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映画・演劇のレビュー

三角フラスコ『花鋏』『指先から少し血が流れ始めた』

2013-12-13 20:45:15 | 演劇
こんなにもド真ん中。『指先から少し血が流れ始めた』は受け止めるほうも指し示すほうも、かなりの覚悟が必要な作品なのではないか。作者の中村賢司さんの今の気持ちが気負うことなく、かといって冷静すぎることもなく、等身大に提示されている。養護学校で働く。あまりの重労働で心身のバランスを崩していく。逃げるのではない。自分の力量不足を嘆くのでもない。ただ、疲れた。オーバーワークのため、子供たちを大切にしたいという気持ちはあるけど、自分を見失いそうで怖い。だから、仕事を辞めてニューヨークに行く。語学の勉強のためというが、逃げ出すのだ。だが、そうは思いたくない。そんな後輩の話を聞くところから始まる。

別々に書かれた2人の作者による台本、2本の短編。40分ほどのドラマは、どちらも登場人物は3人で、同じような状況が描かれる。同じ3人が演じる。

『花鋏』は夫と妻とその妹のお話。こちらは、生田恵さんの作品。夫は、もう一度一緒にやっていきたいと、思う。今まで、仕事が忙しくて妻をかまってやれなかった。やがて彼女は心を壊して家から出られなくなる。今は、別居している。思いやることって、難しい。だから、もう一度やり直したい。


極めてシンプルな人間関係の中で、お互いのやさしい気持ちはとてもよくわかるけれども、うまくやれないもどかしさがある。そんな3人の姿を描く。ここに描かれる緊張感の持続は見ていてとても心地よい。ヒリヒリする痛みが、しっかりとこちらに届くからだ。そこに傷ついた人たちがいて、彼らが今抱える自分たちの痛みと格闘している。その生身の姿が、ここにある。

狭い空間(ウイングフィールドがとてもこの芝居に似合う)での芝居だから、よけいに役者たちの存在が身近なものとして映る。手を伸ばせば、触れることもできるほどのその距離、近さ、がこの作品の魅力だ。演出には一見するとなんの工夫もなく、愚鈍なまでもの、シンプルさ。役者たちの姿をただ見せるばかりだ。だが、これは役者を演出が信じているからこそ出来る芝居なのだ。ただそこにいるだけ。震えるほどの心細さで。でも、その圧倒的な存在感。これは実は難しい芝居だ。さりげなさ過ぎて、ドキドキする。一歩間違えたならどうでもいいようなただの他人事にしかならない。なのに当然そうはならない。シンプル過ぎて、凄い。

 役者は3人とも素晴らしいが、その中でも瀧原弘子さんがとてもいい。この2本の芝居で、まるで正反対の2人を演じる。だが、この弱さと強さは背中合わせだ。






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