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映画・演劇のレビュー

広小路尚祈『うちに帰ろう』

2012-02-07 22:56:41 | その他
一昨年の芥川賞候補作品。かなり面白いのだが、どうして受賞を逃したのだろうか。芥川賞候補としては、エンタメ臭がし過ぎたか。でも、そういうのだったら、なんだか嫌だな。わかりやすくて、新鮮で、刺激的なんだから、なんら問題はないではないか。こういうものが受賞すれば辛気くさい小説ばかりが受賞する、という印象が強い芥川賞に清冽な風を吹き込む作品になりえたのではないか。安易に若い女の子に賞を与えるのよりもずっと意味があるように思うのだが。

主夫が、子供を遊ばす時の「公園仲間」の主婦と心中旅行に出る話。なんていうと、なんだかセンセーショナルだったり、なんだ、ただの不倫かい、と思われたりするだろうが、実はそうではない。こののほほんとしたタッチがおもしろい。

なんでもない日常のスケッチが、ほんのちょっと視点がずれているだけで、こんなにも不思議なタッチの小説になるのだ。きっとこれは森田芳光監督が映画化したりすれば、さらに新鮮な映画となったのではないか。今更ながら彼の若すぎた死が悔やまれる。軽さは作品を貶めることはない。時代の空気を敏感に受け止め、更にその先を描くこと。それが映画や小説のひとつの使命だ。この小説の主人公と、彼を巻き込む主婦が指し示すほんのちょっとした気まぐれでしかない冒険は、ささやかだからこそ、リアルである。心中なんてバカなことを言い出すくせに、やっていることは子供のいたずらと同レベルで、そのことを一番よく知っているのは本人だったりする。主人公の主夫は、巻き込まれ型キャラで、彼を巻き込む魔性の女(それは言い過ぎだが)である主婦も、ただ彼をからかっているだけ、なのかもしれない。もちろんそこにある寂しさは事実で、本気で心中を考えた瞬間もある。だから、この小説はこんなにもドキドキさせられるのだ。本気と冗談は紙一重。その境界線上にこの小説はある。だから、これは実に危ういお話なのである。全て事なきを得るラストにほっとするのではない。あれはあれで危険だ、と思う。何もないから、反対に怖い。そんな気分にさせられるのが凄い。

妻の出産を契機にして会社を辞めて子育てに専念する男と、彼を取り囲む専業主婦たちの平日の午後の時間が描かれる。その穏やかで、でも緊張感の満ちた時間のスリル。それが見事に捉えられた作品である。

同時収録の『オマールと海老』も、同じような危機感が描かれる。妻を失った男が、幼い息子と共に東京まで旅行する。久しぶりに遠く離れた友人のところにいく。それだけの話だが、天麩羅屋を営み、漫然と暮らす彼が、思いつきで突然仕事を休んで、車を走らせる。まぁ、店は父親がいるから、自分が居なくても大丈夫なのだが、そんな緩さもまた、彼にとっては危険なことなのだ。変わることのない平凡な日常がこの先もずっと続くだろう。それにうんざりするのではない。それをただ何も考えず受け止めてただなんとなく過ごす。そのことになんの疑いも抱かない。だが、それでいいのか。よくわからないのだ。考えないことは楽だ。だが、そんな楽に埋もれてしまう自分の人生ってなんなのだろう、と思う。ほんのちょっと自分に刺激を与えたい。ただそれだけの話なのかもしれない。この2作品はそういう意味で双子のようによく似ている。

 今、調べて知ったのだが、広小路さんは今回も芥川賞候補になっている。


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