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映画・演劇のレビュー

『ジョーカー』

2019-10-14 17:42:26 | 映画

DCコミックの映画化だけど、従来の映画とは全く違う。なんとこれはアクション映画ではないのだ。しかもヒーローは出ない。ヴィランであるはずのジョーカーが主役なのだけど、彼が悪の限りを尽くすとかいうわけでもない。アベンジャーズを中心にしたマーベルの怒濤の新作ラッシュも一息ついたところで、こんな映画が登場するなんて思いもしなかった。しかも、これが大ヒットしている。地味で暗くて、見終えたときには、暗澹たる気分になる映画である。なのに、劇場には凄いお客さんが集まっている。これはいったい何ごとなのか。

まず、これは映画としての完成度が高い。しかも、娯楽映画ではない。ベネティアでグランプリ(金獅子賞)を獲ったというのもさもありなん。不穏な空気が漂うゴッサムシティを舞台にして、ひとりの男が精神的にも肉体的にも、経済的にも追い詰められていく姿を描く人間ドラマだ。それがやがては彼一人の問題ではなく暴動に及ぶ。貧富の差の増大は著しく、庶民の不満は鬱積していく。

70年代のニューヨークを髣髴させる。『セルピコ』や『狼よさらば』の頃だ。『レニーブルース』も思い出す。あの時代のアメリカ映画だ。デ・ニーロの登場で想起するのはもちろん『タクシードライバー』だろう。あの狂気がこの映画にも流れている。

コメディアンを目指す彼はピエロのメイクで街頭に立つ。看板を持つ。サンドイッチマンだ。ガキたちにからかわれ、暴行される。彼の芸は受け入れられない。笑わせるということが彼にはできない。笑うしかないのではなく、笑いそのものが彼の病だ。母親とふたり暮らし。ひとりで介護している。毎日の生活に疲れきっている。心を病んでいく。自身の出生に秘密を知る。だが、そのことも含めて、やがて、妄想と現実の区別がつかなくなる(のは観客である我々だ)。

この映画の凄いところは、彼が追い詰められていく姿をそんなふうにして普遍性をもって描くところだろう。ジョーカーは彼だけではなく、誰もが抱える病理なのだ。だからクライマックスの暴動を引き起こしたのは彼だ、とは言い切れない。そんな不穏な空気は全編に漂う。地下鉄の中での殺人も、彼のほうに正義はある。この映画が大事にするのは、彼が悪に落ちる過程を描くことではなく、この世界がどうしようもないところへと落ちていくというさまを丁寧に綴ることだ。誰もがこの後登場するはずのバットマンよりも彼を支持する。


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