ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き(「語られないもの」としての朝鮮学校)

2018年02月01日 00時43分50秒 | 
-----
私の妻には同じ町に住んでいて親しくしている親戚のおばあさんがいる。二世で朝鮮語はできない。このおばあさんは、最近通っていたスポーツジムを辞めなければならなかった。数年間楽しく通っていたスポーツジムだった。辞めた理由は、自分が朝鮮人であることを「知っているかもしれない人」が新しく登録したからであった。

ポストコロニアリズムは、植民地統治という抑圧の近代史が残した構造が、植民地時代が終わった後にもなお健在し、さらに影響力を行使している植民地支配の残存を探し出し、その正体を暴くことによって抵抗を試みる理論である。

被植民者は植民者の視線によってのみ自らのアイデンティティを確保することができる

自分の出自を告白しなければ気がすまないということに問題の核心がある。
-----
「「語られないもの」としての朝鮮学校」Song Kichan(※漢字が出ないので…)岩波書店
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 抜き書き(Migrants Network,... | トップ | 抜き書き(移設先の市長選 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事