無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

日記再開?・・・いや、まだ先かも?

2009年03月10日 | Weblog
私の日記の更新が途絶えて久しい。長年連れ添った“人生の伴侶”が亡くなり四十九日法要も過ぎたのに、悲しみは逆にだんだん深くなっていく。訳もなく涙がこぼれる毎日が続いている。

仕事が終わり一人で家に帰る途中やテレビ・ラジオで妻の好きだった食べ物の話が出た時、美味しい料理店や安くて良い温泉が紹介された時(一緒に行く相手がいない)、等々生活のあらゆる場面で悲しみが湧いてくる。

良く結婚式で「結婚生活により悲しみ・不幸は半分に、喜び・幸せは倍に…」との訓話?が出るが、今の私の状態からすると、確かに楽しさ・喜びは倍になっていたのだろう、今は美味しいものを食べに行く気も、旅行する気も、全く何をする気もおこらない。

子供がもう独立して生活していることもあるが「先に行って待ってるからね」といってくれた妻の元に早く行きたい気もしている。

昨年の春先、“癌の帝王”と言われる膵臓癌が見つかり医者から「数箇所に転移もみられ、手術してもムダです。このままで2~3ヶ月、抗がん剤治療をしても半年持たないでしょう」と告知(余命6ヶ月を宣言)された妻と私は、子供にも兄弟にも友達にも知らせず、普通に生活する傍ら通院による抗がん剤治療を受けてきたが、私の日記の更新が途絶えた日に入院し、私も病院の個室に泊りがけの24時間看護についた…。

他人のこんな話は面白くも何ともない話なので、私の日記が途絶えていた事情説明として聞き流してもらえば良いのだが、日記再開前にもう一つ書いておきたいことがある。

それは、よく映画やテレビで病室で息を引き取る時に“か細い、消え入るような弱々しい声(女性なら美しい声)で「ありがとう…」と囁いてなくなるといった涙を誘う場面が出て来るが、私の場合は違った。

鎮痛剤(モルヒネ)の使用で妻の頭が朦朧とし会話が出来なくなって4~5日はこちらの問いに頷いたり首を振って答えていたが、それも出来なくなった死を迎える3日前程に妻が突然、シワガレた絞り出す様な声でハッキリと「ありがとう」と叫ぶように咽ぶように奇声を発した。

話せなくなって何日も経ってのこの言葉が妻の最後の言葉でありそれ以降言葉を聞くことは出来なかったのだが、妻のこれだけは言っておかなければ、という必死の思いが伝わってきて思い出すたびに泣けてくる。

通常であれば「なによ、その声は」と笑われる様な声であり、決して映画やテレビドラマでは使えない声であった。

“現実”とはそんなものなのである。

長期間、更新が途絶えているにも拘わらず、毎日見に来てくれる人が未だにいることに悪いとは思いながら、日記を書く気になれなかった。申し訳ない。
そろそろ、また書き出そうと思うが、標題にも?マークをつけた通り、確約出来ない状態が続いている。

今日は、更新が途絶えていた理由とお詫びのみで筆を置きます。