奥田英朗の原作小説を読んだのは、ずっと前のことだ。いつも通り、読みやすい小説で、ストーリーも単純だ。映画向きのお話だ。2年前の映画化されたこの作品を見て、なんだかとても身に沁みた。3日間の話だ。やくざのチンピラが、親分から鉄砲玉を言い渡されて過ごす最後の3日が描かれる。今読んでいる小川糸『ライオンのおやつ』(図書館で予約して半年、昨日ようやく順番がまわってきた!)はホスピスで人生の最期の時間を過ごす女性の話。定年になり、認知症の母親の介護をして過ごす時間の中で考えるのは、自分は人生の最期をどう過ごすのか、ということだ。まだ60歳でまだまだ先の話といいたいところだが、最近精神的に老年期を迎え、厭世的にしかものを考えられなくなっているから、そういう問題が身近に感じる。だから、この映画もなんだか身につまされる。
この映画は新宿という狭いエリアからほとんど出ない。そこが彼らの生きる世界だからだ、偶然出会ったふたりの男女の3日間。17歳で家出して以来帰らなかった埼玉の実家に彼女を連れていくシーンで唯一新宿を離れる。母親のカラオケスナックに行く。母とするそっけないやりとり。きっと5年(推定)ぶりくらいの再会だ。なのに、何も聞かない。コーラを飲んで、別れる。兄貴分や組の親分からおもいきり好きなことをして過ごせ、と言われる。この後、刑務所に入ると10年は出られない。20代のすべての時間を失うことになる。
映画はそんな彼らの時間をさりげないタッチで描く。感傷的にはならない。ドキュメンタリータッチの乾いた描写にもならない。気張らないのだ。だって、最後だからといって何をすればいいのかなんて、わからない。いいホテルの泊まり、(1泊15万のスウィートルームに泊まる)遅くまで遊び、おいしいものを食べて、セックスをするくらいだ。悲壮感はない。悲壮になっても仕方ない。95分の短い映画は短い時間をそのまま描くばかりだ。彼らのことを見守るネットの住人たちとのやりとりは、最初はふたりを興味本位で見るばかりだが、徐々に切実になっていく、のも、よくあるパターンだ。ただの人ごとだったのに、自分のことのように思えてくる。もうこの先はない。でも、これで終わりにするわけにはいかない。
予定通りに終わるラストを映画は直接は見せない。大事なのはそこではないからだ。彼らにとってこの3日間はなんだったのだろうか。嵐のようにやってきて去っていく。きっと自分でもよくわからない。だけど、こんなことが確かにあった。その事実だけは残る。「考え直せ」と言われても、無理。動き出してしまった以上仕方ない。だから、その時間を十分に生きてみた。バカな生き方だ。だけど、それが事実だ。やってくることのない彼を待ち、一瞬幻を見る彼女の姿で幕を閉じる。