無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

ショートコメント…その3

2009年10月27日 | Weblog
テレビ・大新聞の報道の仕方を見ていると、毎日でも書くことが出てくる。

もっと、基本的な事を書きたいと常々思っているのだが、新政府である鳩山首相の“歴史に残る”「所信表明演説」があったので、それについて書かないわけには行かない。又「コメント」となる。

自民党政権時代、テレビは政府のやることを最初に流し、そのあと、野党の批判意見を流し、最後に自民党の反論で締めくくっていた。
民主党政権になってからは、テレビは政府のやることを最初に流し、そのあと、与党の賛同意見を流し、最後に野党の批判意見を流して締めくくっている。

国民は最後の意見が余韻となり頭に残る。
以前「対案も無く、政局を睨んでの反対の為の反対、無責任野党!こちらは責任政党だ!」で終わっていたが、今は「(政府は)問題だ!」で終わっている。

この差は大きい。国民の頭に残る余韻が違うのだ。映画のラストシーンが印象に残るのと一緒の手法である。

それこそ「このまま、4年も民主党にやらせておいたら、4年後の選挙の時には日本は『焦土』と化してしまう。(民主党のあと政権を担当する政党が大変)」といった国民を多く作り出すことになる。

前にも言ったように、テレビが①報道で取り上げる、取り上げない ②報道の順序 ③報道する内容の取捨 等で国民に与える印象は180°変えることができるのだ。

今回の鳩山首相の所信表明演説についても、この手法が取られた。

(1)重大な事を大した事ではないように小さく報道。

昨夜(10/26)の午後6時のニュース番組帯でNHKが政治のニュースを5分ほどで済ませて酒井さんの初公判のニュースに変わったため、他のテレビ局に回したが、どこもノリピーの話題ばかり。
テレビは「国民の知る権利」を確保し、国民に関わる報道をすべきなのに、「夫婦関係はどうなるか!」といった報道。
酒井さんが離婚しようが、自分から夫に吸いたいといったかどうかなど、国民の生活には一向に関係が無いではないか。
一方、新政府のこれからどういうことをやっていくかは、国民の生活に直接且つ深く関わっているニュースである。
その重大報道の時間割を最小限に留め、ニュースの大部分を芸能ニュースに費やすマスメディア。

(2)実際の内容を国民に知らせず、批判の声(悪い評価)を流して、国民に悪い印象を植付ける報道。

前の麻生氏と鳩山氏の党首討論でも報道は「どっちもどっち」「全体に低調で盛り上がりにかけた」「麻生の『現実論』vs鳩山の『理想論』」「お互いに政局を睨んだ言い合いに終わった」として、民主党からは「五分五分で鳩山氏の方が少し上だった。」と自民親派の人を出し、後は自民党の鳩山批判と鳩山弟の「(兄鳩山氏の討論に対し点数を聞かれて)情けないね。15点といったところかな」を映し出していた。
実際に内容を聞いていない国民はそれで判断してしまう。つまり国民に判断させる機会を与えず、判断を押し付けているのだ。

「ああ、今回の党首討論での鳩山氏は身内の弟から“なさけないね”と言われるような『出来』だったのだ」と。

実際にインターネットで党首討論を見た人のアンケートでは、9:1程の圧倒的差で鳩山氏の方に軍配を上げているのに、働くのに忙しくて党首討論を見られない数多くの国民には本当の内容を知る機会が無い。

前置きが長くなったが、今回の鳩山氏の所信表明演説のNHKを始めとする各テレビ局の報道の仕方は問題だらけだ。

前例の党首討論と同じ様に、鳩山首相の所信表明の場面を少し流し、民主党のそれに対する印象を聞いた後、自民党谷垣総裁の批判意見と公明党の批判意見、さらには、鳩山弟の批判意見を流し、終わらせている。

余談だが、NHKニュースが所信表明当日(9/26)上記の様な報道の仕方だったのに対し、今朝(9/27)のNHKニュースで短い所信表明の映像の後、自民党総裁の批判意見(昨夜と同じ)等、反対意見を出し、そのあと「この所信表明演説に対し、民主党新人議員は…」と続いたので、ああ、きっと電話等で批判が沢山入ったから、少しは反省して所信表明に賛同する意見を批判の後にもって来たのだな、と思っていたら、映像前に「初めての国会に参加して雰囲気はどうでした?」と質問していたのだろう。「自民党議員の横だったので、ヤジがひどかったです」といった感想を述べていた。前政権の時には必ずあった「批判に対する反論」の映像は「ナシ」であり、そのあと直ぐに「普天間基地」の問題といった報道(これも政府対応批判に関する報道)で終始した。…予断終わり


確かに52分という長い所信表明を短いニュース枠で全て流すことは出来ないが、こんな批判意見をだらだら流す時間があったら、もっと肝心な部分を流すべきだと思う。淡々と流してそれで終わらせればいい。それに対する批判は、国民自身が考え終わった翌日からで充分なのだ。

「冗長的で感傷的」とか「ヒトラーのようだった」とか「北朝鮮のよう」などの批判は所信表明演説の様子を全て国民に伝えたあとにすべきだ。
全てを見た国民で(報道特集であの場面を全て報道したあとで)鳩山首相及び国会の雰囲気を「ヒトラーのように感じた」人は何人いただろうか。

(3)全体からどの部分を取り上げてテレビで流すか、で国民の印象は極端に違ってくる。

鳩山首相が「国民の為の政治」をしようと、国民にわかり易いように例を挙げ所信・政策・方針を説明しているのに、その例だけをテレビで流して、鳩山首相の結論部(言いたい事)を流さない手法。

その最たるものは、「東北のおばあさん」の例を挙げて所信を表明した部分。

(テレビでの報道部分)
息子さんが職に就けず、自らの命を断つしか道がなかった、その悲しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年3万人以上の方々の命が、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触、その目の中の悲しみ、私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。

報道は、この例の部分だけを映像に映し出しており、そのあとの自民党谷垣総裁の「感傷的」という批判と結び付けている。

だが「例」はあくまで「例」であり、自分が言いたい事の本質(主張そのもの)ではない。

この例でも鳩山首相は次の様に続けているのだ。

社会の中に自らのささやかな居場所すら見つけることができず、命を断つ人が後を絶たない。
しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている。

そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしい形で立て直すことが、私の第一の任務です。

かつて多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。

大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。…中略…
今回の選挙の結果は、このような「最も大切なこと」をおろそかにし続けてきた政治と行政に対する痛烈な批判であり、私どもはその声に謙虚に耳を傾け、真摯に取り組まなければならないと決意を新たにしております。


(さらに)
市場における自由な経済活動が、社会の活力を生み出し、国民生活を豊かにするのは自明のことです。

しかし、市場にすべてを任せ(市場原理主義)、強い者だけが生き残ればよい(新自由主義)という発想や、国民の暮らしを犠牲にしても経済合理性を追求するという(小泉・竹中ラインの)発想が、もはや成り立たないことも明らかです。

私は、「人間のための経済」への転換を提唱したいと思います。

それは、経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめようということです。

経済面での自由な競争は促しつつも、雇用や人材育成といった面でのセーフティーネットを整備し、食品の安全や治安の確保、消費者の視点を重視するといった、国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させなければなりません。…所信表明演説の抜粋終わり


「これを批判する野党自民党やマスメディア」を批判するブログから幾つか紹介

(1)その前に、これは余談だが、鳩山首相が「私もまた、この夏の選挙戦では、日本列島を北から南まで訪ね、多くの国民の皆様の期待と悲痛な叫びを耳にしてきました。青森県に遊説にまいった際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らの命を断つしか道がなかった、その悲しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。」と話している時、自民党議員席から「そんなものどこにでもいるよ!」との野次が飛んだ。

これに対する批判は当然の如く多いが、その中でも最も過激な表現のブログが、一番私の感情とあっていたので、それを載せておく。

そんなものどこにでもいるよ!(こわれたおもちゃをだきあげて20091026)

オマエらがやった政治の犠牲者だろうが。

それが「そんなものどこにでもいるよ!」だ。

「そんなもの」だ。

「そんなもの」扱いだ。


阿呆には阿呆なりの理屈があるのだろう。

しかし、自らの失政を認めたヤジっていう意味で、付ける薬のない底ヌケの愚か者がその席に座っているということ。

想像力が無い、最悪の、最もその席に座ってはいけない人達

追記----------------------------

そして、政治の大事な局面で異常にノリP報道で染めている民放……(余談の余談)



(2)植草氏のブログ

所信表明演説で特記されるべき重要な点は以下の三点である。

①経済政策運営について、これまでの成長・効率一辺倒のスタンスから、「人間のための経済」に転換すること

②国民のいのちと生活を守る政治を最重視すること

③天下りを全面的に禁止し、財政のあり方を「コンクリートから人へ」の理念に沿って根本から見直すこと

小泉竹中政治は、「がんばった人が報われる」とのキャッチフレーズの下で、拝金主義・弱肉強食主義の格差拡大奨励政策を推進した。
非正規雇用が激増する中で、小泉政治はセーフティネットを冷酷に取り除いた。
その結果、深刻な貧困問題が発生し、国民生活が根底から揺さぶられている。


鳩山政権は小泉竹中政治の「市場原理主義」を根本から見直す方針を明示している。
総選挙で国民が政権交代の選択を示した最大の理由は、社会の荒廃をもたらした「市場原理主義」を根本から見直す鳩山民主党代表の方針を積極的に支持したことにあると考えられる。

経済政策は「資源の配分」・「所得の分配」・「成長」の三つに働きかけるものである。

鳩山政権は「資源の配分」において、無駄を排除し「コンクリートから人へ」の資源配分の方針を示している。

小泉政権が「所得分配の格差拡大」を奨励したのに対し、鳩山政権は所得水準の最低保障を重視している。

「所得分配の公平確保」は安定した社会を実現するために不可欠の事項である。

「成長」は国民生活の安定と両立する形で推進される必要がある。
輸出に偏重した経済成長は、国民全体の生活向上とは結びついてこなかった。家計所得の増加を通じ、内需主導の経済成長が目指されなければならない。

自民党などの野党と、野党と連携する多くのマスメディアは、ネガティブキャンペーンで鳩山政権批判を継続すると予想されるが、鳩山政権による日本政治刷新を支持する国民は、マスメディアに誘導されることなく、鳩山政権の新政策を支援してゆくべきである。

(3)身内からも酷評される鳩山首相の所信表明演説

『自民党の鳩山邦夫元総務相は26日、兄の鳩山由紀夫首相の所信表明演説を「若い女性向けの少女マンガのシーンみたいな話ばっかりだ」と酷評した。
また、「兄弟だから1、2割は共感するが、あとはただの美辞麗句だ。辞書の中から美しい言葉ばかりを全部引っ張ってきたような作品だ」「社会主義政権を美辞麗句で表現したのが今日の所信表明演説で、兄の本意だとは思えない。兄は社会主義者ではないから」などと皮肉交じりの批判も展開した。<産経新聞26日>』

その少女マンガのシーン(発言集)

* あの夏の総選挙の勝利者は国民一人ひとりです。
その一人ひとりの強い意思と熱い期待に応えるべく、私たちは「今こそ日本の歴史を変える」との意気込みで、国政の変革に取り 組んでまいります。

* 国民の皆さまからお預かりした大事な予算

* 大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。
そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。

* 子育てや教育は、もはや個人の問題ではなく、未来への投資として、社会全体が助け合い負担するという発想が必要です。

* 新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。・・・国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。

* 市場にすべてを任せ、強い者だけが生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性を追求するという発想がもはや成り立たないことも明らかです。<人間のための経済へ>

* 日本が、地球温暖化や核拡散問題、アフリカをはじめとする貧困の問題など、地球規模の課題の克服に向けて立ち上がり、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間の「架け橋」とならなければなりません。
こうした役割を積極的に果たしていくことこそ、すべての国民が日本人であることに希望と誇りを持てる国になり、そして、世界の{架け橋」として国際社会から信頼される国になる第一歩となるはずです。

* 世界中の人々が、特にアジア近隣諸国の人々が、日本をなんとか救おう、日本に暮らす人々を助けよう、日本の文化を守ろうと、友愛の精神を持って日本に駆けつけてくれるような、そんな魅力にあふれる、諸国民から愛され、信頼される日本をつくりたい。…

自民党の谷垣総裁が、議場の雰囲気に関して「何か、ヒトラー・ユーゲント(ヒトラー青年団)とかね、ヒトラーの演説に賛成してるような印象を受けましたけれどもね」と感想を述べていたのだが。これには、ガッカリさせられた。
 
そもそも「ヒトラー・ユーゲント」の名を出したり、それにたとえたりすること自体、感覚がおかしいし失礼だと思う。
それに、彼はどうやら、つい最近まで、300議席以上持っていた自民党のチルドレンなどの若手議員たちが、演説がききとれないほど、ヒドイ野次やわめき声を伴った拍手喝采ををしていたのを忘れてしまっているらしい。<彼らに比べたら、民主党の新人たちは、よ~っぽどお行儀がよかったと思うけどね。>…「日本がアブナイ」さん


【10月27日の新聞各紙社説の見出し】

■産経新聞…【主張】所信表明演説 見えない政策の優先順位

■朝日新聞…所信表明…理念は現実に結んでこそ

■日経新聞…意欲見えても中身曖昧な首相演説

■読売新聞…「理念」だけでは物足りない

いずれも、以前の民主党のマニフェストに対し、日本を10年後、100年後にどういう国にするのか、子育て支援とか身近な策だけでなく、そういったビジョンが民主党には無い、と言っていた連中である。
(成長戦略が無い、は所信表明演説でそういった考えを明確に否定している)
私は、選挙戦で民主党がそんな100年先の日本をこうしたい、とのビジョンを打ち出したら、それこそ「夢物語をのたまう、現実を見ていない民主党」の批判の嵐になるから、「その手に乗るな!」と思っていた。

案の定、鳩山首相がそのマスメディアの批判に答えて上記の様な「ビジョン」を打ち出したら、上記社説となって表われる。

余談だが、「国際貢献」という名の下に、アメリカ軍の手先・尖兵となって他国に攻め入ろう(戦争しよう)と主張する産経新聞。(M:だから自衛隊の海外派遣ではなくアフガンに対しては民生支援で国際貢献を諮る、とする民主党を認めることはできず、民主党が政権をとったときに、同社記者ブログに『民主党さんの思い通りにはさせないぜ。これからが産経新聞の本領発揮だぜ!』と載せている。又、余談→産経が国民の信を受け「国民の為の政治」をしようといっている民主党を“その思い通りさせない”ということは、民主党に「国民の為の政治をさせない」といっているのである。国民はこんな新聞社を許しておいていいのか!)

その産経の社説は大人しいように思えるが中身は大変なことが書いてある。

(引用開始)
鳩山由紀夫首相の初の所信表明演説は「いのちを守る」や「社会の絆(きずな)を再生」などのキャッチフレーズを多用した異色の内容だ。
遊説中に聞いた、息子を自殺で失ったおばあさんの訴えなどを長めに取り入れ、具体的事例で訴える手法をとった。役所言葉を排し、国民への分かりやすさを強調したかったのだろう。首相としては最初の国会演説を脱官僚依存にふさわしい内容となるよう、工夫を凝らしたといえる。
「戦後行政の大掃除」や人と人が支えあう「新しい公共」の概念なども盛り込まれ、その方向性は妥当だろう。しかし、内政・外交とも政策を具体的にどう実現していくかが明確に示されておらず、説得力に欠ける。
これでは首相が指摘した「本当に変革なんてできるのか」という国民の不安は消えない。
国会論戦を通じ、政権を託した国民に明確な政策判断を示す責務がある。

外交面では「緊密かつ対等な日米同盟」を改めて掲げ、同盟が世界の平和と安全に果たす役割を「日本の側からも積極的に提言」すると述べた。
だが、日本がより大きな責任を担うことを前提に米側に提言する用意があるのだろうか。海外に派遣する自衛隊がより能力を発揮するには、憲法改正や集団的自衛権の行使容認に踏み込むことが求められる
そうした言及がないのは現実性に乏しい。(M:この2行が産経が民主党を受け入れない最大の理由)

米軍普天間飛行場の移設問題は現状を説明したにすぎない。世界の「架け橋」として国際社会から信頼される国を目指すと唱えているが、基軸となる日米同盟の揺らぎを回避するのが先決だ。…(M:外交とは何かが分かっていない記者たち。)

内政課題もマニフェストの取り組み状況をなぞった程度といえる。
郵政民営化の見直しという政権交代に伴う重大な政策転換について、もっと説明すべきだ。

鳩山政権に求められているのは、羽田の24時間国際拠点空港化などの国家的プロジェクトをいかに現実化するかだ。政策の優先順位をどう付けていくか。首相が問われているのはその指導力だ。

政治資金をめぐる虚偽記載問題を自ら取り上げて陳謝し「捜査に全面的に協力する」と語った。
だが、新たな説明責任を果たす考えを示さなかったのは残念だ。
政治資金規正法違反にどう向き合うか、政治への信頼回復を決定づけることを忘れてはなるまい。…引用終り

書く時間が無くなった。

今日はここまで、またね。

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