唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

僕はお父さんを訴えます / 友井 羊

2012年05月08日 | 
僕はお父さんを訴えます
友井 羊
宝島社


読み始めたら最後まで止まりませんでした。判決のときの告白のシーンは涙がずっと出てました。

最初のペットを殺された犯人探しが思わぬ展開になり・・・でも、それは結構前にも布石が打ってあって、違和感なくその展開を受け入れられます。
 
しかし、主人公の行動は理解できない。
その点では、女の子の気持ちが自分にいちばん近いと思います。どんな事情があれ、そういう行為をしてしまったことに対する嫌悪というか恐怖は、どうしてもふとしたときに出てしまう。そんな人と付き合いが続けられるのかというと、結構厳しいと思います。
ただ、それは、物語の中にありえない矛盾があるという意味ではなく、人間は、間違いを犯す生き物であること、きっかけしだいで信じられない行為をしてしまうわけで、人間自身が矛盾する生き物なんだということなんです。
信じられないような行為をしたことが、彼の告白を重いものにしている。
自分が経験していない体験の中で、彼がどんな判断をしたのかは、彼のその経験の中で出される答えですからね。それが正しかろうが正しくなかろうが。

人間の関係は自己判断の信頼の上に成り立っているんだなと、感じさせられます。人の心の中はわからない、だから表面に現れる会話や表情、行為で相手を判断するしかない。でも、そこで出された判断は正しいのか正しくないのか、100%正しいなんてことはないわけで。

いや、だからこそ、心の中がどうかという前に行動そのものが正しいかどうかで問われるわけですね。正しさというのは、人間の社会的基準ではありますが、原因はどうあれ、その行為そのものがまず問われなければならない。社会の中で生きていくにはルールを守ることが必要です。それは人を守るルールでもあるわけです。

主人公は理由はどうあれ、してはいけない残酷なことをした。だから、それは誰かが罰さなければならない。それが、彼女の煮え切らない思いとして残ってしまったわけですが、その感覚がいちばん正しい。そういう思いをさせるような行為を彼がしたのだから。その行為の矛先がたまたま人間じゃなかったというだけですからね。

そんな人を前にして、それを前提にしてこれからもその人と付き合えるかというと、かなり微妙です。

義理のお母さんがいいです。でも、それだけになんで結婚したのかは疑問ですが。そこも、ぴったりパズルがはまらなければダメというものではなくて、たまたまあったパズルがその結果になったということだということで。