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映画・演劇のレビュー

態変『ゴドーを待ちながら』

2012-02-07 23:04:47 | 演劇
 「一世一代福森慶之介」。このサブ・タイトルが素晴らしい。こういう心意気で1本の芝居を打つ金満里さんの福森さんへの想いがそれだけで胸を打つ。劇団の事情や、個人的な問題は芝居自身には関係ないと思う人もいるだろう。もちろん作品の完成度には影響しないし、させるべきではない。作品はただそれだけで完結する。だが、決まっていた3月公演をキャンセルして、福森さんのために、彼をセンターにおいた彼のためのだけの芝居を作るというこの企画にみんなが賛同し、観客も含めて1本の芝居を応援する。こういうことがあってもいい。

 冒頭、真っ暗な中、徐々に浮かび上がる背中。それをいつまでもみつめていたいと思う。あれは福森さんの背中なのだ。そんなことわかりきっている。ただそれだけで、感動する。そんな芝居があってもいいだろう。この作品の福森さんはいつも以上に静かだ。周囲のみんながはしゃいでいても彼だけは穏やかにそこにたたずむ。そんな彼の立ち姿が美しい。ヴラジミールを演じる小泉ゆうすけさんがハイテンションな芝居を見せる。それとの対比でエストラゴンである福森さんの静謐が際立つ。

 ベケットの古典を題材にしながら、ここにはただそこに福森さんがいる、とうことしか大事なものはない。テキストをどう解釈するか、とか、そんなことは、どうでもいい。そこまで思い切ったことが出来るのが態変なのだ。そんなことなんでもない。福森慶之介がいる。それだけで芝居が出来る。それでいいではないか。なんか、問題でもあるか! と。芝居の序盤で福森さんが「これで終わります」と頭を下げる。あそこで終わったとしても誰も文句は言わない。それくらいの説得力がある。重い芝居ではない。軽い芝居でもない。態変のいつもの芝居でもない。これはベケットの芝居ですらない。ただ「一世一代福森慶之介」。それだけだ。

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