無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

マスコミ退治・・・その4

2012年08月30日 | Weblog
人は誰でもそうなのだが、私は世の中の全てに精通しているわけではない。

つまり全ての分野において専門的知識に乏しい。

(↓これ飛ばしてOK)
政治・経済・外交・国際学・生態学・生物学・物理学・科学・化学・宗教・哲学・軍事学・料理栄養学・航空学・設計学・土木建築学・日本史・世界史・地理学・考古学・宇宙学・微分積分・円周率小数点10桁まで・神武天皇から今上天皇までの歴代天皇の名前・君が代の2番の歌詞・そこらじゅうにある野草の名前(“モジズリ”等)や見かけた鳥の名前・漢字や地名・AとBとどちらが多い・等々(ここまで飛ばし読みOK)

子供の頃、戦争についての議論をしていた若者が、従軍した経験のあるお年寄りに「戦争に行ったこともない(戦争経験のない、戦争を知らない)若造が何をいうか!」と怒鳴られていたのを聞いた。

私はこれでは対話・議論が出来ないではないか、と憤った。

何が言いたいかというと、何も知らない私でも意見を言っても良いではないか、という事。そう、私は下のブログ意見を採用したいと思う。


政治の世界が分からなくても、政治の善し悪しを判断することは簡単だ。

国民の生活が苦しくなる政治は悪い政治だ。



また、次のような結論から書いて今日の日記に入る。


今、日本国民にとって一番重要なのは

今度の選挙で国民は右翼独裁政治を支持するのか、民主政治(国民の為の政治)を支持するのか

ということだ。


言い換えれば、

今度の選挙で国民は安心できる生活を志向するのか、敵対心を持ち憎悪に満ちた戦争への道を選ぶのか

ということだ。



国民はいい加減、マスコミが作り出す、維新だ(坂本竜馬だ)小沢だ野田だ・谷垣がどうの・石破がどうの・安部がどうの・石原が光秀になった(谷垣が信長)といった政局報道から卒業すべきだ。


人が社会の中で生きていく為の基本は


「他人(ひと)からされたら嫌だと思うことを人にするな」


そこから導き出される答えは


「地球人類の共存共栄」


それが今の日本では上の様に言えば世間様(マスコミ)から「平和ボケした自虐史観の左翼思想」と決めつけられる。

♪とんでもない世の中だ♪(斉藤哲夫)

今、国による愚民化・奴隷化教育の成果として、次の様に国民は洗脳されている。

※戦争をやっちゃいかんというのもまったくその通り。
でも現実を見れば、国家の体をなしている以上、軍というものが存在しているわけで、国際紛争の最終解決手段として戦争という手段がある。
日本は剣道の大会に竹刀も防具もつけずに出るようなものだ。

※中国や韓国その他の大東亜戦争の被害国といわれる国々も、あの戦争があったから独立が出来たわけで、そういう歴史的背景を(それらの国々は)考えず、中国の覇権主義に先導されて(それらの国々が)未だに「大東亜戦争の本質」を検証できない事が、一番の問題でしょうね。(日本もそうだが…)
日本人の多くは未だに御目出度いぐらいの平和ボケ、非核三原則崇拝…一体いつまで日本人と日本国は自虐的な平和思考を持ち続けていくのでしょうか?

※ちょっと本とかを読んで勉強した気になると戦争って場合によっては必要なのかもと感じることがある。

※誰もが戦争って反対と思うけど…(中略)…世の中がうまく回るには、この現状を維持していくために結構四苦八苦しなくちゃいけない。その手段の一つが、戦争。

※誰だって戦争なんてしたくないよ、(でも)戦争しないと世界はもっと混乱するんだよ、実は。。
彼ら(9・11後のアメリカの事)も仕方なくやってるんだよ。(世界の警察国家としてのアメリカの使命)
ある意味、先陣きって悪役を買って出てるっていうようにも考えられない?(大学の講義受講後の意見)

日本だって戦争してなかったら生き残れなかった。(太平洋戦争の事)

※戦争はいやだけど、日本がなくなってしまうのも…。

※自分のこと殺しにかかってくる相手に向かって、暴力はよくないよって言って殺されるのなんてまっぴらだ。

※(北朝鮮から日本に向かって発射された)核ミサイルに向かって「日本国憲法!」と叫んで国が守れるか!


①最近のラジオでも朝のコメンテーターが沖縄の普天間基地の問題を政府に批判的な態度で語った後、「でも、オキナワも悪いんですよ。私の知人で海上自衛隊から○○大学の教授になった人が言ってましたが、沖縄の反対する人はアメリカが日本から出て行ったら中国がどう出るか、という事を考えていないんですよね。」「そうですねえ」で次の話題に移った。

②(日本は世界4~5位にランキングされる軍事(防衛費)大国であるが)「日本にはアメリカの第7艦隊が居てもらうだけで良い(それで日本の守りは充分だ)」と言えば、マスコミは「そんなことをしたら莫大な金(国費)がかかってしまう」という自民党大物(当時)のコメントを流してチョン。

上記①②に対して私はその先の解説を聞きたいのだが、それはなし。(全ての報道がこの調子なのだ)
確かに兵隊さんの数では日本が国民皆兵制をとったところで中国には敵わないが、戦闘機等の技術面では日本が圧倒的に優位である。(「こんなに強い自衛隊」より)


そんな日本からアメリカ軍が撤退したら、中国はどう出てくるというのか?・・・その意見・見解を聞きたい。



マスコミが少しも問題として取り上げないが、日本の今後を決定することになるのが、今度の選挙である。

あなたは自分が・恋人が・兄弟が・子供が戦場に駆り出されるのを是とするか否かを考えて投票するように!



自民党は「郵政改革」(社会保障の切り捨て)で国民生活が苦しくなって中小企業の倒産件数が過去最大になっていた年の党の活動方針を、

△新憲法の制定

△靖国神社参拝の継承

△領土問題

とし、「これは、国の根幹、党是とも言うべき基本政策である。」とうたった。

そこには国民の生活をどうする、といった、本来の政党の本義はどこにも見当たらない。
私はこれを見て日本国の国民生活の苦境窮状救済からは乖離した「似非右翼政党」だと思った。

他の党も天皇を国家元首としたり、憲法を改正して軍隊を正規化し核を持とうと主張する政党ばかりである。

橋本徹氏も似非右翼である。「憲法改正」「核保有」「懲役制」を主張し「君が代起立条例」「職員の政治活動規制法」等々を推し進めている人物である。
この様な人物に国政を任せたら日本はどうなるのか。その辺を取り上げて報道するマスコミは皆無である。
今の日本の現状はヒットラーが出てきた時代に酷似している。

貧窮化する国民、国民から見放された政党政治、等々

「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」の時代となっている。

太平洋戦争が開始され、緒戦の勝利を過ぎてミッドウェー敗退以来、じりじりと押し戻され、南方各地の前線で退却を余儀なくされると、軍部はマスコミを通じた対内宣伝においてこれを「転進」と呼び、いよいよ後退が明らかになるや「作戦的退却」となし、敗ければ敗けるほど「敵はいよいよわが術中に陥った」と報道した。

これには「もし日本軍が不慮の敗北を喫して未知の事態に遭遇したならば、国民が動揺し世論が割れ、人心の恐慌を来たす恐れがあった」からで、起こりつつある事態は、常に「既知の事実」(想定内)として報道する必要があった。それが軍部の国民支配要領としてあり、マスコミの大本営発表となったのである。(某著から盗用)

今のマスコミの福島原発事故報道に通じるものがある。

話し出すと切りが無くなるが、国民は今度の選挙を日本を戦争に持っていきたいのか、それとも平和で安らかな国にしたいのか、の選択をする投票行動であると認識して投票してほしいのだ。

60年以上にわたる一党独裁政治が終焉し政権交代により「国民を向いた政治」が始まろうとしたとき、マスコミは全力投球して1年もたたずに参院選での自民党復活に成功し、自分たちの既得権益を死守した。
民主党は1年も経たずに改革が頓挫し(逆ねじれで何もできない状態となり、改革を強行すればマスコミ総出で叩かれて)第二自民党となってしまった。右も左も猫も杓子も今の民主党を悪く言うが、このような民主党にしたのはマスコミであり、それに乗せられて国会をネジレ状態にする参院選の投票をした国民なのだ。

ドイツでは少数党の乱立で「何も決められない」議会制民主主義にうんざりし、強烈に国民を導いてくれる指導者に憧れ、ナチス党ヒットラーの台頭を許してしまった。

今の国会はナチスの時代や太平洋戦争直前の日本と似てきている。

1936年の『国民政治読本』で馬場恒吾氏は「こうすれば日本が滅びるとか、どうすれば世の中が闇だ、とかいう説を聞くことがあるが、私はなにもそう突き詰めて考える必要はない、国民はどうにかこうにかやっていく、と思う。
何となれば、人間には自家療法的な作用があって、そういつまでも間違った方向に進むものではないからだ」
として、「議会政治はここ2~3年開店休業状態の有様であるが、この制度が無くなって独裁になる、とも考えられない」と言っている。
これは太平洋戦争に突入するわずか5年前の話である。
この年二二六事件が発生し急速に軍部独裁軍事政権へと移行していったのである。その後大政翼賛会が出来、国民総動員体制となった。

もう一度言う。あなたはマスコミの「今度の自民党総裁選は実質、次期首相になる人を決める選挙である。(無風注:これはその通りになるだろうが…)」として石原と石破の対決等々を映し出すが、あなたはそれに目を奪われて、今度の選挙が自分や自分の恋人や親兄弟親族や自分の子供が戦場に駆り出されるかどうかの瀬戸際の選択肢となるということに上の馬場恒吾氏同様、気付いていないのではないか。

憲法は専制君主制から立憲君主制になった時、「制限君主制」ともいわれたことでもわかる通り、憲法は国民を権力者の暴政から守るためのものなのだ。(憲法は権力者に架せられたタガであり、国民はその憲法に違反しないで成立した法律を守るもの)

それを権力者側が「国民は憲法の精神を取り違え利己主義に走って公徳心・公共心(公の精神)を忘れてしまっている。権利には義務がつきものだということを憲法に明記して現実から乖離してしまった憲法を本来の『国民の行動規範を定めたもの』に改正しなければならない」とマスコミを通じ喧伝し、国民を「自分の首を絞めることになる憲法改正」賛成へと洗脳してしまった。

参考までに若者の間でブームとなった小林よしのり氏の「戦争論」から抜粋したものを載せておく。

今の日本に祖国のために死ねる者などいない
自分の命だけが大事
国という「公」がわずらわしい 権利はいくらでも主張するが
義務は納税くらいしか負わない
これを今日本では「個人主義」という
日本の個人主義者は国家が嫌いである権力も嫌いである そして
この平和が自明のものであり税金さえ払えば手に入るサービスだと思っている
日本の個人はまるで消費者なのだ!!


(無風コメント)
日本国民は憲法で定めた国民の三大義務(勤労・納税・教育)を果たしている。
所得税・住民税等で日本国民は稼ぎの54.4%を納税し、その手取りから更に消費税・ガソリン税・酒税・たばこ税等を払っている。
この憲法の義務を果たすことによって「福利は国民がこれを享受する」ことになっているのだ。
上の小林よしのり氏の意見が如何に見当違いかが分かるだろう。よしのり氏は明治憲法から削られた4つ目の「兵役の義務」を国民が果たしていない、といいたいのだろう。

なにしろ こんな小さな島国が 身のほど知らずながら
こんなスケールの大きい 戦争をやってしまったって
ことが驚きというか 痛快である
無邪気に男の子の 感覚で言えば グレイトなのである


こんな幼稚な意見が若者の間で人気を博し、本屋の店頭に小林よしのり氏の書籍がズラーと並ぶ時代。いや~な予感がしないか?

もう一つ、文民統制について書いておく。

(鳩山首相の時代)
日米共同訓練の開会式訓示で、陸自第44普通科連隊長の中沢1等陸佐は、“同盟は外交や政治的な美辞麗句だけで維持されるものではなく、ましてや『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない”と述べ、自衛隊の最高指揮官鳩山首相がオバマ大統領に言った言葉を挙げて自衛隊最高指揮官を批判した。

これを、当時の北澤防衛大臣は「クーデターにつながる極めて危険な思想だ」と批判した。

マスコミはこの発言を次のように評した。(産経新聞「主張」)

日米共同訓練は、自衛隊、米軍双方の幹部、兵士らが信頼関係を築く重要な場だ。
文字通り“言葉だけでは守れない”ことを体験する機会だ。
第一線の責任者が当然持つべき認識である。
首脳会談(鳩山首相の発言)から3カ月を経ても移設先は決まらず、同盟の空洞化を招いている。国防の最前線にいる自衛官が危機感を持つのは当たり前だ。
自衛隊法61条は“政党または政令で定める政治的目的のために政治的行為をしてはならない”と規定する。
陸自幹部の発言はこれに抵触しておらず、政治的中立性をいささかも損なっていない。
処分は不当である。(無風注:政治的中立性といった問題ではなく文民統制の問題)

政策決定過程で幹部自衛官がもっと議論し、政策に生かすことの方が重要だ。
米国では軍の責任者による議会証言が定着しており、軍事政策の決定過程でも一定の発言権を有している。

田母神前航空幕僚長の問題についても、政府や国会は異なる意見を封じた

安保政策や憲法論のひずみは、こうした本質を避けようとする政治の対応から生まれている。…以上、産経新聞の「主張」より

(ブログより)
最高司令官がいかに阿呆でも、自衛官はそれを批判することはできないのか。
自衛官は、どんな阿呆な命令にも、黙って従い死んでいかねばならないのか。
どう言い訳しても、この幹部が鳩山を念頭において発言したことは明白である。
開会式の訓示でここまで言うのだ。白昼堂々と、米軍もいる共同演習の開会式の訓示で、部下から同盟について説教された首相と防衛相。
情けないではないか。
処分をするなら、まず反省し自らを罰してから行なえ。…ブログ引用終り

(自民党国会議員のブログより)
陸上自衛隊幹部の発言に北澤防衛大臣が「クーデターにつながる」等と過剰反応、…
陸上自衛隊の幹部のこの発言で防衛省は(文書による)注意処分にした。
ところが北澤防衛大臣は、連隊長の発言は「クーデターにつながる極めて危険な思想だ」と指摘したとの報道。(2月14日・朝日)

なんと大げさな…と、思わず笑ってしまった

逆ではないのか?現場で米軍と常に連携を取り、いざというときは一緒に戦う立場の現役幹部が首相や大臣の無責任な発言で現場がギクシャクしてはならないと思うのは当然だろう。
反省するのは言葉の軽い総理や大臣だ。
北澤防衛大臣、あなたは部下に「命をかけて戦え」と命令する立場ですよ。
それを忘れて第一線の隊員を批判してどうするのだ。
日本ほど軍人が軽ろんじられている国はない。(土屋正忠氏のブログ20100216)…終わり

あなたもこの北澤防衛大臣の発言を「何とおおげさな」と思っているとしたら、大きな間違いである。

いざとなった時、武器を持たない政治家・国民と「暴力装置」(笑)を持っている自衛隊と、どちらが強いか考えてみよう!

そう「文民統制」など、いざとなったら(暴力装置を持つものが自分勝手な行動をとったら)消し飛んでしまうものである。

日本国はかつて、世界恐慌を背景に軍部が台頭、イニシアチブを握って未曾有の大戦へ突き進んだ。
戦後はそうした苦い反省に立った上で「文民統制」を大原則にしている。

1978年は統合幕僚会議議長が「有事法制がないと侵略された場合、自衛隊は超法規的に活動せざるを得ない」と発言。
2008年11月には当時の航空幕僚長(田母神氏)が懸賞論文で「わが国が侵略国家だったなどということはぬれぎぬ」と主張。
そしてこの一佐の文民統制をないがしろにする発言。(自衛隊の最高指揮官=文民を嘲笑する発言)

誰かがブログで言っていたように「文民統制に反する言動は些細なことであっても許されるべきではない」のだ。

本来ならマスコミはこれらの発言を問題視し国民を啓蒙し世論を作り上げていかなければならないのだが(それが文民統制がうまく機能する唯一の手段なのだが)、テレビは田母神氏を出演させオピニオン誌は田母神氏を全頁にわたり特集、そこには「田母神俊雄氏の知られざる生い立ち」といった見出しがおどる。

陸海空の幹部養成学校の校長である田母神氏の教えを守らなければ(田母神氏の考えを自分のものとして取り込まなければ)幹部候補生は出世できないのである。

その校長の意見・見解は

※『米ソの冷戦は終わった。しかし我々は今、日本国内において反日的グループ(朝日新聞等のマスコミや日教組のこと)との冷戦を戦っている。この冷戦に勝たなければ、日本の将来はないと思っている』

※『これから部隊指揮官等に配置される皆さんは、この国を愛する正しい国家観、歴史観を確立して、部下隊員を指導することはもちろんのこと、部外における講演などでも国民を啓蒙する気構えを持って頑張ってほしいと思う』

※『専守防衛は相手にとっては痛くも痒くもない』『自衛隊の中にも相手国への攻撃について徹底的に考える人たちが必要である』

※『自衛隊にも国民が正しい歴史観を持つためにやれることがある。反日的グループ(朝日新聞等マスコミ・日教組)の努力がわれわれの努力を上回っていたから教科書がどんどん自虐的になった』

※『更に若い幹部や隊員の場合には新聞や雑誌でもそれがどういう思想傾向を持ったものであるのかさえ理解していない場合もある。
無知ゆえに反日活動に協力するようなことがあってはいけない。親日的活動が一定の成果を収めないと、やがて反日活動に圧倒されることになる。
我が国の現状を見れば自衛隊の指揮官、特に上級の指揮官は、いま第2の戦場に目を向けることが大事である、と思う。』

(無風注:第2の戦場=朝日新聞等の偏向新聞・日教組等国内の反日分子との戦いの事)



このような田母神氏の自衛隊幹部に対する「合法的な改革の士たれ」の教えは、すぐに五・一五事件の青年将校のように「もはや合法的手段では“改革”かなわず。我々が“捨石”となって国民の覚醒を促す。」となってしまうのである。

文民統制が機能するのは世の風潮・世論の後押しが必要であり、その世論を形成する役割を担い、クーデターを阻止できるのは「ペンは剣より強し」のマスコミだけである。

五・一五事件を起こした海軍青年将校の動機をもう一度書いて、今日はこのへんまでとする。


「わが国の現状をみるに、皇国日本の精神は日に衰え、国体の尊厳は日に疎んじられ、いわゆる支配階級たる政党・財閥(大企業)・特権階級(官僚)は腐敗堕落し、お互いにもちつもたれつで私利私欲に没頭し、国防を軽視し、国政をみだりにし、国威(日本の国際的地位・権威)の失墜を招き、民心(公徳心・公共心)の廃頽、農村(地方)の疲弊を来たしている等、日本国の前途すこぶる憂うべきものがある。

特に、…国際情勢の悪化(M:今で言えば“中国の脅威”“北朝鮮の核ミサイル”“拉致問題”“領土問題”)及び…対外関係(M:今で言えば“日米同盟”“テロとの戦い”“海賊”)の危機は一刻の猶予もならず、すみやかにこれらの時弊を革正し、もって日本国建国の精神に基づく皇国日本を確立するため、国家革新の必要を痛感し…
…到底、合法的手段を以ってしては“革正”期し難しとして、ついにみずから国家革新のための“捨石”となり、直接行動によりこれら支配階級の一角を打倒し、支配階級および国民の覚醒を促し、もって国家革新の気運を醸成しようとした。」(裁判所の判決文の『動機』に関する部分)

今日はここまで、またね。