これは力作である。古谷田奈月の最高傑作ではないか。スケールの大きな作品であると同時にこれは実に繊細な作品でもある。ここに描かれるドラマは児童虐待と並行して描かれる小児性愛というその内容から想起されるお話から微妙に逸脱していく。単純ではないけど、それを単純でなくさせているものはそこに描かれる出来事そのものではなく世間の目だ。猫を愛することと幼児を愛することを同じレベルで論じるわけにはいくまい。だが、そこに流れる問題はもしかしたら同質のものかもしれない。幼い子供と猫。どちらも自分の気持ちを言葉にできない。注がれる愛情は同じでも人間と動物では問題が違う、のか?
彼女はなぜ女児を「触った」のか。その真意は語られない。それが事件なのか愛情なのかどうかもわからない。いや、それどころか、その事実を受け止めた先にあるものは何なのか、そこが焦点になっていく。お話は僕たちの想像力の遥か先を行くまさかの展開だ。
しかもお話の入り口はそこではない。スマホゲームから始まる。オンラインの仮想空間に一喜一憂する人々のドラマから始まるのだ。リアルでは生きられない人々の熱狂。たかがゲームにすべてを賭けるのには訳がある。
この別々の二つの話は同じ主人公のリアルとゲームでのお話だったはず。だが、当然のこととして彼が関わるこのふたつが彼を同時に襲い、突き動かしていく。リアルとゲームの世界が反転して、やがては混沌としていく。接点のないはずのこのふたつの事象(事故、事件)はいずれもこのひとりの男が今抱える問題で、彼が同時に向き合うべき現実なのだ。もちろん簡単には答えは出ない。だが、ラストで投げ出される荒野で僕たちもまた、彼と同じようにこの世界でこの現実と向き合い、どこかへと向かうしかないことを知る。
少年は母親の呪縛から解き放されて自分の人生を生きるためのスタートを切ることができるのか。まだ高校生(でも学校にはずっと行っていない引きこもり)の隊長と、10歳の何もしゃべらない少女。彼らがここからどこに向かうのかはわからない。主人公である泰介も、彼が支えようとした児童福祉専門家の黒岩もそうだ。壊れてしまったのは誰か。この先には何があるのか。わからないけどそれでもこの先へと向かおうと思う。この旅はまだ始まったばかりだから。