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映画・演劇のレビュー

『猿の惑星 聖戦記』

2017-10-18 20:58:39 | 映画

 

小学生の時に見て衝撃的だったオリジナルの『猿の惑星』との出会いから、もう40数年が経つ。確かあれは6年生の冬だった。たまたま、つけていたTVで見た。見てしまった、とでも言おうか。まだ、映画に目覚める前で、それを見たのはほんとうにただの偶然のことだった。

 

年末の「年忘れ映画大会」みたいな番組で深夜に放送されていたのだ。少年があのラストシーンと、何の予備知識もなく出遭ったのだからその衝撃は想像してもらえると思う。震えた。しばらく動けなかったほどだ。人間の愚かさ、なんてものを子供ながらに実感して、しばらくいろんなことが頭を駆け巡った。要するに、映画というものの凄まじさを初めて体感したのがあの映画だったのだ。

 

その後、旧シリーズ5作品は全部見た。TVの洋画劇場で放送されていたのを見逃さず。でも、つまらなかった。わかっていたことだが、要するにあの1本がすべてだったのだ。

 

ティム・バートンの『猿の惑星』を見た時も、彼であってもオリジナルを越えることは不可能なのか、とがっかりした。まぁ、当然のことだろう。だから今回の新シリーズが始まったとき、実はあまり期待していなかった。もういいよ、というのが正直な感想だ。だが、今回の3部作としての完結編を見て、こういう切り口があったのか、と感心した。壮大な物語の結末がこんな切り口で完結した。ここからオリジナルの『猿の惑星』に確かにつながることだろう。大作を期待したならこれは肩すかしだ。しかし、第1作につながる映画がこんなにもささやかな映画であるということは、ちょっとした衝撃かもしれない。

 

新シリーズの1本目はその切り口が鮮やかで、ラストシーンも素晴らしかった。悪くないと思ったけど、2本目になると、もうルーティンワークになってきた。人間と猿たちとの狭間にあって苦悩するシーザーの話は暗くて、つまらない。今回もまた、その延長でスタートしたから、最初はうんざりした。

 

しかし、途中から『地獄の黙示録』のようなお話になり、人間同士の戦いに猿たちが巻き込まれていくところから、なんだかお話が混沌としてきて単純な人間から猿への世代交代の話ではなく、新しい人類(これからこの地球の支配者となる猿たちなのだが)はどういう生き方をするべきなのかを考えるお話へとシフトチェンジしていくのが興味深く、ある局地戦を通して、そこに至るという構成も含めて、実によく出来ていると思った。

 

映画はほとんど猿たちの話ばかり、というのも凄い。人間はこの映画ではただの脇役にしかならない。2時間20分の大作なのだが、この映画は、壮大なドラマではなく、ローカルな戦いから、人類の終焉に至る序曲としての立ち位置をキープする。そういう慎み深さが、僕がこの作品に好感の持てた理由だろう。

 


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