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映画・演劇のレビュー

『ダークナイト』

2008-07-19 21:41:01 | 映画
 こんなにも暗くて重い映画になっているなんて、正直思いもしなかった。ハリウッドの娯楽大作の域を完全に逸脱している。もともと『バッドマン』シリーズは暗い話だったが、それにしても、これはやりすぎである。『スパイダーマン』もよく悩んでいたが、レベルが違うから。これは全く従来のヒーローものとは桁が違う。

 こんな映画が(しかも、凄い大作なので、制作費はとんでもない額だろう)全国拡大公開されて、お客さんを集めれるのか、興味深々だ。『スピードレーサー』のようにこけてしまったらどうするのだろうか、人事ながら心配である。

 前作『バッドマン・ビギンズ』に引き続いて『メメント』のクリストファー・ノーランが監督した。常識破りの大作である。バッドマンは警察と協力して捜査する、とか、ゴッサムシティーの犯罪は全然減少しないし、バッドマンはヒーローではないとか、なんだか後味が悪くなりそうな設定が満載されている。主演は今回もクリスチャン・ベールが憂いを秘めて演じる。

 彼が悪に染まるなんて、ことはない。だが、単純な正義にもなれない。だいたいここで描かれる正義という行為そのものが単純なものではないのだ。悪はどこまで行っても尽きることはない。バッドマンひとりではどうしようもない。偽バッドマンによる世直しまでまかり通る。仕方ないことだ。犯罪に対して正義のバッドマンがひとりでは犯罪者を裁ききれない。市民は一部の人間しか救えない彼に対して、反感を抱くことになる。最初の真っ白な想いなんか、毎日の生活の中で、くすんでしまい、正しいことを為していたはずが、疲れてしまい、誰にも理解されない状況の中で、袋小路に陥る。同じように「単純な悪」ではない(バッドマンは「単純な善」のはずだったが、単純ではなくなった)筋金入りの狂人ジョーカー(故ヒース・レジャー)の、ただひたすら悪をなしていくことのみに生きがいを見出していく姿とは対照的に、バッドマンはどんどん歯切れが悪くなる。

 さらにはこの2人に正義の検事(アーロン・エッカード)と実直な警部補(ゲーリー・オールドマン)を配し、彼ら4人を主人公とした映画として構成されていく。彼らが自分の意志を貫き通そうとすることが、結果的には思いもしない事態を引き起こしていく。とてもよく出来た話だが、娯楽映画としての歯切れの悪さは半端ではない。すさまじいアクションシーンすら霞んでしまうくらいだ。潔いジョ-カーひとりが気持ち良さそうに大暴れする、そんな映画である。

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