生きる

一度しかない大切な人生!
自然の中に身をゆだねて、めぐり合ったもの達と、毎日を静かに、楽しく過ごしたい!

ハングル

2011-02-06 17:35:02 | 日記
朝鮮王朝4代王、世宗は字が読めない身分の低い貧しい人々でも理解できるようにと、ハングルを創制しましたが、私はあの文字を見ているとめまいがしてなかなか覚える気にならないのです。ましてやちょっと崩したみたいなハングルは、とてもじゃないけれどわかりません。
日本語の漢字と同じ発音をする漢字も多々あるのですから、漢字の、ままにしておいてくれたらよかったのにと思うのです。世だってセですし、商道はサンド、道はドですね。李はイ、張吉山はチャン・ギルサン、山はサンではないですか。暗行御史はアメンオサ御はオ。やはり漢字であったほうが覚えられますよ。今韓国では漢字に戻そうと言う動きもあるように聞いています。

その点中国語は漢字をみれば大体何やさんかわかりますし、いざとなれば漢文で書けば何とか意志が伝えられて便利です。
なんてとても無理なことをほざいています。

冬鳥

2011-02-05 18:28:20 | 日記
家を飛び出してしまった嫁、ヨンウン(パク・ソニョン)は未だ行方知らず。
マザコン夫ギョンウ(ユン・サンヒョク)は狂ったようにあちらこちら探してさまよいます。そして母親が妻と外食もさせてくれなかった、オンマーのせいだとなじります。
母親は怒って、出て行ってやる、と言いトランクに服を入れ始めると、そのトランクをしっかり抱きかかえて、行かないで!とマザコン夫の最たる姿をあらわします。
いやあ、マザコンってこういう男の事なのかとおもわず思ってしまいます。
ユン・サンヒョクがいい演技をしていますが、この方本当にマザコンかしら?
と疑ってしまいます。
損な役ですね。
一方ヨンウンの義兄、ドヒョン(イ・デゴン)は結婚式を終えて実家へと帰ってしまった妻から結納品を全てつき返され、離婚する事に。
ドヒョンはやはりヨンウンを忘れられなかったのに気がつくのでした。

来週の予告ではヨンウンが何処か島みたいな所にいて出産し、興信所の捜査を依頼していたドヒョンがその場所にいる彼女を尋ねて行くシーンがありましたから、いよいよ居所がわかるようです。
又すぐ木曜日がやって来るでしょう。
楽しみです。

龍の涙

2011-02-04 13:58:41 | 日記
廃世子になった長男、譲寧大君は地方に追い遣られ、三男の忠寧大君(1397~1450)が世子になります。
彼が後に朝鮮王朝随一の名君と言われた世宗(セジョン)です。
父太宗は世子即位後は四年間実権を握っていますが、太宗の死後中央集権による王権強化を引き継いで国政を掌握したのでした。
彼は31年6ヵ月もの長きにわたり様々な改革をしていきます。
あの有名なハングル語を作ったのも彼でした。
彼の妃の親族は太宗によって抹殺されていきますが、これを体を張って阻止しようとしたのが、その妻ミン妃でした。
この王妃ミン氏は弟四人共夫によって抹殺されたのですから、悲劇の王妃でしたね。

廃世子は自由の身になった後も、酒や女におぼれ気ままな生活をしたと朝鮮王朝実録に書かれているそうです。
廃妃が気の毒だったような気がしますが、かえって自由を満喫したかもしれませんし、これは誰にもわからないことでしょう。

龍の涙そしてイ・サン

2011-02-01 11:36:55 | 日記
龍の涙は150回目になりました。
世子である長男は王になるのを嫌って、酒や女におぼれて父、王から廃世子になることをずっと望んでいます。そしてついに元高官の側室を奪う事で父の太宗は長男を世子妃の実家に追い出します。密かに三男の後の世宗を世子にしようと心に決めます。
王妃ミン氏は四人いた弟全員が殺されてしまいます。
太宗は後にその勢力で王権を奪われないようにするためにやっているのです。
王妃ミン氏は四男を病気で亡くし、世子も追放されて半ば放心状態になります。
王や王妃とは悲しいものですね。

イ・サン
いよいよ後二回で終わりになります。
念願の水原華城を完成させます。
この城は新しい庶民のための首都としようとの試みでした。
しかし貞純王妃(イ・サンの祖父の後妻)たちノロン派は両班がいる現在の首都の土地の値打ちがなくなってしまう事など、自分達の不利になる故、猛反対してイ・サンを抹殺しようと試みます。
ずっと見ているとイ・サンは生涯暗殺の危機と向かい合って過ごすと言う過酷な生涯だったなあと気の毒になります。
この華城は1794年から3年かけて築城されその間、総計37万6千人以上の人員、20万1400個の石材、53万の瓦など89万両の大金が使われたとあります。
イ・サンは1800年に亡くなっていますから、すべての計画は達成出来ずに亡くなったわけです。
有名な華城行進は母の還暦祝いを盛大に行うために、1795年2月9日から16日までの8日の行程で、父、サドセジャの墓参りなどしています。
この華城も日本統治時代や朝鮮戦争で多くが破壊されましたが、現在は大部分が復元され1997年にユネスコの世界遺産に指定されています。

今度はこの近くに宿をとってゆっくり見学してみようと思います。