
昨年12月の公演を配信で見た。タカハ劇団を初めて見たのだが、とても刺激的で面白い。もちろん生で見たならもっと感動したのだろうけど、配信でもこの作品の面白さは十分伝わってきた。近未来の日本を舞台にしながら、最後は戦時中へと至る。先の大戦中の日本を想起させるあからさまなラストの展開は少し安易だが、(赤紙とか、お国のために死ぬという美談に貧しい庶民たちが踊らされていく、とかいう部分)ここにある恐怖はあの頃の出来事と同じで、恐怖は繰り返される。
最初に提示される「死ぬという事をどれだけきれいにイベント化するか、」というお話は面白い。平均寿命が短くなり、新聞に載る死後の記事をどれだけ美しいものにして最後を飾るのかに誰もが(裕福なものだけだが)心を砕く時代。貧富の差が拡大し、貧しいものは生きていけなくなる時代。理想の死に様を人々に提供する美談作家がもてはやされる。
ゴミだめと化した歌舞伎町がお話の舞台となる。そこに暮らす人々のところにある有名美談作家がやってくる。ここで暮らす一人の男が彼女にその才能を認められて美談作家となる。現実よりもフィクションが重視される世界で、作られた美談に現実が追随する。人生50年時代、寿命が明らかになり、残り時間からカウントダウンできること。あと1年から3年です、と言われたときどんな準備が出来るのか。残された時間をどう生きるかではなく、どんな死を目指すかを大事にするという不条理。死後の名声にこだわる富裕層。この国は、そしてこの国の人々はどこに向かうのか。
舞台美術が圧巻だ。うず高く古本や古雑誌が積まれた街、歌舞伎町。そこでごみをあさる人々。廃墟と化した東京の一角で生きる人たちのもとにやってくる日本一有名な美談作家は、自分の死に場所を求めている。まもなく死ぬことになっている総理の美談作成を巡るお話は、やがて、美談のもとで死んでいく庶民の物語に連なる。お金に執着して、生きること。お金では買えないもの。この作品は、いくつもの問いかけを用意する。そしてそこでいくつかの答えも提示される。だが、それは不安定で、確実なものではない。
手話通訳で同時にお話を語るというアイディアも凄い。しゃべれない妹が同時に手話でお話のすべてを表現する。今回字幕版で見たので、手話、音声、字幕と3つの表現でお話が語られていくのを目撃したことになる。伝えることな大切さ。でも、伝わらない事実。信じていいものはどこにあるのか、わからなくなる混沌。たった5人で演じられる2時間10分に及ぶ作品はそんなさまざまなことを問いかけてくる。