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映画・演劇のレビュー

小池昌代『わたしたちはまだ、その場所を知らない』

2010-08-09 20:27:21 | その他
 こんなにも何もない小説はなかなかお目にかかれないだろう。あまりのことに、腹を立てる人もいるはずだ。青春小説として、読み始めて、どんな事件があるのか。どんな子どもたちが出てくるのか。普通ならそれを楽しみながら読み進めるはずだ。

 だが、見事に何もない。ストーリーらしいストーリーもない、というのではない。話はある。確かにある。だが、この小説はそんな話を語るためにあるのではない。2人の主人公は、あるレベル以上には互いに関わり合わない。普通の小説なら、その次元をいかに逸脱していくのかが眼目となる。そこからドラマが始まる。だが、この小説はそんなことを描く気は毛頭ない。だから読んでいてストレスがたまるはずだ。でも小池さんは気にしない。別に読者の神経を逆なでにしたいわけではない。

 ドラマチックとは無縁の世界を描くのである。大事なことはお話を語ることではない。この小説が描こうとするのは、独り善がりでしかないのだが、作者の意図は、「想いが伝わる瞬間」をそこに感じたいと思う、ことだ。そこだけが描かれる。

 国語教師である坂口は、ただ死んだように生きている。教育者としての情熱はない。昔小説を書いていた。作家志望というほどでもない。だが、書くことで何かを成し遂げようと望んだ、はずだ。だが、それが何であったのかは解らない。彼女の教え子であるミナコは詩に魅かれている。まだ13歳で子供でしかないはずなのだが、坂口は彼女の中に可能性を感じる。昔の自分を見る。坂口はミナコに様々な詩人を紹介していく。彼女は吸い取り紙のように吸収する。

 坂口による詩に課外授業は、ミナコの負担になる。坂口の過剰な想いが煩わしい。これは単純に、大人である坂口が子供であるミナコに恋心を抱く、と見える設定なのだが、そんなドラマチックでは断じてない。だから坂口がミナコを抱きしめるエピソードは、2人の感情のクライマックスにはならない。生徒と教師の禁断の恋、とかいう、よくある感じから遙かに離れた小説である。

 ここに描かれるのは、ほんのわずかな、目に見えないし、すぐに忘れていくような淡い感情だ。後で考えると、何をしていたのだろうか、と恥ずかしく思うくらいの。子どもであるミナコではなく、大人であるはずの坂口の淡い恋心である。彼女は13歳の少女のなかに、かっての自分を見たのだろう。そこに愛おしいものを感じ、それを守っていたいと思う。かなりおこがましい話だ。秘かに誰にも知られることなく、存在した想い。それを、ただ静かにポンと投げ出す。さりげなさ。

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