エンパワメントって人が内に秘めている・あるいはそがれている力を取り戻すこと。それには体の構えがすごく関係する。場がどのような類いの「体の構え」を強いるのかということも大きく関係する。表情もことばも人との関わりも予定調和的に枠に押し込められる中では、どうやってもそこから出られなかったり、そこから出るためには一大決心が必要だったりするわけだけど。
うまく場が作れれば、体もこころも表情もほぐされ、ことばも人との関わりも変わるんだなぁということを感じた。そこで初めて個が現れて、出会いが生まれると思った。
今日は、まだがちがちになってない小学生と受験を否が応にでも意識せざるを得ない中学生の出会いがあったわけやけど、中学生はいつもの枠から解放され、小学生は何年か後の自分たちの姿を中学生に見、おとなはおとなで子どもらのそういった姿に刺激を受け、可能性を感じ、改めて自分たちが子どもたちに用意してた枠の是非を問う。誰が誰から学ぶというわけでもなく、それぞれがそれぞれに何かを持って帰る「学びの場」ってええなと思った。
うまく場が作れれば、体もこころも表情もほぐされ、ことばも人との関わりも変わるんだなぁということを感じた。そこで初めて個が現れて、出会いが生まれると思った。
今日は、まだがちがちになってない小学生と受験を否が応にでも意識せざるを得ない中学生の出会いがあったわけやけど、中学生はいつもの枠から解放され、小学生は何年か後の自分たちの姿を中学生に見、おとなはおとなで子どもらのそういった姿に刺激を受け、可能性を感じ、改めて自分たちが子どもたちに用意してた枠の是非を問う。誰が誰から学ぶというわけでもなく、それぞれがそれぞれに何かを持って帰る「学びの場」ってええなと思った。