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映画・演劇のレビュー

パンと魚の奇跡『パンと魚の奇跡』

2008-07-22 23:26:52 | 演劇
1時間にも満たない小品である。しかも、3話からなるオムニバス。3人の作者たちによる3人芝居。自分たちの個々の感性のみを拠りどころにして、自由気ままに作り上げた短編をひとつにまとめてみせる。ささやかで、でもやさしい、とても気持ちのいい芝居だった。

 こういう芝居を見ると、なんだかうれしい。派手でたくさんの人たちが舞台を駆け回る大作もいいけど、手作りで、真心のこもった、ただ、そこに人がいて、伝えたいことがある。それを自分たちの表現できちんと見せる、そんな芝居に出会うと、芝居ってまだまだいろんな可能性があるんだ、と当たり前のことを信じたくなる。

 3話は基本的には2人芝居をベースにしている。芝居を作り上げていく上で2人というのは最小の単位である。人が人と向き合っていくために、これ以上少ない人数はない。1人芝居というのもあるが、1人で何役も演じたりすることも多いし、観念的なものになることも多い。他者と向きあうためには、1人では無理だ。この芝居は観念的な内容だが、あくまでも会話劇であり、言葉のキャッチ・ボールには投げる人と受ける人が必要で、そのための最小単位が2人、ということになる。

 なのに、この芝居の2人は面と向かおうとしない。第1話の2人は背中を向け合い会話する。しかも、2人は背中をぴったりとくっつけ合いダンボールのなかに入っていたりする。自分たちにとって最高の料理をお互いに見せ合う。この世の中で一番おいしい料理のレシピを披露していく。(その時、食材になるのは、大好きな恋人だったりする!)とてもおいしいものを作るために必要なもの、それをどんなふうにブレンドするかが語られる。

 2話は、黒やぎさんと白やぎさんのお話。お互いに相手の手紙を食べてしまい、相手が何を自分に求めたのかがわからない。わからないことが気になりながらも、それでも読む前に本能的に手紙を食べてしまう。この童謡をベースにコミニケーションの不在なんてことを描くのではない。本能は理性に勝ってしまうという当たり前のことを根底に持ちながら、そんな中で人は人とどう向き合うかが、描かれる。3話は伝わりきらない憤りを大声をあげて訴える。父と母、そして、娘、お互いの中に生じる齟齬が描かれていく。(このエピソードだけ、少し見せ方がナマ過ぎてつらい)

 ここで描かれる小さな小さな世界は、人と人との関わりが、この大きな世界の中で、どう作り上げられていくのかを見せてくれる。感覚的な描写が、とても新鮮で初々しい。とても無防備で、傷つきやすい生の感情が、象徴的なドラマの中で展開する。3人の感性のきらめきが理屈ではなく、ありのままのものとして描かれる。メルヘンチックなファンタジーの意匠の中で、傷つきやすい内面がデリケートに描かれる。だから、この3人を優しく包み込んであげたくなる。これは奇跡のような芝居である。

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1 コメント

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Unknown (けけ)
2008-07-23 10:35:17
劇団パンと魚の奇跡です。
先日はありがとうございました。初めての公演、初めてのアフタートークで、少し緊張していた私達ですが、皆様楽しんでいただけたようでとても嬉しく思っています。
これからも私達らしく思うまま、おもてなしを続けたいけたらいいな、と思います。どうぞよろしくお願いします。
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