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映画・演劇のレビュー

『ありがとう』

2006-12-16 23:38:03 | 映画
 見る前は、気が重かったが、仙頭武則が万田邦敏を監督に大抜擢したということに心惹かれて見る事にした。才能のある作家に危険を覚悟の上でこういう企画を任せることでいかなる結果を生むことになるのか。これはプロデューサーとしてはかなりの大冒険ではないか。

 万田監督のキャリアとこの作品とのミスマッチが、もしかしたら、凄いものを生み出すことを期待して劇場に赴く。

 今、神戸の震災を正面から扱った映画を撮ることは、かなりのリスクを負うことになる。並の覚悟では出来ないことだ。あれから11年が経つがまだまだ生々しい記憶が残る中、もう一度あの場面を目の当たりにする勇気は観客の側にも出来ていないし、それより何より、作る側が遺族や関係者も含めて、どういうスタンスを取るかが、微妙で難しい。作家の映画である前に社会的にどう受けいられるかも含めて、考えなくてはならないことが多すぎる。結果を先に言うと、同じ時期に同じ問題を内包した映画オリバー・ストーン『ワールドセンター』と同じように、優れた作品に仕上がっていたのが嬉しい。

 今これを作る意味はどこにあるのか。その点も含めて、僕ら観客も映画と向き合うことになる。映画は熱くなりすぎず、冷静に事実を再現することに徹する。賢明な選択だ。前半の震災部分は、迫力ある特撮を駆使して事実の痛みを良く描きこみ秀逸である。あそこでチャチな映像を見せられたらそれだけで興ざめする。ニュースフィルムに頼り切るのではなく、上手く融合させ震災の被害を現地にいた人たちの視点から捉えてある。そんな中で3人の男たちにスポットをあて、彼らが救助活動に関わり何をしたか、というところを映画の切り口とする。

 赤井英和の主人公だけでなく、彼の仲間である光石研、尾美としのりの3人を通して彼らが震災の日からをいかに過ごしたかが描かれる。赤井の家族のドラマとして閉じないように配慮がなされているのがいい。行政主導ではなく、市民と一体になり震災に強い街作りをみんなでしていこうとするというところで前半をまとめていくのも、まぁ当たり前の展開だが、悪くはない。

 映画の後半は、震災から2年後、オーバーワークから抜け殻みたいになった赤井が、ゴルフのプロになろうとする話にシフトしていくが、上手く繋いである。「みんな」からスタートした復興が「それぞれ」に広がりゆく。個人的な問題を神戸復興の象徴とするワンエピソードとして、見せていくという姿勢もいい。

 一人ひとりの願いがひとつの形になっていく。赤井だけでなく、この震災で酷い目にあった人たちがそれぞれの場面で再生していこうとする。みんなの願いが、そこには込められる。そんな想いを赤井のエピソードを通してみせるのだ。

 万田監督は極力自分というものを抑えて、作家としてではなく事実の語り部に徹することでこの難しい映画を成功に導いた。単なるメッセージではなく、被災者の痛みと願いが観客の胸にしっかり届く映画になっている。

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