雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

孫・門野真也がやってきた

2017-12-21 08:05:23 | 発想$感想

★ 昨日アメリカから孫が遊びにやってきた。 年明けの12日までいるという。

   

 

小さい時は、魚取りやカブトムシなど私が一番遊んでやった孫なのだが、アメリカに行って、もう10年以上にもなって、今は大学生20歳、逞しく育っている。

今はBerkeley でサッカーしてるのだが、今シーズンは調子が良くて、チームの得点王、チームメートと共にアメリカの大学のベストイレブンに選ばれたりしている。

   

 

  年末・年始を三木を拠点に過ごすことになるのだが、どんな20日間になるのだろう。

今はシーズンオフだが、年明けの20日ごろからはサッカー部の練習もあるようで、日本にいる間もトレーニングは欠かさない。

昨夜、遅く着いたばかりなのに、今朝は6時過ぎには起きてきてこんなトレーニングをやった後、防災公園まで走ってくると出て行って1時間ほどで戻ってきた。

 

   http://www.nicovideo.jp/watch/sm32452964

 

     

 

 子供の頃はデブデブだったので、油断をすると直ぐ体重が増えてしまうのである。

 ただ、折角日本に来たのだから、日本の旨いものも食いたいし、体重も維持しないとダメだし大変なのである。

 明日は、私と一緒にジムのトレーニングに行くことになっている。

 

 今までもいろいろアップしてるので

 『門野真也・サッカー・雑感日記』と画像検索するとこんな写真が並ぶのである。

    https://www.google.co.jp/search?q=%E9%96%80%E9%87%8E%E7%9C%9F%E4%B9%9F%E3%80%80%E3%80%80%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%80%80%E3%80%80%E9%9B%91%E6%84%9F%E6%97%A5%E8%A8%98&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj3_Z6H2JnYAhXGurwKHTcPAqcQ_AUICigB&biw=1300&bih=686

  

  

   

 

  年明けからは、チームメートで日系フランス人のサム君も、三木にやってくるというのである。

  私の 年末・年始も こんな若い人に囲まれて、少しは若返るのかも知れない。

 

 

 

 

 

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明石海峡と明石公園 

2017-12-21 06:38:00 | 発想$感想

 ★ 昨日は、明石年金事務所に用事があって明石市役所で戸籍謄本を取り、明石海峡を眺めたり、時間があったので明石公園で時間つぶしをして、懐かしい明石を思い出しているのである。

 

明石市役所は、今は明石海峡に面したこんな立地にある。

私は明石生まれで、子供の頃の戦前の明石もよく知っているのだが、昔はこの辺りは海だった。

戦後、しばらくして埋め立てられて、その上に明石市役所は建てられたのである。

景観が変わったと言えば淡路島との間に橋が出来て淡路島と繋がってしまっている

 

   

 

 釣りをしている人もいたが、そんなに釣れてなかったように思う。

 私が中学生の頃は、まだ砂浜だったが、手でぐるぐる回した投げ釣りをしたら、カレイなど何匹でもすぐ釣れたのだが、いまは網で魚を取り過ぎたりするので、昔に比べたら魚が少なくなってしまったのだろう。

 

 

 そんな懐かしい明石の海岸線と明石公園の動画を撮ってきた。

    http://www.nicovideo.jp/watch/sm32449541

 

 海岸線も変わったが、明石公園の剛の池には、『カモメが群れ飛んでいた』のには流石にびっくりした。

 上野の不忍池でも、カモメがいっぱいのようである。

 

      

 

   

 

  動画の中からの写真だが、これは動く動画をご覧になるほうが迫力大である。

 

★ 今も本籍地は『明石市上ノ丸2丁目720番地』なのだが、私はそこで生まれたのである。

 現在はそんな番地は存在しなくて、本籍だけがそんな昔の番地で残っているので、余計に懐かしいのである。

  

 明石公園の薬研堀(一番下の真ん中の堀池)は所謂外堀で、昔は今の自転車試験場のほうまで伸びていたのだが、『720番地』はそれに隣接した一帯の番地だったのである。 今はそれは沢山に分割されてしまって、ほんの一部に本家が住んでいるのだが、小学校や高校時代までは、庭から降りてその薬研堀でよく釣などしたものである。

薬研堀の半分が埋め立てられて、競輪場が出来たのは高校生の頃だった。

明石公園は、ホントに隣だったので、よく歩き回ったり芝生の上で遊んだり、明石高校時代は野球部の練習が夏前になると明石球場だったので、明石公園は何だか庭のような親しい感じがするのである。

 

 春には桜がいっぱいなのだが、明石公園の桜は、みんな100年以上の樹齢なのだろう。私がもう80年も生きているのだから、この公園の木々たちは、みんな200年以上なのだと思う。

 桜の幹もこんな感じなのである。

   

 

 

そんな懐かしい明石は、突然行ってもビックリするような人に出会う。

明石市役所では、本家の長女に突然声を掛けられた。

結婚式には出たのだが、私の方は覚えていなかったのである。 もう孫がいるなどと言われていた。私も歳をとるはずである。

明石年金事務所で担当して頂いた方の苗字が、珍しくて『明石にお住まいですか?』『そうです』と仰るので、『上の丸ですか?』と聞いたらYESだったのである。上の丸にはそんな苗字の方が何軒かあったのである。

 

 ★人生で一番長く生活した土地は、今では三木になってしまったが、やはり『故郷は明石』なのである。

 そんな明石で半日を過ごして、明石公園でも特に懐かしい剛の池の横で1時間以上も過ごせて、昔のこといろいろ思いだしたのである。

 剛の池がいつ出来たのかはよく解らないのだが、昭和15年(1940)ごろ池さらえをして池の魚を食用に供したことがあったのだが、その時錦鯉は食えないからと伯父が貰ってきて庭の池に沢山入れていたのである。私は小学生4年生の頃だが夏休みに朝鮮から戻ってきて、蝉をいっぱいとってきて池に投げ入れたら大きな鯉が、パクリと食うものだから、どんどんやったら次の日に鯉が沢山死んでしまって伯父に怒られたのを思い出す。蝉を一口で食うほどの大きな鯉だったのである。

ウソみたいな話だが、一緒に蝉をやった妹だけは知っている話なのである。

それから多分剛の池は水を抜いたりはしていないから、それからでも70年も経っているので、魚もいっぱいで、餌が豊富なのだと思う。

 だから、カモメも海からやってきて住みついているのだろう。

 

 

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