唐茄子はカボチャ

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手錠のままの脱獄

2010年07月28日 | 映画 た行
手錠のままの脱獄 [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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古い映画なのに、気のきいたセリフが結構ちりばめられていて、普通に観ることができました。
黒人と白人を手錠でつないだら何が起こるかという観点がすごいですね。当時の社会的常識への挑戦ですね。

最初のセリフで、勝手に殺し合いをするから追う必要なしというのもありましたが、黒人と白人が同列にいるということ自体があり得なかった時代です。鎖でつないだことによって、実態的に同列に置いたというのはおもしろい工夫ですね。生きるためには、片方を失うことができない状況。あの手錠がそういう状況をつくりだしました。

でも、社会的には、同じ犯罪者でも同列ではありません。最後の女の人も、黒人には食べ物を与えないのが当たり前の感覚です。

白人にとって、同列におけないのと同時に、黒人にとっても、白人なんかと人間的に同列とは思いたくないでしょう、自分たちを苦しめ、命にさえ格差をつくている白人に対して、同じ隊列に入ることが黒人にとっての幸せではないと思いますしね。

ところがこの映画は、そんな時代の中で、人種の違いを超えた友情を描いています。
強制的に同列に置かれた2人が、逃亡の中で協力し合うことで、苦しみを切り抜けることで、そういった、強制的に着せられた差別という服を脱ぎ去って、裸の人間同士という同じ立場で相手を見る価値観が芽生えます。

鎖が取り去られた後に、二人に手をつないだ鎖が友情という鎖だった。そこが素晴らしいです。
白人にとっても、そのまま女と逃げていれば高い確率で逃げ延びられたでしょう。
黒人にとっても、電車に乗って、白人を構わずに自分だけ汽車で逃げていれば逃げ延びられたかもしれません。
しかし、2人には、心の鎖がしっかりとつけられてしまったんですね。

この映画がこの当時につくられたこと自体が奇跡みたいな気がしますが、ぎゃくに、それは現代にいたる必然の産物であったともいえるのかもしれません。

それと、追う側と追われる側の対比も面白いですね。
追われる側は当然必死ですが、追う側は、犯罪人を狩りでもするかのように。ラジオの音楽がとても印象的でした。
そのシーンが出てくるたびにランボーを思い出しました。これをまねたのかどうかはわかりませんが、たしか、「今年はどれくらい仕留めた?」みたいな会話をしてましたよね。