
岸田國土の短編戯曲から4本を取り上げ、それを現代のドラマとしてアレンジした東京芸大制作のオムニバス映画シリーズ第3弾。伊坂幸太郎、沢木耕太郎と続いて、今回、岸田國土を取り上げたのはなぜか。今なぜ、岸田國土でなければならないのか。それがこれではまるでわからない。これまでの2作ではそれなりに健闘してきたのに、今回のハードルは、若い学生にはあまりに高すぎた。
しかも、台本自体の時代背景はかなり重要な要素なのに、そこを反古にした。あれらのお話を見せる上で、時代を現代にしてアレンジし直すのは、困難を極める。ちょっとやそっとの改変ではオリジナルのよさを生かせないはずなのだ。そんなたいへんことを大学生にさせるなんて、とてもいじわるな企画だ。
結果的には、まるで意味のないひとりよがりでしかない心象風景の羅列にしかならなかった。4本とも見事なまでにこけた。これは企画自体のミスである。とりつく島もない素材を与えられ、自分の力も発揮できずに苦しんだ4人の学生監督たちがとても気の毒でならない。せめて、時代設定はそのままにして、見せるくらいの配慮をプロデューサーがしてあげればよかったのだ。制作費がかさむのはしかたないことだろう。それが嫌ならこんな企画はやめればいい。成瀬巳喜男監督の『驟雨』(これは『紙風船』も含む)や、エレベーター企画、外輪能隆演出の『紙風船』というような先行する傑作があるにもかかわらず、敢えてこの作品を映画化するのなら、それなりのアプローチを見せてもらいたかった。
アドバイザーである筒井ともみだって、もし、『それから』を映画化したとき、「設定は現代にしてね」なんて言われたなら、あの仕事を引き受けただろうか? 自分がしないことを、自分の生徒にさせてはいけません。
しかも、台本自体の時代背景はかなり重要な要素なのに、そこを反古にした。あれらのお話を見せる上で、時代を現代にしてアレンジし直すのは、困難を極める。ちょっとやそっとの改変ではオリジナルのよさを生かせないはずなのだ。そんなたいへんことを大学生にさせるなんて、とてもいじわるな企画だ。
結果的には、まるで意味のないひとりよがりでしかない心象風景の羅列にしかならなかった。4本とも見事なまでにこけた。これは企画自体のミスである。とりつく島もない素材を与えられ、自分の力も発揮できずに苦しんだ4人の学生監督たちがとても気の毒でならない。せめて、時代設定はそのままにして、見せるくらいの配慮をプロデューサーがしてあげればよかったのだ。制作費がかさむのはしかたないことだろう。それが嫌ならこんな企画はやめればいい。成瀬巳喜男監督の『驟雨』(これは『紙風船』も含む)や、エレベーター企画、外輪能隆演出の『紙風船』というような先行する傑作があるにもかかわらず、敢えてこの作品を映画化するのなら、それなりのアプローチを見せてもらいたかった。
アドバイザーである筒井ともみだって、もし、『それから』を映画化したとき、「設定は現代にしてね」なんて言われたなら、あの仕事を引き受けただろうか? 自分がしないことを、自分の生徒にさせてはいけません。