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映画・演劇のレビュー

角田光代『八日目の蝉』

2010-08-29 20:58:05 | その他
 新聞連載時から読むことは可能だった。我が家は読売新聞を取っていたし。でも、細切れに読むのは嫌だったので、単行本の出版を待っている内になんだか機会を失い、なんと、今日まで読むことが出来なかった。2006年7月に連載が終了し、2007年3月には出版されているのだから、3年以上経ったことになる。その間角田光代の新刊を何冊先に読んだことであろうか。まぁ、そんなことはどうでもよい。それより、この傑作を今まで読まずにいたことが悔やまれる。でも、無事今日読み終えれてよかった。これは彼女の最高傑作である。9月公開の吉田修一の『悪人』と並ぶ犯罪小説の最高峰であろう。

 ここには犯罪が描かれるのではない。人間であることの「痛み」が描かれるのである。それが犯罪に人を誘う。主人公の希和子が、つき合っていた男の、生まれたばかりの子供を誘拐したのは偶然のことでしかない。計画的な犯罪ではない。魔が差しただけなのだが、そこから彼女の地獄巡りが始まる。

 読みながら、ドキドキした。怖くて仕方なかった。幼い赤子を抱きかかえて住むところもなく、犯罪者として、身を隠して生きていく。そんなこと不可能だろう。だが、3年半、彼女はそうして生きた。読みながら、この状態がどこまで続くのか、想像もつかない途方もないことに思えた。。永遠に続くようにさえ思える。それが、まるで自分の身に降りかかったことのようにも思えた。完全にこの小説に嵌まってる。

 希和子は周囲の善意に支えられて、でも、いつばれるかわからない不安を抱え、気を張りつめて生きる。親友の所、見知らぬ女のもと、あやしげな宗教団体、小豆島のラブホテルの住み込み、ようやく落ち着いた先でも、ほんの一時の幸福の後、また逃げ出さなくてはならなくなる。

 自分が産むはずだった子供とともに、生きる日々。生活の保障なんて、ない。保険もないから、病院にもかかれない。でも、この子と共に生きる時間、その喜びだけを心の支えにして生きる。ただ、ありのまま、小説は、彼女がたどった時間を追いかける。

 後半は、主人公が変わる。あの時、彼女が抱えて生きた子供、恵理菜が、成長して20歳になる。大学2年生になった彼女が描かれる。薫として生きた3年半、その後、本当の両親の元で生きた15年ほどの時間。その先に今の彼女がある。

 彼女が、封印していたあの事件の真実に触れる。つまらない男の子供を妊娠した。まるで、自分をさらったあの女と同じような人生を生きていく自分に嫌悪を抱く。でも、どうしようもない。彼女の精神的な旅が描かれていく。果たして彼女に安住の地はあるのか。

 2人の女、2つの時間。8日目まで生き残ってしまった蝉が見た風景をどう思うか。すべてが終わった後の時間を生きること。それでも、生きていられることは幸福なのか。これには単純な答えはない。だから、作者が描こうとしたこのドラマにも、単純な答えはない。これは、とある犯罪と、その末路でもない。人が生きることの根元的な問題を問いかけるのだ。子供を産むこと、育てること、生きていくこと、その本当の喜び。そんな当たり前のことについて、改めて考えさせられる。極限のドラマに目を取られてはならない。これは、人事なんかではなく、「あなた」のお話である。




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