スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

読書三昧 (22) 『 ニイルス・リイネ 』

2014年12月03日 | 雑感
詩人・リルケは旅するとき、常に聖書とヤコブセンの書物を持ち歩き片時も離さなかったという。

先日の当ブログでの志村ふくみさんの著書で初めてこのヤコブセンという名を知り、早速読んでみました。
ヤコブセン(1847~1885)はデンマークの詩人・作家・植物に造詣が深く自然科学者としても知られる。

この『ニイルス・リイネ』はヤコブセンの代表作。 無神論者の聖書とも呼ばれているようだ。

≪恋人・友・母を失い、故郷に戻り結婚し子供も授かったが、その妻と子も突然の病に犯され
  相次いで他界する。 主人公ニイルス・リイネも祖国に志願兵として従軍、胸に敵弾を受け死んでいく≫


夢と愛、そして孤独と絶望。 どこで神に反抗・挑戦するに至ったのか、なんとも哀切極まりない物語だ。

こんな文章がありました。 主人公ニイルスと友人ヒエリルとのやりとりの抜粋です。

  ニイルス : 神はありません。そして人間は自己の預言者なのです。

  ヒエリル : いや、まったく! しかも無神論の要求たるや、極めて穏やかなもので、ほんの人類の妄想
        をなくそうというだけなんですがねぇ。
        導いたり裁いたりする神への信仰は、人間の最後の妄想です。
        ところで、それを失ったら、さてどうなりますか?
        そりゃ賢くなるでしょう。 だがはたして、より豊かに幸福になるでしょうか?
        ぼくにはどうも信じられない。


  ニイルス : では君は、人間が高らかに「神はない」と歓呼できる日こそ、まるで魔法の杖を
         ひと打ちしたように、新しい天と地とが創造される日だということは思われないのですか。
         ・・・・・・・・
         人間がもし天国への希望や地獄への恐怖なしに、ただおのれ自身を恐れおのれ自身に期待して
         自由にその生を生き、その死を死ぬことができたとしたら、、、。


ヤコブセンを心酔していた詩人・リルケもこうキリスト教を批判する。

      『あの人は人としてなら神のように偉大であったろう。
                そしていま神として、あの人は人のように矮小にみえる!』
                                                        (初期詩篇・十字架のキリストより)

      『あなたはこの地上で主の預言者だが あなたこそ最初の罪びとなのだ』
        ・・・・・
       羊たちは大きな音をひびかせて 教会の鐘が鳴りわたると たちまちみんな従いてゆく
       かれらは坊主が説教を 眠たそうな口調で唱えさえすれば わが身が償われたと感じるのだ』
                                            (初期詩篇・信仰告白より)

  神格化されたキリスト教のイエス・キリスト像を、慣習化された信仰をもきっぱりと否定している。

またこうも語る。
      『すべては去るものならば すぎ去るかりそめの歌を作ろう。
       ・・・・・・・
       すみやかな別れより 私たち自らが すみやかな存在となろう』

                                          (フランス語詩集・果樹園より)

 生きることがすべてだ。 彼岸よりこの世がすべて そう訴えているような気がする。

 リルケが常に持っていたという<聖書>と<無神論者の聖書>といわれる相反するような二つの書物。
 実は相通じ、根底に流れているものは似て非なるものなのでは、、、とそんな気もした。


神を信じる人、信じない人、またどの神を信じるか。
不思議な≪人間≫という動物。 この世に争いが絶え間なく続いている このことだけは確かなようだ。
 

さて皆さんは どう思われます!?

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿