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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

グラストンベリー・ミュージック・フェスティバル と 西洋菩提樹

2023-06-24 23:49:13 | 独り言

グラストンベリー・ミュージック・フェスティバルがひらかれている。

英国サマーセット州の農場で、1970年農場経営のマイケルイーヴィスが始めたもので、当時の参加者1500人、入場料が1ポンドだった。

昨年6月2年間のコービットの閉鎖から初めての参加者210,000人入場料280ポンドだったそうだ。

今年6月21-25日の入場料335ポンドプラス予約金5ポンド。毎日BBC で宣伝しまくっている。

私は今までこのポップミュージックには興味もなくて一度もこのブログにも書いていない。

ところが今年このフェスティバルを書こうと思ったのは・・・・・・・

娘婿のパトリックの親友に英国航空のパイロットO 君がいる。彼は毎年このフェスティバルにチャリティワーカーとして行っている。今年4月頃から我が家の前庭に鎮座しているキャンパーを何度か治しに来た。

さすがパイロットともなればメカに強く、3年間一度も動かなかった車をエンジンがかかるまでに治し、あとは専門のメカニックが来て一日中手入れしていたが、5月パトリックは車検に持って行って完全に治った。

それでかのO君は今年のフェスティバルではこのキャンパーに寝泊まりして、会場整理やアドミンの仕事をするそう。テントは暑くて眠れないので我がキャンパーは彼にとっては一番の楽しみ。ここでのチャリティは OXFAM, GreenPeace, Waterade の3つにしぼられていて、彼の報酬は直接Oxfam へ送られるそうだ。

新聞でも毎日このフェスティバルのことが載っていて、若い新婚のドクター2人がここでWaterade のチャリティーのためにトイレ掃除をするのだと。

先週金曜日、ロスアンジェルスからヒースローに着いてすぐ、我が家まで自家用車で来たO君はキャンパー内のオリエンテーション後大喜びで運転して自宅へかえっていった。 

翌日キャンパーは快調だったとメールが来た。

明日までの5日間雨が降らないよう神様、雷様、お願い。30万人もの若者たちは此の農場でテントを張って毎日の音楽祭に臨む。何年か前のニュースでは泥にまみれた若者たちが映っていた。

 

先週日本の誰かのブログで菩提樹に花が咲いたとの記事があった。その花がこちらではよく似た花を見ることがあって、調べてみたら英国の街路樹にあるライムの木だった。それでライムを日本語で見ると西洋菩提樹と出た。リンデンバルムはドイツ語なのです。

今が真っ盛りの菩提樹の花、木の下へ行くと甘い香りがする。

昨年駅へ行く途中のフラットの道端できれいな葵の花が咲いていた。この花上2枚のうち下の銭葵より花は大きく色も鮮やかだが、タチアオイより花も小さく木も1メーターにならない。今年も種をしっかりとって来年はもっとたくさん植えてみよう。

昔から持っているサボテンに花が咲きだした。上の黄色の花は三日ほど持つが、ピンクのは朝開いて夕方にはしぼんでしまい、がっかり。

もう30年ほど前、お隣の奥さんからもらった種で増えたニゲラ、英語では霞の中の悪魔 その名の通り増えて増えてどんなに抜いてもあちこちに生えて花が咲いている。初めは一重の花だったのにいつの間にか八重の花弁もある。

 

 

 

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カバナスの教会ー赤い花

2023-05-01 02:03:01 | 独り言

ポルトガルの3日目、この日も真っ青な空、暑い日だった。

タヴィラでは毎月第3土曜日に広場で青空市が開かれる。友達のTさんとカバナスからタヴィラまで歩いて行った。このマーケットではあらゆる生活用品や衣服、食品、植木、ポルトガルの土産品、鳥やウサギまで売っている。

私は大きなオレンジ5kgを5ユーロで買って、リュックに背負い、二人で昼食に安いトスターダ(ハムとチーズのサンドをトーストしたもの)を公園で食べて電車で帰ってきた。

前の日に魚市場で買ったカツオ1匹をこの夕食に食べて、シャワーに入ってもうすることがない。

夜9時あたりは暗くなっていたが、夕日が沈んでも27,8度はあった。あまりの暑さに二人で散歩に出かけた。

キャンプサイトから一番近いこの教会は、過去数年一度も開いていたことがない。

この土曜日の夜初めて開いていたので、中を覗いてみた。すると合唱団が歌っているではないか。教会の入り口でほんのちょっと覗いたところ、後ろからスマートな服を着たおじさんに背中を押されて、中に押し込まれた。私たちお金もカメラも持っていなくて、入ってもお金も払えない。

このおじさんはそこに座りなさいと手招きし、私たち黙って最後列のベンチに座って聞いていた。

初めのコーラスグループは中高年の女性が多く、20人以上いたと思う、男性は数人、ポルトガル語の歌で聞いたこともない曲ばかりだった。

第2のグループは少人数で男性がおおく、ハーモニーがすばらしかった。 このグループはユニークでプログラムを見ると、黒人霊歌や、中世の歌、アフリカのズルの歌まで歌っていた。

そして第3のグループは指揮者が前でエレクトーンを弾いている。彼らが歌った2曲目、あれ!これは日本の曲みたい? と二人で話し、プログラムを見たら、akai hana とローマ字で書いてあり、cancao Tradicional Japonesa (伝統的な日本のうた)と書いてあった。後ろに立っていたあのおじさん(彼は第2のコーラスグループで歌っていたからスマートな合唱団の制服を着ていた)が ほら日本の歌だよとささやいた。

こんなポルトガルの片田舎で日本の歌を日本語で歌っているーーどんなに驚き感激したか!!!

あと数曲歌い終わったとき、私はあのおじさんに 赤い花・アンコール と頼んだ。

彼は主催者に頼みに行き、司会の女性が長々とポルトガル語であいさつしていたら、皆が私たちのほうを振り向いた。それで日本人がいると話していたのが分かった。

私たちの近くに若い女性がスマホで合唱団の写真を撮っていたので、その写真をイーメールで送ってほしいとメールアドレスを交換した。

そして合唱団が私のリクエストに応えてもう一度 赤い花 摘んで、あの人にあげよ と日本語で歌ってくれた。涙が出そうなほどうれしかった。

終わったらもう11時。合唱団の人たちにお礼を言おうと立っていくと、彼女たちもリクエストされて嬉しかったらしく、私を取り囲んで写真を撮ろうという。

シャワーを出て化粧もしてなくて、とっても写真に写されるほどの顔でもないと早々に断って帰ってきた。この夜は二人とも興奮して遅くまでおしゃべりしていた。

3日後、イーメールを交換したあの若い女性Brunaから写真2枚とヴィデオが送られてきた。この中の2枚は彼女の写真で、ヴィデオだけがどうしてもこのブログに載せられない。彼らが日本語で歌っているのを聞いてほしかったのに残念。

 

 

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Thank you と Please

2023-04-01 18:20:52 | 独り言

英国では子供が小さいころから、Thank you (ありがとう)とPlease (どうぞとかお願いの意味)という言葉を厳しくしつけられる。

私がここ英国へ来た51年前(1972年)に落ち着いたポールの家で、初めに教え込まれたのがこの2つの言葉だった。たとえばお茶はいかが?と言われたら Yes Please だし要らなければ No Thank you という具合。だからポールも死が迫ってきた1週間くらい前まで、体をふいたりお水や食べ物を上げたるすると必ず Thank you の言葉が返ってきた。

その2つの言葉のエピソードが忘れられない。

ショッピングカートを引っ張ってマーケットへ買い出しに行く途中、若い男性が歩道の端に座り込んで車の修理をしていた。この歩道は幅1メーターくらいで狭く彼の後ろをサーと通り過ぎたとたんに Thank you will be nice. (ありがとうの一言がいいのに)と言われてしまった。思わず Thank you  と言って歩いたが、どうして歩道でお礼を言わなきゃならないのだ?と思った。彼は自分の道路だと思ったものか?それ以来この歩道を通るたびに、その男性の言葉を思い出す。

ルーシャムの青空マーケットは多国籍人種のるつぼのような所で、売っている品物も西インド諸島のタロイモや、イタリアからのキーウイ、トルコからのシシトウ、スペインのトマト、南米からのパイナップルなどが安く売られている。

私はなるべくビニール袋を使わないよう、昔から手作りの買い物袋をたくさん持って行って、必ずこの袋に入れて頂戴と布袋を出して入れてもらう。たいていの年取った女性の売り子はそれだけで Thank youと言ってくれるが、この日果物を買って この袋に入れて と言ったところ Please !! と言われてしまった。確かに Please put it in this bag なんだけど、忘れてしまうんですよ。生意気に若い娘からPlease を言えと強制され、ムカッときたがそれなら相手も Thank you くらいは言えよ。

孫のジュードはもうすぐ8歳になる小学校3年生、時々親の都合で、迎えに行くのが無理でそのたびに必ずお呼びがかかってくる。こちらでは11歳になるまで子供は一人で通学させない。特にジュードは家から離れた私立の学校だからバスか電車と徒歩で迎えに行くしかない。普段は彼の両親が自家用車で送り迎え、こんな規則だから朝夕の学校の送り迎えに車が大混雑している。

先日も迎えに行ったら、学校の玄関から私を見つけて走ってきて、抱きついて、Thank you Nana, Come to pick me up. なんて行儀のよい男の子に育ったことかと嬉しくなった。

 

 

 

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ロンドンも春です。

2023-03-22 00:45:29 | 独り言

我が家の周りの街路樹にはいろいろな桜の種類があって、今まさに早咲きの桜が咲きだした。

 

 

 

 

 

 

そしてなんと過去20年ほど確実に増え続けているグリーンのインコ、英国の寒い冬もいとわず冬眠する様子もなくうるさく甲高い声で鳴き叫ぶ。

 

このインコが桜の花を食べるのか、蜜を吸うのか、昨日は3羽も来て花をちぎっていた。

まだ咲き始め花弁が落ちるはずがないのにこのありさま。憎らしいけどきれいなインコ。

おとめ椿はこんなにかわいいけれど、花が古くなっても首からポロリと落ちることなく木にしがみついたまま茶色になって花後は醜い。しかしこの巨大な椿は一斉に咲きそろいいまだ乙女の花を謳歌している。

隣のこぶしの花が満開。30年前ここに引っ越してきたとき、此の木は植えたばかりの若木だった。毎年確実に花をつけてきているが今年ほど満開になったことがない。今どきはあちこちの前庭に巨大な紫モクレンが満開だけれど、こぶしはモクレンほどの大木にはならないようだ。

 

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ロンドンの1月

2023-01-24 07:09:11 | 独り言

昨年暮れから新聞やネットフリックスで騒がれている英王室の次男坊ハリー王子(日本ではヘンリー王子と呼ぶか?)

1月6日のロシア正教のクリスマスにプーチンが戦争一時停止をオーダーした。その時たまたまフランスの英語ニュースをみていて、急いで英国のBBC ニュースの切り替えたところ、なんと。

BBC のトップニュースはハリーの本が英国より早くスペインで出版された。これを見てBBC に文句を言おうかと思ったほど腹が立った。たとえ王室であろうとも家族間の不和を世間に公表することはない。あの二人お金のためには家族を売ったといわれても仕方がない。プーチンのニュースはあとからちらっと出ただけ。

3日後の月曜日に英国で発売されたハリーの本は、新聞とテレビで大騒ぎしてまるでタダで宣伝してあげたみたい。ハリー!!Book is going (急げ!本がなくなるぞ)

数日でこの騒ぎは平静にもどり、テレビも新聞も誰もハリーのことなど話さなくなった。感心したのは英王室が一切のコメントを拒否したらしい。

いつも読んでいる無料の新聞の投書欄では、1か月もすればあの本はパウンドショップ(日本では100円ショップ)に売りに出ているよ。

次に気になるのが9月にやっと辞めてくれたボリス・ジョンソンも回顧録を出版するそうな。一体だれが読むのかと思うが、歴代の首相はみな回顧録を出しているらしい。

昨年暮れから頻発しているストライキもますますエスカレートして2月1日には、電車、救急車、学校の教師、ナースなど公共の重要な仕事に就く人たちがストに入るそうな。一体この国はどうなるのだろう?

1月10日から我が家の屋根の取り付けるはずのソーラーパネルもパネルだけは運んできたが、屋根へ上がるまでの足場組がなくて2月1日までできないという。もう何度延期されているか、本当にいらいらする。2月1日だって確実ではないだろうともうやけくそ。これが英国業者の現実。

1週間前まで雨が多かったのに、また急激に寒くなり、毎日晴天霜が降りてあたりは真っ白、我が家のセントラルヒーティングはメインテナンスがされていないせいか、ついても温度が15度以上に上がらず、このところ2回もついたりつかなかったり、それで室内温度も10度しか上がらない。やっぱり専門のエンジニアに見てもらわないといけないだろう。

新年からあまり楽しいこともないが、近くで教えているヨガのクラスへ行きだした。今日で3回目、関節も筋肉もこわばっているからどうとも言えないが、先生はあと20年もすればこんなポーズができるよ。となぐさめ?てくれる。

 

 

最近の日本の人たちのブログには,ろうばいの写真が多い。それで昨年初めて発見した近くの公園のろうばいを見に行ってきた。3-5分咲きだけれど近寄るといい香りがする。明日遊びに来る日本人の友達にも見せてあげなくっちゃ。

 

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クリスマスまでの12月

2022-12-24 21:38:31 | 独り言

クリスマスが各家庭で準備され始めるのは11月初旬からで、クリスマスカードが送られる。我が家の隣人は奥さんがもう10年ほど前に癌で亡くなったが、早々に家族の名前と亡くなった奥さんの名前も載せたカードを送ってくる。

最近はクリスマスカードも便利なE-Card と言うのがあって郵送しなくても素敵な動画が送られてくるようになった。

このクリスマスまじかの一番忙しい時期に郵便局がストをするというので、あと1週間でクリスマスというときには絶対間に合わない。それでE-Mailでメッセージを送るようになった。

以前に作っておいたひざ掛けだけれど、またほどいてまわりを編み足し、クリスマスに間に合った。

 

 

模様にクリスマスの季節感が出ている。友達がビジネスにしたらと言ってくれるが、一枚完成するのに一年近くもかかるから、やっておれない。趣味だからできるものだ。

今年孫は7歳半、 もうクリスマスも現実味を帯びてサンタクロースなど信じないと思ったら大間違い。

学校ではクリスマスの学芸会はエルフによる歌とストーリー。このエルフなるもの、クリスマスの日まで各家庭でいろいろ遊んだり悪さをするという。

娘宅のエルフはシマーと呼ぶ。毎朝シマーが何をして遊んでいるかと、孫は目覚めると同時に階下へ直行。

 

ぬいぐるみを従えたシマーはシュートレインで遊んでいた。オー、シマー!!!と驚く孫。

 

トイレットペーパーのロールでできたロケットで飛んでいるシマー。

 

クリスマスツリーで器械体操をするシマー、落ちたら大変とクッションを並べている優しい孫。

ある時 お母さんはよく考えるね。と言ったら違うよシマーが考えてやるんだと言われ、まだ信じているのだと感心した。

娘は毎晩のことでこのようなアイディアはインターネットで見つけられるのだそうな。こうして小さい子供たちはクリスマスの日まで指折り数えて楽しみながらその日を迎える。クリスマスは子供のためにあるらしい。

ところで10月に日本のアマゾンからオーダーしたスエーデンのスリラー本5冊が昨日届いた。まるでこのクリスマスに合わせたみたいでとっても嬉しい。当分テレビでつまらない映画を見るよりも、一日中本が読めそう。

 

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ストライキ

2022-12-16 07:08:59 | 独り言

最近ストライキが相次いでいる。

このところ毎週国鉄電車のストで、今週は月火,金土と4日も。又来週も1月になってからもと言っている。

そして今日は全国の病院で働くナースのストライキ、今までにない盛大なストで歴史に残るといわれているが・・・・19パーセントの賃上げ要求に対し国はそんな金はないと言っている。

おまけにクリスマス前の一番忙しい時期、郵便局がストをする。

クリスマスのプレゼントやクリスマスカードの遅配などいったいどうなることやら。

私は10月に日本のアマゾンで5冊の本を買い、船便で送ってもらっている。大体3か月で着くはずだったけれど、いつつくことか分からない。

コロナで過去2年間ロックダウンで通勤客は激減していた。国鉄電車の損失も大きかった。

病院はコロナで亡くなった人たち、特にナースやドクターも多かった。ナースやドクターは此の2年間身を粉にして働き、2020年には毎週金曜日に感謝の拍手をと首相官邸から国中の通りで夕方6時には拍手で感謝の念を表した。でも実際の給料はほとんど上がっていないそうだ。

だから今日だけでなくまた要求が通るまで何度もストにはいるらしい。

今日は娘の誕生日だった。1973年12月炭鉱夫のストに同調した電気会社のストで、丸1か月ほども電気がつかなかった。病院へだけは送電されていたが、お店も街灯も各家庭へも電気はなくて、午後3時過ぎると真っ暗になるお店では小さなランプをつけたり、家庭ではろうそくだった。

もちろん電気ストーブなど使えないし、当時はセントラルヒーティングも余りなかった。娘は12月15日生まれ、25日クリスマスの日に退院してきた。当時は親子10日の入院が普通だったが、そのころの日本では1か月も入院していた。

今思い出してもこの寒い12月をどうやって暖房していたものか思いだせない。若さは寒さも気にならなかったのだろう。

1973年3月に親の大反対を押して結婚した私たち、ハネムーンベィビーの娘はポールにとっては宝物であり、私たちが入院していた間中、日中はエンジニアー会社で働き、夜はミニキャブドライバーのアルバイトをしていた。そして毎晩電気のない真っ暗で寒い家へ帰ってきていた。

こうして毎日ストライキのニュースを聞くとあの頃のことが思い出されて、早く解決してほしいと心から思う。

 

 

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寒波襲来

2022-12-12 20:52:08 | 独り言

先週娘宅へ歩いていくとまだ3時過ぎ、通りの向こうに大きな夕日が沈むところだった。

クリスマスが終わると日照時間が長くなってくるから、クリスマスに興味のない私でも、早くクリスマスの訪れを待っている。

その翌日いつも行くルーシャムのマーケットへ行ったら様子が激変していた。

広い歩道の真ん中でこんな風に水が吹き上がっている。大きな水道管が壊れたのだろうが、早く水を止めればいいのにと写真を撮ったりビデオを撮ったりしていても誰もいなかった。この夏は水不足といわれて久しいが、公共施設が老巧化してあちこちで問題続出。昨年末から今年正月中、私の周囲ではガス管に水が入って、1週間もガスがつけられなくて大変だった。それも水道管の老巧化によるものらしい。そして今まさにまた同じようにガス管に水が、暖房できないと隣人が騒いでいる。

ガス会社が数日前からきて道路を掘りまくっている。

先週火曜日夜、ブロムリーショッピングセンターで風呂敷のデモンストレーションで好評を博しこの夜のパーティでもう一度と頼まれて行ってきた。

この夜はチャリティーのボランティアだけのパーティで飲み物食べ物は各自の持ち寄り、来ている人たちも人種が入り混じっていて、いろいろ珍しい食べ物を味わった。

風呂敷も大きなものを運ぶための包み方などが、メインだが何より縦結びと横結びの違いや仕方の分からない人たちが多くて、皆熱心に習っていた。

 

我が家から駅まで行くメインロードには住宅がなくいつも道路わきに大型ごみが捨てられている。そして一晩のうちにこんなにたくさんの古タイヤを捨てて行った悪人がいる。道路わきの使われていない運動場の金網塀の中だから、カウンシルの掃除人も知らんぷり。これがきっかけでどんなにまたごみを捨てに来る人が増えるかわからない。本当に嘆かわしい、これが現在の英国。

 

金曜日、マレーシアとシンガポールの友達4人でロンドンの中華街でお昼をご一緒した。コロナ以来集まれるのも今回が初めて、彼女たちは中華は何が良いか知っているから全部お任せ、とってもおいしかった。そしてお昼のレストランの込んでいたこと。ほとんどが中国系のお客で、ヨーロッパ人は見かけなかった。

 

12月8日初霜が降りた。前後の庭は霜で白くなり。バケツの中の水が完全に凍ってしまった。我が家はリビング、ダイニング、キッチンがオープンなのでセントラルヒーティングをつけていても、室内温度が13-14℃以上に上がらない。今まで元気だったアジサイの葉もポルトガルキャベツの葉もしおれている。今まで咲いていたベゴニアは一晩で枯れてしまった。

 

 

日曜日の夜、近くのセントポール教会でクリスマスのキャロルコンサートがあった。

指揮者は10数年前に定年退職したスコットランドの校長先生で、コーラスの指揮をし、パイプオルガンを弾く。奥さんは元音楽教師、二人いる息子たちも楽団で活躍しそれぞれ結婚相手もバイオリニストやチェロ奏者という音楽家一家。

孫の12歳の男の子がトロンボーンで演奏し伴奏は彼のお母さんがピアノを弾いた。

7時から始まったコンサートは20分の休憩にお茶とケーキが出て、知らない人ともおしゃべりし9時半近くに終わりになった。

7時に来たときは霜が降りていたが、9時半あたりは粉雪が舞っていた。

 

霜が降りて寒い間は1日中暗く、日中でも電気をつけないと本は読めなかったが、雪明り、夜でも庭は明るく、ホタルノヒカリ窓の雪、蛍の光で本は読めるか知らないけれど、今朝の雪明りでは十分読書ができそうだった。

 

 

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英国この頃

2022-12-03 06:27:09 | 独り言

つい先週半ば、水道局から今までのホースでの庭の水やりや洗車禁止が解除された。何しろこの11月中の雨の日の多かったこと。というより青空の見える日が少なかったこと。それでも例年よりも暖冬だと思う。

例年ならば10月過ぎれば、霜が降りたり雪もちらほら降ったりで冬を実感できるが、いまだ鉢植えのベゴニアやサルビアの花が咲いている。

 

数軒隣の庭に植えられている高さ1メーターほどの八つ手に花が咲いている。こんなに近寄って写真を写したのは初めて、よく見るととっても可愛い花だ。

 

今年は何の手入れもせず、耕すこともしなかった裏庭の小さな野菜畑に、勝手に落ちた種からからし菜が芽をだした。これからのグリーンの野菜不足の時期にからし菜の漬物はとってもありがたい。

写真下の大きな葉はポルトガルのキャベツでこれはもう4-5年前に種から植えたもの。大きな葉を切取り、真ん中の芯を取って細かく刻み油でいためてのち醤油とみりん、砂糖で味付けて煮込むと高菜煮になる。日本人の友達が食事に来るときはこれがいつも喜ばれる。

このキャベツの葉をとってきて洗っていたら、こんなに小さなかたつむりとナメクジの赤ちゃんが這い出してきた。小さいものはかわいいけれど、大きなナメクジは気色悪い。仕方ないけど熱湯をかけて殺してしまった。

最近マーケットに柿が出回るようになった。この柿 5個で1ポンド(160円ほど)。英国では柿は実らないからマーケットにでてくるのはスペイン産かトルコ産。運送費も入ってこの値段だったら安いだろうと思う。

この頃の乳産品の値上がりが激しい。それにスーパーの棚から卵が消えて、あったとしても10パック足らず、見つけたら値段も見ずに買ってしまう。これは此の秋からの鳥インフルエンザで、フリーレンジの鳥が絶滅に近いそうな。このクリスマスには七面鳥が品薄とか報道されている。

この帽子、なんというなまえで唖然とした。英国人にはやくざはかっこいい人たちに見えるのか? きっとこれもテレビや映画の影響だろうとおもわれる。わけもわからない漢字のTシャツを着ていた娘の友達が、いったいなんて書いてあるのと聞いた。 寿司 と答えたら愕然としていた。

数年前ブーツセールで見かけた女性の上腕に悪魔という刺青がしてあり、思わず声をかけた。その女性は面白い形の漢字だと思い、刺青師に意味を聞いたところ、母親だと嘘を言われたという。一生消えない恐ろしい字。

 

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最後が良ければすべて良し

2022-11-14 03:14:00 | 独り言

11月14日から我が家の屋根に取り付けるはずのソーラーパネル。その前にもう2年もほおっておいた雨どいの破れを何とかしなければならぬ。

この地域のコミュニティで仕事をしてくれている人に朝、昼、晩と数日連絡したが、つながらずメッセージも残した。とうとう諦めて、10月末の木曜日に、いろいろな仕事を斡旋してくれるインターネットの会社に、雨どいの掃除と修理のメールを送った。

初めに500ポンドと書いたら誰からも申し込みなく、次に1000ポンドと書いたら、3人の人から電話やメールが来て、家の写真を送ってもらわないと、見積もりできないといわれ、翌朝3人に写真送付。

2人から新しく雨どいを取り替えないといけないからその費用が1600ポンドと1400ポンドの見積もりが来た。娘は明日まで待つようにと電話で提案してきた。

そこへ今から30分後に直接見積もりに行くからと電話が入り、まだ30歳の若い男とアシスタントの2人の男性がやってきた。雨どいの水が滴る3か所にこれなら800ポンド、それに屋根と雨どいの間に腐っている木を更新するに200ポンドという。

先の2人の見積もりより安いうえ、今すぐ仕事を始めるというから、OKしてしまった。( このおかげで、友達も兄嫁も娘も非難ごうごう)

まず最初に現金300ポンドをくれという。それで材料を買ってきてすぐ仕事を始めるというから現金を渡し、1時間後に仕事を始めた3人は屋根の腐っている木を取り除き,薄いカーボードみたいな板を張り付けて黒いペンキを塗り、水の滴る壊れた雨どいを金属のブラケットで支えておわり。

残りの700ポンドは銀行送信してくれと、彼の口座にお金が入るまで粘っていた。ところがその夜激しい雨で、雨どいを直してもゴミが全然取り除かれてないから雨水がトイからあふれ出て、まるで滝のようにフレンチウインドウに流れ落ちる。

その日から3日毎日数回電話して、掃除に来いというと後から行くとか午後に電話するとかいうがそのあとは電話を切って音沙汰なし。

こうしている間にソーラパネルの取り付けは1月10日になりましたという連絡が入りがっくり。

このフランシスという男に騙されたと怒り心頭で彼の会社に電話しても留守電e-mailを送ってもなしのつぶて、とうとうロンドンの各区にある市民相談所に連絡してみたらとの友達の提案で電話するも、相手は私の英語が分からない、私も彼女の言ってる言葉が分からない。

数日後に娘が電話してくれてやっと話が通じた。メールの例文を送るからとそれに元づいてフランシスにe-mailを送った。2週間以内に返事をしないときは法律に訴えるというもの、最初の1週間では音沙汰なく、2週目の月曜日、Trading Standard オフィサーという人からメールが入り、私が外国人であるということが分かっているから電話ではなく文章で書き送ってくれという。

すぐに私は日本人の78歳の未亡人でといきさつを書いて送ったらまた返事が来て、あなたはこんな業者の犠牲者だから、区が信頼する業者に連絡するようにとのこと。 またすぐメールが来て、フランシスに電話していきさつを話し彼が土曜日に来ると言っている。さすがオフィシャルの人では違うと感心した。

これらのメールが来たのが月曜日、以前インターネットで取り寄せていた日本のDVDのテルマエ・ロマエを友達2人と一緒に見ようと火曜日に予定していた。

彼女たちがやってきてお昼を一緒に食べ、午後から3人で映画鑑賞、途中から一人がのどがおかしいと言い出し、終わってすぐコロナの検査をしたら陽性反応が出た。

二人ともマスクしてあわてて帰ったが、私たち濃厚接触者、木曜日に友達からオペラハウスのオファーが舞い込み土曜日の夜だという。感染していたら行けないし、お金を無駄にするかもしれないがとうとう買ってしまった。

すると金曜日からもう一人の友達が発病。明日の朝私も発病かもしれぬとドキドキ、フランシスも来るかどうかはわからない。

土曜日の朝、コロナの検査も陰性で安心、おまけにフランシスは自分でできないと専門のおじいさん(私より若い)とアシスタントを送ってきた。そのおじいさんが3時間、フランシスが張り付けた仕事を全部はがしてしっかりした板を打ち付け、雨どいに積もり積もっていたごみを全部取ってくれた。

おじいさんにはこの仕事の料金はフランシスからもらうようにと話して、同意してもらい、もう安心。

この夜久々のロンドン、チャリングクロスロードはクリスマスの飾りつけで、たくさんの人出、この電飾も11時には消すという。

マイフェアーレディで有名なコベントガーデンもたくさんの人が楽しんでいる。

オペラハウスの前の広場もいろいろなストールやお店が出て賑わってる。

土曜日の夜8時から始まるオペラは ラ・ボエーム もう何度見たかわからないほど見て音楽もよく知っていたが、この日出たメインの歌手が私の一番好きなホアン・ディエゴ・フロレッズだった。

オペラハウスは満員御礼、 ホアン・ディエゴはいつ聞いても素晴らしい声。今日は久々の素晴らしい土曜日だった。

 

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英国のハロウイーンとガイフォークス

2022-11-06 07:28:13 | 独り言

私が英国へ来た50年前はハロウイーンなんてなかったと思う。だから私の二人の子供たちはハロウイーンに仮装したことも参加したこともなかった。

今年娘が7歳の孫のために仮装の衣装を手作りで縫ったと見せてくれた。

なんとこれピーターパンの影だという。すごいアイデアに驚いた。肩から下げた黒いバッグはもらったお菓子を入れるためだそう。

子供たちはこの夜仮装して近所や知り合いのお家を練り歩く。するとその家の呼び鈴を鳴らすとお菓子や飴類をもらえる。ハロウイーンのこの時期は夕方もう暗くなっているから子供たちだけで決して歩かせない。必ず大人が付き添って数人の子たちが一緒にでかける。

私の住んでいる3つのストリートで作っているコミュニティグループでも、子供を持つ親たちが連絡しあって、お菓子を準備して待っていると送信しあっていた。最近はハロウイーンの飾りつけをしていない家には、子供たちも来ないから、安心だけど、20年ほど前はドアベルを鳴らして何も準備してないときは慌てふためいたものだった。

このようにハロウイーンが英国でも楽しまれるようになったのはここ20年ほど、アメリカの行事だから、それに子供たちの遊びだから、日本や韓国の青年や若者のように仮装して一か所に集まることはまずない。

今日11月五日は昔からの行事でガイフォークスというのが大人も子供も楽しみにしているらしい。Remember, Remember ,5th November、と韻で歌われているこの日は1605年、カトリックのガイ・フォークスという男がプロテスタントのキング・ジェームスを倒すため、ロンドンの国会議事堂の地下に爆薬を仕掛けたが、事前に発覚して捕らわれ、火あぶりになった。

これ以来毎年11月五日は大きなかがり火や花火があがる。50年前私が英国へ来た初めのころは、道端に大きな藁人形のようなガイフォークスをかざって子供たちが Penny for Guys (ガイのためにお金をください)と言っていたものだが、最近は見かけなくなって久しい。

子供たちはこの日までに集めたお金で花火やお菓子を買い、広場で焚かれるかがり火に藁人形のガイフォークスを燃やし花火をあげる。だからこの夜は冬空にあたり一面煙が漂っていたものだが、最近環境汚染が叫ばれるようになって、かがり火は取りやめ。花火だけが揚がるようになった。

今夜5時から映画館でメトロポリタンのオペラがあり、終わったのが8時半、映画館の外はたくさんの人たちが右往左往していた。そしてストリートの向こうから大きな花火が揚がったり大きな音がこだましていた。大人も子供も花火が大好きと見える。

先週末から英国は冬時間になり、来年3月まで夜が早く来るようになった。日本との時差も9時間、いまだにこの冬時間、夏時間に慣れない。

 

 

 

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英国の切手とお札

2022-11-02 07:03:08 | 独り言

古い切手が今年いっぱいで使えなくなるというので、3週間ほど前郵送していたのが、今日配達された。

 

33枚も使わないで持っていた セカンドクラス。毎年郵便代が少しづつ値上がりしているから、ファーストクラスとセカンドクラスを一応まとめて買っておくと値あがっても以前に買った時の金額で使うことができる。

全部使用済みの切手だけれど、これらはほとんどがファーストクラスとセカンドクラスの切手で金額が書いていない。その時その時でねだんがちがう。クリスマスの時にはやっぱりファーストクラスとセカンドクラスのクリスマスらしい模様の切手が発売される。

雪だるまの上の切手が一番古くて1.5ペンス。私が英国に来た50年前、日本へ送る絵葉書が2.5ペンスだった。その時送った絵葉書の返事に、英国は女王様の顔が切手になってると驚いた返事が来た。

確かに日本では天皇陛下の写真は切手にもお札にも使われていない。もう70年も女王様は健在だったから、切手やお札は女王様の顔と決まっていて違和感がなかった。

これは1970年代にまだ使っていた1ポンド紙幣で、若くて戴冠された女王様の写真がのっている。

上3枚のお札は今現在使われているお札で、中年の女王様の写真がつかわれている。 

来年チャールス3世が戴冠したら新しいお札や切手が発行されるのだろう。私の嫌いなチャールス、毎日見たくないなー。

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年を取るっていいこともいっぱいあるねと友達が言った。

2022-10-27 22:34:07 | 独り言

先週80歳の友達と話をしたら、昨今の燃料光熱費の値上がりの話題になり、英国では毎年60歳以上(最近では65歳以上)の年寄りには9月以降一冬200ポンド(現在のレートで約3万2千円)支給される。一家にペンショナーが二人いても200ポンド、ところが80歳になると300ポンド(約4万8千円)支給される。

彼女は誕生日が12月だったから、昨年9月ではまだ200ポンドしかもらっていなかった。

それで今年は晴れて80歳の300ポンドが支給されることになった。ところが今年の急激な物価の高騰と光熱費の高騰で、新聞や国会でもとりあげられていた。 

それでペンショナー一律300ポンド支払われることになり、80歳以上600ポンド(約9万6千円)80歳以下500ポンド(約8万円)もらえることになった。

私にも昨日その500ポンドの通知が来て、嬉しいけれど、本当にこの国はやっていけるのだろうかと心配になる。ガス電気代も自動引き落としの家庭では、400ポンドの補助が出ているそうで、今月の引き落とし分がまた返金された。ますますこの国の財政が心配になる。

ロンドンに住むペンショナーは2025年まで交通費はタダ。もちろん時間制限があって朝9時以降のバスと地下鉄。9時半以降の電車と決められている。この交通費はロンドン各自治区が払っているもので、この費用は住民税から出ているという。

医療費は一切タダ。入院や手術などにも一切お金はかからないし、薬代もサッチャーさんになるまでは国民全部がタダだった。それ以降働いて税金を払っている人たちは一剤に7-8ポンドのお金を払うようになった。ペンショナーと子供16歳以下は無料。したがって日本のような医療保険や介護保険などがない。

コロナワクチンもインフルエンザワクチンももちろんタダ。ついこの間英国北部に住む日本人のブログを読んでいたら、以前に掛かったインフルエンザがあまりにつらかったので、今回はお金を払って注射を受けたという記事があって、やっぱりペンショナーだけは無料だというのが分かった。

本当に私たちは今英国のゆりかごから墓場までの社会福祉制度を満喫している・・・・・がこれがいつまで続くだろうかと意識下では心配。

 

話は変わって世界中で報道されたであろう英国の政権交代劇、たった44日で辞めたリズ・トラス首相もいったん首相になったからには、死ぬまで毎年11万5千ポンド(約1千8百40万円)が支払われるとの報道で非難ごうごう。彼女が辞めた時の風刺漫画が面白い、ナンバー10(首相官邸)の玄関に短期宿泊所の立札が。 彼女がエリザベス女王と握手をしている写真の風刺漫画が・・・トラス You don't look like you are going to last very long. ( 貴女あまり先が長くなさそうね。)女王様 Neither do yo. (貴女もね。)

とにかくボリスジョンソンがまた返り咲かなくてどんなにほ~としたことか。保守党では彼を担ぎ出した人も100人くらい居たというから、この国には国を救う政治家はもういないのかと心配していた。

 

いつも読んでる英国の無料新聞メトロの一面記事、もちろん42歳のインド系英国人のリシ・スナク首相。

ボリス・ジョンソンの下では財務大臣を務めた人で、大いに期待されている。英国にいるインド人は、昔英国が統治していたインドで、上流階級の人たちしか英語を話し、海外へ出かけることもできなかった。だから彼らは、1950-70年代アフリカへ移民した人たちが多かった。

スナク氏の両親は1960年代に東アフリカから英国へ移民し、リシ氏は英国生まれ。

過去200年で初めての若くてBritish Asian(アジア系英国)の首相。インド人は数学に強く、彼もその一人だと思う。何よりも彼の奥さんが、英国王室よりもお金持ちということで、英国一金持ちの国会議員で名高かった。

新聞の別ページには・・・・・・とにかく彼だと壁紙は自分で払えそうだ。これはボリスジョンソンが首相官邸の模様替えをした際とっても高い壁紙を使って、費用を税金から出したか?それとも政治献金か?と騒がれた一件を皮肉っている。

若くてハイソサエティのリシ・スナク首相 本当に 乞うご期待 !!!

 

 

 

 

 

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この2週間で2つのオペラ

2022-10-23 06:17:17 | 独り言

オペラやバレーは8月中は開催しない。2週間前の水曜日、この秋初めてのオペラを映画館で見てきた。

これがロイヤルオペラハウスのアィーダーだった。1990年代初めてオペラなるものをテレビで見て以来大ファンになったのがアイーダだった。

その時の出演者がいったい誰だったのかは全然覚えていないが、アイーダと恋人のラダメスが地下の石牢で愛を語りながら死んでいく場面で、ラダメスを恋い慕うエジプトのお姫様アムネリスが舞台の上のほうでメゾソプラノで歌っているのが、素晴らしく記憶に焼き付いて、アイーダを見るたびに、あの感激のシーンを期待してしまう。

ところが今回はあまりの差にがっかり・・・・・まず舞台が現代版、まるで北朝鮮を彷彿とさせる。ソロで歌う人たちは8人だけだが、その他のコーラスグループのたくさんの出演者がみな軍服姿。アイーダの父親がラダメスに助けられて逃げてきたのがまるでテロリストみたい。石牢の代わりにミサイル倉庫に閉じ込められて死んでいく二人。あんなにたくさんの巨大なミサイルの模型を作って、最後はどうするのだろうといらないことを考えていたり、あの二人あれじゃなかなか死なないだろうなと友達と話し合った。オペラ歌手で一番さえなかったのがラダメスでだった。

何よりもまずかったのが、この映画館での放映にサブタイトルが出なかった。2010年くらいから始まった映画館で見せてくれるオペラには必ずサブタイトルがついている。

ストーリーはよく知っているけどいったい何と歌っているのか分からないと、興味半減する。

それで2日後に文句を言いに行った。マネージャーにサブタイトルが出なかったから返金してほしい旨を言ったら、返金はできないが次のオペラかバレーの映画では無料にしてあげるというので、2週間後の今日10月22日のメトロポリタンのオペラのチケットをもらった。

メトロポリタンのオペラも2010年から何度も見ているが、いつもロイヤルオペラハウスより一段格が上と感じる。今まで見てがっかりしたことがない。

今日の出し物は過去にはあまり上演されなかったギリシャ悲劇をオペラにしたもので、作者はルイジ・チェルビーニ。そのタイトルもメディア(Medea)という。行く前にしっかりストーリーを読んで行った。

ストーリーは簡単に言えば、夫をよその女に奪われたメディアはリベンジのため相手を魔法で殺し、かわいいわが子2人も夫へのリベンジのため刺し殺すという恐ろしいオペラ。

出演者皆が素晴らしい歌唱力で誰も甲乙つけがたし。舞台設定も素晴らしく、さすがメトロポリタンだと感激して帰ってきた。そしてすぐロンドン北の映画館で同じ映画を見てきたはずの友達に電話して、良かったねーと言ったら、返事の声が沈んでいる。

なんと彼女の行った映画館では、サブタイトルが出なかった。

彼女もすごく期待していたから、サブタイトルの出ないこの映画はいったい何を言ってるのから分からないと、すぐに出て返金してもらったそうな。

アメリカと同時中継のオペラだから、また同じ出し物が出るのに何年後になるだろうか?

日本でも1か月後くらいに日本語のサブタイトルをつけて上演される。

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一人で生きる

2020-09-11 06:58:19 | 独り言

今日でポールが逝ってちょうど2か月経った。

一人で居る時、悲しいなーとつい出る独り言が癖になった。ポールとのたくさんの旅行の写真を集めて一つのファイルを作ったが、こんな楽しかった日々がもう二度とないことを思うとますます悲しい。

面白いテレビを見ても一緒に笑う人がいない。朝起きて夕べは良く寝たとか眠れなかったと聞いてくれる人がいない。

最近77歳で未亡人になった亡き母のことをよく思い出す。まだ私がフルタイムで働いて居た頃だったから、父が亡くなった後1週間だけ一緒に過ごして,帰ってきてしまった。あの時ただ一度だけ母は私に帰ってきてほしいと言った。でも私には家族が有り、仕事があり、遠く離れて生活しているから簡単に帰ってこれない。

私の兄と弟は母の近くに住んでいるから、何も心配せずに英国へ帰ってきてしまった。ポールが亡くなって私は76歳の未亡人、初めて母の悲しみや寂しさが良くわかる。私には近くに住んでいる娘や可愛い孫がどんなに慰めになっていることか。

昨日からやっとキャンパーの中をかたづける気力が出た。6か月も二人で生活しているキャンパーは生活用品が山ほど詰まっていて、運び移したガレージもリビングもキッチンもあらゆる細々としたものでいっぱいになってしまった。

今日は掃除機をかけ棚の隅から引き出しの中もオーブンの中もごみ一つ無いよう気配りしている。あとは今まで使っていた部分の汚れをきれいに洗い拭き取らなければならない。そうしてわが家のような気がするキャンパーを売りに出そうと思う。たった6メーターのキャンパーだけど、私には運転できない。お葬式以来トヨタの小型車だけは娘の家への往復を何度か運転して少しは自信がついたが、キャンパーのマニュアルのギヤを入れるだけでも無理だと分かっている。

二人乗りのオートマティックの小型キャンパーが買えたら、運転練習をしてキャンプに出掛けたい。でもこれは夢に終わるだろう。一人でどこへ行ってもつまらない。友達が一緒に行くと言ってくれるが、どんなに親しくても気心知れたポールには代えられない。

一家の主人が亡くなるといろいろな事務的なこともしなければいけないとやっと電話機をとった。まずは銀行に連絡を、そして初めて死亡診断書が手元にないことでどこの機関(ガス、電気、銀行、車のエージェンシー、保険会社など)も受け付けてくれないことが判った。

それで死亡診断書を6通送付してもらうことに連絡、一通につき11ポンドの料金がかかる。それに発効までに2週間もかかるというから、すべてが終わるまで何か月後か判らない。

この頃一時は収まってきたように見えたコロナウイルスの感染者が急増して、毎日2-3000人の人達が感染している。死者は毎日10人前後というから、この数か月で体力のない年寄りたちはほとんど亡くなったから、最近の感染者は若くて体力があるから死者が少ないに違いない。

先週から始まった学校も、昨日娘が務めている女学校の生徒に感染者が出たそうで、これからどれだけ感染者増加が出るか判らない。娘自身も感染しているかもしれないとのことで、しばらくは孫とも遊べなくなってしまった。

呪うべきはコロナウイルス、全く先が見えない。近い未来の予定も立てられない。

 

 

 

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