ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き 〜パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

2018年04月26日 14時58分21秒 | 
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…人々が主体であることを放棄したときに生まれてくる文化を、フレイレは「沈黙の文化」と呼んでいます。沈黙といっても、何も言わないということではありません。口をついて出てくるのは、すべて他者の言葉、主人が、先生が、専門家が、テレビのコマーシャルが、世間の「みんな」が言っている言葉、それが「沈黙の文化」なのです。

…「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えてるとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしあ考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」

…いくら自分が一生懸命に考えて話し手も、相手が一緒に考えてくれなければ、それまでなのです。相手が考えてくれない場合は、自分もほんとうのところ、考えているとはいえないのだと、フレイレはさらに厳しいことを言っています。一人相撲は許されないのです。
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「パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む」里美実、太郎次郎社エディタス
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抜き書き 〜移民政策のフロンティア〜

2018年04月26日 09時49分05秒 | 
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…日本の結婚移住女性は集住地域がないなか、「結婚」を通して日本社会の最小単位ともいえる「家族」の中に直接入っていく。「唯一の外国人」として、日本社会と日常的に対峙していかなければならない状況に、彼女たちは置かれるのである。

…結婚移住女性の滞在の長期化が日本社会における生活環境の改善に必ずしもつながっていない

…地域社会の中でさまざまな生存戦略を行使する女性たちや、活躍の場を得る女性たちがいると同時に、国際結婚の破綻もふくめて立場の弱い状況に置かれ、経済的にも精神的にもぎりぎりの状況を強いられる女性たちがいることを忘れてはならない。(小ヶ谷)

…結婚移住女性は、結婚観の対立や日本的家族文化との葛藤、さらに移住者ゆえの不安定な身分などの問題に直面して、日本人の中に囲い込まれ孤立した状態にある。上記の葛藤や日本中心的な発想ゆえに、母親の言語文化の子どもへの不継承、国際結婚家族の子どもたちへの差別・いじめ、夫による妻・子への家庭内暴力、そして移住体験への「誇り」の喪失といった問題が深刻でありこういった問題を解決するためには、NPOや行政、地域社会など家庭外のサポートが欠かせないと指摘されている。

…複数の研究者の知見をまとめると、結婚移住女性の地域社会での定住を促す居住期間ごとの条件は以下のとおりである。
①入国初期団体において、受入れ地域で行政バックアップと親身になるキーマンが存在すること、日本語教室によって生活支援と日本語支援を受け、家族関係が概ね良好であること。日本語および生活支援は、家族成員との良好な関係を築いていくことに大きな影響を与えている。この段階で,女性たちは、来日して嫁ぎ先への失望を経験し、文化の違いに戸惑い、互いの母語を話せないままでの夫婦間コミュニケーションが誤解やトラブルを生みやすく、丁寧な支援が必要になる。
②中期段階において、地域に就業先があり、近隣や職場や子どもを通じて地元の日本人とのネットワーク、また同国人とのエスニック・ネットワークがあること。こうしたネットワークに支えられた良好な家族関係を構築できることは、結婚移住女性自身の定着意識を強め、よりスムーズに地域生活に参加することができる。また、夫が定年退職を迎える年齢に達している家庭が多く、子どもの教育資金や家計や介護といった面で女性側の負担が大きい。女性たちは、近所で働き口を見つけることが必要になり、それは自己実現にもつながる。その際、エスニックネットワークを活用することが多い。
③居住長期段階において、高齢化していく結婚移住女性たちの居場所づくりができ、安心してケアを受けられる多文化介護施設があることである。(賽漢卓娜)
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「移民政策のフロンティア」移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会、明石書店
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抜き書き 〜移民還流

2018年04月26日 01時13分45秒 | 
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…戦争が終わったとき、日系人の間に「日本大勝利」というデマ情報が流れ、瞬く間に広がった。日本の敗戦は、母国へ帰ることが不可能になることを意味する。95パーセントの人々が日本の勝利を信じたという。日本の敗戦を認めたのは、都市在住の限られた人々で「負け組」と呼ばれた。敗戦時の混乱のなかで、「勝ち組」が「負け組」を襲い、死者23名を数える流血事件も起きた。「勝ち組」「負け組」の分裂はその後1950年代に入っても続いたという。いつかは日本に帰ることが前提だった日本人が、ブラジルで生活していく決意をしたのは、日本の敗戦が大きなきっかけだった。

…デカセギの初期は、ブラジル国内で既にある程度の生活基盤を築いた、日本社会との関係も深い者が、家族を残して出稼ぎに行き、より豊かになった。航空運賃を容易できるだけの財力のある者しかデカセギには行けなかった。
 その後、ブラジルでは1990年3月の直接選挙によりコロール大統領が就任し、預金の一部凍結を実施した。企業は従業員の給料や生産材料の代金、商品の購入資金まで凍結されて、ブラジル経済は大混乱に陥った。サンパウロの町中には、建設が止まったビルが、何軒も立ち枯れたような姿を晒していたという。
 同じ都市の6月、日本は入管法を改正する。日系人二世、三世とその配偶者が活動の制限のない「定住者」の資格で日本に滞在できるようになった。日系人は合法的に単純労働に就くことができるようになり、同時に不法滞在の外国人労働者が厳しく取り締まられた結果、日系人の合法的な単純労働者が急増した。

…当時、日本政府は在日韓国人三世に対して、明確な法的地位を与える必要に迫られており、それと整合性を保つために海外に在住する日系人の法的地位を明確化する必要があったというのだ。一方、…法改正で日系人労働者が増加することは、政府も分っていたという見解に立つ。いずれにしろ法改正に当たって、日系人の就労や生活者としての福祉、教育について、正面から議論されることはなかった。

…さらに日本国内では、バブル崩壊後の1990年代後半、日本の雇用形態が変化していく。グローバリズム経済が広がり、生産コスト切り下げに拍車がかかり、人件費を抑えることが不可欠になる。それに伴って非正規雇用が拡大した。日本人と同じ立場で働ける日系人たちは、法的に管理されないまま、裏返して言えば法に守られないまま、真っ先に最底辺の労働者としてそのシステムに組み込まれていった。

…来日する日系人には、配偶者の資格で来日する非日系人やハーフやクオーターの子どもたちが増えた。彼らは日本語を話さず、日本的な価値観や文化に親しんでいない「外国人」だ。こうして幼い子どもを育てながら、家族で日本の過酷な非正規雇用に組み込まれ、生活を翻弄させられる外国人労働者群が出現した。福祉の届かない、極端な市場原理のなかで、人々は有機的なつながりは持てず、砂粒のようにバラバラだ。

…『ブラジル人問題』は、マイノリティ問題ではなく、マイノリティが集中的に担わされている日本社会全体の問題である。(略)すなわちブラジル人は、もっともむき出しの形で市場原理に翻弄されているという点である
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「移民還流」杉山春、新潮社
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