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映画・演劇のレビュー

篠田節子『純愛小説』

2007-11-18 23:01:45 | その他
 読みながらそのあまりの痛ましさゆえ、目を背けたくなる。いい年した大人がこんなふうに恋をするなんて醜いと思う。だけれども、「大人だからこそ、隠せない想いがある。」という帯の言葉は、きっと正しいのだろう。大人になり、恋愛から降りてしまったはずの人たちが、恋に嵌ってしまって、取り返しのつかないことをしてしまう。そのことを否定も肯定もしない筆致は、かなり怖い。

 タイトルの『純愛小説』という一見甘いネーミングは皮肉でも何でもないが、読み終えた後、このタイトルはとても重くのしかかってくる。

 行き場のない想いが、人を恋に走らせる。打算、計算なんてものを超越した本当の大人の無軌道な恋はひたすらに恐ろしい。美しいはずの恋というものが、どうしてこんなものになっていくのか。

 若い頃には散々遊び惚けてきたプレイボーイが、ある日、突然、もう女遊びをやめて、家庭に戻ってくる。そんな夫を妻は喜んで受け入れたりはしない。それから、10数年後、妻は夫に離婚を迫ることになる。夫の若い日々への復讐ではない。彼の本当の裏切りに対する怒りからだ。夫はすべてを失う。

 『純愛小説』は男と女の不条理をとてもストレートに描く。わかりやすいから衝撃的だ。昔、ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープ主演の『恋におちて』という映画を見た時の驚きを思い出した。デ・ニーロの妻が彼に「体だけの浮気ならまだいいけど、心の本気は、許せない」というようなことを言ったシーンは、当時20代前半の子供だった頃の僕の心に深く沁みた。大人の恋って凄いなぁ、と子供心にも思わされた。あれから、四半世紀たって、この小説の主人公たちと同世代になり、そこに描かれてあることが、身にしみて理解できる。

 『鞍馬』の60代後半になって初めて恋をし、すべてを失ってしまう女性の話の後、1本軽い作品を経て(『知恵熱』は、一人暮らしを始めた息子の恋人にほのかな想いを寄せる中年男の話。)最後の『蜂蜜色の女神』に至る。

 36歳の男が、1まわりも上の女の肉体に溺れてしまう話。彼の妻は、48歳の女と浮気をする夫を「気持ち悪い」と言う。「彼は異常なんです」と言って精神科医に相談に行く。街を歩いていて、50代くらいの男女が人前でベタベタしている姿を見ると確かに気持ちが悪い。しかし、若い子たちがベタベタしているのはそこまで拒否感はない。(まぁ、人にもよるが)中年の男女ならNGなのか?

 50くらいの男と20くらいの女がベタベタしているのを見ると苦笑するくせに、20くらいの男が50くらいの女とそうしているのをもし見たら、どう思うか。(生憎そんなパターンは見たことないが)

 50くらいの女と30代半ばの男が、こんなにも深く愛し合うという物語にこれだけの説得力を与えてしまうって何だろうか。読み終えて、とても怖くてしかたなかった。


 

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