生きる

一度しかない大切な人生!
自然の中に身をゆだねて、めぐり合ったもの達と、毎日を静かに、楽しく過ごしたい!

龍の涙

2011-02-04 13:58:41 | 日記
廃世子になった長男、譲寧大君は地方に追い遣られ、三男の忠寧大君(1397~1450)が世子になります。
彼が後に朝鮮王朝随一の名君と言われた世宗(セジョン)です。
父太宗は世子即位後は四年間実権を握っていますが、太宗の死後中央集権による王権強化を引き継いで国政を掌握したのでした。
彼は31年6ヵ月もの長きにわたり様々な改革をしていきます。
あの有名なハングル語を作ったのも彼でした。
彼の妃の親族は太宗によって抹殺されていきますが、これを体を張って阻止しようとしたのが、その妻ミン妃でした。
この王妃ミン氏は弟四人共夫によって抹殺されたのですから、悲劇の王妃でしたね。

廃世子は自由の身になった後も、酒や女におぼれ気ままな生活をしたと朝鮮王朝実録に書かれているそうです。
廃妃が気の毒だったような気がしますが、かえって自由を満喫したかもしれませんし、これは誰にもわからないことでしょう。