Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再びポルトガルへーシュノンソー城(Chateau de Chenonceau)

2018-01-27 22:13:09 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

キャンプサイトからアンボワーズ城まで17Km、そしてシュノンソー城まで25kmという。まず初めにシュノンソー城を見てアンボワーズ城へ行き、同じキャンプサイトへ帰ってくる計画を立てた。

 

雨の激しいこの朝、無料の駐車場からただ一つ空いていたチケット売り場で長い間待たされ、やっと入城。この高い並木の奥に白いお城が見える。

 

右わきの建築物はオランジェリーと呼ばれる高級レストランとトイレだった。以前はオレンジやレモンの木を冬季保存しておくための建築物だった。前の並木の形が面白い。

 

このお城の正面は歓声を上げるほどでもない。シュノンソー城は16世紀にフランス王の居城として建設され、歴代の住人・王の愛人や、貴婦人たちにより改築され、17世紀以降は王族の居城としての役割ははたしていないがフランス革命にも生き残った。

 

 

玄関から入って近くの礼拝堂、ステンドグラスがとってもきれい。

 

礼拝堂の片隅に掛かっている青いヴェールの聖母は17世紀に描かれたもの。

 

 

ギャラリー(回廊)は1576年シエール川にかかる橋の上に幅6メータ、全長60メーターの舞踏会場として建設された。18の窓がある。

 

 

まるで15、16世紀に戻ったように錯覚させる、対岸の旅人。ロバに荷物を載せて雨の中を歩いている。彼はカメラを出して、このギャラリーを写していた。

 

 

地階はいく部屋にも分かれた台所。昔はこの台所に船着き場があり食料が運び込まれていたという。

 

 

フランソワ1世のサロンにかかる3美神はルイ15世が相次いで寵愛した3姉妹がモデルだそう。この時代のモラルの低下がうかがわれそう。

 

 

18世紀の知識人を代表するデュパン婦人はこの城で知識人のサロンを催し,フランス革命時にその機知によりシュノンソー城を守った。

 

 

豪華な室内装飾、特にどの部屋も天井が見事。

 

過去の幾多の画家によって描かれたこの城の絵の一つ。

 

ギャラリーの窓から見えるシェール川、水はギャラリーの下を流れている。

 

 

 

各部屋や廊下の壁を埋め尽くすタペストリーは、幾多の人々の人生を費やしたものだろうか?すべてが芸術性の高い作品なのにどれもが床1メーターから2メーターのところに水跡がある。水に浸かったのだろうか?もったいないと思ってみていたが、もしかして観光客に触らせないために貼ってあるビニールで湿気のはけ口が無くてこのような水跡になったのではないかと思う。

 

写真より素敵な壁の絵。

 

 

19世紀のディアーヌの庭園

 

  

 

雨のため迷路や、庭園を歩き回ることはできなかったが、城内よりも庭園から見るお城の全景がこの城を有名にしたのが良く分かった。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 再びポルトガルへートゥール... | トップ | 再びポルトガルへーコルド・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

再びポルトガルへ2017-2018」カテゴリの最新記事