
震災から3年が経とうとしている。ドキュメンタリーを中心にしてたくさんの映画が作られている。そんな中、本格的なドラマや映画がここにきて登場した。先日見た山田太一によるドラマ(『時は立ちどまらない』)は素晴らしかった。あの設定はかつての山田ドラマの傑作『岸辺のアルバム』を思わせる。山田太一の描く世界はあくまでも家族の物語だ。山田さんにしか描けない作品だった。とてもよかったと思う。だけど、この映画を見て、心震えた。比較ではない。山田太一の描く世界はあくまでもお話だ。それに対してこの映画は映像である。その違いだ。
これには圧倒的に映画であることの力を感じた。ドキュメンタリータッチで描かれる仮設住宅で暮らす兄夫婦、母との家族の物語と、立ち入り禁止区域に指定された家に戻り、ひとりで暮らす弟のドラマが同時展開して描かれていく。福島で何が起きたのか、原発事故のため住む場所を追われた人たちの思いが描かれる。
自分たちは何も悪い事なんかしていないのに、どうしてこんな目の合わなくてはならないのか。そんな詮無い叫びが胸に痛い。黙々と畑を耕す。苗を育てる。田植えする。冒頭から、ラストまで、松山ケンイチが農作業する姿を延々と見せていく。その姿がこの映画の基調低音をなす。
仮設で仕事もなく、ただ、ふらふらしている兄(内野聖陽)の虚ろな姿と対比される。悲惨だ。生きる糧を取り上げられて、ただ、何をする当てもなく過ごすなんて普通の人間には出来ない。人は働いて初めて生きている実感を得る。そんな当たり前にことに気づかされる。自分たちが住んでいた土地を奪われ、狭い仮説に閉じ込められて、これからの生活のあてもなく、茫然と過ごす。
母親(田中裕子)が少しずつおかしくなってくる。まだ惚けるような年齢でもないはずなのだが、彼女もまた、生きる張り合いをなくし、茫洋として、徐々に壊れてくる。誰が悪いとか、そんなことではない。みんなこの現実を受け入れてそこでなんとかして生きようとしている。でも、生きている実感を失くていることは事実でどうしようもない。同じような仮設の並ぶ自分の家の前で迷子になるシーンが痛ましい。
放射能の汚染で立ち入り禁止地区に指定された家に戻り、農業をして、生きていこうとする。自分の家で暮らして何が悪いのか、と言う。危険だからと言われても、そんなこと、充分わかった上で、それでもここにいたいと願うのだ。危険なんかどこにいても同じようにあるではないか、と言う。そんなことより、自分はここで生きたい。20年間ここに帰ることができなかった。誰のいなくなったから、帰れる。でも、誰もいなくなった故郷はなんだかせつない。
母とここで再び暮らすことになるラストがすばらしい。田植えをするふたりを捉えるシーンだ。もちろん母を背負って家路をたどる直前のシーンもよかったけど、それ以上に何も言わないあのラストシーンだ。(この今は誰もいない村で母は「静かだね」というけど。もう、たまらない)まるで、あの『恋恋風塵』の映画史上最大のラストシーンを思い出してしまった。それだけでもう胸いっぱいだ。
これには圧倒的に映画であることの力を感じた。ドキュメンタリータッチで描かれる仮設住宅で暮らす兄夫婦、母との家族の物語と、立ち入り禁止区域に指定された家に戻り、ひとりで暮らす弟のドラマが同時展開して描かれていく。福島で何が起きたのか、原発事故のため住む場所を追われた人たちの思いが描かれる。
自分たちは何も悪い事なんかしていないのに、どうしてこんな目の合わなくてはならないのか。そんな詮無い叫びが胸に痛い。黙々と畑を耕す。苗を育てる。田植えする。冒頭から、ラストまで、松山ケンイチが農作業する姿を延々と見せていく。その姿がこの映画の基調低音をなす。
仮設で仕事もなく、ただ、ふらふらしている兄(内野聖陽)の虚ろな姿と対比される。悲惨だ。生きる糧を取り上げられて、ただ、何をする当てもなく過ごすなんて普通の人間には出来ない。人は働いて初めて生きている実感を得る。そんな当たり前にことに気づかされる。自分たちが住んでいた土地を奪われ、狭い仮説に閉じ込められて、これからの生活のあてもなく、茫然と過ごす。
母親(田中裕子)が少しずつおかしくなってくる。まだ惚けるような年齢でもないはずなのだが、彼女もまた、生きる張り合いをなくし、茫洋として、徐々に壊れてくる。誰が悪いとか、そんなことではない。みんなこの現実を受け入れてそこでなんとかして生きようとしている。でも、生きている実感を失くていることは事実でどうしようもない。同じような仮設の並ぶ自分の家の前で迷子になるシーンが痛ましい。
放射能の汚染で立ち入り禁止地区に指定された家に戻り、農業をして、生きていこうとする。自分の家で暮らして何が悪いのか、と言う。危険だからと言われても、そんなこと、充分わかった上で、それでもここにいたいと願うのだ。危険なんかどこにいても同じようにあるではないか、と言う。そんなことより、自分はここで生きたい。20年間ここに帰ることができなかった。誰のいなくなったから、帰れる。でも、誰もいなくなった故郷はなんだかせつない。
母とここで再び暮らすことになるラストがすばらしい。田植えをするふたりを捉えるシーンだ。もちろん母を背負って家路をたどる直前のシーンもよかったけど、それ以上に何も言わないあのラストシーンだ。(この今は誰もいない村で母は「静かだね」というけど。もう、たまらない)まるで、あの『恋恋風塵』の映画史上最大のラストシーンを思い出してしまった。それだけでもう胸いっぱいだ。