部活をやりに来た熱心な生徒ばかりです。本当に問題になる生徒はそんなに早く登校しないどころか、立ち番が引き上げ、始業のベルが鳴ってから、余裕を持って登校して来ます。

   更に言えば、結婚歴の無いこの女性は、既婚者や育児の真っ最中の女性教師が早朝いかに時間に追われているかを体験的に理解していません。自分ができるのだから人もできるはずと、後は本人の熱心さの問題だと思っているのです。余談ながら、女生徒の化粧を徹底的に嫌い、文化祭の舞台での化粧さえ禁止したこの女教師は、私がこれまで見た中で最も厚化粧な女性でした。また、生徒の喫煙に対して犯罪者扱いしかねない勢いのこの女教師は、校内禁煙であるにも関わらず、非常階段に隠れて喫煙するという情けない人間でした。

   私は一度この女教師に思い知らせてやろうと思い、あなたは長い間担任の仕事についていないのだから、この辺で担任に立候補すべきだと説いたことがあります。私はその時卒業生を出したばかりだったので、私がその女教師と同じ学年に入って、締め上げてやろうと思ったのです。しかし、彼女は言を左右にして、担任の仕事から見事に逃亡してみせました。頭の良い人でしたので、担任に入ってしまったらその結果どんなことが待ち受けているかを、十分に予想できたからなのだと思います。

   少なからず存在するこうした同僚の歪んだ熱心さのために、校務は次々と屋上屋を重ね、ついには教師個人の能力の限度にまで達してしまいます。教師の成績評価は、前年度の業績に加えて更にいかなる新しい業績を付け加えたかによって判断されるので、校長からにらまれたくない教師は、次々と自らの仕事を増やしていかなければなりません。しかし、学校という場所でなすべき仕事にはそう多くの種類があるわけではありません。本当に必要な仕事は、100年前からあまり変わってはいないのです。まずはこうした実態から変えていかない限り、部活指導をしなくて良くなった分だけ、新たな仕事が際限なく開発されていくことでしょう。

   一昔前は無意味な雑用もなく、授業の合間に落ち着いて教材研究ができましたし、放課後生徒たちの中から有志を募って補習をする余裕もありました。連日放課後グランドに出て生徒たちと共に汗を流すこともできました。私の場合、あまり熱心に活動するあまり、帰宅途中で血糖値が激減して、最寄り駅に着くまでに座り込んでしまったことさえありました。しかし、無益な雑用に追われていたわけではなかったので、それでも「また明日も頑張るぞ!」という、燃えるような思いで床に就くことができたものでした。授業以外の場で生徒達と深く触れ合えるチャンスは、部活をおいて他にありません。私は前回冒頭に書いたような、「塾の先生になっていたら部活がない分、もっと良い授業ができただろう。」などとは思わないでいられた、古き良き時代に、教師としての前半生を過ごすことが出来たのです。

   そんな時代と現在と、どちらが望ましい学校か、いずれが望ましい教師像か、私が説明するまでもないでしょう。

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