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映画・演劇のレビュー

baghdad cafe『男子』

2012-02-06 21:35:06 | 演劇
とても難しいアプローチをしている。こういう観念的な芝居に説得力を持たせるためには、核となるものが必要だ。ひとりの男の子を巡るお話なのだから、彼を舞台に登場させたならわかりやすい芝居になるのは当然のことだろう。だが、そこはまず大前提として避ける。敢えてそこを空洞とすることで見えてくるものを描こうとしたのだから、当然のことだ。

 8人の女の子たちが舞台上には登場する。彼女たちは別々の人格を持つ8人ではない。彼女たちがあるときにはその男子となり、あるときには彼を取り囲む女子たちとして、そこに存在する。特定の誰か、ではない。さらには役割すら特定しないから、話の進展を通してどんどん変わっていく始末だ。しかも、ストーリーを追わないから、イメージ・シーンが流れていく。意識の流れとして全体が構成されてある。

闇の中から立ち上がり、孤独な心情を通して、ある1日が描かれる。ラップのリズムに乗って始まり、80分間の意識の迷宮が綴られていく。ドラマ性を廃して描かれるから、この流れに乗れなかった人は置いてけぼりを食らうかも知れない。

 そういう危険性は重々承知の上で、敢えてこのスタイルを選択した作、演出の泉寛介さんは、そこにいながらも、そこにはいない男の子と、彼を見つめる女の子との関係をお話としてではなく、抽象的な深層心理を、そのままの形で舞台化することに挑んだ。独り善がりになりかねない作品がそうはならずに成立したのは、心の迷路を視覚化するという1点のみにポイントを絞り込んだからだ。中途半端な視点の揺れがあればこれだけの集中力は発揮されなかっただろう。8人のアンサンブルにより、結果的に、とても美しい舞台となった。


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