危険な思想を芸術作品に隠すことは、多くの芸術家が普通にやっていることであり
大昔から続けられてきたことであるという。 反骨の芸術家・ミケランジェロ。
ベンジャミン・ブレック&ロイ・ドナリー著 『 ミケランジェロの暗号 』 を秋の夜長に読んでみた。
ヴァチカン市国 <システィーナ礼拝堂>に隠された禁断のメッセージと副題にあった。 名著だと思う。
右の方は映画のポスターだが、内容は全く違う。 映画(ナチスもの)の原題は「Mein bester Feind」ドイツ語で、
「私の最高の敵」という意味だそうです。 なぜ同名『 ミケランジェロの暗号 』になったのかは不可思議。
左のこの本の共著者はどちらもユダヤ教のタルムード研究者が書いたもの。
(タルムード~モーゼが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群)
<システィーナ礼拝堂>天井画はルネッサンスを代表する芸術作品。カトリック教会の教義を絵画化したものといわれる。
ミケランジェロとブオナローティが1508~1512年にかけて描いたものだが、そこには300人もの人物が描かれている。
が、ヴァチカンにあり教皇の命により描かれたにもかかわらず、新約聖書に出てくる人物は一人もいないという。
(フィレンツェ経由でローマへ22年後に舞い戻った時、時の皇帝・クレメンス七世によりシスティーナ礼拝堂の壁面改装を
命じられ<最後の審判>を描いているが、そこにはキリスト・ペトロ・パウロなど新約の面々が描かれている。
その境地や秘めたるものについての詳細は記されていなかった)
あり得ないことをやってのけたミケランジェロだが、他の芸術家がこれを実行し描いていたら間違いなく破滅の運命
に至ったであろうと言われる。
いくつかその禁断のメッセージを載せてみた。 (著書を写したので鮮明さに欠くがご容赦のほど)
≪ 預言者ゼカリア ≫
本来キリストをすえさせようとした場所に、ユダヤ預言者ゼカリアを描いたのであるが、その顔を教皇ユリウス二世
そっくりに、また教皇を輩出したデッラ・ローヴェレ家の伝統色(ローマの象徴色)である金色と紫紺の衣を着せ、
教皇の自尊心をくすぐる形で怒りを和らげたという。
その背後の子供たち、、、肩にかかる右手の親指に注目、、、。(ぼかしでよく見えないが)
教皇の肖像に向けて、親指を指しているという。これは今日での中指を突き上げる(相手を侮辱する意)
と同様のルネッサンス版とでもいうが如きに。
わざとぼかして曖昧に描いているが、教皇の眼にはっきり捉えられてしまったら、ミケランジェロ自身の命も
その場で絶たれたに違いないという。 見上げれば数十メートルの距離も計算に入っていたのかも知れない。
≪ 大洪水 ≫
逃げ惑う姿が描かれているが、さりげなく金色と赤色を配色している。
この色はローマの伝統色。 逃げ惑うローマへの侮辱的メッセージという。
一般的には大航海ようの船だが、ここでは「箱船」。あくまでユダヤ教の解釈を取り入れている。
≪アダムの創造≫
神の背後には、複数の像が描かれているが、それが誰かは所説あるようだ。
背後にある画はある外科医が1975年に解剖学構造図とそっくりと指摘。 当時人間の解剖はご法度の時代。
ミケランジェロは密かに解剖学にも通じていたとし、ここでもユダヤ教タルムードやカバラによると男の生殖巣は左脳で
作られるとする教義をこの作品で描いたのではとの解釈だ。
(カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想~ウイキペディアより)
このような禁断のメッセージが天井画には数多く存在するといわれ、この著書にも数十点掲載されていた。
その秘密は、ミケランジェロが傾倒した新プラトン主義・ユダヤ教などの教義に理由があるとされるが、
ユダヤ人への尊敬・ヴァチカンの汚職と不道徳への軽蔑・教皇をも欺く反逆的信念を天井画に込めたミケランジェロ。
新プラトン主義(ビッグローブより参考クリック)
それにしても命がけで天井画に描いた情念というか反骨心には驚愕せざるをえない。
天井画制作の任務を終えた直後の1512年、ローマ教皇について怒りに満ちた詩を友人に送っているという。
この地では聖杯から兜と剣がつくられる
キリストの血が少しずつ売れれている
その十字架と荊冠は槍と盾にされ
それでもなおキリストの忍耐は絶え間なく降り注いでいる
もはやこれ以上この地に彼の似姿を増やすまい
彼の血の値は天井破りとなるだろう
今まさにローマでその肉は売られ
徳へと至るどの道も、ここでは閉ざされているのだから
天井画を完成させた後のミケランジェロ。
完成数年後、あのマルチン・ルターの宗教改革運動がヨーロッパを覆いつくす。
ドイツ・ルター派の軍勢がローマを占拠。2万人以上もの人が犠牲となったともいわれる。
ミケランジェロが戻ったフィレンツェでも自由思想が広がり、ミケランジェロ自身も積極的に身を投じた。
メディチ家とカトリック教会の横暴への反抗であった。
ミケランジェロはそのカトリック教会に対する反抗分子として指名手配される身となり、その後ローマへ戻る。
その後二度とフィレンツェの地を踏むことはことはなかったという。
有名美術館や教会・古城などもしかり、 ” ワ~すごいなぁ きれいだなぁ! ”と感嘆はするのですが。
じっくり観てきたつもりの時も、ただ多くの時間を費やしただけのような気がする。
以外に 旅とはそんなものかも知れない。 人生もしかり か?。
大昔から続けられてきたことであるという。 反骨の芸術家・ミケランジェロ。
ベンジャミン・ブレック&ロイ・ドナリー著 『 ミケランジェロの暗号 』 を秋の夜長に読んでみた。
ヴァチカン市国 <システィーナ礼拝堂>に隠された禁断のメッセージと副題にあった。 名著だと思う。
右の方は映画のポスターだが、内容は全く違う。 映画(ナチスもの)の原題は「Mein bester Feind」ドイツ語で、
「私の最高の敵」という意味だそうです。 なぜ同名『 ミケランジェロの暗号 』になったのかは不可思議。
左のこの本の共著者はどちらもユダヤ教のタルムード研究者が書いたもの。
(タルムード~モーゼが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群)
<システィーナ礼拝堂>天井画はルネッサンスを代表する芸術作品。カトリック教会の教義を絵画化したものといわれる。
ミケランジェロとブオナローティが1508~1512年にかけて描いたものだが、そこには300人もの人物が描かれている。
が、ヴァチカンにあり教皇の命により描かれたにもかかわらず、新約聖書に出てくる人物は一人もいないという。
(フィレンツェ経由でローマへ22年後に舞い戻った時、時の皇帝・クレメンス七世によりシスティーナ礼拝堂の壁面改装を
命じられ<最後の審判>を描いているが、そこにはキリスト・ペトロ・パウロなど新約の面々が描かれている。
その境地や秘めたるものについての詳細は記されていなかった)
あり得ないことをやってのけたミケランジェロだが、他の芸術家がこれを実行し描いていたら間違いなく破滅の運命
に至ったであろうと言われる。
いくつかその禁断のメッセージを載せてみた。 (著書を写したので鮮明さに欠くがご容赦のほど)
≪ 預言者ゼカリア ≫
本来キリストをすえさせようとした場所に、ユダヤ預言者ゼカリアを描いたのであるが、その顔を教皇ユリウス二世
そっくりに、また教皇を輩出したデッラ・ローヴェレ家の伝統色(ローマの象徴色)である金色と紫紺の衣を着せ、
教皇の自尊心をくすぐる形で怒りを和らげたという。
その背後の子供たち、、、肩にかかる右手の親指に注目、、、。(ぼかしでよく見えないが)
教皇の肖像に向けて、親指を指しているという。これは今日での中指を突き上げる(相手を侮辱する意)
と同様のルネッサンス版とでもいうが如きに。
わざとぼかして曖昧に描いているが、教皇の眼にはっきり捉えられてしまったら、ミケランジェロ自身の命も
その場で絶たれたに違いないという。 見上げれば数十メートルの距離も計算に入っていたのかも知れない。
≪ 大洪水 ≫
逃げ惑う姿が描かれているが、さりげなく金色と赤色を配色している。
この色はローマの伝統色。 逃げ惑うローマへの侮辱的メッセージという。
一般的には大航海ようの船だが、ここでは「箱船」。あくまでユダヤ教の解釈を取り入れている。
≪アダムの創造≫
神の背後には、複数の像が描かれているが、それが誰かは所説あるようだ。
背後にある画はある外科医が1975年に解剖学構造図とそっくりと指摘。 当時人間の解剖はご法度の時代。
ミケランジェロは密かに解剖学にも通じていたとし、ここでもユダヤ教タルムードやカバラによると男の生殖巣は左脳で
作られるとする教義をこの作品で描いたのではとの解釈だ。
(カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想~ウイキペディアより)
このような禁断のメッセージが天井画には数多く存在するといわれ、この著書にも数十点掲載されていた。
その秘密は、ミケランジェロが傾倒した新プラトン主義・ユダヤ教などの教義に理由があるとされるが、
ユダヤ人への尊敬・ヴァチカンの汚職と不道徳への軽蔑・教皇をも欺く反逆的信念を天井画に込めたミケランジェロ。
新プラトン主義(ビッグローブより参考クリック)
それにしても命がけで天井画に描いた情念というか反骨心には驚愕せざるをえない。
天井画制作の任務を終えた直後の1512年、ローマ教皇について怒りに満ちた詩を友人に送っているという。
この地では聖杯から兜と剣がつくられる
キリストの血が少しずつ売れれている
その十字架と荊冠は槍と盾にされ
それでもなおキリストの忍耐は絶え間なく降り注いでいる
もはやこれ以上この地に彼の似姿を増やすまい
彼の血の値は天井破りとなるだろう
今まさにローマでその肉は売られ
徳へと至るどの道も、ここでは閉ざされているのだから
天井画を完成させた後のミケランジェロ。
完成数年後、あのマルチン・ルターの宗教改革運動がヨーロッパを覆いつくす。
ドイツ・ルター派の軍勢がローマを占拠。2万人以上もの人が犠牲となったともいわれる。
ミケランジェロが戻ったフィレンツェでも自由思想が広がり、ミケランジェロ自身も積極的に身を投じた。
メディチ家とカトリック教会の横暴への反抗であった。
ミケランジェロはそのカトリック教会に対する反抗分子として指名手配される身となり、その後ローマへ戻る。
その後二度とフィレンツェの地を踏むことはことはなかったという。
有名美術館や教会・古城などもしかり、 ” ワ~すごいなぁ きれいだなぁ! ”と感嘆はするのですが。
じっくり観てきたつもりの時も、ただ多くの時間を費やしただけのような気がする。
以外に 旅とはそんなものかも知れない。 人生もしかり か?。
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