スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

戒名・法名 ほんとに妙(名)だ

2015年11月12日 | 雑感
≪ 生き死に ≫ のことだ。  ダジャレを言っている場合じゃないですよね。 
人の死とは、偽のメモリー、思い込み、文化慣習、宗教への疑念。 どうも素直になれない自分がいる。

このブログ長~くなりそう、前もってお詫びを。 俺は戒名・法名なんていらないという人は一読不要。

天台僧だった源信がその著書『往生要集』のなかで語った <天上界と地獄界>。
   往生要集巻上 往生要集巻中 往生要集巻下 
(自分の内に悪が潜んでいると思われている方は是非クリック・読んでみて下さい。右下欄に訳語有り)

臨終行儀の項を実践しようと二十五三昧講結社(25人の僧による)なる講が往生院を造ったという。
いわゆる今で言う≪ホスピス≫だ。 人はみな極楽往生を願うのはいつの時代も変わらないようです。

さて人間死んだらどうなる? 死んだことないから わからない? でも人は必ず死ぬようだ?
でも、死ぬって、我々が出くわすのは いつも全て他人の死 というその不可思議。
もしかして自分の内にある <死> って、有るようで実は無いのでは、と最近心にフッとよぎったりする。


まぁこんな想いに耽るのはこの位にして、本題に入ることとする。

日本最初に戒名を授けられたのは聖武天皇で、その戒名は<勝満>、たったの二文字だったという。
平安栄華を極めた藤原道長でさえ<行覚>というこれも二文字で、どちらも出家得度の際に授けられた戒名だ。

戒名・法名とは仏門に帰依する証とのことだが、死後戒名を授ける側である戒を守らない僧侶(失礼)
から戒を授けられるというのもいかがなものか。 また長々とした戒名・ランク別戒名料とか布施もしかり、
結構なお金がかかる様でもあり、日本の仏教文化慣習とはいえ誰しもが納得しかねるところ。


院号居士や大姉などは明治時代になってからのもので、戒名料の高い院号は明治初めには18%でしたが
大正に入り20%、昭和40~50年代・平成では全体の3分の2超にまで増え続け、現在に至っているという。
                      
葬儀費用 はというと、宗教は違えどイギリス12万円・ドイツ20万円・韓国37万円・アメリカは45万円程。
日本の葬儀費用は平均250万円内外(内戒名料30~100万超)と 世界でも断トツ高い ようだ。 


バブル好き、世間体を気にする日本人の面目躍如といったところ、騙されるなかれとは言い過ぎか。

戒名の定着にはどうも江戸時代の寺請制度(寛永12・1635年)にあるらしい。 

檀家である証として当初その対象は、当時禁教とされていたキリシタンが仏教に転向(宗)した際に
授けられたようで、その対象が徐々に拡がっていき、皆さん学校で習った 寺院による檀家管理
の為の <宗門人別帳> づくりに繋がっていったという。

当時の戒名は仏教の信仰への証というより、危険宗教を持っていないという身分証明だったようです。

江戸時代中期、一般に出回った文書があるという。 
『 神君様御掟目十六箇条宗門檀那請合掟 』 というもので、檀那寺との密接な関係の必要性が説かれ、
葬式の際、戒名を授かることの掟(おきて)を定めたものだそうです。 (神君様とは家康のこと)

この文書は仏教徒集団が捏造した ≪偽書≫ と言われており、仏教界の側が檀家に戒名の制度を
浸透させる為、及び村々の身分秩序を安定させる役割を担うものとしても利用したと言われている。


≪偽書≫ といえば、以前当ブログでも ≪偽経≫ として年忌法要を寺院経済破綻救済の為に、時の神道家
・永野采女と僧 ・潮音道海が 『先代旧事紀大成経』なる偽経まで創り、本来インドにも中国にも存在しない
年忌をうち立て、その立場を有利に運ばんが為に利用したという、これも江戸時代の話を載せたことがある。

年忌法要のみならず、これら戒名にしても ・・・ 。 文化慣習と言われるものは本当に不思議なものだ。

                          
最近、日本の葬儀もようやく家族葬や直葬、自然葬、無宗教葬儀などと変わってきてはいる。
特別な人は別にして、ふつう死んで誰かの記憶に残るのはせいぜい数年 数十年でしょう。
 
自分の死んだ翌日からもう誰の心にも残らないなんて ・・・ ん~ アリエル か~。  寂しさ募るスノーマンでした。

  

(左)近未来予想図 (右)皆さん ≪バルーン宇宙葬≫ ってあるそうですよ。以外に安く、25万内外だそうです!
                           

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