監督・長井龍雪、脚本家・岡田麿里コンビによる新作。岡田麿里監督作品とは一味も二味も違う世界がここにはある。思った以上に小さな映画になっている。小さいことがよくないというのではない。小さくまとまってしまったのが残念なのだ。3人の幼なじみの友情物語でいいけど、それが僕たち観客の胸にどれだけ届くかである。
先月見た『君の色』も小さな映画だった。アニメはなんでも出来るからスケールの大きな設定と世界観を提示して展開するパターンが多い。まぁ今はCGでなんでもできるからアニメにこだわらなくてもなんでもありだけど、だから反対に制約の多いものや敢えて小さな世界を丁寧に描く映画が求められるのか。もちろん大事なことはそれが映画として興味深いか、楽しいか、である。
そういう意味でこれは消化不良である。「ふれる」という存在の意味や謎には話は進まない。まぁそれはそれでいい。だけどクライマックスで「ふれる」が、暴走するところから話は中途半端にスケールアップしてしまう。これは地方の海の町から大都会の東京にやって来た若い3人の男子が東京で生きる話である。「ふれる」は彼らを癒す犬猫のポジションでいい。だけど彼は犬ではない。喋らないけど、大切な「何か」を秘めている。そこをしっかり捕まえて描く必要はある。
ふたりの女の子たちと出会いルームシェアをする。ある種夢のような設定でそこから始まる恋愛についての話へと流れていくのは必然だろう。だけど、それが「ふれる」を通してどう変貌するのか、ではなく彼女たちは完全に置き去りになり3人と「ふれる」だけの話に収まるのは筋違いだ。
リアルとファンタジーのあわいを漂いながら、20代前半という時代の男女の想いを掬い取る、これはそんな映画であって欲しかった。