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映画・演劇のレビュー

奥田英朗『田舎でロックンロール』

2014-12-04 20:46:14 | その他
小説だと思っていたから、最初は取っつきにくかった。だいたい僕はロックだけでなく、音楽にはあまり明るくない。ここに登場し、紹介されるものは、まるで(というわけではないけど)知らない。しかも、マニアックだし、洋楽には疎い。だが、その辺は読み流して行くと、だんだんこの青春グラフィティにハマる。

だいたい僕は奥田英朗と同い年なのだ。岐阜と大阪で、住んでいたところは違えども、まるで同じ時代を生きている。彼がロックのハマったように、僕も映画にハマっていた。このお話のロックを映画に変換したら、やっていること考えていること、そのすべてがまるで同じ。まるで、自分の中学時代から、高校時代を追体験しているような恥ずかしさ。

僕は中2の夏、『エクソシスト』を見て、完全に映画にハマった。そこからはもう、どうしようもなく、ただただ映画。1973年の話だ。友達に誘われて初めて梅田のロードショー劇場(梅田東映パラス)に行った。それまで映画といえば、近所の場末の劇場しか知らなかった。満員のおしゃれなロードショーに、しかも前売券を持って見に行くなんていう経験はそれが初めてだった。映画はとんでもなく怖くて、それから2,3日は後悔した。うなされた。パンフ(そんなものも、生まれて初めて買った)なんて買わなければよかった、と思った。リーガン(リンダ・ブレア)の恐ろしい顔の写真がパンフにはある! 

それから、もうマニアへの道を一直線だ。その後、見たのは『青い体験』だ。ちょっとエッチなイタリア映画で、中学生にはぴったりの作品だった。しかし、僕が凄いのは同時上映で見た(その頃、ロードショーには2本立という場合もあった)『アメリカの夜』に、心惹かれたことだ。渋すぎる。中2である。トリュフォーである。しかも、映画製作の舞台裏を描くようなマニアックな映画である。そういう意味では早熟で、背伸びしたい中学生だった。トリュフォーから、フェリーニへ。アメリカン・ニューシネマなんか、素通りして、興味はイタリアン・ネオリアリスムである。中3の時には、大人顔負けのいっぱしの映画小僧だった。今考えても、恥ずかしい。

まるでこの本の作者と同じ。だから、僕はこの本の映画版を簡単に書ける。まぁ、誰もそんなもの読みたくはないだろうから、書かないけど。なんだか懐かしい本だった。これは自分がほとんど知らない音楽の話なのに、同時代人として、同じように何かに夢中になってバカしていた中高生だったから、ここに描かれる想いのすべてがよくわかる。帯にある「山田詠美氏絶賛」というのもよくわかる。彼女も同世代なのだ。あの頃の「僕たち」がここにはいる。こんな自分の趣味を書いただけの本なのに、それがとても面白くて、胸に熱い。


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